第43話 モンテヴェルディ家②
「……とはいえ、脱出は容易なことではない。王都の商人たちは第一王子派に目をつけられることを恐れ、中立派貴族からは距離を置いていた。かといって、モンテヴェルディ家には独力で第一王子派の監視を潜り抜ける力はない。なので、ウェントワース商会のトリエステ支店長に秘密裏に接触し、手引きを頼めないか相談させてもらった。無理を承知での相談だったが、支店長は快諾してくれたよ」
「うちとしても、王都の情勢が急変すればいつでもトリエステ支店を閉めて逃げられるよう、支店長には準備をさせていたんです。元より商売のためというよりは、レグリア王国全体の情勢を掴むための情報収集拠点として置いていた小さな支店でしたから。王国が崩壊したとなれば、わざわざ支店を置き続ける必要性も低下していました」
エミリアーノに続いて、サマンサがそのように語る。
ウェントワース商会の商圏は、アーガイル伯爵領を中心に、南はアルメリア侯爵領やせいぜいバルネフェルト伯爵領のあたりまで。そして東はレスター公爵領まで。サマンサの言う通り、王領ではほとんど商売をしていないことは、ウィリアムも知っていた。
「レグリア王家から見れば、うちは今や仮想敵の陣営にいる貴族家の御用商会ですから。下手をすれば、商会員たちが諜報の容疑をかけられて危険に曝される可能性もあります。まあ実際に情報収集をしていますから、その記録を諜報の証拠だと言われれば、平民商人なんて簡単に処刑されるでしょう。ここ最近は他の勢力圏の商会に対する第一王子派の風当たりも強くなっていたので、ここらが逃げ時だと考えた支店長は、モンテヴェルディ家の皆さんをお連れしての王都脱出を決断したそうです」
ウェントワース商会のトリエステ支店に置かれていた正規の商会員は、支店長を含めて僅かに三人。支店長は自分たち三人と、商会が警備要員として抱えている数人の傭兵、モンテヴェルディ家の一族と側近格の家臣を含めた合計二十人ほどで、トリエステ脱出を決行したという。
急ぎ購入した数台の荷馬車に分乗し、別の商会に扮して城門を通過。その間、エミリアーノたちには荷台の奥で擬装用の積み荷の中に隠れてもらったという話だった。
「畏れ多くも、中古のワイン樽や飼料運搬用の木箱の中に入っていただいたそうで。あらためてお詫び申し上げると支店長が言っていました。商会長の立場としても、無礼な扱いにお詫びをお伝えさせてください」
「そんな、とんでもない。あのような状況だ、文句などあろうはずもないさ……貴重で珍しい体験だった。またしたいとは思わないが」
冗談めかしてエミリアーノが言うと、サマンサも、そしてウィリアムとジャスミンも小さく吹き出した。
「ともかく、そうしてウェントワース商会のおかげでトリエステ脱出には成功した。後はアーガイル伯爵領を目指すだけだと思っていたが……そこからもう一波乱あった。王国軍の追手の襲撃を受けて、命懸けの逃走劇をくり広げることになったよ」
そう言って、エミリアーノはまた息を吐く。
「匿っている貴族たちを捨て置けば逃がしてやる、というようなことを敵は言ってきたが、ウェントワース商会の人々は私たちを見捨てなかった。護衛の傭兵たちに加えて、支店長たちまでもが自衛用の剣を手に戦ってくれたよ。おかげで、立ちはだかった敵を突破して逃げることができた」
「モンテヴェルディ家の皆さんも、勇ましく戦われたとうちの支店長からは聞いていますよ」
「まあ、できるだけのことはしたさ。馬で追い縋ってくる王国軍騎士たちに向けて、自分たちが隠れるのに使った樽や木箱を荷台から投げ落としたんだ。妻や家臣たちと一緒にな。あんな荒事に臨むのは生まれて初めてのことだったから、正直に言って怖かったな」
そう語りながら、そのときの光景が脳裏に浮かんでいるのか、エミリアーノの手は少し震えていた。
「そんなに大変なことが……誰も欠けることなく危機を乗り越えられて本当によかったわ。私の家族を助けてくれたウェントワース商会には、どれほど感謝しても足りないくらい」
「そうだね。アーガイル家として、今回の恩は忘れないよ。逃避行で負った損害は補填するし、何かお礼もするからね」
「恐縮です。支店長にもお二人のお言葉を伝えておきます……ですが、損害補填以上のお礼はご不要ですよ。御用商会として主家のご信頼にお応えできたことが、何よりの喜びですので」
今後も御用商会として厚遇し、いつか何かで便宜を図るなどして借りを返してくれたらいい。サマンサはそう言っているのだと理解し、ウィリアムは笑みを作って頷いた。
「そうして王国軍騎士を振り切れば、後の行程は大過なかった。また騎士たちに追いつかれる前に王領を抜けられたからだろう。とはいえ、人目を避けるようにして見知らぬ地を進み続け、もう冬も近い中で連日野宿をするのは、都市生活しか知らない我々にとっては過酷な経験だった。私もそうだが、家族の心労は特に大きかったようだ。ウィリアム殿が迎えとして送ってくれた領軍騎士たちや、同行していた商会長殿と合流したときは、旅の終わりも近いと知って本当に安心したよ」
逃避行の光景を思い出しながら長い説明を終えて喉が渇いたのか、エミリアーノはそう言ってお茶をひと息に飲み干した。アイリーンが静かに動き、空いたカップに新たにお茶を注ぐ。
