ターン110 オールレッド
誰が俺と一緒に住むのかという、激しい議論が展開した日の午後。
俺達は、さっそく引っ越しの準備に取り掛かった。
とはいってもニーサが俺の部屋を出て、隣のケイトさんの部屋に行くだけだ。
荷物はそんなに多くないから、俺とジョージが手伝ったらすぐに終わった。
今日決まった話だから、ジョージの荷物はまだない。
ひとり分の家具や荷物しかないから、また部屋が広く見えるようになってしまったな。
部屋の真ん中でそんなことを考えていたら、背後からジョージ・ドッケンハイムが話しかけてきた。
「なんです? ニーサ・シルヴィアがいなくなって、寂しいんですか?」
「いや、そういうわけじゃ……。あのうるさいのがいなくなって、いきなり静かになっちゃったもんだからね……。慣れないだけさ」
「そういうのを、寂しいと言うのでは? ニーサに戻ってきてもらって、また一緒に暮らしたらどうです? 僕がケイト先輩と住みますから」
「なに言ってるんだよ。そんなこと、もうできるわけないだろ?」
――ん?
ジョージの奴、いま変なこと口走らなかったか?
自分は誰と住むって?
「明後日から僕も、『デルタエクストリーム』で働きます。ここには、旧車レース車両の〈レオナ〉も持ち込まれるそうですね。よい勉強になりそうです」
「いきなりそんなこと言い出して、ヌコさんは雇ってくれるかな?」
「心配は要りません。僕はまだ、マリー・ルイス嬢に雇われています。給料は彼女から出ますので、タダ働きでも構いません。出向といった形になりますかね」
「ジョージは『シルバードリル』のチーフメカニックだろう? そっちはいいの?」
「まだ、聞いていませんか? 『シルバードリル』は解散しました。ドライバーが2人とも、離脱したのをきっかけにね」
「離脱!? ポールは? あのお調子者小鬼族、ポール・トゥーヴィーはどこへ?」
「今年からポールは、タカサキの自動車メーカーチーム『ラウドレーシング』の一員としてスーパーカート選手権に出場します」
「なんだってー!?」
おおう、なんてこったい。
ニーサにレイヴンワークスのシートを奪われた時もショックだったけど、ポールに先を越されるのも色々とくるな。
「くそ~。俺も頑張って、チューンド・プロダクション・カー耐久に出るぞ! ……なあ、ジョージもヌコさんを説得するのに協力してくれよ。『レースの世界に、戻りましょう』ってさ」
「……その必要は、無いかもしれませんよ?」
「えっ?」
部屋を照らすLED照明の光を受けて、ジョージの眼鏡が白く輝く。
コイツ、何か企んでやがるな?
いや、コイツだけじゃない。
マリーさんもだ。
思えば今朝の話し合いの時、彼女は妙に大人しかった。
ヤンデレオーラを爆発させて、俺を拉致監禁しようとするぐらいが彼女らしい。
「まあ、今は普通に働きましょう。もうすぐ、新型〈レオナ〉3台が納車されるんでしょう? 楽しみですね」
なんでジョージが、それを知っているんだ?
そこまで詳しくは、お店の状況を話していないんだけど――
ケイトさん経由で、聞いたのかな?
ジョージは荷物を取りに、実家のあるメターリカ市へ一旦帰るらしい。
部屋を出て行く奴の背中を、俺は疑念の眼差しで見送った。
ちなみにその晩ジョージは帰って来なかったから、俺は1人で寝ようとした。
だけどやっぱり、眠れなかった。
くそう。
俺にひとり暮らしは、無理なのか?
