第9話・・・死にかける_疑似_勝利・・・
4年前、17歳の時。
アスターは地に伏していた。アスターを中心に生暖かい血だまりが広がり、面積が増すごとにアスターは自分の死が近付いていると感じる。
しかし、そんなことよりもアスターの意識を占める事態に陥っていた。
目の前で、泣き叫び、黒い気を暴発させる10歳の少年。
(…ダメだ………ダメだ………それは…ダメだ…………………クロッカス!)
その時、アスターは自身の中心から発光する光のような不可思議な気を感じた。
◆ ◆ ◆
空き部屋に置いてあったPCをコスモスが目にも止まらぬタイピングでキーボードを打ち鳴らしながら、調べている。
その横で、深恋は周囲を警戒していた。
だが深恋の心は不安で一杯になっている。こんな状態じゃいけない、そう思っても不安の靄は中々消えてくれない。
『余計なこと考えるな』
『……っ』
深恋へ、すぐ傍で作業しているコスモスから通信が入った。
仮面の裏で目が泳いでしまう。
『今貴方を覆ってるのは私の気よ? ほんの少しの動作から不安が明け透けて見えるわ』
『……すみません』
『アスターのことが心配?』
『…はい。アスターさんも7年以上…多分約10年くらいの修行を経て『憑英格化』をものにしたとは思いますが、…キンリという人は歪んだ合理主義者です…。その、隊長の判断に不服があるわけではないのですが…』
『4年よ』
『え…?』
コスモスの言葉が一瞬理解できなかった。しかし、すぐに、何を言いたいのか察し、その上で理解するのに苦しんだ。
『それって…まさか……』
『ええ。アスターが霊魂晶を宿したのは4年前。17歳の時よ』
『うそ…』
武者小路源得は完全習得に7年以上掛かったというのに? アスターは4年?
『…もちろん、完全習得とは言えないわ。サポート特化で、まともな攻撃手段は『改字人形』っていうある意味土塊人形みたいな人形を使った遠距離攻撃だけだからね』
『そ、それじゃあ尚更危険じゃっ? キンリは一対一より多対一の方が得意で…』
『そんなことアスターも理解してるわ』
『…っ』
確かにそうだ。しかしだからと納得できるかと言われればそうではない。
『ねえ、『霊魂晶』に選ばれる条件って知ってる?』
少し話しの逸れたコスモスの発言に、深恋は反射的に、
『え…性格とか質とか…人それぞれじゃ…』
と答えた。
『確かに心的、内面的条件は人それぞれだけど、全ての『霊魂晶』保持者に共通する絶対条件が一つだけある。公表されてない、条件が』
『それは……』
『一度死にかけること』
『……っ』
『他者の魂が入り込む隙間を作るらしいわよ。…『霊魂晶』目当てに自殺する連中が増えると大変だから公表できないのよ』
『……じゃあ、アスターさんも……』
『そう。4年前に死にかけたの』
深恋を様々な驚きが襲った。
4年間で『憑英格化』を実戦レベルにまで押し上げたのも驚きだが、死にかけていたのも驚いた。コスモスの言い分から、生半可な瀕死ではないだろう。
『聖』も危険な道を幾つも通ってきたはず。死にかけていてもおかしくはないが、どんな状況だったのか気になってしまう。
『誰に殺されかけたか、教えて上げようか?』
深恋の心境を察したのか、コスモスがそんなことを言い出した。
『…私の知ってる人なんですか…?』
『ええ。よーく知ってるわ』
『…誰なんですか?』
『クロッカスよ』
『……………え…』
『クロッカスは誰よりもアスターの力の強さ、心の強さ、覚悟の強さを知ってる。………そのクロッカスがアスターに任せると言ったのよ。貴方は余計なこと考えず仕事しなさい』
◆ ◆ ◆
「『文創・改字人形「屋根裏の散歩者」』」
アスターの目の前に細身で全体的に黒い服を着た不気味な男が現れる。
下宿屋の屋根裏を歩いて別の部屋の人間を覗き見する男。屋根裏から毒物を垂らすなどして人を殺してきた男。
『屋根裏の散歩者』が上空へ跳び、具象して作り出した風に『陽炎空』を掛けて空に蓋をした。正確には結界内に。
『屋根裏の散歩者』は静動と監視に向いている。攻撃はさせずキンリを見つけ出すという命令だけ下しておいた。
それからアスターは周囲を警戒しつつ、『屋根裏の散歩者』がキンリを発見するのを待った。
しかし。
(ッ!『屋根裏の散歩者』がやられた!?)
