そして夢の終わりに
つつがなく。
表向きは、王別の儀は本当につつがなく、何事もなく終わったように見えた。
元々健康に不安のあったイェレミアス王子。試験をパスするどころかそれ自体を棄権するのではないかとも危ぶまれていたが、終わってみれば大きなけがもなく、無事石碑に署名をしたことも確認された。これで正式に王位継承者としての資格を得たと言える。
ただ一点、儀式の警備に当たっていた国家騎士団のメンバーはその最中に森の中の先住民族であるコルピクラーニに偶発的に接触してしまい、壊滅状態。総長のコルアーレなどは本来ならば守るべき対象であるイェレミアス王子に逆に救助され、心身ともに疲弊しきって未だ立ち上がれない状態とだけ伝え聞く。
リィングリーツの闇の中。何があったのかは当事者にしかわからない。
しかし、今回の儀によってイェレミアスは王宮の中でも一目置かれる存在となったことは確かだ。
「すごいですね、ヤルノ。ただ試験をパスするだけではなく、コルアーレさんまでも救助するなんて」
「なに、大したことはしていませんよ。偶然森で出会った彼を、ギアンテに引き渡しただけですから」
儀式からわずか二日後の夜。
体を休めてから清め、簡素な式典により正式に王位継承者となったことが宣告されたヤルノは、事の顛末をイェレミアスに報告した。もちろん自分がその手で騎士団の男達を虐殺したことには一切触れずに。
イェレミアス王子は市井の噂と同様、偶然コルピクラーニと戦闘状態に陥って壊滅した騎士団の生き残りを、これまた偶然通りがかったヤルノが保護したのだと信じて疑わない。
「これで、僕もお役御免という事です。ギアンテとは、今後の事も少し話しましたが、やはりもう王宮にいる意味はないでしょうね」
「そうですか……残念です」
イェレミアスの寝室の窓は開け放たれ、爽やかではあるものの肌寒いそよ風が外から入ってくる。
出会いがあれば、当然別れもある。元々ヤルノはイェレミアスが王別の儀を通過するためのコマでしかなかったのだ。そして、彼の仕事は終わった。
「たとえば……この後も影武者として王宮で働いてみるつもりは、ないですかね?」
イェレミアスの精いっぱいの運命への抵抗。
「難しいですね。普通の影武者ならともかく、ここまで顔が似てると『王別の儀を通ったのは影武者の方だったんじゃないのか?』って疑問を持つ人は当然出てくるでしょうからね」
その答えを聞くと、王子は目の前のハーブティーのカップに手を添えたまま、上を向いて天井を見つめた。それは恐らく涙が零れないようにするためであろう。
王妃インシュラからすれば張り巡らした陰謀の一端に過ぎないヤルノ少年ではあるが、王子にとっては生まれて初めてできた、ただ一人の『友人』だったのだ。
「またいつか、生きていれさえすれば、友として会えることも」
しばらくして涙がおさまると、イェレミアスはヤルノの方を真っ直ぐ見て言った。ヤルノは答える。
「ええもちろん。前にも言ったでしょう? イェレミアスが望みさえすれば、どちらかが死ぬ『そのとき』まで、二人はずっと友達ですよ」
その言葉に、イェレミアスはじんわりと胸の奥が温まるのを感じた。
「そうだ、イェレミアス。一つ提案があるんですよ」
「なんですか?」
王子の前ではあまり見せないいたずらっぽい笑みをヤルノが見せる。彼の話はいつも面白い。王子は前のめりになって彼の話に食いついた。
「少し悪戯をしてみませんか? お母様とギアンテへのちょっとした意趣返しですよ」
自分達の都合でヤルノと引き合わせ、そして二人の友情を引き裂く。二人の事は深く愛しているものの、ほんのちょっとした反発心のあったイェレミアスは二つ返事でこれを了承した。
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「では。これで全ては終わったという事ですね。ギアンテ」
「はい。コルアーレは今後便利な駒として使えるでしょう」
少し離れた王妃の寝室。こちらでもやはり二人の人間が声をひそめて話し合いをしていた。王妃インシュラと、女騎士ギアンテである。
ギアンテの報告を聞いて、インシュラは口を堅く結び、眉間にしわを寄せて悩んでいるようであった。
「もし、情が移ったのであれば……何とか説得して、ロクスハムの王国にでも亡命すれば……」
「……いえ。何事も徹底せねば。それよりも情が移ったのはあなたなのではないですか、ギアンテ。私が何も気づかないとでもお思いですか」
ビクリと体を震わせて顔が熱くなるギアンテ。
何を、どこまで知られているのか。瞬時に思考が頭の中で駆け巡る。情が移っていることを言われているのか、それとも肌を重ね合わせたことまで知っているのか。もしくは、これが一番まずいのだが、王別の儀の最中に彼を逃がそうとしたことを誰かから報告されているのか。
恐怖のあまり腰の剣に手を掛けたくなる気持ちを抑え、ギアンテは言葉を口にする。
「では、やはり早いうちに実行に移すべきでしょう」
努めて冷静に振舞うと、王妃はそれ以上の追及をしてこなかった。情が移ってきているのは、お互い様なのだ。
「今からでも」
「イェレミアスの目の前でするつもりですか」
王妃の問いかけに、ギアンテは目を俯かせたまま固く口を閉じ結んだが、その沈黙こそが答えである。彼女は所在を確認するかのように剣の柄頭に手を置く。
「王子には、強い王になっていただかねばなりません。自らのこれから進む道がどんな場所であるのか、それを知ってもらわねばなりません。そのためにも、目の前ですることが肝要と思われます。妃殿下の考えが違うのであれば、再考しますが」
長い沈黙の後自分の考えを言ったギアンテ。それに対し王妃もしばらく沈黙していたが、やがて一度目を閉じてから、迷いを振り払うかのように見開いた。
「よいでしょう」
そして、大きく息を吐き出す。
「それに、二人が同じ場所にいなければ、近頃は私ですらどちらがどちらなのか……間違いなど、決して犯してはならないですから」
二人は決意し、扉を開けて王子の部屋へ進む。
「どうしました? こんな夜分に」
イェレミアスの私室の扉を開けると、ヤルノとイェレミアスはまだ着席して話をしていた。
口を開いたのはヤルノの方。簡素ではあるが、城の綺麗なシャツを着て、脚を組んで座っている。
一方イェレミアスは寝間着のようなラフな格好で可愛らしく両足を揃えて座っている。この二人を見て、事情を知らない人間であればどちらが王子なのか正確に答えられる者はいないだろう。
「王別の儀、大儀でした」
「いえ。大したことはないです。拍子抜けでしたよ」
ヤルノが答えたその刹那。一瞬のうちにギアンテの剣が抜き放たれ、ヤルノの胸を貫いた。




