第18話 平和な祝祭①
平和な冬は、一日また一日と静かに、そして着実に過ぎていく。動乱の時代を前にした緊張状態に慣れたのか、悪夢に苦しめられることも減り、ウィリアムは残された安寧を楽しむ。
そうして冬も終盤に差しかかった二月下旬。春の訪れを前に、フレゼリシアでは祭りが開かれていた。
エルシオン大陸東部で広く信仰されているケルカ教において、この晩冬の祝祭は重要な意味を持つ。王侯貴族も平民も、冬を無事に乗り越えたことを皆で盛大に祝うのが恒例。祭りの規模については地域ごとの社会情勢や経済状況に左右されるが、裕福かつ平和なアーガイル伯爵領の祭りは特に規模が大きい。
例年通り、フレゼリシアの祭りは二日にわたって開かれる。都市住民たちのみならず周辺の村落からも人々が集まり、ここが稼ぎ時と見た商人や芸人たちも集まり、都市内は群衆でごった返す。料理や酒を売る店が並び、芸人たちがあちらこちらで歌い踊り、都市内の劇場や賭博場といった娯楽施設は大盛況。冬の空気が吹き飛ばされ、そのまま春になってしまいそうな熱気がアーガイル家の膝元を包む。
そして城壁外、市域の近郊には草を刈って地面を均した大規模な仮設舞台も作られる。そこでは旅芸人の一座による公演や、都市住民の有志による歌唱などが披露されるが、最大の目玉となる見世物はアーガイル伯爵領軍による腕前披露。
祭りの二日目。舞台を囲う木柵の周囲には、数千人もの観客が集う。舞台中央の正面側に用意された貴賓席には、ウィリアムとジャスミン、側近たち、さらにはフレゼリシアの重要人物である御用商人や職人、聖職者などが並ぶ。
そして舞台の中に集まっているのは、六十人の下馬騎士たち。彼らはこれから三十人ずつに分かれ、刃を潰した訓練用の武器による模擬戦を披露する。
「勝利した側には、ウィリアム・アーガイル伯爵閣下より褒賞が与えられる! 双方とも日頃の鍛錬の成果を発揮し、アーガイル伯爵領軍騎士の勇猛さを発揮してみせよ!」
「「「応!」」」
領軍隊長ロベルトが高らかに言うと、東軍と西軍の二手に分かれて睨み合う下馬騎士たちは力強く吠える。
今ばかりは祭りの見世物となった騎士たちに向けて、酒や食べ物を手にした観客たちは早く戦えと急かし、身内や知人友人の騎士に頑張れと応援の言葉を投げかける者や、若い騎士に黄色い声援を送る女性たちもいる。どちらが勝つか領主家の管理のもとで賭博も行われているので、自分が賭けた側に絶対勝てよと喚く声も飛ぶ。
「今年もすごい盛り上がりだねぇ」
「ええ、本当に。おかげで全然寒く感じないわ」
貴賓席の中央、さらに一段高くなった豪奢な席。場の熱狂を眺めながらウィリアムが言うと、隣に寄り添うジャスミンが答える。二人とも、特にジャスミンはお腹の子に障らないようしっかりと外套を着込み、手には温かいワインの杯を持っている。
「それでは、開始!」
審判役の騎士の宣言で、東西の軍を分け隔てるように下げられていたアーガイル家の家紋旗が、旗持ちの騎士によって上げられる。同時に、六十人の騎士たちが舞台の中央で激突する。
武器や盾、鎧が激しくぶつかり合う硬質な音がいくつも鳴り響き、怒号が飛び交う。
東軍の騎士が得物のハルバードを振り、遠心力の加わったその一撃を鎧に受けた西軍の騎士が一人、地面に張り倒される。別の場所では、西軍の騎士が巧みな剣技で対峙する東軍の騎士の戦斧を叩き落とし、咄嗟に盾で反撃しようとした東軍の騎士の懐に飛び込むように突進し、吹っ飛ばす。そんな激しい戦いが舞台のあちらこちらで展開され、見ごたえのある一場面が生まれるごとに観客からは興奮を纏った歓声が上がる。
ウィリアムとジャスミンも、ワインで身体を温めながら、自家に忠誠を誓う騎士たちの派手な戦いぶりを大いに楽しむ。
