第28話 開戦(戦場地図掲載)
布陣の完了は、アルメリア家の陣営の方が早かった。レスター家の陣営に先んじて前進を開始したアルメリア家の陣営の軍勢は、あらかじめ戦場と定めていた平原の西側、右手に森を置く位置で停止した。この位置ならば、練度にばらつきがあり、統率に難のある右翼の諸貴族軍が、側面攻撃を受ける心配なく戦うことが叶う。
右翼の諸貴族軍は正面を、左翼のアーガイル軍は正面と左側面をそれぞれ守りながら、持ち場に踏みとどまる。そしてアルメリア軍を中心とした中央の主力が、敵側の中央――斥候の報告によるとレスター軍が中心となっているらしい軍勢を撃破し、そのまま中央突破によって勝利を確定させる。それが、こちらの大まかな作戦だった。
アルメリア家の陣営の軍勢が待ち構えているところへ、遅れて布陣を終えたレスター家の陣営の軍勢も進軍してくる。
敵側の総大将には、陣営の盟主であるクリフォード・レスター公爵が自ら立っている。軍勢の規模で言えばほぼ同数。そして、おそらく作戦も似たようなもの。
中央には、斥候の報告通りレスター軍を中核とした、主力と思われる軍勢がおよそ六千五百。そしてアーガイル軍と対峙する右翼側には、いくつかの中規模貴族家の軍が集まった総勢三千ほどの部隊がいる。
左翼側には、小貴族家の軍の連合部隊と思われるおよそ三千。それら各軍の後ろに予備兵力が二千と、さらに後ろにクリフォードのいる本陣。
そして、最右翼に位置し、おそらくはアーガイル軍を側面攻撃で撃破するつもりであろう騎兵部隊――リュクサンブール伯爵領軍の名高い「破壊騎兵」をはじめとした一千二百ほど。
両軍の違いとしては、こちらの軍勢は左翼が防御に特化している。そして敵側は、リュクサンブール伯爵領軍を擁するおかげで騎兵部隊の規模がやや大きい。
それ以外はほとんど鏡映しのような陣形で睨み合う、二つの軍勢。両軍合わせて三万を超える将兵が並ぶ様を――小高い丘に置かれた本陣より、ミランダ・アルメリア侯爵は見渡していた。
「やはり敵は、破壊騎兵を作戦の要としてくるか……リクガメの守りが噂通りに硬いことを祈るとしよう」
主の呟きに、彼女の周囲を囲む参謀や直衛の騎士たちが薄く笑む。
両軍とも、何十という貴族家の軍の集合体。おまけにその多くは徴集兵であり、あまり複雑な動きはできない。正面からぶつかり合い、基本的には力押しで戦うことになるだろう。ミランダとしては、精強なアルメリア侯爵領軍を中核に置いたこちらの中央は、レスター公領軍を中核としているであろう敵側の中央よりも強いという自負がある。まともに殴り合えば、いずれ敵の中央を突破し、勝利を収めるだろうと。
おそらくは敵の総大将クリフォードも、そのように予想している。だからこそ敵側は、破壊騎兵を軸とした騎兵部隊でこちらの左翼を撃破し、その後に中央の左側面にも攻撃を仕掛け、こちらの陣形全体を崩壊させようとしてくるはず。
すなわち、こちらの陣形の左翼を担うアーガイル軍が、こちらの騎兵部隊とも連携しながら敵騎兵部隊の攻撃を凌ぎきれるか否か。前回の動乱の時代に「リクガメの守り」と評された堅牢さを、今のアーガイル軍も維持しているか否か。それが勝敗を左右する重要な要素となるだろう。
将来の軍学の教科書に載りそうな、お手本のような会戦の構図。その様を前に――ミランダは周囲に聞こえないよう、独り言ちる。
「……ようやく、第一歩を踏み出せる」
本当は、今もアルメリア王国が存続しているはずだった。レグリア王国が大陸東部を統一することはできず、各国が並び立つ時代が続くはずだった。
しかし、現実は違う。全てはレスター家の裏切りによる結果。レスター家のせいで、アルメリア王国は独立を失い、アルメリア家は一国の君主ではなくなった。祖父は王位を失い、そして父は、ついに王となることができないまま生涯を終えた。
自分はそうはならない。歴史の中に埋もれようとしている故国を取り戻す。アルメリア王国を再興して父の無念を晴らし、この頭上に王冠を戴く。継嗣フェルナンドに、そして孫やその先の子孫たちに、王座を遺す。
そのために、まずは今日、ここで勝利を成す。歴史に刻まれる大勝利を。この日からアルメリア王国の再興が始まったのだと、後世で語られるような偉大な勝利を掴み取る。
「手はず通りに進めろ。まずは敵側に使者を送れ」
ミランダの命令で、使者の証として白旗を掲げた騎士が敵陣に向かう。
