第七十三話
文久4年 1月20日
明日。
将軍家茂公が御所に参内されるのに合わせて警備を仰せつかった新撰組。
その屯所内では準備に追われる者たちが忙しそうに走り回っている。
その様子を横目に、あかねは土方に呼ばれ副長室へとお茶を運んでいた。
わざわざ忙しいこの時に呼ぶのだ。
なにか密命でもあるのだろうか?と思いながら・・・・・・
「最近、野口さんの死を嗅ぎまわっているらしいな?」
運ばれてきた茶を一口啜ると土方がチラリと視線を向ける。
「!!・・・・・・さすが、地獄耳ですね」
全てを見透かしているかのような視線に、あかねは苦笑いするしかない。
「で?何か気にかかることでもあったか?」
「まだ何も確信出来る証拠は・・・・・・」
「ま、そうだろうな。本人が自分の意思で切腹したのには間違いねぇ。だが、お前の気が済むならトコトン調べりゃいいさ」
そう言うと鼻をフフンと鳴らし、文机に肘を立て頬杖をつく。
「ありがとうございます、副長・・・・・・では、ひとつだけお伺いしても宜しいでしょうか?」
「あぁ?なんだ?」
あかねの言葉に「待ってました」と言わんばかりに土方は不敵な笑みを浮かべ視線を合わせる。
「武田観柳斎とは、どのようなお方なのですか?」
「なんだ、藪から棒に・・・・・・」
思いがけない言葉だったのか、訝しげな表情を見せる土方。
「深い意味はないのですが、やけに局長が御執心だと聞きましたので・・・・・・・」
「あ〜、まぁ、そうだな・・・・・・・確かに近藤さんは重宝がって、近々副長助勤に昇格させるつもりみたいだが・・・・・・」
興味なさ気に答えた土方だったが、あかねは驚きに目を丸くした。
「!!まだ入られて数ヶ月しか経たないのに、ですか?」
「ま、うちは実力主義だからな。あの人の修めたっていう甲州流軍学が新撰組にとって必要なら・・・・・・副長助勤にするってぇのも頷けるが・・・・・・」
言葉に含みを残す土方に、あかねは小首を傾げる。
「そう言いながらも、納得していらっしゃらないようにお見受けしますが・・・・・・」
「ま、相手がお前だからハッキリ言うが・・・・・・俺はああいう男は嫌いだ」
「・・・・・・これは、また・・・・・・ハッキリ仰いますね」
「軍学だかなんだか知らねぇが、媚びるような態度をとる武士は信用ならねぇ・・・・・・しかも、だ」
「?」
「奴は男が好きだと言いやがるっっ!!んな、気色の悪りぃこと言う奴っ信用出来るかってぇんだっ」
全身にこれでもかという程鳥肌を立てながらも、やけに力説する土方にあかねは大きな溜息を吐く。
要するに、ただの毛嫌いじゃないのか?
尤もらしい理由を並べてはいたが・・・・・・。
結局は男色を好むからイヤだと言っているようなものだ。
そんなの、自分の感情以外のなにものでもない。
だが、土方歳三とはそういう男なのだ。
嫌いなものは嫌い。
そういう性格だからこそ、媚びを売るような態度をとる武田を嫌うのは道理だろう。
あかねは呆れた表情を浮かべながらも、またひとつ溜息を吐く。
「ま、副長の好みはどうあれ・・・・・・武田さんに反感を持つ隊士が多いのも確かです。その武田さんを助勤にするのはどうかと思いますが・・・・・・局長が決められたことなら仕方ありませんね?」
「そういうことだ」
眉間に深くシワを作りながらも土方は頷く。
・・・・・・どうやら納得は出来ていないらしい。
「その武田さんが野口さんと親しかったのは・・・・・・ご存知ですか?」
「そうなのか?」
「はい。ただ、理由がわかりません。何故野口さんに近づいたのか・・・・・・」
「?そりゃ、お前・・・・・・野口さんも副長助勤のひとりだったからだろう?」
「確かに、そうですね・・・・・・でも、亡くなられた方のことをこんな風に言うのは気がひけるのですが・・・・・・」
「なんだ?」
「一番に局長に取り入った武田さんが、野口さんに的を絞った理由がわかりません。順番から言えば・・・・・・兄さまか永倉さんあたりを選びませんか?」
