第45話 派閥争い
レグリア王国中央部における第一王子派と第一王女派の派閥争い。その始まりは、四人の王子王女たちの母――すなわち二人の王妃をヴィットーリオ・レグリア国王が迎えた頃に遡る。
大陸東部を統一した後も、レグリア王家の権力は弱く、王国の実態は王家を軸に四大貴族家と中小の貴族家が寄り集まった連合のようなもの。レグリア王家は君主家として敬意を表されてはいるものの、大陸東部の全体を絶対的に支配するだけの力は持ち得なかった。あくまでも、いわゆる五大名家のうち他の四家よりも権勢が頭ひとつ秀でているが故に、大陸東部の秩序を保つ上での盟主のような立場にいるに過ぎなかった。
大陸東部を統一してから三人目の国王となったヴィットーリオ・レグリアは、このようなレグリア王家の立ち位置を正しく理解していた。かろうじて保たれているレグリア王国の秩序にはいずれ綻びが生まれると分かっていたヴィットーリオは、その上で統一国家としてのレグリア王国を存続させるための備えを成すことを試みた。すなわち、譜代の家臣たちとのさらなる関係強化と、他勢力の取り込みを。
第一王妃は、ジェルミ辺境伯家から迎えられた。
前回の動乱の時代に東の隣国の侵攻を受け、反撃して逆に征服し、勢力圏を倍ほどまで広げたレグリア王家は、征服した隣国の一角を、武門の側近だったジェルミ家に下賜した。領主貴族となったことで力を増したジェルミ家は、旧来よりレグリア王家に忠誠を誓う譜代の貴族家をまとめる立場として、王家を支えてきた。
そのジェルミ家との結束をさらに強め、王家が譜代の貴族たちをこれからも重視するという姿勢を示し、既に存在する足場をより強固にするためにも、ヴィットーリオはジェルミ家の令嬢を最初の妃として王家に迎え入れた。
そして次の王妃は、ヴァロワール侯爵家から迎えられた。
レグリア王国の秩序が崩壊した際、王家の独力では再び大陸東部を統一することは難しい。しかし、四大貴族家のうちどこかと協力関係を築けば、それが叶う可能性が高まる。他家の手を借りることには王家としての威信を損なう不利益もあるが、次善の策ではある。
ヴァロワール侯爵家の勢力圏、すなわち旧ヴァロワール王国は、大陸東部をさらに東西に二分する小山脈の向こう側に位置する。小山脈を越える唯一の道は、細い回廊のみ。大軍が通過することは難しいため、レグリア王家とヴァロワール家が互いの勢力圏に侵攻することは難しい。故に、両家が全面的に敵対する可能性は低く、だからこそ手を結ぶ余地がある。
また、ヴァロワール家は四大貴族家の中では最も弱い。なので現在の大陸東部の秩序が崩壊すれば、名家の座から没落し、下手をすれば滅亡する可能性が最も高い。しかし王家と手を結び、最大勢力を成しておけば、秩序崩壊に伴う次の動乱において生き残る可能性が高まる。上手くいけば、他の大貴族家の力を上回って躍進することさえ叶う。
それ故に、ヴァロワール家もレグリア王家と接近する利益がある。たとえ第二だとしても、王家に妃を送り込むだけの利益が。
両家の思惑が一致した結果として、ヴァロワール家の令嬢がヴィットーリオのもとへ輿入れし、第二王妃となった。
ここまでは順調だった。概ねヴィットーリオの狙い通りとなった。
が、問題はここからだった。二人の王妃が決定的に対立した。
立場は上だが実家が格下の第一王妃と、立場は下だが実家が格上の第二王妃は、個人的な性格も合わなかった。周囲の努力も虚しく、その関係はこじれ続け、性格の不一致をこらえて政治的な付き合いをすることさえ難しくなるほどに険悪となった。
そしてヴィットーリオは、国王として不安定な統一国家を治めるだけの才覚はあっても、一家の主として家庭をまとめる才覚には欠けていた。
二人の王妃の対立は生まれた王子王女たちにも受け継がれ、第一王妃の子である第一王女ロゼッタと第二王子ファウスト、第二王妃の子である第一王子ジュリアーノと第二王女リッカルダは、生まれた時から異母兄弟を政敵として見るよう教え育てられた。物心がついたときには憎み合い、敵対し合っていた。
第一王妃の第一子が幼いうちに病没したために、第二王妃の子であるジュリアーノが存命の王子王女の中で最年長となったのも、不運なことだった。能力的にも申し分ない第一王子をヴィットーリオは王太子に任命せざるを得ず、王族内の力関係はより複雑に混乱した。
