第42話 モンテヴェルディ家①
産後は体力回復のために休養していたジャスミンも政務に復帰し、乳母やメイドたちに世話をされているキンバリーも順調に成長し、領地運営も大過なく行われていた十一月の中旬。
アーガイル伯爵領に、ジャスミンの実家――すなわち、宮廷貴族モンテヴェルディ子爵家の一行がやって来た。より正確に言うと、逃げ込んできた。
フレゼリシア城に到着したのは、アーガイル伯爵領軍の騎士たちに警護された数台の荷馬車。そのうち二台に分乗していたらしいモンテヴェルディ家の人々が下車する。
「お母様! お兄様!」
ウィリアムと共に一同を出迎えたジャスミンが、先代子爵夫人である母と、当代子爵である兄を呼びながら駆け寄る。肉親である二人と、義理の姉である子爵夫人や甥姪たちと抱き合い、無事の到着を喜ぶ。
「エミリアーノ殿。デリツィア様。そしてご家族の皆さんも、ご無事で何よりですぅ」
ジャスミンと家族の再会が一段落した頃、ウィリアムも歩み寄り、義兄エミリアーノ・モンテヴェルディ子爵と義母デリツィア・モンテヴェルディに言葉をかける。
「ウィリアム殿。急に一家全員で押しかけて申し訳ない」
「保護していただいて、本当に何とお礼を言えばいいか……」
「いえいえそんな。ジャスミンの家族は僕にとっても家族ですから、どうかお気になさらず。まずはゆっくり休んでください」
そう言葉をかけた後、ウィリアムは彼らをここまで案内してくれた人物――アーガイル家の御用商人のもとへ歩み寄る。
「サマンサ、ご苦労さま。色々とありがとうねぇ」
「恐縮です、閣下。お役に立てて何よりですよ」
ウィリアムに答えたのは、アーガイル伯爵領において最大手のウェントワース商会を経営するサマンサ。三十代後半の彼女は、赤毛の髪を女性にしては短く揃え、快活な印象通りの性格。御用商人として、アーガイル家とは共存共栄の関係にある。
宮廷社会での立場の悪化に伴い、モンテヴェルディ家は姻戚であるアーガイル家のもとへ避難することを決意。ウェントワース商会は王都トリエステにも支店を開いており、エミリアーノはそこを頼った。
結果としてウェントワース商会も王都支店を放棄し、モンテヴェルディ家と共に王都を脱出。苦難の多い逃避行だったようで、彼らの到着の先触れがフレゼリシアに届いたのは数日前だった。ウィリアムは急ぎ領軍騎士たちを案内と警護のために送り出し、サマンサも支店の商会員たちを自ら迎えるため、警護隊の輜重運搬を兼ねて商会の荷馬車隊を出してくれた。
サマンサたちと合流したエミリアーノたちは無事にフレゼリシアに辿り着き、今に至る。
「今日の夜に、義兄上から詳しい事情を教えてもらうつもりだけど、そのときにサマンサも同席できる?」
「ええ、もちろん。こちらも夜までに支店長から詳細を聞いておきますね」
「悪いけど、よろしくねぇ」
サマンサに言い、ウィリアムは再びエミリアーノたちに歩み寄る。夜に義兄から報告を受けるとしても、まずは大変な逃避行を終えた彼らをもてなし、休んでもらわなければならない。
・・・・・・
そして、その日の夕食後。ウィリアムはエミリアーノとサマンサを応接室に招き、モンテヴェルディ家とウェントワース商会が王都から逃げてきた詳細の説明を受ける。
「では、まずは私から、ウェントワース商会を頼った経緯を」
エミリアーノとサマンサ、ウィリアムとその隣に座るジャスミンの分のお茶がアイリーンの手で淹れられ、彼女が領主夫妻の後ろに控えた後、エミリアーノが口を開く。
「昨年の後半から今年にかけての王都における、中立派宮廷貴族の扱いについては、ウィリアム殿も知っているか?」
「はい。義兄上から送っていただいた書簡を読んでいたので、おおよそのところは理解してます」
エミリアーノの言葉に、ウィリアムは首肯する。
王家と宮廷貴族、王領周辺の領主貴族をも巻き込んだ、第一王子と第一王女それぞれの派閥の対立。昨年の秋頃からはより苛烈になったこの派閥争いにおいて、ここまで常に優勢の状態にあるのが、第一王子派。
第一王子の率いるこの派閥が王都を含む王領の過半を支配しており、対する第一王女派は、面積にして王領のおよそ三分の一ほど、東部の一帯を勢力圏としている。第一王子派は小山脈を挟んで西にいるヴァロワール侯爵家と手を結び、第一王女派は王国東端のジェルミ辺境伯家を後ろ盾としている。
今年に入ってからは武力衝突も始まり、内戦と化したこの派閥争いにおいて、しかし少数の宮廷貴族たちは中立派として静観を保ってきた。モンテヴェルディ家も、そんな中立派貴族家のひとつだった。
中立派の多くは、王領の統治において地味だが必要不可欠な実務を担っている者たち。だからこそ、王都を掌握する第一王子派も攻撃することはしなかった。
当代モンテヴェルディ子爵であるエミリアーノも、その例に漏れなかった。彼は王領の行政実務を統括する内務大臣の下で上級官僚として仕事をしてきたが、これまでの内務大臣は第一王女派であり、第一王女と共に王都から逃走済み。代わって内務大臣職を得た第一王子派の貴族は当然ながら仕事に不慣れであり、しかし王領の行政が揺らげば第一王子派の足元が不安定になる。