・・・・・・
「……では、リュクサンブール卿。どうかよろしく頼む」
「はっ。ご期待に応えるため、死力を尽くしてまいります」
レスター家の陣営の軍勢、その最後方の緩やかな丘に置かれた本陣。クリフォードが言葉をかけると、開戦を前に本陣を訪れていたリュクサンブール伯爵ディートハルトは厳かに答えた。
良馬の産地として知られ、およそ十五万の領地人口に対して一千の騎士を抱えるリュクサンブール伯爵領。その現在の主であるディートハルトは、いかにも武人らしい気質の人物として知られている。
レグリア王国南端の国境紛争に自ら軍を率いて複数回参戦し、レスター公爵家に雇われて寒冷地帯の部族との戦いに臨む際もやはり自ら軍を率い、これまで何度も実戦を経験している。「破壊騎兵」と称される領軍騎士たちの先頭に立って戦う彼の顔にはひどく目立つ戦傷の跡があり、およそ現代の貴族とは思えない迫力のある容貌。
華やかな社交の場では場違いな存在感を放つ彼だが、味方として戦ってくれるとなれば非常に頼もしい。陣形最右翼の騎兵部隊のもとへ戻るディートハルトの背を見送ったクリフォードは、再び前に向き直り、戦場を俯瞰する。
両軍とも、そう複雑な動きはできず真正面からぶつかり合うことになるだろう。そうなれば、おそらくこちらの中央は、敵中央を押さえきれない。レスター公爵領軍は決して弱軍ではないが、勇壮なミランダ・アルメリア侯爵のもとで鍛え上げられたアルメリア侯爵領軍にはやや劣ると見られる。そして中央に配置された領軍の数で考えても、おそらく敵側が多い。正規軍人の質でも量でも勝る敵中央は、いずれこちらの中央を突破し、こちらの陣形を真っ二つに破壊するだろう。
だからこそ、こちらは敵左翼の撃破を狙う。こちらの右翼が敵左翼に正面から攻勢を仕掛け、そして側面からは、リュクサンブール伯爵領軍の破壊騎兵を中核とした騎兵部隊が突撃する。敵左翼を担うアーガイル軍の防御――前回の動乱の時代にも名を馳せた「リクガメの守り」を、二方向からの攻撃で打ち破る。敵左翼が壊走に追い込まれた後、がら空きとなった敵中央の左側面へと破壊騎兵がさらなる突撃を仕掛け、そして敵の陣形全体を崩壊させる。
他にも策はあるが、ひとまずはこれがレスター家の陣営として目指す勝ち筋だった。
「……」
クリフォードは敵左翼、アーガイル軍に視線を向ける。その陣形の中央には、数十騎の騎士。歩兵と弓兵の中間という中途半端な位置で、戦術的な意味があるとは思えないので、おそらくウィリアム・アーガイル伯爵当人がそこに立ち、親衛隊に囲まれているのだろう。過去のアーガイル伯爵たちもそうしてきたというが、自ら陣形中央に立つとは見上げた勇気と言える。
彼とは友人だった。いや、クリフォード自身は今も友人だと思っている。が、個人的な友好の前に政治が来るのは貴族社会ではよくある話。こちらの作戦が上手くいけばおそらくウィリアムは死ぬが、レスター家と敵対し、あの危険な位置に立つと決断したのが他ならぬ彼自身なのだから仕方がない。
戦場を見渡したクリフォードは、騎乗している愛馬の首を撫でる。
「どうだ、クローイ。お前から見ても壮観な眺めだろう」
主の呼びかけに、クローイと呼ばれた美しい白馬は小さく嘶く。
「ははは、そうか。人が多くて少し怖いか……大丈夫だ。クリスティアナが天国から私たちを見守っている。彼女の加護があれば、我が軍は必ず勝利する」
クローイは妻の忘れ形見だった。もう十年近くも前に病で死んだ妻が、死後も夫が自分を思い出すきっかけになるようにと、死の直前に自ら選び贈ってくれた馬だった。
彼女が名をつけたこの愛馬と共にいれば、クリフォードは妻のいなくなったこの世界でも、彼女の愛を感じることができる。今も彼女が自分を見守っているのだと思うことができる。レスター家とその権勢を存続させるための戦争を前にしても、こうして落ち着きを保っていられる。
愛馬との会話を終え、クリフォードは周囲に控える側近たちの方を向く。
「各軍、戦闘用意はいいな? では、敵側に使者を送ってくれ……まずは降伏勧告だ」
クリフォードの命令で、使者の証として白旗を掲げた騎士が敵陣に向かう。
・・・・・・
東部統一暦九八五年、五月の上旬。マスグレイヴ伯爵領内の平原。対峙したアルメリア侯爵家の陣営とレスター公爵家の陣営は、それぞれ相手側に降伏勧告を行った。