アスターは心中で舌打ちした。
(やっぱりクズだが賢い。…『屋根裏の散歩者』を読んでたか。キンリを見付ける為に僕が『屋根裏の散歩者』を使うと予想し、上空を警戒してたんだな)
キンリの賢さは認めねばならないと、思い知る。
(…要領が良いからこそ、他者への配慮が足らない。…悲しいな)
アスターの脳裏に一人の人物が思い浮かぶ。例え何をされようと信用を失わない人物。
アスターが深呼吸は深呼吸して、覚悟を決めた。
(これ使うと僕自身はもう身動きがあまりできなくなるけど、やるしかない)
◇
『屋根裏の散歩者』を撃退したキンリは、すぐその場から移動して、薄く笑った。
(もう『屋根裏の散歩者』は使わないだろ。今度は俺から行くぞ)
キンリは全収納器から大量の剣を取り出した。計100本はある。
それを風のクッションの上に置き、流し込むようにリングの中へ入れた。消えた剣はそのリングの10メートル程上にあるリングから落ちるように放出され、また同じリングへ入って消える。それが下のリングへ入り、上のリングから出て、また下のリングへ入る。それが繰り返される。
100本全て入れ終えた後、それが無限に繰り返される。
(『超加速剣』。風で勢いを付けた剣をこのまま放置しておけば無限に加速して超速い投擲剣の完成~)
キンリは風を使った広範囲探知でアスターの居場所を確認する。
(あまり動いていない。動いても無駄だと分かってる。……このまま行けば確実に勝てる。でも心配なのはまだ隠してる『文創』とかいう司力。人形は問題ない。
でも、おそらくだけど、空間に影響を与える技もきっとある。『周囲の空間を推理小説の世界にする』みたいな、そんな感じの。具象系だしね。…ただ『憑英格化』は、ほとんど『霊魂晶』保持者の資質によるところが大きい。彼の人形を見ても、ほぼ自分のイメージが必要らしい。
となれば、その空間を形成する際も、推理小説・謎かけはアスター自身が作ることになる。『霊魂晶』から謎かけを作る地頭の底上げのようなサポートはあるだろうけど、結局は自分で考えなきゃいけない。…多分、それなら問題ない。彼はまだ未熟者で、俺ほど頭はよくない。……まあ、気は抜けないが)
考えた結果、結局変わらない。勝てる。
その時、頭上から複数の視線を感じた。
「ッ! おいおい! 強引な手に出たな!」
遥か上空に、大量の『屋根裏の散歩者』がいた。
(物量作戦でまず俺を見付ける気か! これだけ気を消費したんだ! 間違いなく、ここで決める気だ!)
先程よりもレベルの高い『屋根裏の散歩者』によって、キンリは見付かっている。
『超加速剣』と一緒に逃げようと思ったが、アスターが既にキンリの斜め前の上空にいた。
もう逃がさない、その瞳から強い覚悟が伝わってきた。
『屋根裏の散歩者』が不要となったのか消えている。
(この襲撃が成功すればそっちの勝ち、逃げ切れば俺の勝ち、ということだな)
リングに入る瞬間の隙を狙われると悟ったキンリは、三つのリングの穴をアスターへ向け、半分の『超加速剣』を放出した。
超速で全ての剣がアスターを襲う。全てキンリが集めた中級以上の士器だ。全て気をそこまで大量で覆われているわけではないが、宇宙の隕石を士が簡単に止められないように、勢いを付けただけで気以上の武器となる。
しかし、キンリには懸念があり、……それは的中した。
串刺しにされたのはアスターではなく二十面相だった。
本物だろうと偽物だろうと迎撃しないわけにはいかない。
「『文創・推理空間「D坂」』!」
すぐ横からそんな声がした。
D坂……『D坂の殺人事件』か!とキンリが予想を立てる。
恐れていた推理空間へ誘う技。
まだ間に合う、そう思って、横で本を開いていたアスターにリングをの穴を向け、残り全ての剣を放出する。
すると…………あっさりと、アスターが串刺しになった。
(……しまっ…)
これは分身法。
誤りに気付いたキンリだが、一瞬遅れてしまった。
真後ろから、アスターが急接近していた。今串刺しにしたのも、二十面相だったのだ。
キンリは、この距離ならギリギリセーフか、と思ったが、
「『堅岩礫』!」
小さい岩の礫が、キンリに回避の間も与えず直撃する。
それは殺傷能力の低い攻撃だったことに、キンリは怪訝な気持ちになったが、直撃した瞬間にアスターの狙いに気付いた。
キンリの体に巻かれていたリングを戦闘服の上から破壊したのだ。
(……! 一度しか見せてない上に! あの時分離させなかったリングも壊された……! ムカつく推理力だな!)