「こうしてフレゼリシアまで辿り着いた以上、もう安全です。何も心配なさらずに、自分たちの家だと思ってゆっくり過ごしてくださいね。本当に、モンテヴェルディ家の皆さんも家族だと僕は思ってますから」
「ありがとう、ウィリアム殿。心強い言葉だ……だが、このままでは我々モンテヴェルディ家は厄介な居候になってしまうな。正直に言うと、トリエステを遠く離れてアーガイル家に保護してもらえば、ひとまず身の安全だけは確保できるだろうと考えていたばかりでな。今後の計画は何もないんだ……そもそも、宮廷を捨てた私が、モンテヴェルディの家名と爵位を名乗り続けていいものかも分からない」
「大丈夫ですよ。そのあたりも、ジャスミンやうちの家臣たちと相談して、何かいい手を考えますから」
「とにかく、まずはゆっくり休息をとってくださいな、お兄様」
思い悩んでいる様子のエミリアーノに、ウィリアムとジャスミンはそう言葉をかけた。
・・・・・・
「わあ~、おっきいカメさん!」
「かわいいけど、ちょっと怖いね……」
「大丈夫よ、マクシミリアンは賢いから。乱暴なことをしなければ噛んだりしないわ。ほら、頭をそっと撫でてあげて」
翌日。フレゼリシア城の中庭。エミリアーノの子供たちがリクガメのマクシミリアンを見てはしゃぎ、ジャスミンが横からそう教えてやる。エミリアーノの妻である子爵夫人も、子供たちに手を引かれて怖々とマクシミリアンに近づく。
その傍ら、テラスではデリツィアが椅子に座り、まだ赤ん坊の孫キンバリーを抱きかかえてあやしている。テーブルを挟んで反対側にはエミリアーノが座り、お茶を飲んでくつろいでいる。
そうしてモンテヴェルディ一家がジャスミンと共に団欒している様を執務室の窓から眺め、ウィリアムは呟く。
「それで……どうしようかぁ」
「モンテヴェルディ家の爵位に関しては、アルメリア家に願い出れば引き続きアルメリア王国でも認めてもらえるでしょう。ですが、エミリアーノ殿の官僚としての立ち位置は……やはり、このままアーガイル伯爵領に残っていただくのは、アーガイル家とモンテヴェルディ家の双方にとってあまり幸福なことではないかと」
答えたのは、執務室の一角、応接席の椅子に座っている家令のエイダンだった。
「そうだよねぇ。代官職は埋まってるし、かといってフレゼリシア城にも義兄上の爵位と能力に見合う仕事は残ってないし……」
窓際から離れたウィリアムは、テーブルを挟んでエイダンの向かい側に座りながら言う。
アーガイル伯爵領にはフレゼリシアの他にも三つの都市があるが、いずれの代官職も、もう何世代も前に代官に任命された家臣の一族が世襲のようなかたちで務めている。代官たちの仕事ぶりは何ら問題ない。それなのに、当代当主の義理の兄が引っ越してきたから譲れと言って罷免するわけにもいかない。
そして領地運営の中枢たるフレゼリシア城にも、大国の宮廷で上級官僚の立場にいたエミリアーノに任せられるような仕事はない。エイダンの下で徴税や外交、領都運営、鉱山運営、農業など各部門をまとめている家臣たちから役職を奪うわけにはいかず、かといって子爵であるエミリアーノに閑職を渡すわけにもいかない。城内には確実にぎくしゃくとした空気が漂うことになるであろうし、そうなればエミリアーノやモンテヴェルディ家の人々としても居心地がいいはずもない。
「となると、やっぱりアルメリア家に行ってもらうのがいいかな?」
「それが最善かと存じます。実現すれば、宮廷内に近しい姻戚の伝手がある、という状況がアルメリア王国においても維持されることとなりますので。アーガイル家は他家に後れを取らずに済みますし、モンテヴェルディ家としてもこれまでと変わらない立場を得られれば、それに越したことはないでしょう」
大陸東部の北側全域を支配下に収め、かつてよりも大きなアルメリア王国を築こうとしているアルメリア家には、官僚を増やす余地がある。レスター家より割譲された新領地を統治するために多くの重臣を送り込んでいることもあり、むしろ官僚を増やさなければこの先行き詰まる。
なので陣営の貴族たちは、ミランダのもとに継嗣以外の子女や兄弟、その他の親族などを官僚として差し出し、再興されるアルメリア王国の宮廷内に今のうちから伝手を作ろうとしている。しかし近しい親族の人手がないウィリアムは、この点で出遅れていた。
モンテヴェルディ家がアルメリア家に迎えられ、アルメリア王国においても宮廷貴族となることができれば、この問題も解決する。アーガイル家は引き続き宮廷内に強力な伝手を持った状態を保ち、モンテヴェルディ家はこれまで通りの地位を維持できる。さらに言えば、大国の内務大臣の側近として働いた経験を持つエミリアーノを新たに家臣として迎えれば、有能な上級官僚が特に不足しているアルメリア家にとっても大きな利益となる。
「それじゃあ、その前提で義兄上には僕とジャスミンから相談してみるよ。エイダンは、アルメリア家に打診する手はずを整えてもらっていい? 義兄上の承諾をもらい次第、僕がレアンドラに出向いてミランダ様に直接お願いしようかなぁ」
「承知いたしました。移動のご用意と、アルメリア家に先触れの書簡を送る準備を整えておきましょう」
ウィリアムの指示に、エイダンは頷きながらそう答えた。