「試衛館出身の者ってぇことか?・・・・・・あいつらも俺と同じでああいう男が嫌いだから、相手にされなかっただけじゃねぇのか?」
「だから、野口さんを選んだ?ただひとり残った芹沢派の副長助勤を?」
「・・・・・・お前、何が言いたいんだ?」
土方の瞳がギラリと光を放つ。
「いえ、何も。ただ疑問に思っただけです・・・・・・忘れてください」
「・・・・・・いや、覚えておく。それはお前なりの忠告なんだろう?それにお前の勘が疑問を感じたのなら・・・・・・注意するに越したことはねぇからな」
ニヤリと口元に笑みを浮かべた土方。
少し前なら、その冷笑に寒気すら覚えたあかねだったが。
今では慣れたものである。
「そういや、俺もおメェに聞いてみてぇことがあったんだ」
「はい?」
「江戸城ってぇのは、どんなところだ?」
「・・・・・・」
何の脈略もなく突然問われたあかねは、しばし天井を見上げ考え込むとおもむろに口を開いた。
「一言で言うなら・・・・・・人の欲望が渦巻く伏魔殿のような場所でしょうか?」
「・・・・・・なんだ、それ?」
思いもよらぬ返答だったのか、土方は目を丸くする。
「あの城は権力闘争に明け暮れる老中たちの云わば戦場・・・・・・そしてそれは・・・・・・政を行なう表だけでなく大奥をも巻き込み泥試合が繰り返される・・・・・・いつの時代も権力を握った者が天下を動かし、敗れた者を踏みつけ更に権力を増す・・・・・・そんな場所、ですね」
「俺の想像を遥かに超えるような場所だな」
「そう・・・・・・一見華やかに見える場所ほど血生臭い・・・・・・それを実に見事に再現しているような場所です」
「・・・・・・・」
「そして・・・・・・いつの世も矢面に立たされ苦しむのは将軍様や御台所様と決まっています。そのために御庭番というものがあるのです。将軍家のためだけに存在し将軍様の命のみで動く・・・・・・唯一の存在」
「将軍だけのための組織・・・・・・」
「はい。そして誰が御庭番に属しているかは・・・・・・将軍しか知らぬこと」
「・・・・・・正確な情報を得、敵を欺くために・・・・・・か」
「はい。必ずしも今信用出来る相手が、ずっと信頼出来るとは、限りませんから」
「・・・・・・・将軍というのは悲しい存在だな」
「えぇ。幼き頃より常に命を狙われ、兄弟とはいえ信用は出来ない。腹違いとなれば特に」
「跡目争い、ということか」
「我が子を将軍にし、自分も将軍生母となれば大きな権力を持てますからね」
「・・・・・・恐ろしい場所、だな。自分が農民の子で良かったと思えたのは初めてだぞ?」
「・・・・・・そういう意味では、私たちの方が幸せなのかもしれませんね。信頼出来る仲間に囲まれ、行きたい場所に行けるのですから・・・・・・」
「そうだな・・・・・・」
土方はしんみりとした面持ちで冷め切ったお茶を飲み干していた。
今までの自分では到底知ることのない世界。
天下の将軍と呼ばれてはいても、自分と変わらぬ人間だという事実。
まして家茂公はまだ歳も若いと聞く。
その若さで将軍となり、国の行く先を考え決断していかなければならないのだ。
周りにいる大人たちの言葉を全て聞き、誰を信じるかを決める。
その心の負担の大きさは計れるものではない。
幕府という大きな組織から見れば新撰組など小石にも満たないだろう。
その小さな組織でさえ、まとめるのは大変なのだ。
裏切り、策略の渦巻く中で生きていかなければならない運命を背負った家茂公の心が休まることなどあるのだろうか?
自分たちは本当に幕府のために役立っているのだろうか?
・・・・・・いや、役に立たなければならない。
そのために京に残ったのだ。
将軍が新撰組の存在を知らないとしても、自分に誓った忠義は本物なのだ。
それを自分に証明しなければならない。
他の誰のためでもなく。
自分に嘘をつかないために。




