第25話 集結①
アルメリア侯爵家を中心とした陣営、その軍勢の集結地点と定められたのは、アルメリア侯爵領北東部、ハイアット子爵領との領境付近だった。
ハイアット子爵領を陣営の最前線と定め、補給のしやすさなど集結する上での利便性を総合的に考慮してその背後に定められた集結地点。アーガイル伯爵領から見れば、領地のすぐ南側。距離的にもほど近く、大勢の将兵を連れていても進軍しやすい場所と言える。
道中は何らの問題もなく、フレゼリシアを発って数日後には到着。野営地の設営などの実務指揮はロベルトに任せ、最高指揮官用の天幕設営など自身の野営準備に関しては傍仕えのアイリーンに任せ、ウィリアムはギルバート他数人の親衛隊騎士に囲まれながら、ミランダ・アルメリア侯爵への挨拶に赴いた。
陣営の盟主家の軍であり、陣営において当然ながら最大の兵力を有しているアルメリア軍は、領地が最前線にほど近いこともあり、真っ先に集結を成している。一部の部隊は、レスター公爵家の陣営による威力偵察や嫌がらせ目的の奇襲などを警戒し、援軍として既にハイアット子爵領に駐留しているという。
その威光をもってアルメリア侯爵領を統治し、領軍将兵から畏敬と忠誠を捧げられているミランダは、当然のように自ら軍を率い、やはり真っ先に集結地点に来ている。そんな彼女に対する臣従の意を示すためにも、陣営の司令部と定められた大天幕を、ウィリアムは真っ先に訪れた。
「迅速な参上に感謝するぞ、アーガイル卿。同志たる貴族たちの中でも、卿は最も早くに到着した一人だ」
「恐縮です。アーガイル家としての覚悟を示すためにも、急ぎ参上するのは当然のことと存じましたので。それに、我が領は最前線と集結地点からほど近い場所にあります故、いち早く動くのは義務であると考えました」
集結と開戦までは未だ猶予があるとはいえ、大きな戦争を見据えた司令部ともなれば、そこに漂う空気が軽いはずはない。未だ経験したことのない類の緊張感に少しばかり気圧されながらも、ウィリアムは精一杯に殊勝な態度でミランダに答えた。
「その協力的な姿勢、誠に心強く思う……そして、卿が率いていた戦力についても。アーガイル伯爵領の規模を考えると、目を見張るべき大軍だな」
既に先触れからの報告を聞いていたのであろうアーガイル軍の戦力について、ミランダはそのように評した。
「これもやはり、我が領が最前線に近いからこそです。貴家を中心とした協力関係への貢献のためにも、先祖代々の領地を守るためにも、発揮できる全力を発揮することがアーガイル家当主としての使命であると考えました」
アーガイル軍の総勢は、二千五百。領地人口およそ十二万に対して二パーセントほど。領外へ出征させる軍勢の規模としては、相当なものと言える。
一般的に、貴族領が動員できる兵力の最大は、理論上は人口の十パーセントほど。しかし、これは領内に侵攻を受け、平和的に降伏する余地もなく、社会滅亡の危機が迫った場合などに、本当に限界まで民を動員する例。実際には、経済的にも徴兵実務の面でも領民たちの感情面でも、それほどの割合を集め戦わせるのは極めて難しい。事前に準備をした上で、人口の五パーセントほどを動員するのが現実的な限界と言える。アーガイル家としても、領内に敵が侵入した場合は最大で五千から六千ほどを動かせるように準備をしてきた。
そして、これが領外への出征となるとまた話が変わる。大勢の人間を領外に出して戦わせるとなれば、かかる手間も費用も領内での防衛戦とは桁外れ。戦闘要員以外にも、騎士たちに見習いとして付き従う従士たちや、後方で物資輸送と野営地運営を担う非戦闘員も必要となる。
そのため、遠方への出征ともなれば出せる実戦力は人口の一パーセント程度がせいぜいで、近場の場合には相当頑張れば二パーセント程度は動員できるだろうか、といったところ。
アーガイル家は今回、その「相当頑張る」を実行した。人口のおよそ二パーセント、非戦闘員も含めればそれ以上を領外に出征させ、おまけに徴集兵に至るまで装備を整え、一定の訓練も施している。これは最前線が自領から近く、敗ければ危機が待っているために領主家が全力を尽くし、全力を尽くせるだけの下地が元よりアーガイル伯爵領の社会に築かれており、加えて言えばアーガイル家が裕福であるために叶ったこと。
様々な困難を乗り越えて、自家単独で二千五百もの兵力を率いてきたウィリアムは、ミランダとアルメリア家に対してこれ以上ないほどの誠意を示していると言える。その背景には死にたくないという己の都合もあるとはいえ。
「貴家の示してくれた覚悟に当家も応え、勝利を収めてみせなければな……全ての軍が集結するまでにはしばらくの時間を要する。まずは行軍の疲れを癒してくれ。軍議を行う際には報せよう」
「かしこまりました。では、私はこれにて」
ミランダに答えて大天幕を出たウィリアムは、重苦しい緊張感からひとまず解放され、ほっと息を吐きながら自軍の野営地に戻る。
・・・・・・
それからしばらくは、穏やかで退屈な日々が続いた。
陣営の貴族たちがある程度揃うまでは軍議が開かれることもなく、ウィリアムも大天幕には呼ばれない。アーガイル軍は部隊行動の感覚を忘れないよう定期的に訓練を行っているが、逆に言えば訓練で時間を潰すしかない程度には暇で、覚悟を決めながらフレゼリシアを発ったウィリアムとしては拍子抜けするほどだった。
