ターン112 再会、そしてすぐ別れ
翌日の夕方――
クリス・マルムスティーン君は、あっさり「デルタエクストリーム」の事務所へとやってきた。
そして開口一番、こう叫ぶ。
「あ!? キンバリーてめー、ふざけんじゃねーぞ? ぶっ殺されてーのか!?」
ケンカ弱いくせに、相変わらずのイキりっぷりだな。
だからキンバリーさんとやり合ったら、ぶっ殺されるのは君の方だって。
しばらく見ないうちに、クリス君の頭はフルモデルチェンジを果たしていた。
今度は箒みたいに髪を逆立てて、オレンジ色に染めている。
それってヘルメット被ったら、絶対ペチャーってなるだろ。
「キンバリーさん。なんと言って、クリス君を誘ったの?」
「普通に勧誘しただけですよ。『チキン野郎、レースに未練があるくせに、ウジウジ言い訳して走らないとは見苦しい。どうせなら大舞台で思いっきり恥をかいて、身の程というものを思い知れ』と」
うわー、辛辣。
そりゃ、キレやすいクリス君じゃなくてもキレるよ。
――っていうか、レースに未練があったの?
まあこうして「ブルーレヴォリューションレーシング」にきてくれたところを見るに、未練があったのは確かだろう。
俺にはそんな風に見えなかったんだけど、キンバリーさんには分かっていたというのか?
「けっ、しょーがねーな。どうせランディもニーサも、ハコは素人なんだろ? レースまでに、俺がしっかり教えてやるぜ。特に、ニーサは手取り足取りな。ぐへへへ……」
ニーサに対する下卑た笑顔と、下心が透けて見える台詞はどうでもいい。
どうせクリス君程度の腕っぷしでは、変なことをしようとした瞬間ニーサから半殺しにされる。
だけど俺を素人呼ばわりしたことは、カチンとくるね。
そりゃ前世でも今世でもカートやフォーミュラカーにばっかり乗ってきたから、ツーリングカーやGTカーみたいな市販車ベースのハコ車経験は少ないけどさ。
去年「オプティマスフライングラップ」で、俺は3位に入っているんだぜ?
「ふニ。ランディとニーサのハコ車経験値が不足していることは、おいちゃんも気になっていただニ」
「えーっ! そりゃないよ、ヌコさん!」
「そこの箒頭に比べたら、速いという自信はあるんですけどね。ランドールはともかく、この私は」
「まあまあまあまあ。おみゃーら2人が遅いだなんて、誰も言ってないだニ。ただもうちょっと慣れた方がいいだろうと思って、良いコーチを呼んであるだニ。……入ってくるだニよ」
ヌコさんに呼ばれて、入店してきた人物は――
警察!
誰か、警察を呼んでくれ!
お店に不審者が、乱入してきました!
マントだと!?
その真っ黒いマントは、なんなのさ!?
しかもそのマントの下は、同色のレーシングスーツ!?
確かにレーシングスーツは、俺達レーサーの正装といえるだろう。
――ただし、サーキットでの着用に限る!
そして不審者さんは頭に、フルフェイスのヘルメット着用だ。
これも黒い。
おまけに遮光シールドを下ろしているから、顔が全然見えない。
その恰好は、絶対暑いだろう。
今は5月だぞ?
不審者オブ不審者の黒づくめレーサーさんは、片手でマントをバサーッとなびかせた。
そして、ヘルメットのせいでくぐもった声で喋り始める。
意外にも、女性の声だ。
「ドライビングの深淵を覗き込みし、若人達よ! その探求心は実に尊く、称賛されるべきものだ。だが、忘れてはならない。深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているということを!」
ごめんなさい。
ちょっと何言ってるか分からないです。
コーチなのに、意思の疎通ができないというのは致命的では?
彼女の言葉が分からないのは俺だけかと不安に思い、周りを見渡す。
するとマリーさんやクリス君も、やっぱり意味が分からないといった表情をしていた。
キンバリーさんは、聞かなかったことにしてるっぽい。
ヌコさんは慣れているらしく、「相変わらずだニ」って感じで苦笑いしていた。
そして、ニーサは――
なんだ?
