第60話 勝敗は決し
王都トリエステの北に位置する、アルメリア家の陣営の本隊。その野営地の司令部が置かれた小高い丘から南西方向を向き、今日到着したばかりの自陣営の別動隊を眺めながら、ミランダは皮肉な笑みを浮かべる。
「まさか、トリエステ近郊で別動隊と合流することになるとは思わなかったな」
「先代ヴァロワール卿の野心から始まった戦いの結果とはいえ、ある意味では今回一番の大手柄でしたね、アーガイル卿たちは」
同じように南西の別動隊を眺め、答えたのはシャーロット・レスター公爵だった。
「ああ、違いない。アーガイル卿たち別動隊の活躍のおかげで、第一王女派も我々も大幅に有利になった」
第一王子派と第一王女派の内戦へ介入したアルメリア家の陣営だが、自陣営の参戦によって確実に第一王女派を勝たせることができるとまでは、ミランダは思っていなかった。実際、戦況はミランダの予想通り、決して楽観できるものではなかった。
アルメリア家の陣営の本隊が王領に侵入し、第一王子派の兵力を相当程度引きつけても、第一王女派への攻勢に臨む第一王子派の主力はかなりの兵力を保っていた。そこから諸貴族軍を引き離して、ようやく第一王女派にも勝ち目が出てきた程度の戦況だった。
仮に第一王女派が勝てなかったとしても、第一王子派をここまで苦戦させておけば、戦後レグリア王家は著しく弱体化する。アルメリア家が独立を宣言し、アルメリア王国が実質的な独立国として振る舞い出しても、レグリア王家はそれを止める力を持たない。それも次善の結果であるとミランダは考えていた。
しかし、ウィリアム・アーガイル伯爵率いる別動隊がヴァロワール家の陣営の軍勢を撃破し、オクタヴィアン・ヴァロワールを討ち取ったことで、戦況は大きく変わった。
オクタヴィアンから家督を継いだナタリー・ヴァロワールは家と陣営の方針を大転換し、第一王女派へ。王領東部の戦線においてヴァロワール家の陣営の援軍が寝返り、第一王女派が逆転勝利を成した。また、ヴァロワール家の陣営の方針転換を受けてキルツェ辺境伯家の陣営までもが第一王女派として参戦し、第一王女派の勝利が決定づけられ、そして今ここで第一王子派に対する包囲網が完成した。
様々な思惑が入り混じり、運も絡んだ結果としての、数奇な、ともすれば滑稽な戦況。このようなことが起こり得るのも動乱の時代の面白さと言えるかもしれない。
「閣下。別動隊のアーガイル卿より、伝令が送られてきました。到着の報告と、今後について指示を仰ぐ旨を伝えに来たとのことです」
「……分かった、会おう」
三つの陣営の四つの軍勢。その総勢は三万を優に超える。さらにここへ、南からやってくるキルツェ家の陣営の軍勢も加わる予定。
それだけの兵力をどう動かしてトリエステの包囲網や周囲の監視網を固めるか。トリエステに籠るジュリアーノを降伏に追い込むため、どのように圧力をかけるか。既にロゼッタ第一王女とは話し合いを済ませておおよそのところを決めているので、それを踏まえて別動隊に指示を出さなければならない。
また、ナタリー・ヴァロワール侯爵との挨拶や、人質としているリッカルダ第二王女との面会も必要。そして個人的に、ウィリアム・アーガイル伯爵をはじめとした別動隊の将たちと直接顔を合わせ、話しておきたい。
明日以降の動き方の指示と、そして明日に自分が別動隊の方へ赴くことを伝令に伝えるため、ミランダは司令部天幕内へ戻る。
・・・・・・
第一王女派と、その味方となった大貴族家の各陣営の軍勢に包囲された王都トリエステ。その中には、悲観的な空気が漂っていた。
キルツェ家の陣営の軍勢も到着し、敵側の総兵力は四万に達している。第一王子派にいた諸貴族家も次々に寝返っているようで、それら各家の手勢も王都近郊に進出し、敵兵力はなおも増え続けている。
対する第一王子派の兵力は、正規軍が王国軍と近衛隊を合わせても四千足らず。精鋭揃いの王国軍も、さすがにこの状況では士気は落ちきっている。鉄の忠誠心を誇る近衛隊は未だ平常を保っているが、元よりトリエステ城の警備と王族の身辺警護を任務とする彼らはその絶対数が少ない。保守的な家の出身者が多いこともあり、総員五百のうち、外様のヴァロワール家との繋がりが深い第一王子派に与しているのは二百人程度。大規模戦闘の戦力としてはあてにならない。
徴集兵を集めようにも、大軍に包囲されて都市の出入りもできないとなれば市街地に漂う空気も暗く、王都民たちはとてもではないが協力的ではいてくれない。敗北必至の第一王子のために真面目に戦ってくれる民などいない。
むしろ、収穫期だというのに農地に出られない農民たちも、社会活動の停止を余儀なくされて仕事にならない商人や職人たちも、早く第一王子が敗けてこの包囲戦が終わってほしいという本音をもはや隠しもしない。市街地ではたびたび王都民たちによる抗議が起こり、王国軍がそれを抑えているが、本格的な暴動がいつ起こってもおかしくない。
宮廷の政治機能も麻痺している。ジュリアーノを急かして要職に収まった第一王子派の宮廷貴族たちは、しかしこの状況では真面目に仕事に臨むはずもなく、登城している者もほとんどいない。おそらく今頃は、逃げ隠れする算段を考えているのだろう。
