第57話 若き傑物
南進を続けるアルメリア家の陣営の別動隊が、ヴァロワール侯爵領領都アレシーまで二日の距離に迫った頃。新たにヴァロワール家当主となったナタリー・ヴァロワール侯爵より、講和を求める使者が送られてきた。
翌日。別動隊の大将であるウィリアムと、別動隊におけるアルメリア家の代表たるフェルナンドは、自ら講和交渉のために出向いてきたナタリーとの会談に臨む。
場所は街道近くの小さな村。両者とも少数の護衛のみを引き連れ、ケルカ教の神殿を借りて顔を合わせる。神聖な場所とされる神殿内では刃傷沙汰は厳禁とされる。必ずしも大陸東部の誰もが敬虔な信徒というわけではないが、それでも幼い頃より教え込まれた常識から、大抵の者は神殿内で剣を抜くことに相当のためらいを覚える。だからこそ、昔から神殿は講和交渉の場としてよく用いられてきた。
「……なるほど。悪くない話だ」
ヴァロワール家は第一王子派との協力関係を切り、第一王女派に鞍替えする。第一王子派への援軍として送り込んでいた五千の兵力を寝返らせ、第一王子派の主力を攻撃させる。同時に、アルメリア家の陣営の別動隊がこのまま領内を通過し、小山脈の回廊を越えて王領へと侵攻するのを手伝う。ここまですれば、まず間違いなく第一王女派が勝利するだろう。
もちろん戦後も、ロゼッタ第一王女を新たな君主とするレグリア王家や、独立するアルメリア王国に友好的な立場を保ち続ける。アルメリア家はその領土の南東のみならず、南西においても友好的な隣人を置き、新たな時代を迎えることができるだろう。
ナタリーからそのような提案を受け、呟くように言ったのはフェルナンドだった。
ウィリアムは軍事における別動隊の行動の決定権を与えられているが、この会談は軍事よりも政治の領域。となれば、別動隊におけるアルメリア家の代表として、母ミランダより全権を委任されているフェルナンドに全ての決定権がある。なのでウィリアムは、フェルナンドの隣にただ座り、緊張気味に話し合いの推移を見守っている。
「当家の陣営の主要な貴族たちに関しては、急ぎ使者を送り、鞍替えについての同意を得ました。これ以上第一王子派に肩入れする利益は薄い以上、反対の声は上がりませんでした。他の中小貴族たちも、まず間違いなく追従するでしょう……そして当家の鞍替えについては、第一王女派も認めるはずです。元より当家にも、独立の承認と引き換えに味方となるようロゼッタ第一王女からの打診が届いていました。兄は固辞していましたが」
第一王女派がアルメリア家以外の大貴族家にも助力や鞍替えを打診していることは、ウィリアムたちも予想していた。おそらくだが、キルツェ辺境伯家にも同じような提案がなされている。なので、ウィリアムもフェルナンドもナタリーの言葉には驚かない。
「当家が立場を一転すれば、さらなる有利を得て戦いに臨みたい第一王女派としては、拒否する余地はないでしょう。戦後、ヴァロワール家の陣営は独立を果たしてヴァロワール王国となり、アルメリア王国の南でキルツェ家の勢力圏との緩衝国になりましょう」
ナタリーの言葉で、ウィリアムとフェルナンドは思わず顔を見合わせる。
この新たなヴァロワール侯爵は、どうやら兄に負けず劣らず、あるいは兄以上に聡明らしい。こちらの意向と、それを踏まえた立ち回り方をよく分かっている。
「当家としてもありがたい提案だ。とはいえ、当家と貴家は既に一度戦った。貴家より申し出を受けて講和を結ぶとなれば、アルメリア家は勝者として、相応の具体的な利益を得る必要がある。こちらにも立場がある故に」
「無論、承知しています。なので、ヴァロワール家は敗者として、相応の誠意を示す用意があります」
そう言ってナタリーが提示したのは、先の戦闘における損害を補って余りある程度の賠償金。そして、ヴァロワール家が捕らえたリッカルダ・アルメリア第二王女の身柄。
金を手に入れ、第一王女派にさらに恩を売るための手土産も得られる。勝利宣言に伴う戦利品としては、ひとまず十分な内容だと、ウィリアムは話し合いを聞きながら考えた。
「いかがでしょう?」
「……結構だ。申し分ない」
フェルナンドもウィリアムと同じ考えに至ったようで、ナタリーに尋ねられてそう答える。落としどころが定まったことで両家とも講和の成立に同意し、その後は細かな講和内容が話し合われ、話し合いは一段落する。
今後の行軍の案内。補給物資の提供。回廊の確保。そうした協力がヴァロワール家の側より確約された上で、会談が終了した後。自軍のもとへ帰りながら、ウィリアムはフェルナンドと言葉を交わす。
「賢い人でしたねぇ。それに度胸も凄いです。見習いたいくらいです」
「ああ。あの立ち回りは見事と評するしかない。戦時の為政者としては、間違いなく先代以上の傑物だ」
会戦での大敗と、当主オクタヴィアンの死。ヴァロワール家にとっては間違いなく危機だが、同時に家としての方針を変える起点としては最適。元より代替わりした当主の意向で貴族家が方針転換をするのは珍しいことではない上に、新たな当主が「先代の敗北によって追い詰められた自家を存続させるため、止むを得ず方針転換した」と言えば、動乱の途中で立場を変えることへの周囲からの悪印象も最低限となる。
ヴァロワール家にとっては、勝ち馬に乗り換える最初で最後の機会。この機を逃さず、兄の死の直後に立場の大転換を決断し、家臣や陣営の主要貴族も納得させた上で従わせ、敵軍の大将と敵陣営の代表者を訪ねて講和を取りつける。並大抵の行動力ではできないこと。