その青い顔色と脂汗は?
「フハハハハハ! 諸君! 私の真の姿が、気になるか? いいだろう。今こそ闇の封印を解き、白日の下に晒そうではないか! ……刮目せよ!」
いや、別に気にならないです。
できれば闇の封印を取らずに、そのまま回れ右してお帰り願いたい。
そんな俺の願いをドン無視して、黒づくめレーサーさんはヘルメットを脱いだ。
長く、色素の薄い金髪がファサリと揺れる。
ヘルメットの下から現れたのは、妙齢の美女。
彼女がヘルメットを取ると同時に、背後に隠れていた黄金の尻尾が姿を現した。
――あれ?
誰かさんに似てね?
ヌコさんを除く、全員の視線がニーサ・シルヴィアへと集まった。
その視線から逃げるように、ニーサは顔を明後日の方向へと逸らす。
顔だけ背けても無駄だぜ。
視線から逃げきれていない月光のようなプラチナブロンドと、黄金の鱗に覆われたその尻尾。
どう見ても、血のつながりがあるだろう?
「久しいな、愛する娘よ。安心するがいい。実の娘だからといって、遠慮などはしない。容赦なく、ビシバシと鍛えてやるからな」
「いえ、お母様。色々と、遠慮して下さい」
げんなりした表情で、視線を黒づくめレーサーさんへと戻すニーサ。
そう。
彼女の正体は、かつてヌコさんと組みサーキットで活躍した「ロータリーの魔女」。
そして娘を故意に、男と同じ部屋へと叩き込んだとんでもママ。
ヴァリエッタ・シルヴィアさん、その人だった。
ってことはこの人、20代に見えるけど実年齢は――
いや、深く考えるのはやめておこう。
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ヴァリエッタさんのコーチ就任から、1週間とちょっと。
俺、ニーサ、クリス君の3人はコーチに連れられて、メターリカ市にあるウルリッヒサーキットへとやってきていた。
このウルリッヒサーキットは、いわゆるミニサーキットというやつだ。
スーパーカート選手権や「オプティマスフライングラップ」で走ったメイデンスピードウェイと比べると、1周の距離は半分ぐらいしかない。
おまけに道幅も狭い。
今日はそこで、練習走行。
使用する車は、旧型のGR-4〈レオナ〉だ。
俺は思わず、不満を漏らしてしまった。
「えー、ヴァリエッタさん。新型のGR-9〈レオナ〉じゃないの?」
「新型では、少々わかりにくいのだよ。ロータリーエンジン特有の『癖』を、体感してもらおうと思ってな」
癖って、なんだろう?
今回使用する旧型〈レオナ〉は、ヴァリエッタさんの所有する無改造仕様だ。
ターボもついていない、自然吸気エンジンのグレード。
こいつに1人ずつ交代で乗り、サーキットを走行する。
俺の番は最後だ。
これで、何が分かるっていうんだ?
俺は疑問に思いながらコースインし、2周目からアタックを始める。
そして、すぐ違和感に気づいた。
しばらくコースを周回。
走りながら違和感の原因を突き止めようとするけど、そこまでは分からない。
モヤっとした気分を抱えたまま、俺はピットロードへと車を戻した。
「どうだね、ランディ君。何か、気付いたことは?」
「……右コーナーと左コーナーで、明らかに曲がる時の感触が違う」
「ほう、さすがだな。原因は、分かるかね?」
「いえ、そこまでは……。ただエンジン回転数が高い時の方が、感触の左右差は顕著なような……」
先に乗ったニーサに視線を向けると、彼女も原因が分からないみたいだ。
首を横に振っている。
「なんだよ、おめーら。分かんねーのか? ジャイロ効果だよ、ジャイロ効果。ロータリーの構造を考えりゃ、すぐ分かんだろうが」
とっても腹立たしい口調と表情で、クリス君は得意げに言ってくる。
ヘルメットを脱いだ直後はペチャーとしていた箒頭は、驚くことにもう復活していた。
ジャイロ効果って、あれ?
