第27話 ここに立つしかない
翌朝。アルメリア家とその同志たる貴族家の軍は、布陣を開始した。
一万を優に超える大軍の布陣ともなれば、相応の時間を要する。徐々に将兵が並び、少しずつ陣形が形作られていく。時を同じくしてレスター家の陣営も布陣を進めていることが、斥候により報告される。
アルメリア家の陣営の軍勢は、この先にある平原で右側面を森に守られるように位置取り、進軍してくるレスター家の陣営の軍勢を迎え撃つ予定。
最大の激戦区となるであろう中央を担うのは、アルメリア軍を中核にハイアット軍やバルネフェルト軍などを含めた主力、およそ七千。
右翼側には、諸貴族家の軍、総勢で三千ほど。指揮系統も練度も軍ごとに異なり、まとまった戦力として動くことが難しいため、重要度のやや低いこの位置にまとめて置かれている。
そして、後方にアルメリア軍が二千五百。これは予想外の事態が起こった場合に本陣を守る予備軍を担う。明言はされていないが、もし裏切りに走る貴族家の軍があった場合に殲滅する督戦の役割も帯びているのだろうと、ウィリアムを含む多くの貴族が推測している。
予備軍のさらに後ろ、最後方には総大将ミランダの立つ本陣と、その直衛。そして本陣直轄の別動隊として、アルメリア侯爵領軍の騎士を中心に編成された総勢八百騎の騎兵部隊。この指揮はミランダの嫡男であるフェルナンド・アルメリアが務める。
最後に、単独の貴族家の軍としてはアルメリア軍に次ぐ規模を誇り、左翼を担うアーガイル軍、総勢およそ二千五百。「リクガメの守り」と評される堅牢さを活かし、主力の側面を守る。
複数の貴族家の軍が交ざり合うために、布陣により時間がかかる中央や右翼をよそに、アーガイル軍は迅速に布陣を終える。その実務指揮を担う領軍隊長ロベルトは、ウィリアムに代わって布陣の完了を総大将ミランダに伝えるため、後方の本陣を訪れた。
「承知した。さすがは強兵揃いのアーガイル軍。布陣も早いな」
「恐縮にございます、閣下」
「戦いにおいても頼りにしている。よろしく頼むぞ」
「はっ。我が主にお伝えいたします」
一礼してミランダに答えたロベルトは、本陣を去り、自軍のもとへ戻ろうとする。その途中で、アーガイル軍と連係して戦うことになるであろう騎兵部隊のもとへ寄り、部隊を率いるフェルナンド・アルメリアにも挨拶をする。
「アーガイル伯爵領軍隊長、騎士ロベルトと申します。此度の戦いにおいて、戦場の同じ方面で共に戦う騎兵部隊を勇壮で知られるフェルナンド様が率いられることは、誠に心強い限り。あらためて何卒よろしくお願い申し上げます」
「丁寧な挨拶に感謝する。こちらも全力を尽くす故、アーガイル軍にも奮戦してもらいたい……待て、名前はロベルトと言ったな?」
ロベルトの挨拶に答えたフェルナンドは、そこで何かを思い出したような顔になる。
「十五年ほど前に、トリエステで開かれた馬上槍試合の大会。あれで優勝を果たしたアーガイル伯爵領軍の騎士ロベルトとは、もしや卿のことか?」
「……これはこれは、懐かしいお話を。確かに、私は今より十七年前の大会にアーガイル伯爵領軍の代表として出場し、優勝いたしました」
ロベルトは笑顔を作り、フェルナンドの問いに首肯する。
「やはりそうか。あの大会、私も見ていた。卿の戦いぶりは見事だった。あのような強き騎士になりたいと、幼かった私は憧れたものだ。あの日の卿の勇ましい姿は、私が理想とする騎士像の原点のひとつだ」
「なんと、アルメリア家のご嫡男であらせられるフェルナンド様より、そのような憧憬をいただいていたとは。騎士として誠に大きな光栄と存じます」
今回の出征において、ウィリアムの参謀として軍議でも後ろに控えていたロベルトは、しかし名乗る機会どころか発言の機会もほぼなかった。この場での名乗りを聞いて初めて、フェルナンドはアーガイル伯爵領軍の隊長がかつての憧れの騎士だと気づいたらしかった。
「あの日憧れた騎士と共に戦えるとは、私こそ光栄だ……なるほど、卿がアーガイル軍の実質的な指揮をとるのか。それで、アーガイル卿はどちらに? 本陣には姿が見えなかったようだが、もしや後方の野営地に?」
そう尋ねるフェルナンドの声は、それまでと変わらないように見せてはいたが、ロベルトはそこに僅かな嘲りの色を感じ取った。主ウィリアムに対する、戦いが怖くて本陣にすら立てないのか、という嘲りの色を。
「……ウィリアム・アーガイル伯爵閣下は、あちらにおられます」
言いながらロベルトが示したのは、布陣を済ませたアーガイル軍、その中心。リクガメの意匠が描かれた家紋旗の下。
「……アーガイル軍の中央に?」
「左様です。閣下が御自ら、アーガイル軍の中央、歩兵部隊と弓兵部隊の中間に立たれます」
