壊滅
ぐらりと空が落ちてくるような感覚であった。
コルアーレは我が目を疑った。
それほどまでに心の準備が出来ていなかったのだ。足跡から判断して、イェレミアスはかなり早い段階でこのボトルネックとなっている地形を先に進んでいる筈。同様に足跡から、先住民のコルピクラーニもそのイェレミアスを追っている筈。
だからこそ彼らは慎重に慎重を重ね、コルピクラーニ達をパスすべく崖を登っていたのだ。この場所で、ましてや高所からの襲撃など受けるはずがない。
しかしそんな中で、何者かの襲撃を受け、先頭の男が投石を受けた。まるで空が降ってくるかのように、大きく広い、部下の背中が迫ってくる。
「待ち伏せだ!! 下がれ! 下がれっ!!」
下は岩山などではなく木が生い茂っている。いっその事飛び降りた方が早いかもしれないが、逆に木の枝などが刺さって負傷する可能性もある。
しかしその判断以前にまず問答無用で石は降ってくるのだ。
完全に失策であった。
安全策を取って待ち伏せに切り替えたのは悪くない。妥当な判断だったと言えよう。しかしそこで緊張感を保てなかったのが何よりもまずかった。
高所から、自分達が逆に待ち伏せ攻撃をされることを何も想定せず、準備もなく、心構えもしていなかった。
コルアーレ達は殆ど無抵抗に投石を受け続けて後退し、そして落下する。高所からの投石に対し、両手で頭部を保護することもできず、一方的に打ち込まれ続ける。
ようやく全員が崖から降りた、いや、落下した時には動ける者は半数ほどにまで減っていた。残った者達も決して万全の状態ではない。
「とにかく退くぞ! 来た道を戻れ!!」
「待ってください! 負傷した仲間は!?」
問いかけた部下の襟首をひっつかんで走り出すコルアーレ。
投石はまだ続いている。動かなくなった仲間の内、おそらく半数はまだ息があるだろう。治療をすれば助かるかもしれない。しかし彼らを助けるのに手間取っているうちに、確実に『敵』の追撃を受ける。
おそらくはそれも狙っているだろう。最初の木の洞で吊るされた仲間を下ろす時のように、被害を拡大させるだけに終始するのは確実。
ここで『逃げ』の一手を打ったコルアーレの判断はまたも妥当だったと言えよう。
その時、雷の轟音のごとき咆哮が背後の崖上から聞こえた。石礫が降りやまぬ中、コルアーレは振り返ってその正体を確認する。一体この襲撃は何事だったのか。その正体を確かめるため。
大柄な体を皮の武具と毛皮のマントに身を包んだ戦士の一団。
「コルピクラーニ……」
あの足跡は『釣り』だったのか。見事にコルアーレ達は引っかかってしまったのだ。無防備になる崖登りの瞬間を、息をひそめて待ち伏せていたのだ。
「走れ! 奔れ!」
今度は石だけでなく、槍も飛んでくる。
コルアーレ達はとにかく森の中を無茶苦茶に走り、作戦も目的もなく、ただただ敵から逃げ続けた。そこにはグリム人の戦士の誇りもなく、ひたすらに生を求めて必死に走り続ける道化師の姿があるだけ。弱々しく、情けなく、そして純粋に滑稽であった。
いったいどれだけの時間走り続けたのか。ここが森のどこなのか。何一つわからない。
いつしか仲間たちは一人はぐれ、二人はぐれ、一人殺され、二人殺され。気づけばもう、走り続けているのはコルアーレとヴァルフシュの二人だけであった。
いつの間にか仲間の悲鳴も、鉄と鉄を打ち鳴らす戦闘音も、蛮族の雄叫びも聞こえなくなっていた。
「ま……まいた……か」
ぜいぜいと息を吐き出し、かすれる声でようやくコルアーレが息を吐きだした。ヴァルフシュはえづきながら近くの木の幹に手を置き、自分の体を支える。老体に激しい運動は厳しかろう。
コルアーレは付近を見渡して絶望した。楽な任務であるはずだった。もし失敗があるとすれば、森の中でイェレミアスを取り逃がしてしまう事だろうと。
「壊滅……」
しかし、ふたを開けてみればこの有様。生き残ったのはわずかに二人。いや、確認が取れていないだけで、もしかしたら生きのこっている者がどこかにいるかもしれないが。
「なんなんだ……なんなんだこれは」
泣きそうな表情でコルアーレが呟き、天を仰ぐ。まだ日の沈む時間ではないが、木の枝に阻まれて青く澄んだ空を見ることはできない。
結局ここまで、何が起きているのかの把握すらできなかった。
部下を殺したのは、本当にイェレミアスなのか。コルピクラーニとの接触は偶発的なものなのか。そもそも足跡をたどったはずなのになぜコルピクラーニが崖上から出てきたのか。
まるで狐につままれたようで全容が掴めない。本当にリィングリーツの獣の仕業なのではないかとさえ思えてくる。
とりあえずこの状態で作戦の続行は不可能。それどころかイェレミアスはもう森を出るための帰路についている筈である上に、自分達の現在地すら分からない。
「城に……戻るか……」
力無くそう呟いて未だ木の幹に手をついて呼吸を整えているヴァルフシュに視線をやる。
この体たらくで王宮に戻れば、騎士総長の座をクビになるかもしれない。いや、それどころか物理的に首を切られてもおかしくないほどの失態。しかしそれでも、もう自分達に出来ることなどありはしないのだ。
呆然自失の状態のヴァルフシュも、ようやく動悸がおさまってきて顔を上げ、そして体が硬直した。
彼の視線の先、茂みの中に異様なものを見つけたからだ。
「ローク」
言い終わるか否かのその刹那、彼の胸を短刀が貫いた。
「ぬっ……!!」
全く反応ができなかった。
薄暗い森の中、茂みに浮かび上がるようにぼうっと生気のないロークの顔が浮かんで見えた。それに気づいた瞬間、ロークは一気に間合いを詰めて短刀を彼の胸に突き立てたのだ。
「う……ふぶッ」
裏切り者……そう叫ぼうとして、血を吐き出し崩れ落ちるヴァルフシュ。
「ロークッ!!」
代わりに叫んだのはコルアーレであった。初日の夜、他の班の男もロークの裏切りがあったと言っていた。思えば、内部に裏切り者の存在が見え隠れしていることから大きく計画が狂ったのだ。
最初の犠牲者があったといっても、小僧一人冷静に対処すれば犠牲は最小限にできたはずであった。
しかしコルアーレはそのままロークを罵ろうとして言葉に詰まった。
どうにも様子がおかしい。顔に表情が無さすぎるし、襲撃の瞬間は気付かなかったが、どう考えても以前のロークと比べると体格が一回りも二回りも小さい。
コルアーレが混乱していると、ロークは自らの頭頂部の髪を掴み、上に引っ張った。すると顔に大きな皺が寄り、衣服を脱ぐようにロークの顔が剥ぎ取られたのだ。
「ばあっ! びっくりした?」
「ひ……ひぃぃ」
コルアーレは驚いて腰を抜かし、へたり込んでその場に尻餅をついた。
覆面を被るように脱ぎ捨てられたロークの顔の皮の下から出てきたのは、愛らしい、天使のような顔をした白銀の髪の美少年だったのだ。