完全装備で訓練用武器をぶつけ合うこのような模擬戦では、背中あるいは両手、もしくは頭が地面についた者は「死んだ」ものとして舞台から除外される。大勢の観客に加えて主ウィリアムも見守っている手前、死んだ騎士たちは己の誇りに従い、潔く舞台の端に退く。
そして終盤、勝負は西軍に有利なかたちで進む。未だ十人以上が生き残っている西軍に対し、東軍の生き残りは僅かに四人。包囲され、その輪を狭められ、このまま四方から袋叩きにされて敗北するのは時間の問題と思われた。
しかしそこで、予想外の事態が起こる。包囲された東軍の一人、一際立派な体格の騎士が勇気ある突撃で単身包囲を突破する。その際、西軍の騎士一人を抱え上げ、放り投げるようにして倒す。
「わっ、すごいすごい!」
ウィリアムは思わず立ち上がり、その騎士の立ち回りに見入る。
大柄な騎士の思わぬ奮闘に、観客たちも沸く。そして東軍の残る三人は、大柄な騎士に続いて包囲網を突破しようとするが、西軍もそこまで甘くはない。数人が大柄な騎士への対応にあたり、残る騎士たちは瞬時に包囲の輪を閉じ、東軍の三人の殲滅にかかる。
一方で東軍の大柄な騎士は、一人でさらなる大立ち回りを見せる。自身を倒すために迫ってきた西軍の騎士三人を相手に持ちこたえ、そのうち二人を倒す。包囲殲滅を終えた残りの西軍の騎士たちも駆けつけるが、東軍の大柄な騎士はまだまだ抵抗を見せ、最終的に彼が倒されたとき、西軍の騎士は残り七人にまで減っていた。
「そこまで! 西軍の勝利!」
審判役の騎士が宣言すると、観客からは惜しみない拍手と、健闘を称える歓声が送られる。貴賓席の面々もそれは同じ。ウィリアムも、高らかな拍手で騎士たちの勇戦を称賛する。
勝利した西軍の騎士たちはもちろん、完敗に近い状況から独力で長く持ちこたえた東軍の大柄な騎士にも注目が集まる。模擬戦を終えて兜を脱いだ騎士たちは、貴賓席に向けて敬礼し、観客の歓声に手を掲げて応える。
「閣下。騎士たちの奮戦に対し、お言葉を賜りたく」
「うん」
ロベルトの言葉に頷き、ウィリアムはジャスミンと共に貴賓席の最前まで進み出る。歓声と拍手が止み、この場の皆の注目が領主夫妻に集まる。
「勝利した西軍の巧みな戦術、素晴らしかったよ! そして健闘した東軍も、勇ましい戦いぶりだった! アーガイル伯爵領軍騎士の強さ、ここに集った全員に伝わったはずだよ!」
戦った騎士たちに視線を巡らせながら、ウィリアムは語る。大立ち回りを見せた例の騎士には、やや長く視線を留めてやった。
「それじゃあ皆、最後にもう一度、騎士たちの奮戦に拍手を送ろう!」
ウィリアムの言葉で、観客たちは一斉に拍手を鳴らす。騎士たちに対する労いの言葉が飛び、口笛が吹き鳴らされる。
「ロベルト、あの東軍のすごい騎士は誰?」
「騎士ドノヴァンですな。叙任を受けてからまだ二年ほどの若い騎士ですが、強く勇ましい気鋭の逸材です。経験を積めば、いずれ頼れる隊長格となることでしょう」
ウィリアムが大柄な騎士の方を見ながら尋ねると、ロベルトは即座に答える。
「そうか、騎士ドノヴァン……少し話したいなぁ。直接労ってあげたい」
「あの者も喜ぶでしょう。すぐに貴賓席の裏に呼びます」
「いや、彼は疲れてるだろうから、こっちから会いに降りるよ。どうせ次の競技までしばらく時間があるし。ジャスミンも一緒に行く?」
「ええ、ウィリアムが行くなら私も行くわ」
「承知しました。それでは」
ウィリアムの意向を聞いたロベルトは、貴賓席の警備につく親衛隊騎士たちに命令を下す。ロベルトに案内され、数人の親衛隊騎士を伴い、ウィリアムとジャスミンは一際の健闘を見せた騎士を労うために移動する。