その言葉を聞いたフェルナンドは、表情を取り繕うのも忘れたのか、驚愕を顔に表していた。
貴族家当主やその子弟の命は、各家にとっては簡単に失われていいものではない。また、貴族とて武人肌の者ばかりではなく、むしろ今時は地主や商売人、政治家や文化人のような気質の者が多い。なので中小の貴族のうち、多くはできるだけ後衛側、比較的安全な位置に立っている。
それよりさらに後方、最も安全であろう本陣で観戦を決め込む者たちもいる。彼らが領地規模に比して妥当な兵力を供出している以上、そのような行動についてミランダは褒めてはいないが咎めてもいない。
貴族としての誇りや義務感、武功を求める野心から、自ら率先して戦うつもりの者もいないではないが、しかし数で言えば少ない。平和な世しか知らない今の貴族たちの、これが現実。
そんな中で、ウィリアムは激戦区のひとつとなることが予想される左翼、その中央に身を置いている。戦況が悪くなっても迅速に逃げることは叶わず、自軍が崩れればその崩壊に飲み込まれて散る可能性の高い位置に自ら立っている。他の多くの貴族たちの選択と比べれば、勇者の振る舞いと言っても過言ではない。
だからこその、フェルナンドの驚愕。その反応にロベルトは小気味よさを覚えながら、しかし自身はしっかりと内心を隠し、整った笑顔のままで再び口を開く。
「我らが主は、アーガイル家当主としての義務から逃げ出されたことは、これまで一度もありません。今回の戦いにおいても同様に。前回の動乱の時代、アーガイル閣下の高祖父様や曾祖母様はどれほどの激戦においても必ず自軍の陣形の中心に立たれ、まさしくアーガイル軍の柱となり、自ら将兵を鼓舞しながら戦われました。その結果として閣下の高祖父様は戦死され、曾祖母様も負傷を経験されました。家の歴史としてその逸話を学ばれた閣下は、御自身も先例に倣い、戦いにおいてはアーガイル軍の陣形の中心に立つことが当然の義務であると考えておられます。それが義務であると受け止めた以上、閣下は決して逃げることはなさいません。激戦の予想されるあの位置に、配下の将兵たちと共に御自身の意思で立っておられます」
呆気にとられた様子のフェルナンドに語りながら、ロベルトは誇らしささえ覚える。
「我が主はそのような御方です。であるからこそ、私はアーガイル家に忠誠を誓い、それ以上にウィリアム・アーガイル伯爵閣下に忠誠を誓っているのです」
「……そうか」
未だ驚きに包まれた顔でそれだけを答えたフェルナンドに、丁寧に一礼し、互いの武運を祈る旨を伝えた上で、ロベルトはこの場を辞してウィリアムのもとへ向かう。
そうだ。
それが我らが主だ。それがウィリアム・アーガイルという人物だ。
良くも悪くも繊細で慎重で、肉体的には貧弱で、一見すると頼りない。しかしその内に秘めた本質は、アーガイル伯爵領に平和と繁栄の時代を築いた彼の父や祖母と変わらない。前回の動乱の時代を戦い抜き、その武名をアーガイル家の歴史に刻んだ彼の曾祖母や高祖父と変わらない。
彼はその先祖たちと同じく、偉大な領主貴族だ。これから偉大になる。それだけの才覚を、可能性を秘めている。
それは今日まで、自分たち家臣の主観的な期待に過ぎなかった。しかし今より始まる戦いで、誰もが認める事実となるだろう。事実とするために、自分たちは彼と共に、彼の下で、死力を尽くして戦うのだ。
・・・・・・
アーガイル軍の陣形中央。前には下馬騎士や歩兵たちが、後ろには弓兵と予備の歩兵たちが、そして左側面には長槍兵とその援護を担う兵士たちが並ぶ様を、一様に見回せる位置。ギルバートを筆頭に二十五人の親衛隊騎士たちに囲まれながら、ウィリアムは馬上にいる。
「……いよいよとなると、やっぱり怖いねぇ」
そう呟く声は、譜代の家臣である親衛隊騎士たちにだけ聞こえる程度のもの。主の呟きを聞いたギルバートたちが、微苦笑で応える。
これまでの戦争準備と、その過程で起こった心境の変化もあり、ウィリアムは以前よりも死を怖いと思わない。とはいえ、それでもやはり死にたくはない。初めて知る戦場の景色を前に、本能的な恐怖が否応なしに湧き起こる。
「……」
しかし、それはもう仕方がない。小さく嘆息しながらそう考える。
これが義務である以上、ここから動くわけにはいかない。恐怖と戦いながらここに立ち続けるしかない。自分はアーガイル伯爵なのだから。自分こそがアーガイル家の当主なのだから。
それから間もなく。本陣への報告を終えたロベルトが戻り、ウィリアムの傍ら、ギルバートとは反対側に控える。
そして少し経ち。全軍の布陣が完了し、総大将ミランダより前進の号令が下される。




