第50話 本隊の戦い②
徐々に速度を上げての前進は最終的には突撃となり、両軍の中央、そして両翼がそれぞれ激突する。
正面においては、アルメリア侯爵領軍が中心となって、迫りくる敵徴集兵を蹴散らしていく。ミランダの予想通り、旧レスター派の敵軍は正規軍人が徴集兵を後ろから追い立てるかたちで攻めてきたが、まともな武器もなく農具を手に前進する民兵など、質の面では侯爵領軍将兵の敵ではなかった。大した損害もなく、敵を最前列からすり潰していく。
一方の両翼に関しては、油断ならない戦況。特に、レスター軍が中核を担う右翼側が危うい。丘を駆け下るかたちで突撃してきた王国軍の攻勢をどれだけ押さえていられるかは分からない。
さすがは元大貴族家の手勢と言うべきか、最前面に並ぶレスター公爵領軍は、精鋭である王国軍の猛攻によく耐えている。が、数の上では五百程度しかいない彼らの奮戦がいつまで続くか。
幸い、敵の騎兵部隊は動いていない。もし安易にこちらの右翼側面に迫れば、こちらの騎兵部隊がさらにその側面を突くことになるために。
しかし同じ理由で、こちらの騎兵部隊も安易に動かせない。両軍の騎兵部隊は、睨み合ったまま待機を続ける。こちらの右翼は、今のところ自力でレグリア軍の攻勢に耐えるしかない。
「……予備軍を右翼後方に寄せておけ。いつでも敵左翼との戦闘に臨めるよう備えさせろ」
こちらの陣形が崩れないまま、仕掛けてある策が効果を発揮することを願いながら、そうならなかった場合に備えてミランダは命令を下す。その命令は直ちに予備軍へと伝えられ、千五百の兵力が右翼後方に移動する。
・・・・・・
「……敵右翼はあっさり崩せると思ったが、案外堅いな」
第一王子派の軍勢、その左翼を担うレグリア軍の後方。丘の頂上に置かれた本陣から戦況を見守って呟くのは、全体を統括する最高指揮官オルランド・コッポラ伯爵だった。
レグリア王家に長年仕える武門の宮廷伯家の現当主。そのような肩書に対して、しかし彼自身に武人の迫力のようなものはあまりない。むしろ、やや痩せた体躯と輝きに欠ける瞳などは、くたびれた官僚の印象を見る者に与える。少し困ったような表情で頭をかく仕草も、その印象をさらに強くする。
軍人という仕事は自分に合っていないと、オルランドは考えている。コッポラ家の嫡男に生まれた以上は士官として王国軍に入るしかなかったが、気質としてはまったく軍人という柄ではないと未だに思っている。
それなのに、良くも悪くも器用な性格であるために、順当に出世していつの間にやら将軍などという地位に収まってしまった。大きな功績もない代わりに、特に失敗もなかったために、家格に引っ張られて将軍閣下などと呼ばれるようになった。
とはいえ王国軍の将たちの中では一貫して地味な立ち位置にあり、今回の王族同士の争いにおいても、王領内防衛という名目での後方待機を命じられていた。早く第一王女派が壊滅して終戦になってくれと思いながら粛々と軍務に臨んでいたら、突然に北への出撃を命じられ、そしてこんなところで会戦に臨んでいる。人生初の大規模会戦で指揮をとっている。
第一王子派に与したことについて、特に深い理由はない。ただ単に、優勢な派閥を無難に選んだだけのこと。宮廷や王国中央部にヴァロワール家の影響力が浸透していくことを嫌った第一王女派の気持ちは分からないでもないが、オルランドとしてはそうした政治思想が決断の動機となることはない。
関心事は家の保持と、自分や家族の安寧のみ。早く帰還して妻と子供たちに再会し、のんびりと休暇でも楽しみたい。そう思いながらも、仕事は仕事として真面目に臨んでいる。
「こちらも予備軍を左翼後方に移動させろ。前進と退却、いずれの命令にも迅速に対応できるよう備えさせておけ」
「……前進だけでなく、退却命令にも備えるようにですか?」
「ああ、頼んだぞ」
副官に言いながら、オルランドは戦場から視線を逸らさない。
南進してきたアルメリア家の陣営の軍勢を可能ならば撃破し、それが難しいようであれば足止めをする。東に進軍する第一王子派の主力が第一王女派を打倒してしまうまで、時間稼ぎに徹する。それが、オルランドがジュリアーノ第一王子より受けた命令。
なのでこの戦いでは、敵を攻めることはもちろんだが、押し勝てそうにない場合に余力を保って退却することも重要となる。
退却するとなれば、中央の旧レスター派の連中は捨て駒と割り切るとしても、その他の軍はなるべく無事なまま下がらせたい。特に、自分の直轄の兵力――すなわち左翼と予備軍中核を担うレグリア軍はできるだけ多くを退却させたい。
だからこそオルランドは、予備軍に退却の心構えもしっかりとさせておく。急な退却命令で予備軍が混乱し、左翼の退却の邪魔になるという最悪の事態を避けるために。
「さて、このまま押し切れるかな」