物体が回転運動をすると、姿勢を乱されにくくなるっていう現象のこと?
「正解だよ、クリス君。一般的なレシプロエンジンにも、この効果は発生している。だが大きな金属製のローターが回転するロータリーエンジンでは、より強く発生するのだ。車の挙動に、影響を与えるほどにな」
ニーサのお願いにより、今日はマントを着用していないヴァリエッタ先生。
なのにマントをバサッとやるように手を動かしたり、人差し指を立てたりと、余計なアクションをいちいち入れながら彼女は解説を続ける。
「コーチ。前にヌコさんの〈レオナ〉を峠道で借りた時や、お店のデモカーをサーキットで走らせた時は気になりませんでした。これは、どうしてなんですか?」
「ふむ。良い質問だな、ランディ君。ヌコさんの愛車やお店の〈レオナ〉は、対策が施してある。ドライサンプ化によりエンジンの搭載位置を下げたり、エンジンマウント加工により搭載位置を客室側へ近づけたり、ローターを軽量化したりとな」
ここでヴァリエッタさん、謎のターンを決める。
ローターの回転運動を体現したとか、そんな感じだろうか?
やめて欲しいらしく、ニーサは顔をしかめた。
「新型のGR-9〈レオナ〉は、初めから充分に対策が取られている。ドライサンプ方式の採用。エンジン搭載位置は客室寄りに設計。超軽量な、ホロウメタルローター採用などなど……。君達が、レースで乗ることになるマシンもそうだ。だが影響が小さくなっただけで、常にジャイロ効果が働いているというのは頭に入れておかなければならない」
なるほどな~。
さすがは「ロータリーの魔女」。
その無意味にサングラスをクイッとするアクションがなければ、素直に尊敬しちゃいます。
「さて……。ランディ君とニーサは引き続き私のレッスンを受けるが、ここからクリス君だけ別メニューだ」
「は!? なんだよそれ!? 聞いてねーぞ!?」
安心しろ、クリス君。
俺も聞いていない。
「この中で1番ハコ車の扱いに慣れているクリス君には、さほど教えることはない」
「へっ、まあな……。地球にいた頃から、ドリフト競技でずっと乗ってたしな」
「だから君に必要なのは、ハコ車のドライビングテクニックではない。……体力だ」
「な……なんだかスゲー、嫌な予感がするぜ」
不安を覚えたクリス君が、後退り。
その時、サーキットの駐車場に1台のワゴン車が進入してきた。
俺達のすぐ隣に停車すると、中から見慣れた2人組が降りてくる。
「キンバリー! ベッテル!」
名前を叫んだクリス君の口は、素早くベッテルさんの手の平に塞がれた。
さらには関節を極められ身動きが取れなくなったところを、キンバリーさんがロープでぐるぐる巻きにしてしまう。
そのままポイっと乱暴に、ワゴン車の後部座席へと投げ入れられた。
ワゴン車はグルグル巻きクリス君を乗せたまま、ベッテルさんの運転で走り去る。
後に残されたキンバリーさんは、俺達にペコリと一礼。
そのまま彼女はクリス君が乗ってきていた〈ヴェリーナ〉に飛び乗り、ワゴン車と同じ方向へと加速していった。
――いつの間に、クリス君の車のキーを?
「これからクリス君は、肉体改造に励んでもらう。ベッテルさんや、キンバリー君指導の下な。今度会えるのは、レース車両のテストドライブだな」
ヴァリエッタさんの話を聞きながら、俺はクリス君が走り去った方角に向けて手を合わせた。
迷わず成仏してくれ――
※ドライサンプは地球上に実在するオイルの潤滑方式ですが、ホロウメタルは作者が考えたSF合金です。MKKクリスタル同様、実在しません。