直ちに軍を引き、陣営の盟主たるレスター家はアルメリア家に全面降伏し、講和に応じること。その他の貴族家は、アルメリア家への臣従を誓うこと。ミランダはそのような要求を突きつけ、クリフォードの側からも同じような要求が突きつけられた。
当然、両者が敵側の勧告に応じるはずもなく、交渉は決裂。両軍は戦いに臨むこととなる。
全軍前進。正面の敵部隊を攻撃せよ。総大将からの命令が、両軍の中央、右翼、左翼にそれぞれ伝えられる。
「それじゃあ皆、頼んだよぉ~」
アルメリア家の陣営、その軍勢の左翼。アーガイル軍の陣形の中心でウィリアムが馬上から呼びかけると、将兵たちは笑い交じりに、そして威勢よく応じた。
領主貴族はよく、家や領地の父あるいは母に例えられる。が、ウィリアムの場合、その若さや普段の振る舞いもあり、家臣や領民たちからは、むしろ弟や息子のように見られている。一般的なかたちとは違えど、ウィリアムが皆の敬愛を集め、領主としてアーガイル伯爵領の社会の柱となっていることは変わらない。
そんなウィリアムが陣形の中央に立ち、共に戦いに臨もうとしている。この事実は将兵たちの士気を大いに高める。敬愛する領主が自分たちの戦いを見守っており、自分たちと死の危険を共有しており、自分たちが総崩れになれば彼が大きな危険にさらされてしまうからこそ、将兵たちはより一層意気込んで戦いに臨む。
「閣下。よろしゅうございますか?」
「うん、総員前進で」
「承知しました。では……アーガイル軍、総員前進!」
領軍隊長ロベルトの号令の下、ウィリアムを囲みながら、アーガイル軍は前進を開始する。
同時に中央の主力、そして右翼の諸貴族軍も、それぞれ前進していく。アルメリア家の陣営、総勢一六〇〇〇の軍勢は、足並みを揃えて進みながら、それぞれ正面の敵部隊との距離を縮める。
前進の終盤は全速力での突撃となり、そしてついに、両軍は接触する。対峙した各軍が白兵戦に突入する。
「死んでも敵の突破を許すな! 俺たちはアーガイル伯爵領軍騎士だ!」
「「「応!」」」
アーガイル軍の先頭集団、横隊を組んだ領軍の下馬騎士たちは、最前列の中央に立つ騎士バーソロミューの呼びかけに威勢よく応え、それぞれの得物――剣や戦斧が多いが、ハルバードやモーニングスターなどもある――を振り上げながら敵の隊列と激突した。
全身を鎧で覆った重装備の下馬騎士たち。その後ろには任期制兵士や、軍隊経験を持ち再訓練も積んだ徴集兵たち。アーガイル軍の重厚な戦列は、対峙する敵右翼の攻勢に対して鉄壁の守りを見せる。敵の前進を容易く阻み、しかし徒に進撃して無謀な突出をすることはなく、持ち場を堅守して陣形を保つ。
騎士の振るった剣が、軽装の敵兵の胴を肩口から胸まで叩き斬る。別の騎士の振るった戦斧が、その正面にいた敵兵の顔面を砕く。
一方で敵の攻撃は、先頭を担う騎士たちの鎧に阻まれてなかなか通らない。騎士たちは敵の刃を自身の武器や鎧で受け流し、ときには体当たりで跳ね返す。そうして敵兵が騎士への対処に難儀している隙を突き、騎士の隊列の隙間を埋める兵士たちが槍による攻撃をくり出す。
敵側にも下馬騎士をはじめ重装備の者はいるが、その数は多くない。騎士の多くを騎兵部隊に回しているためか、比較的軽装の歩兵や、さらに貧弱な装備の徴集兵が大半を占めている。アーガイル軍に有利な状態で、最前面の戦況は安定する。
陣形の後衛、弓兵部隊による援護も、戦況の安定に寄与する。これまで訓練に明け暮れ、腕を磨いてきたアーガイル伯爵領軍の弓兵、総勢二五〇は、味方の頭上を飛び越える曲射をまさしく矢継ぎ早にくり出し、敵を牽制する。
敵側からも矢は飛んでくるが、兵数でも技量でも劣るのであろう敵弓兵の矢は、その数も、密度も、飛距離も、明らかにこちらに及ばない。敵の矢のほとんどはこちらの前衛を目がけて降っており、中央や後衛まで届く矢はさらに数が少ない。
とはいえ飛んでくるのは事実であり、ウィリアムの至近にも時おり矢が落下する。足が触れ合うほどの距離までギルバートが近づき、もし矢が主のもとへ飛来すれば盾で防げるよう、場合によっては身を盾にできるよう身構える。
「ひ、ひえぇ……」
とうとう始まってしまった。ウィリアムはそう思いながら、本物の殺し合いの光景に慄き、表情を強張らせる。自分が流れ矢などに当たらないことを、そして自軍が勝利を掴むことを願う。




