ターン113 ダーリン罰ゲームだっちゃ
樹神暦2634年6月、昼下がり。
今日は弱い雨が、朝からずっと降り続いている。
マリーさんのお屋敷にある、やたらと広い駐車場。
今は車が全然停まっていないから、さらに広く感じる。
その隅で、俺とヴァリエッタさんは傘を差して佇んでいた。
眼前には、青い新型GR-9〈レオナ〉。
水飛沫を上げながら、閉鎖された駐車場内を疾走している。
運転しているのは、ニーサ・シルヴィアだ。
広い駐車場には、カラーコーンが至るところに配置されていた。
ニーサは後輪を若干スライドさせながら、その間を抜けていく。
俺と彼女が取り組んでいるのは、ジムカーナと呼ばれる競技。
こういう広場とかにパイロンを配置したりしてコースを決め、その順番通りにパイロンを通過してタイムを競い合う。
サーキットとかと比べると、ジムカーナの速度域は低い。
だけどコースが狭い分、クルクルと車の向きを変えるテクニックが要求される。
このジムカーナという競技は、荷重移動の練習にはうってつけなんだそうだ。
荷重移動っていうのはブレーキやアクセル、ハンドル操作で車の姿勢を変化させ、4つのタイヤにかかる重さを自在にコントロールする技術。
この技術でタイヤを路面に押し付け、接地面積を増やして食い付き力を高めたり、逆に浮かせて滑らせたりもできる。
ハッキリ言って、モータースポーツの基礎中の基礎だ。
レーシングドライバーじゃなくても、そこいらの走り屋さん達だってやっている。
このマリーノ国では、自動車教習所でもちょっと習う。
俺が地球で乗ってたフォーミュラカーのドライバー達なんて、荷重移動でフロントウィングの高さを変化させ、空気の流れをコントロールするなんて芸当もやっていた。
もちろん、俺だってやれる。
だから当然、かなりのレベルで操れているという自負はあったんだけどな――
ヴァリエッタさんに言わせると、後輪荷重の抜き方、振り分け方、掛け方の精度が甘いそうだ。
実はニーサも俺と同じ課題を抱えているらしく、克服するためにこうして一緒にジムカーナをやっている。
ニーサがまだ走っている最中だけど、俺はヴァリエッタさんに話しかけた。
気になっていたことを尋ねる、いい機会だと思ったんだ。
「そういえばヴァリエッタさん。なんでニーサを、俺と同じ部屋に住まわせようと思ったんです? そりゃ確かに並大抵の奴じゃ、鬼族より強いニーサに変な真似はできないでしょうけど……。普通、年頃の娘を男と同室にはしませんよ?」
「ふっ。私が普通の母親に見えるのか?」
「いえ、全然」
普通じゃないと言われて怒るどころか、ヴァリエッタさんは嬉しそうな笑みを浮かべた。
なんだろう?
他人と違うことが、カッコいいと思っているタイプか?
永遠の中二病患者か?
嬉しそうにしていたヴァリエッタさんは急に目を伏せ、肩をすくめてしまった。
「ニーサが結構な頻度で、悪夢を見ることは知っているだろう?」
「ええ。何度か、うなされていましたね」
俺との共同生活が進むごとに、その回数は減っていったんだけどね。
「夢の中に出てくる黒髪人間族の男が、ニーサを置いて遠いところへ行ってしまう。そんな悲しい夢らしい。単なる夢なのか……。あるいは彼女が断片的に持っている、前世の記憶なのか……。定かではないがな」
そうだったのか――
だからニーサはあの時、「行かないで!」と――
「あの子は小さい頃から、そんな『黒髪の君』の夢を何度も見てきた。その度に、泣きながら飛び起きるんだ。実に忌々しい男だよ。夢の中の話とはいえ、ニーサを置いて行ってしまうような男……。現実に存在していたら、地獄の責め苦をもってその罪を贖わせてやるところだ」
人間族より長めの犬歯を剥き出しにして、目を血走らせながら『黒髪の君』への怒りを露わにするヴァリエッタさん。
そんな彼女を見て、背筋が凍り付く。
落ち着け。
俺はその、『黒髪の君』じゃないだろ?