王妃と王子王女たちの対立は、宮廷に、さらには王領周辺にも波及。ジェルミ辺境伯家や、宮廷においてヴァロワール家の存在感が増していくことを快く思わない保守的な中央部貴族たちは、ロゼッタを次期君主とすべく第一王女派を結成した。一方で、ヴァロワール家との協力を厭わず、第一王女派を排除することで自家の相対的な躍進を成したい貴族たちは、ジュリアーノを次期君主とするための王太子派を結成した。
レグリア王国が一応の安定をなすのは、ヴィットーリオが生きている間だけ。彼が世を去れば、王位を継ぐジュリアーノはそれほど長く宮廷をまとめきれず、延いては王国をまとめきれない。やがて秩序は崩壊し、また動乱の時代が訪れるだろう。誰もがそう思っていた。
そうした予想は、さらに不運なかたちで裏切られることとなる。
ジュリアーノの王太子位が剥奪された。公式な理由としては、ジュリアーノが自身肝入りの国営事業である、海軍の大幅な増強を失敗させたこと。しかし、その失敗の原因が、第一王女派による妨害である可能性も噂された。
また、堅実だが保守的な治世を成すヴィットーリオと、革新を是とするジュリアーノの確執が深まっていたこと、第一王妃の子に王位継承権一位を与えたいとヴィットーリオが前々から考えていたことも、剥奪の理由になったのではないかと囁かれている。
ともかくジュリアーノは単なる第一王子へと戻され、後は頃合いを見計らい、ヴィットーリオがロゼッタに適当な実績を上げさせ、王太女に任命するのだろうと誰もが考えた。ところが不運はどこまでも続き、ヴィットーリオは突然に崩御した。
ジュリアーノが自らの父を暗殺したという噂も一部では囁かれる中で、第一王子派と第一王女派の対立は、ついに武力を伴う戦争に発展する。
初動が巧みだったジュリアーノたち第一王子派は、ロゼッタたち第一王女派を王都トリエステから追い出すことに成功。王領と王国軍のおよそ七割を手中に収めた。追い出された第一王女派は王領東部を押さえ、ピエトロ将軍と彼を慕う王国軍将兵、全体からの割合で見ればおよそ三割を味方につけた。
大陸東部の統一前からの古参レグリア王国貴族のうち、第一王女派に与した者は少なかった。譜代の貴族家は多くが第一王女派を選んだものの、領地を持たない宮廷貴族家が多いために、実戦力としては数えられない。領主貴族家のうち第一王女派に与したのは、ヴァロワール家を後ろ盾とするジュリアーノを嫌う保守派などに限られた。
残る大多数の貴族家は、優勢な第一王子派に与した。さらに、ジュリアーノとリッカルダの母方の実家であるヴァロワール家が、この第一王子派を全面的に支援した。
このままでは圧倒的に不利な第一王女派は、前回の動乱で征服された東の隣国に属していた貴族たち――敗者であるが故にこれまで王家から冷遇され、派閥争いからも距離を置いてきた貴族たちに接近した。第一王子派に勝利した後に厚遇するとロゼッタが約束し、彼らを味方につけることに成功した。
それでも、第一王子派の有利は覆らない。軍事力や経済力などを総合的に見ると、第一王子派と第一王女派の勢力規模は、およそ二対一と見られている。
規模的に不利な第一王女派の戦略は、ピエトロ将軍の巧みな指揮によって第一王子派の攻勢を凌ぎつつ、アルメリア家やレスター家、キルツェ家の陣営に味方として介入してもらうこと。この基本方針のもと、ロゼッタは大貴族たちに共闘を呼びかける親書を送ったが、アルメリア家もキルツェ家も乗ってはこなかった。レスター家は親書への返答を送ることなく没落してしまった。
そして、ピエトロ将軍が不幸な戦死を遂げる。もはやなりふり構っていられないロゼッタは、アルメリア家とキルツェ家に、今度は明確に助けを乞う親書を送った。王家でありながら大貴族たちに縋ることへの羞恥をこらえながら。
結果、ミランダ・アルメリア侯爵が乗ってきた。レスター家への勝利によって陣営の規模を倍増させたアルメリア家の参戦は、第一王女派にとって逆転勝利の起点となり得る。
この事態急変によって、レグリア王家の派閥争いは新たな局面を迎えようとしていた。




