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追撃戦

「小細工を弄しおって、こんなものは時間稼ぎにもならんぞ」


 ガルトリアの死後、老人は一転してはやる心を押さえ、慎重にヤルノ達を追い始めた。犬の鋭敏な嗅覚は決して獲物を見失うことはない。


 その嗅覚を警察の捜査に使うようになったのは近現代に入ってからの事であるが、狩人たちは経験的に知っていた。猟犬の追跡者(トレイサー)としての優秀さを。


 ヤルノもヤルノで思いつく限りの妨害工作自体は行っていた。小川を横切り、花の香りを纏い、止め足を駆使して少しでも追跡を惑わそうとしたが、全てが徒労に終わった。


「無駄だ。体を洗おうと香水を掛けようと、犬の鼻は誤魔化せん。より一層本来の匂いを際立たせるだけだ」


 その歩みは遅々として進まぬ。しかし確実に追い詰めていくのだ。永遠に逃げ続けることなどできない。いずれは腹も減るし、寝なければならない。大雨でも降って全ての匂いが洗い流されてしまいでもすれば話は別であるが、そんな気配もない。ヤルノ達は確実に追い詰められているのだ。


「ラウド、ヴェリコイラ、イパッシ、慎重に行け。匂いの濃い部分を見つけたらすぐに儂に知らせろ」


 そしてガルトリアを不意に失ってしまった今、老人の方にも驕りも、油断もない。確実に出来る事だけをしてゆくのみである。それだけで標的を追い詰められるほどの実力が彼らにはある。


 ただ、追い、距離を詰め続ける。単純明快ゆえに隙が無い。


「スネアトラップか」


 犬達が止まって特に匂いが固まっている部分を発見したようだった。老人はすぐに木の間に仕掛けられているトラップに気付いた。王別の儀の時に、騎士ロークはこれに全く気付かずに宙づりにされた。


「一旦退け、確認する」


 しかし相手はそもそも狩人の棟梁(イェーゲマイステル)なのだ。ヤルノよりもよほど罠に詳しい、本職である。


「二重の罠くらいは仕掛けておるかもしれん。ラウド、ヴェリコイラ、イパッシ、『警戒』だ」


 老人が指示すると犬達は彼の周囲に陣取り、耳と鼻で辺りを警戒する。決して前に出ず、命令された以上のことはしない。理想的な猟犬である。


「むう、スネアトラップを解除しようと近づくと落とし穴か、少しは考えておるな」


 罠の一歩手前には十数センチほどのくぼみが設けられており、鋭く尖った木の枝が埋められていた。嫌がらせ程度の細かい罠。しかし毒でも塗ってあれば決してバカには出来ない。


 老人は手早くスネアトラップを解除し、くぼみを土で埋めた。


「王は毒殺されていたな……いざという時のために持ち歩いているかもしれん」


 老人は他に罠がないことを確認すると、犬達を呼び寄せ、休憩をとってエサを与えた。王を殺す時に使ったヒ素は無味無臭の毒ではあるが、犬からしてみればこの世に匂いのない物などというものは存在しない。


 とはいえ所詮は畜生。腹が減っている状態で毒入りの餌でも投げ込まれれば罠に落ちることがないとも言い切れない。


 追い込み型のハンティングに於いて最も重要なのは、相手にプレッシャーを与えつつ自分達はしっかりと体力を温存する。


「この程度の罠でも作るには時間を消費している筈……そろそろ勝負のしどころか」


 三匹に十分なエサを与えると、老人はその中でも皺だらけで垂れ耳の大型犬の頭をぐりぐりと撫でた。


「ヴェリコイラ、先行してプレッシャーを与えろ。だが決して接触はするな」


 三匹の中でも一番大きく、その皮膚は皺だらけでたるんでいる。実年齢は分からないが一番の老犬に見えるその犬はぼふっと小さく吠えると森の中を進んでいった。


 森の中に太陽の光は届いてこず、暗いままではあるが、すでに日は高く登り、正午を過ぎている。


 低い精度でヴェリコイラが先行して追跡、吠え声と距離を取って姿を見せることでプレッシャーを与えつつ本隊はじっくりと進行する作戦である。これは、オオカミの代表的な狩りの形態に近い。


「森の中で、儂らを出し抜けると思うなよ」


「獣の鳴き声が……」


 一方で老人の思惑通り、ヤルノ達は追い詰められていた。


「正直言って、甘く見ていたのは否めません」


 奔る速度を落として息を整えながら、ヤルノは謝罪した。今更ギアンテはそれを責めたりはしない。もはや贖えない罪を犯した者同士一蓮托生なのだ。


「仕方ないですよ。あんな手練れがいるなど、予測できるわけがありません」


 短剣についた血のりを拭きとりながらギアンテは答えた。先ほどの攻撃は奇襲も奇襲、おそらくは何度も通用はすまい。


 しかしヤルノはギアンテの慰めを拒否した。


「そうじゃありません。僕が甘く見ていたのは彼らの心根を、です」


 心根を甘く見ていた、とは何を意味するのか。


「今まで僕が会ってきた人間は、利己的で打算的、自分の利益と保身しか考えていないような人たちばかりでした」


 その代表例が彼の両親であろう。客観的に見れば彼らは自分の息子にさえ情というものを持ち合わせていなかった。そしてほんの少し前まで、ギアンテやインシュラも同じであったと言わざるを得ない。


「だから、僕もそれが普通なんだと思っていました。まさか、得るものが何もなくともヒルシェンの復讐のために動く人間がいるだなんて。自分の利益を第一に見ていないから、付け込むすきが見当たらない」


「オンッ!!」


 その時少し後ろからがさりと藪をかき分ける音と共に犬の鳴き声が聞こえた。ヴェリコイラが追ってきたのだ。


「早い! もっと時間をかけてくると思ったのに」


 老人側が二手に分かれている事にはまだ気づいていない。しかしガルトリアがやられたことを教訓に、もっと慎重に動くだろうと踏んでいた。


 ましてや単独での追撃などするはずがないと思っていた。単独で攻撃を仕掛けるなど波状攻撃にもならない、戦力の逐次投入に過ぎないからである。


 しかし、だからこそ有効なのだ。意識の外にあるからこそ効果を為す。


 ヤルノはイルス村で暮らしているときに何度も狩りを経験している。しかし老人と犬達の様なプロフェッショナルとは違う。所詮はアマチュアの手習い。ヴェリコイラが威嚇のためだけに追ってきているなど知りようもなかった。


「少し急ぎましょうギアンテ。この距離じゃ策を弄することもできない」

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