そのため、内務大臣を支えるエミリアーノのような中立派貴族たちは欠かせない存在。故に、立場の曖昧な中立派のままでい続けることを許された。
とはいえ、明確に第一王子派に与するよう勧誘はされており、その圧力は日に日に高まり、エミリアーノとしては居心地の悪い状況が続いていた。それが、ウィリアムがこれまで聞いていた現状だった。
「状況が大きく変わったのは、少し前のことだ。第一王女派の切り札となっていた、ピエトロ・ジェルミ子爵が戦死したという報が、トリエステまで届いた。戦傷を負ってしばらく経った後、回復が叶わず没したそうだ。第一王女派はこの件の秘匿を試みたようだが、さすがに高名な将軍の死を隠し通すことはできなかったらしい」
「そうだったんですか……ピエトロ将軍がいないとなると、第一王女派の勝利は絶望的になりますねぇ」
ピエトロ・ジェルミ子爵は、現代のレグリア王国軍を象徴する将軍。武門の宮廷貴族で、南の国境地帯において何度か隣国と交戦し、いずれも勝利を収めている。敵軍を撃退しつつ味方の損害を極めて低く抑える用兵で知られ、智将と呼ばれてきた。
ジェルミ子爵家は貴族家としての歴史は短く、ピエトロ将軍の父の代にジェルミ辺境伯家から分かれ、興された。そのため、第一王女派の後ろ盾である当代ジェルミ辺境伯や、ジェルミ辺境伯家より王家に嫁いだ第一王妃は、ピエトロ将軍の従兄弟にあたる。だからこそピエトロ将軍も、第一王妃の娘である第一王女の派閥についていた。
形勢的には明らかに不利である第一王女派に王国軍のおよそ三割が与したのも、おそらくはピエトロ将軍を慕って付き従う王国軍将兵が少なくなかったため。そして、軍事力においては第一王子派の二分の一程度と見られている第一王女派が何度かの大規模戦闘を乗り越え、今年を持ちこたえることができたのも、ピエトロ将軍の巧みな用兵があったからこそだと言われている。
軍事における要であったピエトロ将軍を失ったとなれば、第一王女派にはもはや勝ち目はない。少なくとも、正攻法では勝ち得ない。
「ああ。おそらくは第一王子派もそのように考え、派閥争いの終結は近いと判断したのだろう……もはや遠慮することなく、中立派貴族の粛清を開始した。自発的に第一王子派に与しなかったことへの報復として、爵位と役職、財産までをも没収し始めた。おそらくは、今まで中立派貴族たちのいた役職に、元より第一王子派にいた貴族たちが収まるためだろう。我々の役職は派閥争いの褒美ではなく、王国社会の秩序を維持するためのものだというのに……」
エミリアーノは語りながら、その表情が悔しげに歪む。
「こうした屈辱的な扱いに抗議した中立派貴族などは、もっと悲惨なことになった。次期国王への不服従を理由に、一族揃って公開処刑だ」
「……でも、まだ勝利も確定してないのに中立派の粛清を開始するなんて、第一王子派も随分と気が早いですねぇ」
血生臭い話にしばし絶句した後、ウィリアムは言う。
第一王子は人格的にはやや難があるが、聡明な人物として知られている。派閥争いを制する前に中立派の粛清を焦れば、結果として王領の運営が滞り、足元が不安定になる可能性もあると理解していないはずがない。にもかかわらず第一王子派が行動に出たというのは不自然だった。
「私もそう思ったが、おそらく第一王子も、派閥の貴族たちから突き上げを食らったのだろう。中立派にいつまでも甘い顔をするな、早く自分たちに良い役職を寄越せとな」
険しい表情のまま、エミリアーノは語った。主家の第一王子に敬称をつけないことから、義兄はもはやレグリア王国宮廷貴族として振る舞う意思がないのだとウィリアムにも分かった。
「苛烈な粛清の様を見て、逃げ出す中立派貴族も多かった。ベッカロッシ子爵家もそのひとつだ。ベッカロッシ卿は家族と共に、持てるだけの財産を持ってトリエステを脱出したらしい」
「それはまた……彼女が無事であることを心から祈ります」
「ああ、私もだ。捕まっていれば見せしめのために公開処刑されるだろうから、そうなっていないということは、無事に逃げられたのだと思うが」
ベッカロッシ子爵はウィリアムの父である先代アーガイル伯爵ジルベールの知人で、彼女がモンテヴェルディ家にアーガイル家を紹介してくれたからこそ、ウィリアムとジャスミンの縁談が成立した。
「王領の行政実務を支える上で、私の仕事は重要だ。だからこそ第一王子派もモンテヴェルディ家への報復は後回しにしていたのだろうが、このままでは屋敷に王国軍が踏み込んでくるのも時間の問題だと私は考えた。立場と財産を奪われて没落するだけならばまだいいが、何かの拍子に、あるいは第一王子派の気まぐれで、家族に危害を加えられないとも限らない。なので私も最終的には、立場を捨ててトリエステを出ることを決意した」
エミリアーノはそこで一度言葉を切り、深く息を吐く。




