ターン102 オーバータバスコ
いつの間に用意されたのか、ピット内には折り畳み式の椅子とテーブルが設置されていた。
そのテーブルを挟み、向かい合っているのはヌコ・ベッテンコートさんとケイト・イガラシさんの2人。
眠りフクロウのショウヤは、〈レオナ〉の屋根に止まって眠り始めていた。
「本当はロールケージ組んで、スポット溶接増しもして、ガッチリ車体に仕上げる予定だっただニ」
涙ながらに語るヌコさんと、ハリセンで自らの肩を軽く叩きながら威圧感を放つケイトさん。
卓上に置かれた小さなスタンドの明かりが、2人を照らしていた。
ノリは完全に、刑事ドラマ。
しかも、かなり昔のヤツだ。
「車体や足回りに回すお金が足りないと気づいた時、それに合わせてエンジンのパワーを引き下げなかったのはなんでなん? TPC耐久に出ていたショップなんやろ? そっちの方がバランス良うなって、タイムが速くなるんは分かっとったはずや」
「そこはロマンだニ!」
泣き顔から一瞬で爽やかスマイルに切り替わって、そう言い放ったヌコさん。
だけどケイトさんが机をハリセンで叩いて威嚇したら、再び泣き顔に戻ってしまった。
「だって……だって……資金不足に気づいた時には、もうエンジンは組み上げてしまっていただニよ~! おいちゃんの夢が詰まった、3ローターターボエンジンなんだニ!」
「「3ローター!?」」
俺とケイトさんは、驚いて顔を見合わせた。
確認のために〈レオナ〉のボンネットを開け、エンジンルームを覗き込んでみる。
うわ~。
本当に、ローターが3つある。
ここ2週間で、ロータリーエンジンのことはけっこう調べたから分かる。
これは無茶だ。
本来〈レオナ〉のターボグレード車に搭載されているのは、2ローターエンジン。
ロータリーエンジンはローターという部分を追加することで、比較的簡単に排気量をアップさせて出力向上を図れる。
だけどエンジンが重く、長くなるから、重量バランスは悪化する。
それに排気量が1.5倍にもなるから、明らかな過剰出力だ。
生半可な改造では、足回りやタイヤ、車体が受け止められない。
どうりで、無茶苦茶な操縦性だったはずだよ――
「ウチが特に気に入らんのは、空力部品や。なんやねん、あの時代遅れのだっさいデザインは? カッコ悪いだけやのうて、ごっつ効率も悪いで? 空気抵抗ばっか増えて、ダウンフォースもほとんど出てへんのちゃう?」
「ダサいって言うなだニ! あのHYACHブランドのエアロは、大人気商品だニよ! おいちゃん達世代の〈レオナ〉乗りは、みーんな装着していたんだニ!」
ごめん、ヌコさん。
正直、俺もダサいと思う。
なんかシルエットが、暴走族みたいで――
大学で流体力学を専攻しているケイトさんから見れば、すっごい無駄な空力部品なんだろうな。
「とにかく、こんなマシンにランディ君は乗せられへんな。帰ってイチからやり直しや! 空力部品はウチが、図面を引く。エンジンは2ローターに戻して、タービンももっと小さくするで。最大出力よりも、反応と中速回転力を優先や」
――なんで、ケイトさんが仕切っているの?
経験豊富な改造屋である、ヌコさんを差し置いて。
だけどヌコさんも弱々しく、「わかっただニ」と同意してしまった。
それで、OKなのか?
確かにケイトさんが空力部品を設計してくれるなら、すごく良いものができそうだ。
スーパーカート時代にケイトさんが設計した空力部品は、高ダウンフォース、少ない空気抵抗、エンジンの冷却効率良しと、自動車メーカーマシン顔負けの性能だった。
市販のスポーツカー用でも、彼女のセンスなら――
――あっ。
でも、気になることがあるぞ?