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2日後から本当に、ジョージは「デルタエクストリーム」で働き始めた。
「給料は要らない」
とジョージが告げると、ヌコさんはニチャアとした笑顔で
「ぜひ働いて欲しいだニ」
だなんて言い出したんだ。
ウチの社長は、本当に現金だな――
ジョージは本職メカニックだけあって、一般整備だろうが改造関係だろうがメチャクチャ仕事が速い。
ドライバーが本職の俺とは、全然違う。
このショップでは、俺より後輩なのに――
ちょっぴり悔しい。
ジョージがバリバリと仕事を捌いていくから、俺とヌコさんはけっこう暇になってしまった。
おかげで最近の俺は、テストドライバーみたいな仕事を中心にさせてもらっている。
ショップのデモカーである旧型〈レオナ〉を走らせてデータ取りをしたり、エンジンを分解整備した車の慣らし運転をしたりね。
この状況なら新型〈レオナ〉が納車されても、じっくり研究・改造に取り組めるだろう。
相変わらず、ゲスト状態のケイトさんも入り浸っていることだしね。
そんなわけで俺達は新しい〈レオナ〉――GR-9型の納車を、今か今かと待ちわびていたんだ。
――そして、ついにその日がやってきた。
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樹神暦2634年4月。
朝焼けの中、新型〈レオナ〉を積んだトレーラーがやってきた。
意外にも、外から運搬中の車両が見えるキャリアカーじゃない。
荷台が隔壁で囲まれている、パネルトラックだ。
垂直リフトゲートに乗せられて、ゆっくりと「デルタエクストリーム」の敷地内に降ろされていく〈レオナ〉。
まるで、レーシングカーみたいな登場だな。
その様子を俺、ジョージ、ケイトさん、ニーサ、ヌコさんの5人で見守る。
「綺麗……」
呆然と呟いた、ニーサの気持ちも分かる。
なんて美しいマシンなんだ。
最新のスポーツカーらしく、ボディパネルは滑らかな曲面を多用している。
だけど全体のシルエットは、とても鋭い。
空気を切り裂いて、どこまでも飛んで行く――そんなイメージだ。
――いや。
車だから、飛んだら困るんだけど。
ボディカラーは先代デモカーと同じ、明るいブルーメタリック。
そしてもう1台は、暗めのレッドメタリック。
ヌコさんは、こっちを個人用にするつもりかな。
2台の光の精霊は、朝日を浴びながら輝いていた。
――ん?
2台?
納車されるのは、3台の予定だっただろう?
もう1台は、どこへ行った?
運搬してきたトレーラーの運ちゃんに、ヌコさんが尋ねる。
だけど、
「知らない、納車は2台だけ」
の一点張り。
どういうことだ?
全員が頭にクエスチョンマークを浮かべている間に、トレーラーは走り去ってしまった。
「どういうことなんだニか? おいちゃんの……おいちゃんの〈レオナ〉は、どこに行ってしまったんだニ?」
私物化する気満々な言い方だな。
マリーノ国の税法では、改造ショップは経費でスポーツカーを購入できる。
だから当然、そうしたはず。
3台とも、会社のものでしょ?
――と心の中でヌコさんに突っ込みを入れていると、どこからともなく澄んだ女性の声が聞こえてきた。
「おーっほっほっほっほっ……」
うわ~。
この高笑い、久しぶりに聞く。
最近はあんまり、悪役令嬢ムーブしてなかったもんな。
高笑いが途切れると、怪しい黒服の集団が湧き出てきた。
お店の建物の陰や物置の陰、敷地内に停めてあったヌコさんの旧型〈レオナ〉の陰からワラワラと。
黒服集団を束ねるのは、黒いレディーススーツを着てサングラスを掛けた少女だ。
ギラギラと、朝日を反射しまくる縦ロールヘア。
最近巻き数が減っていたんだけど、今は完全回復して見事にドリルっている。
両脇を固める連中も、見覚えあるぞ?
黒いスーツに身を固めると、いかにも荒事に慣れていますという雰囲気になる壮年男性。
グレーの髪をオールバックに整えた彼も、サングラス着用。
いつもの執事服より似合っていると言ったら、失礼だろうか?
