第61話 誇り高く
包囲開始から二週間とかからず、トリエステの東門が開放された。ジュリアーノ第一王子が降伏したわけではなかったが、命や立場を惜しんだ第一王子派の王国軍将兵や宮廷貴族たちが城門を開き、第一王女派とその味方の軍勢を王都内に迎え入れた。
この機を逃さず、各陣営の正規軍人から成る部隊が王都内に突入。それに対して敵側の抵抗はもはやなかった。王国軍人たちは自ら武装解除し、大人しく降伏した。それ以外の戦力、徴集兵の姿はそもそもなかった。
敵側の無抵抗は、突入部隊がトリエステ城に踏み入って以降も変わらなかった。ジュリアーノがそのように命じたらしく、近衛隊でさえ武器を置いて第一王女派将兵に大人しく下った。
そのジュリアーノは、しかし降伏を拒否し、謁見の間で武器と酒を手に何やら騒いでいる。ロゼッタかファウスト、そして大貴族たちに会わせろと訴えている。そのような報告を受け、ロゼッタ第一王女とヴァレンテ・ジェルミ辺境伯、ミランダ・アルメリア侯爵、ナタリー・ヴァロワール侯爵、キルツェ辺境伯が、それぞれの護衛を引き連れてトリエステ城に向かった。
報告通り、ジュリアーノは謁見の間にいた。玉座に座り、ワインの瓶と短剣を手に、ロゼッタたちを待ち構えていた。
「おぉ、我が異母妹よ! それに目障りなジェルミ卿! 裏切り者の従妹に、北と南の大貴族たちまで! また豪華な顔ぶれが揃ったものだなぁ! さあもっと近くに寄れ!」
「うわぁ、なんてみっともない様なの、ジュリアーノ! あなたに妹なんて呼ばれたらぞっとするから止めて頂戴!」
戴冠もしていないのに玉座につき、さらには飲酒しながら自棄になって叫ぶジュリアーノの様を目の当たりにし、ロゼッタは嫌悪に顔をしかめながら言う。傍らに並ぶヴァレンテと大貴族家当主たちは、思わず顔を見合わせる。
「哀れなものだな」
「ええ、これが聡明で知られたあの第一王子とは」
ミランダが小声で言うと、それにナタリーが答える。
常に冷静で、だからこそときに冷淡にも見え、ともかく知的で落ち着いた印象であることは間違いなかったジュリアーノ。彼がこのように騒いでいるところを見るのは、皆初めてだった。
「あなた、配下の皆には大人しく降伏するように命じたんでしょう? それなのに、どうして当のあなたがこんなところで、よりにもよって玉座に座って騒いでるの? どんな悪あがきをしても無駄なんだから、大人しく降伏しなさいよ!」
ジュリアーノの座る玉座とはある程度の距離を置き、周囲を近衛騎士に守られながら、ロゼッタは呼びかける。びしっと異母兄を指差してずばり言う。
ジュリアーノの周囲に、もはや兵力はいない。第一王子派の近衛隊は全員が降伏したので、護衛の一人もいない。しかしジュリアーノは短剣を手にしており、この王城を制圧した部隊の報告では首に短剣を当てて自らを人質にしていたらしく、彼をなるべく生け捕りにしたい第一王女派としては下手に強硬手段には出られない。彼に自発的に降伏してもらうしかない。
「……死に方は自分で決めたかったのだ」
憎き政敵である異母妹の呼びかけを受けたジュリアーノは、突然に冷めた表情になり、ぼそりと言った。
「王になり、玉座で死ぬのが夢だった。最後の最後まで王として在り続け、死ぬのが……もはや王になることはできないとしても、せめて玉座で死ぬ夢くらいは叶えたいじゃないか」
ジュリアーノは深く深くため息を吐き、ロゼッタと大貴族たちを見回し、自嘲するように笑う。
「ちょっと、止めてよね! 死ぬならちゃんと捕まって、民衆の前で公開処刑されて頂戴! その方が私が勝ってあなたが敗けたって民に分かりやすいじゃない! それに、そこで自害なんてされたら、代々受け継がれてきた玉座が汚れるわ!」
「ふっ、そうはいくか。王位はお前のものになるのだから、最期にひとつくらい俺の思い通りになることがあったってかまわないだろう……それに、もう遅い」
ロゼッタの訴えを鼻で笑って受け流し、ジュリアーノはワインの瓶を掲げる。ロゼッタたちに見せつけるように。
「毒入りだ。眠るように死ねるらしい。もう効いてくるだろう……血を吐き散らしたりはしないそうだから、玉座は汚さないはずだ。安心しろ」
その言葉に、ロゼッタは面食らった様子で黙り込む。大貴族たちも、一様に驚きを顔に表す。