「だからニーサの心に、別の男が住み着けばいいと思ったんだ。一緒に暮らせば、『黒髪の君』の幻影を追い出してくれるのではないかと思ってな」
「んな無茶な」
荒療治にも、程がある。
「黒髪の君」を克服するどころか、男嫌いが悪化していたかもしれないんだぞ!?
「どうだ? ランディ君。君がニーサを救ってくれないか? 君になら、お義母さんと呼ばれてもいい」
「昨日散々、罰ゲームで呼んだじゃないですか」
俺とニーサはこのジムカーナ練習で、タイムを競い合っている。
負けた方には、罰ゲームだ。
昨日負けた俺には、ヴァリエッタさんを「ママ」と呼ぶ過酷なペナルティが待ち受けていた。
しかもその様子を、キンバリーさんに動画で撮影させるという拷問っぷり。
「君はニーサを置いて、どこか遠くへ行ったりしないでくれよ」
「残念ながらコース上では、ぶっちぎって置き去りにさせてもらいます」
「ふふっ。そう簡単に、うちの娘をちぎれるかな?」
ヴァリエッタさんは、ニーサの乗る〈レオナ〉へと視線を戻す。
俺も同じように視線を戻し、次いでストップウォッチを見た。
「ゲッ! この調子でいくと、俺のタイムより速い!」
「さあ、今日の罰ゲームは何にしようかな?」
冗談じゃない!
ヴァリエッタさんの考案するハードな罰ゲームは、「ノヴァエランド12時間」参戦前に俺の精神を崩壊させてしまうかもしれない。
なんとか罰ゲームを避けたいけど、俺は先にタイムアタックを終えてしまってるからな。
できることといえば、ニーサがミスするように祈るぐらいだ。
ミスれミスれミスれミスれ~。
そんな祈りは届かず、ニーサの駆る〈レオナ〉は重力を感じさせないほど軽やかに舞う。
先代も運動性の高いマシンだったけど、新型のGR-9になってさらにその鋭さは増していた。
左の高速ターンから、右の360度ターンへ。
サブロクターンは1本のパイロンを中心に、その周りをグルッと1周しなければならない。
小さい旋回半径と短い時間で回るために、ニーサは左ターンから右ターンへの反動を利用してスパッと後輪を滑らせた。
「……む」
そのキレ味に感心したのか、ヴァリエッタさんの口から声が漏れる。
ニーサ、そんなに頑張るなよ!
俺の思いをあざ笑うかのように、青い〈レオナ〉は完璧なスピンターンを決める。
パイロンの位置は、きっちり右ドアミラーの直下。
あと2cmで接触してしまうというギリギリの空間を、青いボディがぐるりと1周する。
パイロンに接触したら1回につき5秒加算のペナルティだから、負けが確定してしまう。
なのにこの攻め方は、大した度胸と車両感覚だぜ。
脱出ラインに乗せるまでにはきちんと後輪のスライドを止め、しっかり駆動力をかけてニーサは加速する。
濡れて滑りやすい路面のはずなのに――
あーっ!
ノーミスで、フィニッシュラインを通過しやがった!
ストップウォッチを見れば、俺よりコンマ3秒速い。
とほほ――
また、罰ゲームか。
ニーサが乗る〈レオナ〉は、俺とヴァリエッタさんのすぐ近くに停車した。
斜め上に跳ね上げるシザーズドアを開けて、ドライバーが降りてくる。
ヘルメットを脱いだニーサは、顔を上気させながら勝利宣言を突き付けてきた。
「どうだランドール! データロガーの表示では、コンマ3秒上回っているぞ! 私の勝ちだ!」
「うるさいな、分かってるよ」
くそう、本気で悔しいぜ。
俺のアタックは、ちょっと丁寧にいきすぎたか?
「さあ! お母様! ランドールに、屈辱的な罰ゲームを! 再起不能になるぐらい、強烈なやつをお願いします!」
再起不能になったら、チームメイトのお前も困るだろうが!?
