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ウィリアム・アーガイルの憂心 ~脇役貴族は生き残りたい~  作者: エノキスルメ
第二章 新しい隣国の選び方

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第54話 別動隊の戦い②

 防御を重視して布陣するアルメリア家の陣営の別動隊は、その場から動かない。ヴァロワール家の陣営の軍勢が突撃することで開戦となる。


「私たちの栄光ある勝利のために! より豊かな未来のために! 総員突撃せよ!」


 予備軍を除く総勢一万の将兵が、大将であるオクタヴィアンの号令に従って突撃する。特に中央のヴァロワール軍は、愛すべき領主の激励によって士気を高め、勇んで駆ける。

 待ち構えていた敵軍との距離は瞬く間に縮まり、そして両軍の最前列が激突。激しい白兵戦がくり広げられる。

 騎士が剣や戦斧、ハルバードを振るい、正規軍兵士が槍をくり出し、徴集された民兵も粗末な武器を懸命に振り回す。肉を斬られ、あるいは骨を叩き折られ、もしくは頭を割られ、死傷する者が続出する。全身に鎧を纏った騎士も、頭に攻撃を受ければ脳が揺れ、身体に攻撃を受ければ衝撃が体内まで伝わり、鎧に守られていない箇所や鎧の隙間に攻撃を受ければ血を流し、決して無傷ではいられない。

 血みどろの白兵戦が展開される一方で、曲射された矢も戦場を飛び交う。前面に出て戦う味方を援護するために両軍の弓兵たちが放った矢が、殺意を纏った雨となってそれぞれの敵陣を襲う。


「……」


 生まれて初めての実戦、それも、この地の歴史の一幕として記録に残るであろう大規模な会戦に臨みながら、オクタヴィアンの表情は徐々に厳しくなる。参謀を務める領軍隊長を始め、居並ぶ側近たちも同じような表情を見せる。

 数の上では有利であるヴァロワール家の陣営。その将兵たちは――しかし、相対する敵の隊列をなかなか破ることができない。精強なアルメリア軍が守る上にこちらとの兵力差の小さい中央はともかく、敵側より六割ほども多い兵力で攻めている左翼側でさえ、戦況は膠着している。

 予想以上に、敵陣が堅い。その現実を前に、オクタヴィアンの内心で焦燥が募っていく。


・・・・・・


「どの部隊もよく守っているな。アーガイル卿の予想通りの戦況だ」

「こうなると信じてましたけど、上手くいって安心しましたぁ」


 アルメリア家の陣営の別動隊、その本陣から戦況を見守りながら、大将であるウィリアムは傍らのルトガーと言葉を交わす。

 数字上の兵力では、集結当初よりさらに頭数を集めた敵側が明らかに有利。だからこそウィリアムは、フェルナンドをはじめ他の将たちにも相談しつつ、このような地形を戦場に定め、各軍を配置した。

 結果、見た目の兵力差に反して、戦闘正面の状況を見ればむしろこちらが有利をとって戦うことができている。


 二つの大きな森に挟まれた平地の戦場。その東西の幅は、一万前後の大軍が十分に横に広がって戦えるほどには広くない。必然的に両軍の隊列はやや厚くなり、すなわち一度に前面に立って戦う兵力の差はほとんどなくなる。

 このような戦場で重要となるのは、全体の数字上の兵力差よりも、将兵の質まで考慮した上での正面戦力の差。重装備かつ練度の高い将兵を数多く前面に並べることができる側が、有利に戦闘を進めることができる。


 ヴァロワール家の陣営の軍勢は、その頭数こそ多いが、擁する正規軍人は推定で二千ほど。そのうち五百ほどが予備軍に留め置かれているものと思われた。敵の大将オクタヴィアンは、頼りになる正規軍兵力をある程度は予備軍に残すという、軍学の常道に則った判断をしているらしかった。