ジュリアーノは玉座の背にもたれかかり、嘆息する。
「……俺が勝つはずだったのにな。あと一歩で俺が勝つはずだった……それを、お前たちが寄ってたかって邪魔をして……だが、敗けは敗けだ。これが現実ならば仕方あるまい……」
独り言ちながら、ジュリアーノの声は次第に力を失っていく。まるで、急激に眠気に襲われているかのようだった。
「……玉座で死ぬのは……レグリア家の人間の中でも……俺が初めてのはずだ……」
その言葉を最後に、ジュリアーノは目を閉じて深く息を吸い、そして動かなくなった。その手から短剣とワインの瓶が離れ、床に落ちた。
近衛騎士の一人がジュリアーノに歩み寄り、彼が既に息絶えていることを確認してロゼッタに告げる。
「まったく、いかにもあなたらしい最期ね、ジュリアーノ。自分本位で、尊大で……だからあなたは賢いけど馬鹿なのよ」
両の腰に手を当て、ロゼッタは呆れたように言った。その声にはごく僅かに、哀れみの色が含まれていた。
・・・・・・
王都トリエステ包囲網の一角、第一王女派の軍勢の野営地。司令部のほど近くに置かれ、厳重な警備がなされる豪奢な天幕。
そこには、ヴァロワール家の陣営より手土産としてアルメリア家の陣営に引き渡され、そこからまた手土産として第一王女派に引き渡された最重要の捕虜、リッカルダ・レグリア第二王女の身柄が収容されている。
「……そう、ジュリアーノはそんな死に方をしたのね。兄らしい最期だわ」
天幕を訪れたファウスト・レグリア第二王子より兄の死について告げられたリッカルダは、静かに呟き、微笑を浮かべる。
玉座の上で息絶えるという破天荒な夢を、力ずくで叶えてみせたその最期。尊大で、我が儘で、そして誇り高い。それでこそ敬愛する兄だと、リッカルダは思った。
「ジュリアーノは世を去り、彼の麾下の軍勢や貴族たちは皆降伏した。トリエステの都市も城も姉上が掌握した……勝敗は決した。俺たち第一王女派の勝利だ。お前は敗けた」
神妙な表情で語ったファウストは、それから少し逡巡した後、また口を開く。
「もしお前が望むなら、命だけは助かるよう俺から姉上に申し出てもいい。お前は派閥の盟主というわけでもないのだし、俺たちから見れば腹違いとはいえ妹だ。塔に幽閉して――」
「はあ? 何を馬鹿なことを言ってるの?」
リッカルダは異母兄の言葉を遮り、呆れと怒りを滲ませながら言った。
「私は何? 兄上の添え物? 違うわ、私は一人の王族として持つ権能のもと、自分の意思で兄上を支えながらこの戦いに臨んでいたの。私はこの内戦を巻き起こした当事者の一人よ。当事者として戦って、そして敗けたの。家臣や民の犠牲に報いることができなかったの。その責任から私が逃げると思っているのなら、私を舐めるのも大概にして頂戴? あなたの安い同情心のために、私から一人の王族としての権利と責任を奪うのは止めて頂戴?」
「……分かった。軽率なことを言ってすまなかった」
ファウストは気まずげな表情で頭を下げ、自身の発言を詫びてきた。その律義な様を見て、リッカルダは思わず苦笑を零す。
「腹違いとはいえ妹として、ひとつだけ助言してあげるわ。これから君主の弟として重要な責任を負う上で、その馬鹿みたいな甘さは捨てるべきよ。そのままだといつかあなたの命取りになるし、レグリア王家の命取りになるわ」
「……その助言、心に留めておこう。そして、この甘さは捨てると約束しよう」
ファウストも微苦笑し、頷いた。
「それでいいわ。私と兄上から玉座を奪ったのだから、くだらない治世を成してレグリア家を潰したら許さない。そのときはあの世から呪い殺すから覚悟しなさい……さあ、もう出て行って。死んだも同然の異母妹と話すのではなくて、あの阿保で無能な姉を傍で助けてやるのが、あなたのレグリア王族としての役割でしょう」
そう言って、リッカルダはファウストを天幕から追い出す。立場としては捕虜である自分に主導権を握られ、おずおずと天幕を出て行く異母兄の様に、本当に大丈夫かと再び苦笑する。
そして一人になり、息を吐く。敗北への悔しさはあるが、どこか清々しい気分さえ覚える。
全てが終わって兄ももう旅立ったのだと思うと、この世に未練はない。後はもう、自分にやるべきこともない。己の死を歴史の見せ場の一幕とし、兄の待つあの世へと旅立つだけだ。




