ターン105 土下座の進化が止まらない
■□???視点■□
「君の剣となり、盾となる。つらい時には、心の支えになる。だから、側にいさせてくれ」
彼は確かに、そう言った。
そして言葉通り、いつも私の力になってくれた。
さらりとした黒髪。
深みを感じる、黒い瞳。
見ているだけで心が洗われる、静謐な白い装束と鎧。
遠いところから、私を助けに来てくれた英雄。
彼はいつも、私に微笑みかけてくれた。
大きな使命を抱え重責に押し潰されそうだった私を、普通の女の子扱いしてくれた。
優しく癒してくれた。
私は――幸せだった。
彼さえそばにいてくれたら、もう使命など――
だけどある時、彼は私の前からいなくなった。
空中にぽっかりと空いた、黒い穴。
その穴が、彼を飲み込もうとする。
彼は必死に手を伸ばし、悲痛な声で何度も私の名前を――
「い……いや……。お願い、止めて……」
彼の下へと駆けつけ、その手を掴みたいのに――
体は全く動かなかった。
お願い!
動いてよ、私の体!
でないと彼が――
手が届かないところに、彼が――
行かないで!
■□■□■□■□
□■□■□■□■
■□■□■□■□
□■□■□■□■
■□ランドール・クロウリィ視点■□
「行かないで!」
「おわっ!」
ニーサの寝顔を覗き込んでいた俺は、突然の叫び声にビックリして仰け反ってしまった。
誤解しないで欲しい。
別に、不埒な真似をしようとしていたわけじゃない。
ニーサの奴がやたらとうなされていたから、やむを得ず居住スペースを区切るカーテンを開けて様子を見にきたんだ。
「はあ、はあ、はあ……。ランドール?」
「ああ、俺だ。大丈夫か? 相当うなされていたみたいだけど……」
おまけに涙まで流している。
よっぽど辛い夢でも見たのか?
「……なんでもない」
「体調は?」
「大丈夫、健康だ。……あっ」
ニーサは起き上がり、自分の体のあちこちを触って異常がないかチェック。
その途中で、気づいてしまった。
寝間着の前を留めるボタンが外れ、胸元がはだけてしまっていることを。
無駄にデカいから、そうなるんだよ。
紳士な俺は目を逸らしていたんだけど、逸らすだけじゃニーサにとって不充分だったようだ。
「ランドール。なにか、言い残すことはあるか?」
「俺は何も悪くない」
「そうか……。では、死ね」
全くかみ合っていない会話の後、轟音を上げながら拳が飛んできた。
明らかな殺人パンチだ。
ウチのオズワルド父さんや、眼鏡を外してマッスルモードに突入した時のジョージに匹敵する威力だろう。
ニーサ達竜人族は、この世界最強の戦闘種族だって話だからな。
鬼族や獅子獣人の上をいく存在らしい。
スピードも威力も凄まじいニーサのパンチだったけど、当たらなければどうということはない。
俺は自慢の動体視力と反応速度で見切り、首をひねって難なくかわす。
そこへ視界の端から、金色に輝く物体が飛んできた。
鞭のようにしなるそれは、ニーサの尻尾だ。
すでにパンチを回避する体勢だったから、これ以上は避けられない。
ふん。
パンチは囮か?
甘く見るなよ?
俺は右手で、ニーサの尻尾アタックを受け止めた。
ガッチリと、握り締めて。
「ひゃあん♡ なっ……! 貴様、なんということを!?」
胸元をさらけ出した後も、冷静に俺を殺しにきたニーサ。
だけど今度は顔を真っ赤にして、フルフルと震えている。
その理由に気づき、俺は血の気が引いていくのを感じた。
獣人やドラゴニュートなど尻尾を持つ種族にとって、そこはとてもデリケートな部位。
恋人や伴侶以外には、決して触らせないという。
つまり俺が今やっていることは、痴漢行為と言っても過言じゃない。
――土下座しかない。
優れた動体視力を持つ元ワークスドライバーのニーサでも、認識できないほどに素早く。
そして、サーキット専用レーシングカーのベッタベタな車高より低く。
俺は全身全霊をかけて、土下座をキメた。
一昨年ケイトさんにやった時のノウハウを元に、さらにバージョンアップして洗練された土下座だ。
「……わ、忘れてやる。今のは事故だ! 尻尾で殴りかかった私にも、非がある」
そう言われたらそうだ。
そもそも獣人や竜人族達は、なぜそんな大事な部分を服の外に出しているんだろう?
――わからん。
俺達は気まずい雰囲気のまま、お互いに早朝のロードワークを済ませて朝食の準備をした。
今朝の料理当番はニーサだけど、俺も食材や食卓、食器の準備を手伝う。
コンビネーションは完璧だ。
お互いの作業を全く邪魔することなく、最速で朝食ができあがっていく。
一緒に住み始めてから3週間。
ニーサの家事の腕は、飛躍的に向上していた。
カリっと焼き上げたベーコンエッグ。
綺麗に盛り付けられたサラダ。
そして、ふっくらと焼き上げたトーストが今朝のメニューだ。
ふん。
なかなかやるじゃないか。
■□■□■□■□
□■□■□■□■
■□■□■□■□
□■□■□■□■
「ランディとニーサが来て楽になるかと思ったら、逆に忙しくなってるのはなんでだニ~!」
「繁盛しているんだから、文句は言わない。さあヌコさん、手を動かしてよ」
「ふニ~」
とてもありがたいことに、改造ショップ「デルタエクストリーム」は大繁盛中だ。
まず、経理と事務担当で入ったニーサ。
こいつ家事は全然できなかったクセに、仕事は最初からかなりデキた。
時々営業までやるようになって、次々と仕事を持ってくる。
おかげで実際に車を触る俺とヌコさんは、相当忙しい。
ニーサ目当てで、お店に来るお客さんもいる。
あいつ、見た目だけはいいからな。
男は苦手らしく、対応はしょっぱ過ぎるぐらいに塩対応なんだけどね。
そこがまた、ウケているらしい。
――意味わかんないよね。
男性客ばかり増えるのかと思いきや、女性客も増えた。
この世界では女性走り屋人口も、男性と変わらないぐらい多い。
なぜか下っ端従業員である俺に、やたらとお姉さん走り屋達が声を掛けてくる。
う~ん。
ヌコさんの方が、俺よりずっと車に詳しいんだけどなあ。
やっぱり見た目が子供だから、俺の方がベテランに見えてしまうんだろうか?