中央は徴集兵を前面に出して消耗戦力とし、敵中央の攻勢を押さえつつ、敵側より兵力で勝る両翼から敵陣を崩す。それがオルランドの考えた作戦だった。敵側に対する質の不利を部隊配置によって補うために、第一王子派として見れば政治的に最も価値の低い旧レスター派を使い潰すこのような策を立てた。
互いの騎兵部隊は、安易に動けない。おそらくはこのまま睨み合いつつ、退却あるいは追撃の際に味方を援護するような使われ方になるだろう。こちらの両翼が敵の両翼を撃破するのが早いか、あるいは敵の中央主力がこちらの脆弱な中央を食い破るのが早いか。いずれかのかたちで勝敗が決まる可能性が高い。
「……」
しかし、オルランドにはひとつ懸念事項がある。
敵の騎兵部隊は、見たところ総勢で七百騎ほど。リュクサンブール家の破壊騎兵もいることを考えると、予想よりも少ない。両翼の前衛を固める下馬騎士として多くを運用している可能性もあるが、奇襲のために別で部隊を動かしている可能性も同時にある。
自分の杞憂に終わればそれでいい。それに、他に敵部隊がいるとしても、奇襲を仕掛けるとすれば右手側の険しい丘陵を越えるしかないはずで、そんな真似はそうそうできるとは思えない。できたとしても小規模な部隊で強行するのが精一杯となり、そのような小勢の奇襲では効果は限定的だろう。
とはいえ、これ以上戦況を乱されたくはない。このまま大過なくこちらの両翼が勝利することを願いながら、オルランドが戦況を見ていたそのとき。
「閣下! 東の丘陵より、敵騎兵部隊と思わしき一団が現れました!」
「……どうして当たるのだろうな、嫌な予感というものは」
丘陵の方を監視していた騎士の報告を受け、オルランドは嘆息交じりに呟いた。
・・・・・・
戦場を迂回し、敵陣の側面を奇襲する。それが、ディートハルト・リュクサンブール伯爵率いる破壊騎兵たちにミランダが与えた任務だった。
直前まで敵に気づかれずに奇襲するとなれば、視界の開けている敵陣左翼側から攻めることはできない。敵陣右翼側の丘陵を越えて突撃する必要がある。
地形が複雑で起伏が大きく、森も点在する丘陵。本来は軍勢の通行を阻むからこそ戦場東側の壁として機能しているその中に、騎馬の集団が通り抜けられる経路を見出だし、実際に越えるのは難しい。しかしこの困難を、極めて練度の高い騎士である破壊騎兵たちは成し遂げてくれた。
この奇襲を実現するための準備は、本隊が集結を完了して動き出す前に始まっていた。
本隊の南進に先駆けて、リュクサンブール家の騎士の小部隊が偵察のために出動。戦場とするに適している平地の中に本隊が布陣すべき地点を定め、さらにはその東にある長大な丘陵の地形を調べ、丘陵を横断する経路をあらかじめ定めた。
ディートハルトは破壊騎兵のうち五百を引き連れ、南東方向に出撃。一方で本隊は予定通り南進し、事前偵察によって戦場と定められた平地で停止した。そこへ、北進してきた第一王子派の軍勢も到着した。
翌日には両軍とも布陣し、ここでもアルメリア家の陣営の本隊は計画に従って動いた。丘陵を越えてきた破壊騎兵たちの出現位置が、ちょうど敵陣の右側面あたりになるよう、自軍の布陣の位置を調整。その上で敵と激突した。
本隊の行動と並行して動き、事前偵察によって見出された経路を辿って丘陵を横断し、戦場に現れる予定となっていた五百の破壊騎兵。彼らは計画通りに丘陵横断を成し、本隊が陣形を維持しているうちに戦場に辿り着いてくれた。
「……さすがは破壊騎兵。味方となればこれ以上ないほどに心強い」
丘陵を覆う木々の陰から、リュクサンブール家の家紋旗を掲げて現れた騎士たちを眺め、ミランダは薄く笑む。
いくら事前偵察で経路を定めたとはいえ、その経路は、ひとまず騎馬の通行が不可能ではない……という程度のもの。決して通りやすい道ではない。起伏に富んだ地形を、森などを迂回しつつ集団で通過する苦労は相当のものであったはず。落伍者が多く出ていてもおかしくなかった。
しかし、破壊騎兵たちは概ねその兵力を保ったまま戦場に現れた。これも、彼らの高い技量があってこそ。
彼ら破壊騎兵がただ勇猛果敢な猪突を成すだけの存在ではなく、個々の騎士を見ても部隊として見ても極めて練度が高く器用であることを、実感をもって知っている者は未だ少ない。昨年の戦争で本陣から戦況を俯瞰していたミランダや、彼らの器用な立ち回りを間近で目撃したウィリアム・アーガイル伯爵などに限られる。
だからこそ、破壊騎兵たちの行動は奇襲として効果を発揮する。敵将も、こちらの騎兵部隊が険しい丘陵を越えて右側面に現れる可能性を、少なくとも高く見積もってはいなかったはず。現れるとしても、これほどの規模の部隊が迅速かつ整然と登場するとは予想していなかったに違いない。
ディートハルト率いる破壊騎兵たちは、丘陵を下る勢いを騎馬の重量に乗せながら徐々に横に広がり、敵右翼の右側面やや後方を目がけて突撃を開始する。
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