ナタリー・ヴァロワール侯爵。聡明さと度胸を兼ね備えた、凄まじい人物だった。
「彼女の決断のおかげで、第一王女派の勝利は決まったも同然だ。まさか我々別動隊が、ヴァロワール侯爵領から王領へ侵入できるとは思っていなかったが……引き続きよろしく頼む、大将殿」
「あはは、こうなったら最後までやるしかないですから。頑張ります」
随分と遠くまで進軍することになってしまった現状について、半ば諦念を抱きながら、ウィリアムは微苦笑を浮かべて答える。
・・・・・・
ヴァロワール家の陣営が味方となったことで、アルメリア家の陣営の別動隊は、不意の戦闘を警戒したり、補給の心配をしたりすることなく行動できるようになった。
ヴァロワール侯爵領の領都アレシーを経由し、街道に沿って東へ移動。王領との境界である小山脈、その中を通る回廊の入り口に辿り着いたのは、五月下旬のことだった。
第一王子派の援軍として王領側にいる軍勢には、当主交代と陣営の立場の転換、そして新たな命令を伝えるため、ナタリーが既に伝令を送っている。また、小規模な王国軍部隊が駐留するばかりだという回廊の王領側関所については、ヴァロワール侯爵領軍が援軍の増援を装って接近し、容易に占領。ウィリアムたちが通過する前準備を済ませてくれた。後は、野営地を片付けて整列し、前進を開始するばかり。
「物資の方も、予定通りの補給が叶いましたよ。ヴァロワール家の御用商人たちがよく協力してくれました」
「そっか、何よりだよ……君たちウェントワース商会にも、随分と苦労をかけちゃってるねぇ」
ウィリアムが言葉を交わすのは、アーガイル伯爵家の御用商人で、ウェントワース商会の長であるサマンサだった。
貴族が軍事行動を行う際、それに伴う補給は御用商人をはじめ、その貴族と繋がりのある商人たちが担う。サマンサは大将ウィリアムの御用商人ということもあり、いくつもの商会から成る輜重隊の統括を担ってくれている。
「そんなことはありませんよ。今回の仕事でこっちの大商会とも新しく伝手ができましたし、うちの商会にとっても色々と得がありました」
「それならよかった。もうしばらく戦いが長引くだろうけど、引き続きよろしくねぇ」
「ええ、お任せください」
サマンサが報告を終えて離れていった後も、各軍の準備完了の報告などが、次々にウィリアムのもとへもたらされる。そう時間もかからず全軍の出発準備が終わり、まずは先頭を担うアルメリア軍が前進を開始する。
・・・・・・
ナタリー・ヴァロワールは、僅かな護衛と従者を伴ってアルメリア家の陣営の別動隊に同行しようとしていた。
他にも、ヴァロワール家の陣営の主要貴族が数人、同じように少数の供を連れて王領侵攻に同行する。ナタリーたちは己の身を実質的な人質としてアルメリア家の陣営に預けることで、ヴァロワール家の陣営が真に味方となったことを示している。
この段になって第一王女派に鞍替えする上で、第一王女派やアルメリア家の陣営の信用を得るには。戦後に独立するヴァロワール王国、その女王として家臣や貴族たちから認められるためには。自ら陣営の先頭に立って行動しなければならないと考えているからこそ、ナタリーは軍装で馬上にいる。
「ヴァロワール卿。間もなくこの本陣も出発しますが、準備はよろしいですか?」
内心であらためて覚悟を固めているナタリーに話しかけてきたのは、ウィリアム・アーガイル伯爵。アルメリア家の陣営の別動隊を、大将として率いる人物。
「ええ、問題ございません……我々の同行を認めていただき、あらためて感謝します」
「いえいえ、そんな。こちらとしても、あなた方が同行してくださるのはありがたいです。ヴァロワール家の陣営がこちらの味方となったことの強い証明になりますから」
柔和な表情で答える、一見すると頼りなさそうなウィリアムを、しかしナタリーは内心でさえ侮りはしない。
当初はお飾りの大将かと思ったが、どうやら違うと間もなく気づいた。アルメリア派の貴族たちは本気でウィリアムを大将を見なし、彼の言葉を尊重しながら動いている。それはアルメリア家の次期当主であるフェルナンド・アルメリアでさえ変わらない。
話を聞くに、このウィリアムは昨年のレスター家との会戦では戦術面で知恵を、戦闘の最中で勇気を示して活躍し、先の会戦では決め手となる策――伏撃によって兄オクタヴィアンを討ち取る策を自ら発案したという。
ただ穏やかなだけの人物ではない。舐めてかかってはならない。立場に相応の実力を持った、油断ならない相手だと見なすべき。今では、ナタリーはそう考えている。
「もし何か困ったことやご要望があれば仰ってください。ヴァロワール家当主の座を継いで間もないうちに、こんな大遠征に臨まれるのは大変かと思いますが……」
「ありがとうございます。確かに楽なことではありませんが、今や私がヴァロワール侯爵の立場にいる以上、これも必要な仕事です……それに、兄の尻拭いをするのは妹の務めですので」
そう言って、ナタリーは微笑む。
優しく、聡明で、しかし時に夢想家で、だからこそ家臣からも領民からも、そして家族からも愛された兄のため。兄の失敗から起こった窮状を乗り越え、ヴァロワール家とその領地を、陣営の貴族たちを、救わなければならない。ヴァロワール家を勝者にしなければならない。