もうひとりは――服装見ただけで分かるね。
どっかの変態メイドだ。
サングラスなだけ、マシだな。
いつぞやの蝶々仮面ではなくて、ホッとする。
「朝っぱらから、なんなの? マリーさん」
全員のジトーっとした視線をものともせず、マリー・ルイス嬢は悪そうな笑みを浮かべ語り始めた。
「新型〈レオナ〉は、ワタクシがいただきましたわ。1台だけ、別の場所に運んでおりますの」
「にゃニ!? 〈レオナ〉を……おいちゃんの〈レオナ〉を返すだニ!」
掴みかかろうとするヌコさんを、マリーさんは腕1本で押し戻す。
リーチに違いがあり過ぎるなぁ――
「ヌコ様。〈レオナ〉はもう、あなたのものではありませんのよ? 借金のカタに、ワタクシがもらい受けましたわ」
『借金~!?』
俺、ニーサ、ケイトさんの声が揃う。
「ええ、昨日が支払い期限ですのよ。新型〈レオナ〉を購入する前から、ずいぶんと膨らんでいたようですわね」
「え!? もう、支払い期限だったかニ?」
こ――このバカ社長!
そんな経営状況で、新車のスポーツカーを3台も購入しやがったのか!?
「……というわけで〈レオナ〉だけでなく、今日からこのお店全てがワタクシのものになります。こちらが権利証ですわ」
突き付けられた権利証を、ヌコさんはわなわなと震えながら見つめていた。
「そんな……。おいちゃんの城が……。おいちゃんの夢が……」
震えるヌコさんの横を通り過ぎて、黒服の男達が店の敷地中に散った。
彼らは次々と、差し押さえの証である赤札を貼ってゆく。
いま納車されたばかりの新型〈レオナ〉2台。
お店の建物。
物置。
ゴミ箱にまで貼りやがった。
キンバリーさんが生き生きとして貼りまくっているように見えるのは、気のせいか?
いつの間にかジョージもサングラスを着用して、札を貼る側に回っている。
あいつめ。
やっぱりマリーさんの回し者だったか。
「わっ!」
悲鳴に驚いて振り返ると、ケイトさんの額にまで赤札が貼られている。
続いて、隣にいたニーサの額にも貼り付けられた。
泣いていたヌコさんには、マリーさん自ら貼り付ける。
おいおい。
マリーノ国で、人身売買は禁止だぜ。
「マリーさん。人にまで差し押さえの札を貼るなんて、どういうつもりだい?」
「うふふふ……。ランディ様は、何も心配しなくてよろしいのですわよ? ワタクシの立ち上げる新しいレーシングチームの一員として、馬車馬のように働いて下されば良いのです。いわば、ワタクシの奴隷ですわね。おーっほっほっほっほっ!」
「この先進国マリーノで、人をそんな風に奴隷扱いなんて……何? ケイトさん?」
額に札を貼られて中国のゾンビみたいになってしまったケイトさんが、俺の作業着の端っこをクイクイと引っ張る。
「なあ、ランディ君。ウチらこのまま大人しく、マリーちゃんに買われたらアカンの?」
「何を言ってるんだい、そんなことをしたら……。そんなことをしたら……?」
そういえば何か、不都合なことってあるっけ?
マリーさんは確かに、新チームで働けと言ったな。
赤札が貼られている人は、全員スタッフ候補だろう。
ニーサやヌコさんも、メンバーで間違いない。
新型〈レオナ〉をどこかに運び去ったのは、レース車両に改造するためでは?
――あれ?
このショップから、〈レオナ〉で、ヌコさんと一緒にレースに出るという目標、達成できるんじゃね?
「ランディ様。大人しく、ワタクシのものにおなりなさい!」
なんか7年ぐらい前にも、似たようなことを言われた気がする。
あの時は聞き流したけど、今回は――
『よろしくお願いします!』
俺、ケイトさん、ニーサの3人は、揃ってマリーさんに頭を下げた。
「裏切り者~!」
ヌコさんが何やら叫んでいる気もするけど、聞こえない。
顔を上げると、額にペタリと赤札が貼られた。
満面の笑みを浮かべた、マリーさんから。