娘の熱い要望に、ヴァリエッタさんは冷静だった。
「その前に、ニーサ。データロガーを、見せてもらおう」
この〈レオナ〉には、レーシングカー並の高精度センサーとデータロガーが取り付けられている。
ジョージとケイトさんの手によるものだった。
ドライバーがどんな走りをしたのか、このデータロガーで丸裸にされてしまうんだ。
速さを追求する上では、とても有用なツールではある。
だけどミスは確実にバレるし、下手な言い訳もできなくなるから精神的に辛い。
ヴァリエッタさんは車内のセンターコンソールに設置されたモニターをいじり、先程のニーサの走りをチェックしていった。
「360度ターンの手前。左から右に切り返す時、一瞬だがオーバーGしているな。ヨーを発生させ過ぎだ」
今回の課題は荷重コントロールの精度を上げることだから、ただ走るだけでなく特殊なルールを定めていた。
データロガーで規定の値を超える重力加速度を記録してしまったら、2秒加算のペナルティと。
つまりニーサは曲がる方向の力を発生させようとするあまり、鋭く切り返し過ぎたんだ。
ってことは、今回の勝者は――
「よっしゃあああーっ! 俺の勝ちだぁーっ!」
先程まで元気にブンブンと振られていた、ニーサのドラゴン尻尾が地面に落ちた。
ベチャリと、悲し気な音がする。
「ふふふふ……。ニーサも、昨日の俺と同じ気分を味わえ」
「そうだな、ニーサの罰ゲームは……。ランディ君のことを、『ダーリン』と呼ぶのはどうだろうか?」
それを聞いて、ニーサがこの世の終わりみたいな顔をした。
「ヴァリエッタさん! それって、俺まで罰ゲームみたいなもんじゃないですか! 絶対嫌だ!」
全力で拒否したんだけど、ヴァリエッタさんは不敵に笑うばかりで取り合ってくれない。
「だ……だ……ダーリ……」
「今、呼ぶなよ……。どうせ後から、キンバリーさんに動画撮影させるに決まっているんだ」
真っ赤な顔で唇を震わせながら、おぞましい言葉を口にしようとするニーサ。
俺は両手で顔を覆い、そんな彼女の姿をシャットアウトした。
――と、そこへ聞こえてきたのは、ターボエンジンの野太い排気音。
そして、パシュッというブローオフバルブの大気開放音だ。
音の方向へ目をやると、車高の低いスポーツカーが勢いよく駐車場へと進入してきた。
レモンイエローに塗られたこのマシンは、クリス・マルムスティーン君の〈ヴェリーナ〉だ。
クリス君はベッテルさんとキンバリーさん指導の下、身体能力トレーニングに励んでいたんじゃなかったのかな?
クリス君は窓を開け、片手を窓から出した。
そのまま人差し指で、天を指す。
彼は「ヒャッハー!」と世紀末な叫び声を上げながら、ドリフトでパイロンの周りをグルグルと旋回し続けた。
定常円旋回と呼ばれる練習法であり、テクニックだ。
あ~。
クリス君はこういう車を振り回すの、好きそうだもんね。
俺とニーサが駐車場でジムカーナしていると聞いて、我慢できずに逃げ出してきたな?
ヒャッハータイムは、そんなに長く続かなかった。
駆けつけてきたキンバリーさんに、クリス君が車から引きずり降ろされたからだ。
トレーニングウェア姿のクリス君は、キンバリーさんに何やら口ごたえしている。
だけど腹を殴られ、失神してしまった。
弱い――
クリス君はそのまま米俵のように担がれ、邸内にある武道場へと強制送還されてしまう。
筋トレだけじゃなく、反応速度や集中力も高めるために格闘技もトレーニングに取り入れているらしい。
そんなクリス君とキンバリーさんのやり取りを見ている間に、雨が上がっていた。
「見ろニーサ、ランディ君。虹だ」
南の空――
ノヴァエランド地方の方角に、一条の大きな虹が架かっていた。
梅雨が明けると夏が――
「ノヴァエランド12時間」の季節がやってくる。
戦いの時は近い。