「ねえ、ケイトさん。手伝ってくれるのは凄く助かるし、嬉しいんだけど……。就職活動で、忙しいんじゃないの?」
「……ええねん! 就活なんて、余裕や。もう決まったようなもんやで!」
――あやしい。
自分の嘘はすぐバレてしまう俺だけど、他人の嘘には敏感だったりする。
ヌコさんに騙されたのは、改造車業界の知識がなかったからさ。
だけどケイトさん本人が大丈夫だと言っているんだから、その言葉を信じるしかないだろう。
「はいはい! 撤収や! 片付けるで!」
ケイトさんの音頭で、片付けが始まる。
ヌコさんは釈然としない表情だけど、黙々と手を動かしていた。
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メイデンスピードウェイから帰宅した俺は、自室で机に向かっていた。
そんな俺の肩越しに、ヴィオレッタが手元を覗き込んでくる。
「お兄ちゃ~ん、晩御飯できたわよ~。……あれ? 学校の勉強してるの? 珍しい」
俺が普段は全然勉強していないような言い草だけど、それはちょっと違う。
授業中は極限まで集中しているし、宿題のほとんどは学校にいる内に済ませてしまうんだ。
放課後の時間は、バイトやモータースポーツ関連の勉強、トレーニングに当てたいからね。
自宅でも教科書を開いているのが、珍しいってこと。
「ああ、勉強というか……。俺、今年で基礎学校を卒業しようと思うんだ。そのための課題をやってる」
「えっ!? 早期卒業試験を受けるの?」
このマリーノ国の義務教育である、基礎学校。
普通は12年制だけど、例外もあるんだ。
学校側の推薦を受け、提出課題と試験をクリアすれば、飛び級したり早く卒業したりできる。
しかも日本の早期卒業と違って、中退扱いにならない。
実をいうと転生者である俺には、初等部の頃から飛び級の推薦があった。
だけど、同い年の友人がいなくなるのは寂しかったしな。
どうせ学年だけ上がっても、16歳になる年まではアルバイトでレース資金を稼ぐこともできやしない。
だからそのまま、普通に進級していた。
ただ最近は、学校に通っている時間がもったいないと思う。
もちろん通常の卒業年齢である18歳までは、就けない仕事も多い。
それでも学校に行ってる時間もバイトをすれば、もっと稼げるのにとは考えていた。
だから10年生になってすぐから、早期卒業の準備を進めていたんだ。
強くてニューゲーム人生の俺だけど、さすがに高等部ともなるとね。
それなりに勉強しなきゃ、飛び級や早期卒業はできない。
「今までは、普通に進級していたじゃない。どうして急に?」
「実は……さ……。卒業したら家を出て、住み込みで働こうと思っているんだ。ヌコさんの改造ショップ、『デルタエクストリーム』で」
「ダメ! 却下! その話は無し!」
ヴィオレッタは俺の台詞にやや被せるように、既視感のある台詞を吐いた。
「ヴィオレッタ、分かってくれ。俺も家族と離れるのは、寂しいけど……」
「嫌よ! 分かりたくない! どうして家を出る必要があるの? ここから通えばいいじゃない!」
「いや。さすがに隣の市だと自転車じゃ時間がかかり過ぎるし、適当な中古車を買うお金もないし……」
「お兄ちゃんのバカ! バカ! バカ! もう知らない! バカ!」
クアッドバカを投げつけてきたヴィオレッタは、走って部屋から出て行ってしまった。
はぁ~、やっぱり怒ったか。
でも、仕方ないよな?
俺は自室を出て階段を降り、キッチンへと向かった。
ありがたいことに、晩御飯は準備済みだ。
隣の席に座っているヴィオレッタは、俺と目を合わせようとしない。
ふくれっ面も可愛いんだけど、機嫌直して欲しいなぁ――
早期卒業と家を出る件は、まだオズワルド父さんとシャーロット母さんには話していない。
夕食のパスタが半分まで片付いたところで、俺は両親にこれからのことを話し始めた。
「父さん、母さん、実はさ……」
「……そうか。家を出るのか」
「私は反対よ! 家を出る必要があるとは、思えない! 改造ショップで働いたところで、お兄ちゃんのレース経歴にプラスになるとは思えないし」
「そうね……。そこは私も気になるわ。ランディ。どうしてヌコさんのショップで、働こうと思ったの?」
母さんに理由を聞かれて、俺はちょっと言葉に詰まった。
ひどく曖昧で、合理的じゃない理由だから。
「なんか……さ……。呼ばれているような気がするんだよ。あの長い尻尾と翼を持った、猫の絵にね」
おとぎ話に出てくる、光の精霊レオナ。
「デルタエクストリーム」のシャッターに描かれていたそのシルエットが、妙に俺を惹きつけて離さない。
そして、その名を冠したシャーラ社のスポーツカー〈レオナ〉。
この車にも、不思議な縁を感じていた。
「ランディ、俺は……。お前が決めたことなら、応援したい。思った通りにやってみろ」
「お父さん!」
ヴィオレッタが、抗議の声を上げる。
いつもの父さんなら、可愛い娘の言うことには首を縦にしか振れない。
だけど今日は、首を横に振った。
「よせ、ヴィオレッタ。お兄ちゃんはこれから、大事な挑戦をするんだ。引き留めたらダメだ。ダメなんだよ……。ううっ、うぉおおおおん!」
久しぶりに、父さんが号泣しているのを見たな。
母さんはさすがというか、冷静な表情のまま手元のパスタにタバスコを振りかけていた。
「あなた。ヴィオレッタ。2人とも、落ち着きなさい。ランディも準備があるし、今すぐ出て行くわけじゃないんでしょう?」
「ああ。早期卒業試験を受けるのは9月。結果が出るのは10月。卒業できたら遅くても、11月には家を出るよ」
「そう……。思ったよりも、早いのね……」
「……! ちょっと! お母さん! タバスコ! いったいどれだけかけるのよ!」
「あら、いけない」
母さんが振りかけていたタバスコの小瓶は、いつの間にか空になっていた。
オーバータバスコで、真っ赤に染まったパスタ。
とても、食べられたもんじゃない。
その後はなんとなく気まずい雰囲気のまま、夕食は進んだ。
俺が食後にシンクで食器を洗っていると、母さんが隣にきた。
食器の泡を、綺麗に濯いでくれる。
「寂しく……なるわね……」
ぽつりと呟いた、母さんのひと言。
その言葉に、俺は言いようのない罪悪感を覚えた。
「ゴメンね、親不孝な息子で」
「なにを言ってるのよ。私と父さんが、子離れできていない半人前な親ってだけ」
水道の蛇口を閉めた母さんは、俺の瞳を見上げた。
いつの間にか、俺の方がずっと背が高くなっていたな。
「走り続けなさい、ランドール・クロウリィ。あなたはレーシングドライバーなのだから。そしてどこへ行っても、私と父さんの息子なのだから」