「ランディ君。走り屋のお姉さん達相手に、鼻の下を伸ばしとったらアカンで」
今日はケイト・イガラシさんも、お店に来ていた。
軽自動車で隣のメターリカ市からやってきては、ウチのデモカーである青い〈レオナ〉をヌコさんと一緒にいじくり回している。
いや。
最近のヌコさんは仕事で忙しいから、ケイトさん主導になっているな。
ケイトさんは、ウチの従業員じゃない。
だからお客さんが来ようが俺とヌコさんとニーサがバタバタしていようが、ずーっとデモカーをいじっている。
時々ケイトさん印の空力部品を装着したお客さんから、使用感を聞き取り調査したりしてるみたいだけどね。
――就職活動は、ちゃんとしているんだろうか?
彼女なら一般企業に入社しなくても、どっかのスーパーカートチームがエンジニアとして雇ってくれそうだけどなぁ。
整備用ピットで作業している俺の隣で、今日もケイトさんはノートパソコンをカタカタと操作している。
デモカー〈レオナ〉のエンジン・コントロール・ユニットを、セッティング中だ。
ケイトさんはキーボードを打つ手を止めて、変なことを言ってきた。
「ランディ君、聞いとるん? やっぱり隣の市で遠いからって、マリーちゃんの監視が外れたのは良うないな。変な女が群がってくるし、ニーサちゃんとオフィスラブに発展しないか心配や」
「なんでニーサが出てくるんだよ? あいつとの仲は、相変わらず良くないよ?」
一緒に住んではいるけどね――なんて言ったら、ケイトさんはどんな顔をするんだろうか?
この歳で同い年の異性と同居してるなんて、絶対にケイトさんやジョージ、マリーさんには知られたくない。
家族にもだ。
多分シャーロット母さんは激怒するし、オズワルド父さんは泣くだろう。
ヴィオレッタは――想像したくないな。
「そういえば、なんで仲悪いん? 女の子相手なら無条件で優しいランディ君が、ニーサちゃんにだけ突っかかるのは怪しいで?」
「ああ。なんでか分からないけど、アイツを見ていると気分が悪くなるんだ。なんか……こう……心臓が締め付けられるような感じ?」
「はあ? それって、恋のドキドキなんちゃう?」
「気持ち悪いことを、言わないで欲しいね。こんな不快な気分が恋だっていうんなら、世の中のカップルはもっと殺伐とした関係になっているよ」
「そいつは悪かったな、ランドール。だが、不快な気分は私も一緒だ。お互い様だろう?」
事務所と整備工場を繋ぐドアを開けて、呼ばれてもいないのに出てきたのはニーサ・シルヴィアだ。
ちっ。
そんなレディスーツ姿で工場に入ってきて、汚れても知らないからな。
「お~。ニーサちゃん、お疲れ様。なんやねん。ニーサちゃんは、ランディ君要らへんの? ウチが、もらっていってエエ?」
「こんなのは、お金を払ってでも引き取って欲しいですよ。……ケイトさん。デモカーの〈レオナ〉、これで仕上がったんですか?」
「ひとまずは、これで完成や。みんな忙しくて、サーキットでのテスト走行に行けなかったんが不安要素やな。一応、低速域の公道テストでトラブルは出てへんけど……。午前中1時間のフリー走行で、どれだけ詰められるか……」
「まあ、私に任せて下さい。ヌコさんとケイトさんが手掛けたマシン、しっかり性能を引き出してみせますよ」
――ん?
ちょっと待て。
「なんでニーサが、『任せて下さい』なんだ? ドライバーは俺だぞ?」
するとニーサは、憐れむような瞳を俺に向けてきた。
「ランドール。私に2回もシートを奪われて、気の毒だとは思うが仕方ない。マシンは1台しかないのだから、速い方のドライバーが乗るのは当然だ」
――こいつは俺を怒らせる天才だな!
「誰が速いって? パラダイスシティGPでは予選最下位だった奴が、やけに自信満々だな」
「そのレースで、1周も走り終えずに事故した奴は誰だ?」
「あんなの誰だって、避けられるもんか!」
バチバチと、スパークプラグみたいに火花を散らす俺とニーサ。
そこへ、声が割り込んできた。
「2人とも、喧嘩はやめるだニ」
トコトコと走り寄ってきたのは、このデモカーの持ち主。
当ショップの経営者でもある、ヌコ・ベッテンコート社長だ。
ドライバーの決定権は、彼にある。
「今週開催される、『オプティマスフライングラップ』で走るドライバーは……」
もったいぶりながら、俺とニーサを交互に見るヌコさん。
やめてくれ!
テレビ番組であるような、無駄に長い焦らしは。
「2人とも、走ってみるだニよ」