アーガイル軍も常に訓練をしているわけではないので、その訓練に立ち会う以外の時間、ウィリアムは暇を持て余す。それは各家の軍を率いてきた他の貴族たちも似たようなもので、なのでせっかく一か所に集まって時間もあるからと、それぞれ交流に臨む。こうした場での交流によってお互いに新たな情報を得たり、今後何か利益に繋がったりする可能性もあるからこそ。
集結地点に着いて一週間ほどが経った日の午後。新たに到着したルトガー・バルネフェルト伯爵と、ウィリアムは世間話に興じていた。組み立て式の椅子に座り、テーブルを囲み、バルネフェルト軍の無事の到着を祝うささやかな茶会という名目で。
「そうか、アーガイル軍は二千五百もの規模で……ははは、たったの三百しか連れてこなかった自分が恥ずかしいな」
「そんなことはないですよぉ。我が領は偶々戦場から近かったので、こんなに頑張れたんです。領地が遠い上に、領内の農業生産力の維持が最優先事項の伯父上とは、陣営への貢献のかたちが違うだけですよ」
「そうか、そう言ってくれると私としてもありがたいよ。持つべきものは気の利く甥だな」
亡き母の兄であり、昔から自分をよく可愛がってくれたルトガーと、ウィリアムは親しく言葉を交わす。
バルネフェルト伯爵領はアルメリア侯爵領の南に位置し、そのさらに南にはヴァロワール侯爵家の支配域がある。そのため、バルネフェルト家としては領内の治安維持に加え、ヴァロワール家の陣営との対立激化にも備え、一定の兵力を領内に残さなければならない。
加えて言えば、バルネフェルト伯爵領は重要な穀倉地帯であり、その最優先の使命は安定した食料生産。無理をして遠い戦場に多くの兵を出すよりも、その人手を領内に留めて農業に注力する方が、陣営への貢献になる。
なのでバルネフェルト軍の規模は、領地人口およそ十万に対して僅かに三百。それでも、当主であるルトガーが自ら軍を率いている。戦力を提供するというよりも、同じ陣営の一員として共に戦う意思があることを示すための政治的な出征と言える。
「それにしても、アーガイル家ほど気合を入れているところは少ないとしても、どの貴族家も相応に兵力を出しているようだな」
「そうですねぇ。少なくとも、余力があるのに明らかに出し惜しみしてるような家はないように見えますねぇ」
集結の期限まであと一週間足らず。アルメリア家の陣営に属する各貴族家の軍も揃いつつある。
そのうち最大の規模を誇るのは、当然ながら、盟主であり未来の君主であるミランダの率いるアルメリア軍。領軍の半数にあたる三千に、五千の徴集兵を加え、総勢八千もの大兵力を動員している。
ヴァロワール家の陣営に対する警戒として南にも一定の兵力を向けつつ、広大な領内の治安維持も行い、その上でアルメリア侯爵領の人口およそ五十万のうち、一パーセントを優に超える兵力を投入。これほど大胆に動いているのは、陣営の盟主としての面子と意地もあってのことか。
その他の貴族家に関しては、どの家も概ね妥当な規模の兵力を送り込んでいる。アルメリア家の陣営の勢力圏、そのうち領地が東側に位置する貴族家ほど多く、南側に位置する貴族家ほど少ない兵力を動員している。規模は、多くても人口の一パーセント強。アーガイル家のような大動員が叶った家は少ない。
例外が、ハイアット子爵家。アーガイル伯爵領の南東側に領地を持ち、元をたどればレスター家を宗主としながらもアルメリア家の陣営を選んだハイアット家は、アーガイル家以上に追い詰められた立場。おまけに自領が最前線に位置し、会戦での敗北は自領の滅亡を意味すると言っても過言ではない。
そのためか、ハイアット家が動員し、最前線たる自領に置いている兵力は、領軍のほぼ全軍に徴集兵を合わせたおよそ千二百だという。領地人口およそ三万に対して、実に五パーセント近く。現実的な限界の規模。トレイシー・ハイアット子爵の覚悟の表れと言える。
結果として、アルメリア家の陣営が会戦のために揃えるであろう総兵力は、一万五千を超えるものと見られている。陣営の総人口が百二十万程度ということを考えると、期待を超える大軍勢が生まれることになる。
「後は、敵側がどれほどの兵力を揃えてくるかだが……果たしてどうなるかな」
「盟主のレスター家は他にも二方向を警戒しないといけないはずですし、総勢はこっちよりも少ないと信じたいですよねぇ」
アルメリア家の陣営が南のヴァロワール家の陣営を警戒しなければならないように、レスター家の陣営も西にばかり戦力を向けることはできない。南ではレグリア王家の内紛がくり広げられ、双方とも王位争いに終始しているように見えるが、やや余力のある第一王子派などがどさくさに紛れてレスター家の陣営の勢力圏を削り取ろうとする可能性もないではない。そして、北の寒冷地帯にはいくつもの部族がひしめき、その中には友好的でない者たちもいる。
南北を警戒しつつこちらとの戦いに臨むレスター家の陣営は、場合によってはこちらよりも兵力が少ないこともあり得る。そうなることをウィリアムは心から願っている。
願いが叶うのか否か判明するのは数日後。アルメリア軍より放たれた斥候が、この集結地点に帰還してからとなる。