 その判断自体は結構なことだが、常識的な判断が必ずしも戦況を有利に導くわけではないことは歴史が証明している。


 ウィリアムはこの地形を戦場に選んだ上で、予備軍には徴集兵を統率する指揮役の正規軍人を僅かに残したのみで、残る正規軍兵力をほぼ全て前に出している。前衛に騎士や歩兵を置いて白兵戦を行わせ、後衛の弓兵にそれを援護させている。

 予備軍の正規軍人が少ないために、不測の事態に対応しづらいことを承知の上で、ウィリアムはこのような部隊配置を成している。その結果、前に出て戦闘に臨んでいる正規軍人の数は二千五百に迫り、敵側の正面戦力に含まれる正規軍人の推定を大幅に上回る。


 戦闘正面の兵力は同じで、正規軍兵力の割合はこちらの方が高い。すなわち、こちらの隊列の方が強固。質で劣る敵軍は、頭数だけは多い弱兵を消耗し続けることで隊列を維持することになり、戦いが長引くほどに敵側の損害が大きくなっていく。

 そのような戦いを続けるほどに、敵側の攻勢の勢いは失われる。敵戦力の多くは、徴集された民兵。大将オクタヴィアンに鼓舞されて初めは意気揚々と突撃しても、苦戦が続けばすぐにその士気は挫ける。


 元より精強なアルメリア軍と、昨年の戦いで勇敢さを発揮したハイアット軍が並ぶ中央。戦場のすぐ後方にある故郷を守るため奮起するバルネフェルト軍が並ぶ左翼。それぞれ、領軍軍人たちが中心となって手堅い戦いを続ける。

 対峙する敵部隊との兵力差が最も大きな右翼に関しても、戦況に危うい場面はない。右翼を守るアーガイル軍は「リクガメの守り」と評される堅い防御が持ち味として知られ、今回の戦闘でもその防御力を惜しみなく発揮している。


「ヴァロワール卿も彼の側近たちも、見た目の兵力差を過信し過ぎましたねぇ」

「仕方ないさ。こちらと違って、ヴァロワール家の陣営には大規模な会戦の経験者がいないのだからな。大軍がぶつかり合う会戦の感覚など、実際の戦場で経験しなければ分かるまい」

「……それもそうですねぇ。こっちと同じ感覚で評するのは可哀想かもしれません」


 会戦で千単位の軍勢がぶつかり合うと、どのような戦闘がくり広げられるか。軍勢の質や数の差がどのように戦況に影響するか。その肌感覚は、実際に会戦を経験した者、それも将として戦いの光景を俯瞰し、ある程度じっくりと観察できた者にしか分からない。

 昨年の会戦で左翼の将として自軍の戦いを見守ったウィリアムも、本陣から全体の戦況を俯瞰していたルトガーも、その肌感覚を持っている。実戦を経て身に着けた肌感覚をもとに、このような状況を作り出せば数の不利を十分に補い得ると考え、その予想は当たった。


 一方でヴァロワール家の陣営にそのような肌感覚を持つ者はおらず、おまけに当主オクタヴィアンも彼の側近たちも南の国境紛争にさえ関わることが少なかったために、小さなものを含めて実戦経験に極めて乏しい。

 なので、敵側が三割近い兵力の有利を過大に捉え、勝ち目を実際よりも高く見積もっていたとしても不思議はない。その判断を愚かだと言うのは、オクタヴィアンたちに気の毒な話だった。

 おそらく今頃、オクタヴィアンはひどく焦れている。焦りを募らせ、どうにか勝機を掴むべく考えを巡らせている。

 彼がそのような心理に追い込まれることも、こちらの策のうち。


「閣下。そろそろよろしいかと」

「そっか、それじゃあ……右翼は後退開始」


 参謀であるロベルトに促され、ウィリアムは新たに命令を発する。命令は右翼のアーガイル軍を指揮する騎士バーソロミューのもとへ届けられ、それから間もなくして、アーガイル軍はじわじわと下がり始める。