第一王女派としてはできるだけ無傷で王都を奪取したいのか、大攻勢をかけてくる気配は未だない。が、食料備蓄もそう余裕はなく、このまま包囲が続けばどちらにせよ降伏せざるを得ない。
勝つか敗けるかではなく、いつどのように敗けを確定させるか、事はそのような段階にある。
「……まったく、どうしてこうなったんだろうなぁ」
王都の市域南側、大河に面してそびえるトリエステ城。その食堂で、ジュリアーノは大きな嘆息を零しつつ呟いた。もう何十回目かの自問だった。
王族用の食堂は広く、天井も高く、豪奢な装飾に包まれている。その威容が、しかし今はかえって空虚な雰囲気を醸し出す。
長いテーブルの最上座、本来は家長たる君主の席にせめてもの抵抗として座り、椅子の背に体重を預け、両足をテーブルの上に投げ出すという王族にあるまじき姿勢で、ジュリアーノはワインをあおる。空になった杯を掲げると、傍らに控える使用人がワインを注ぐ。
「なあ、どうしてこうなったんだと思う?」
「……も、申し訳ございません。私には何とも……」
「いい、別に答えは求めていない」
第一王子から雑に絡まれた使用人は顔を強張らせて言い、彼から何か核心を突く言葉を得られるなどとはもちろん思っていないジュリアーノは、手振りで下がるように伝える。
またワインをあおる。口元から零れたワインが高価な装束を濡らすが、気にもしない。
今年の冬明けまでは、少なくとも勝っていた。完全勝利まであと一歩だった。戦況的にも、自身の能力としても、勝利はほぼ間違いなかったはず。
そこから一気に逆転されたわけではない。アルメリア家の陣営が参戦し、オルランド・コッポラ伯爵率いる北の軍勢が敗け、主力から諸貴族軍が離脱し、それが惨敗して散り散りとなり、一方で西ではオクタヴィアン・ヴァロワール侯爵が敗死し、ヴァロワール家が寝返り、妹が捕まり、キルツェ家が参戦し、そして第一王女派との決戦で援軍の寝返りによって壊走を強いられた。一つひとつ生まれた不利が積み重なり、こうして王都に追い詰められている。
一体何が駄目だったのだろうか。自分は賢いはずで、だからこそ王国中央部の貴族たちも、王国軍も、大多数が自分の派閥についてくれた。第一王女派との戦いでも、自ら軍を率いて戦術の才覚を示した。
少なくとも自分自身の能力不足ではなかったはず。しかし、貴族たちの自分勝手な振る舞いや、自分の関与できない戦場での敗北によってこの状況に追い込まれた。全ては配下たちが無能で、そこに幾つかの不運が重なったための結果。あるいは、無能な配下を抱えたことや運が悪かったことも自分の弱さと考えるべきか。
「……」
どれほど考えを巡らせても、もう遅い。どれほど酒をあおって現実逃避をしても、敗北の瞬間までの時間つぶしにしかならない。
王都に帰還した当初は、再戦と逆転の手を考えた。が、この状況でまともに戦って勝ち目の見える策などあるはずもない。王国軍将兵や徴集した王都民たちに決死の覚悟を強いれば、損害を度外視で戦ってロゼッタとファウストを仕留められる可能性もないではなかったが、事ここに至っては自分のために命をなげうって戦ってくれる者など、王国軍にさえ少ない。最後の戦いを実行に移せる段階にさえ進めなかった。
王都を脱出し、そのまま大陸東部の外に逃れる手も考えたが、自分が王族として教えられている秘密の脱出路は当然ながらロゼッタとファウストも把握しており、現に脱出路の偵察に向かわせた近衛騎士たちは、外で敵軍の見張りが待ち構えていて逃走は叶わないと報告してきた。
戦えも逃げられもしない。もう万策尽きた。
「殿下! 第一王子殿下!」
と、そこへ文官たちが飛び込んでくる。宮廷貴族ではなく平民であるが故に派閥争いから距離を置き続けることが叶い、この王城が最低限機能するよう苦心している、健気な官僚たちだった。
「なんだ、騒々しい。何があった?」
「お、王国軍の一部部隊と宮廷貴族たちが、王都の東門を勝手に開放しました! 敵軍を招き入れるつもりのようです!」
それを聞いたジュリアーノは、飛び上がって驚愕することも、怒りに声を上げることもしない。ただ、小さく片眉を上げ、口をへの字に曲げただけだった。
「なるほど、そうなるか。そりゃあそうだ」
勝ち目のない籠城戦に臨まされている王国軍将兵が、いつまでもこの自分の時間つぶしに付き合いたいはずがない。第一王子派の宮廷貴族も城門開放に加わっているのは、そうすることで第一王女ロゼッタからの心証を少しでも良くするためか。かえって悪手のような気もするが。
いずれも、主である自分の意向など完全に無視しての行動。それも仕方がない。ここまで敗け続けて追い詰められた自分が、戦いを終えるときを選ばせてもらえるはずがない。
勝手に門を開かれ、雪崩れ込んできた第一王女派の将兵に捕らえられる。無様な第一王子の敗け方として、何ともふさわしい。
「俺の下にいる全ての王国軍と近衛兵に命じろ。第一王女派に降伏するように。無駄な血を流す必要はない……それと、例のワインを持て」
ジュリアーノは文官たちに命じ、テーブルから足を下ろして立ち上がる。
向かうのは、謁見の間。最後にひとつ我が儘を叶えたかった。