 最前面に立つ重装備の騎士たちが奮戦し、軍事訓練の経験を持つ任期制兵士や徴集兵たちがそれを支え、精鋭の弓兵部隊が後ろから援護し、全体が陣形を維持しながらの器用な後退。昨年の会戦の際にも勝敗に重要な影響をもたらした、明確な意図をもって行われるアーガイル軍の動きは、しかし焦燥を募らせる敵将オクタヴィアンの目には、おそらく兵力差に敗けて押し込まれているように映る。


・・・・・・


「閣下! 敵の右翼が我が軍に押し込まれていきます!」


 こちらから見て戦場の左側を指差し、歓喜を滲ませて言う参謀の隣で、オクタヴィアンもその戦況変化に気づいていた。敵右翼がこちらの左翼の攻勢に押され、後退していく様を眺めながら、その表情が明るくなった。

 両軍の各部隊が相対する中でも、最も彼我の戦力差が大きい戦場左側。そこで戦況が動くのは、当然と言えば当然のこと。なのでオクタヴィアンの内心に疑念は生まれない。


「ようやくか……だが、これで勝てる」


 勝てるはずだ。このまま敵右翼を押し込めば、そこから敵全体の陣形は崩れ、後は壊走する敵軍を追撃するだけでいい。半ば祈るように自分に言い聞かせながら、オクタヴィアンの手に自然と力がこもる。

 しかし、オクタヴィアンの予想、もとい希望に反して、敵右翼の後退は間もなく止まる。その場に踏みとどまり、再び戦況が膠着する。

 一度勝利の希望を見た上で、またもやじれったい戦況を見せられたことで、オクタヴィアンの焦燥はますます高まる。それは周囲に並ぶ側近や、陣営の同志である貴族たちも同じ。


「……予備軍を左翼に合流させる。未だ万全の状態にある彼らを最前面に出し、敵右翼への攻勢を強める」


 意を決してオクタヴィアンが言うと、参謀である領軍隊長が驚きを顔に表しながら振り向く。


「しかし閣下、予備軍とは本来、不測の事態に備えて本陣近くに残すべきものです。前に出してしまえば、いざというときの本陣の守りが……」

「分かっている。だが、今ここで戦力を出し惜しみして勝機を逃せば、我々に未来はない」


 落ち着いた声色で、しかし断固とした態度で、オクタヴィアンは領軍隊長に答えた。

 ヴァロワール家の陣営は、かなりの兵力をこの戦いに投じている。特にヴァロワール侯爵領からは、やや無理をして兵を集め、戦わせている。敗けることは許されない戦いだからこそ、それだけの動員を成した。

 もし途中で攻勢を諦めて退こうにも、徴集兵の割合の多いこちらは整然と退却することなどできない。敵軍の追撃を受け、壊滅的な損害を被ることになるだろう。そうなれば、おそらく再起は不能となる。ヴァロワール家の陣営は弱体化し、それどころか求心力の落ちたヴァロワール家が自前の陣営を維持することさえできなくなってもおかしくない。

 そうなれば、自分とリッカルダの結婚も叶わなくなる。


 既に少なからぬ損害が発生し、将兵たちは疲弊している。特に徴集兵たちは、もはやそう長く持たない。しかし、敵の右翼をもう一押しすれば、勝機を掴める可能性がある。

 であれば、このただひとつの勝機に賭けるしかない。未だ損耗も疲弊もしていない予備兵力、特に五百の正規軍人たちを切り札として、戦闘正面に投じるしかない。

 彼らが味方の隊列の間を抜けて無理やり前に出るとなれば陣形に多少の混乱もあるかもしれないが、それでも前に出ることさえできれば、こちらと同程度に疲弊した敵右翼の戦列を破壊し、そのまま押し込んでくれるはず。


「元より賭けと承知の上で始めた攻勢だ。ここで怖気づくことは許されない」

「……承知しました。それが閣下のご決断とあらば」


 領軍隊長も結局はオクタヴィアンの意思を受け入れ、予備軍を動かすよう命令を伝達する。

 総勢で一千の予備軍は、正規軍人が多いこともあり、比較的迅速に左翼の後方へ移動。死者が倒れ、負傷者が下がり、密度の多少薄くなった味方の隊列の間を縫って前に出ようとする。

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