これで『体分離の輪』で体を分離し、攻撃をいなすことはできなくなった。
「だからなんだよ!」
小さいとはいえ堅い岩が直撃した。痛い。
けど、気に留めるほどではない。
(今の一瞬で推理空間を具象化しなかった! 元々そんな技がないのか、できないということ! それが分かっただけでも十分!)
分離して相手の攻撃威力を減少化すること、体のリングを通って別の場所へ転移することはできなくなった。だがアスターにはそんな必要ないと確信する。
キンリは体を纏う気を全力で高めた。転移法へと。
リングがなくても転移はできる。リングを多用しているのは、相手についそのことを失念させるためだ。アスターが失念してるとは思わないが、このまま一旦退くことはできる。
『現推理』とやらで転移先を予測されないために、リングからは出ない。この広い空間内にある、リングも何もない場所へ転移しようとする……が、すぐそこにいるアスターが手を伸ばしてくる。
あまり変哲のない手だが、この手に触れてはいけない、とキンリの直感が叫ぶ。
(間に合え……!)
そして………………、
キンリは転移に成功した。
■ ■ ■
アスターは全身から感じる疲労を必死に堪えながら、
目の前に現れたキンリの心臓部を貫いた。
「ガァッッッ!? …な………な…んでッ…ッ…………その…すいりりょく…でも……ッ!!?」
血を吐いたキンリが小刻みに震えながら肩越しにアスターの顔を見る。
ふっと笑い、
「『文創・疑似「超過演算」』。僕の切り札だよ」
霊魂晶の気の大半を脳に注ぎ込んで負荷を掛け、一瞬、『超過演算』と遜色ない推理力を発揮する。
気配を消した状態でこれを発動し、キンリが現れる地点へ先回りしたのだ。
少し呼吸を荒くしているアスターは、キンリから万年筆を持った右手を乱雑に抜く。
「ァガッ…ァ…!」
歩空法で中空に立っていたが、それも切れ、落下していく。
そして中空の結界に衝突する。
「ガアッ!」
血が飛び散る。
アスターも結界の上に降り立ち、今のキンリの様子を見る。
体の中心に穴が空き、そこから血が湯水のように溢れ出ている。口からも血が溢れ、目の焦点も合っていない。
転移法は使えない。気が少ないのもあるが、今の不安定な状態で使って途中で切れてしまえば、そのまま切断されてしまう。
キンリが倒れたまま、口を開いた。
「……一つ、訊いていいか?」
「なんだ?」
「…君達がここに攻め入るに至った原因ってさ…もしかしてジストの娘が関係してる…?」
「……噂程度は広がってるか」
「ふっ…ああ、噂程度さ。……けどやっぱり、事実なんだな」
「ご明察。ちなみにその子は今『聖』の隊員になったよ」
「え……」
キンリの雰囲気が少し変わった。諦めから、驚きへ。
「本当だよ。彼女は裏組織で成長しながら、最後まで心は善だったからね。隊長が彼女を『聖』に勧誘したんだ。今もこのアジトにいる」
「………心は善……そんなのが分かるってことは、『超過演算』か……?」
「またもやご明察。…やっぱり頭良いね。言っておくけど、君はここで殺すよ。生け捕りにしたいところだけど、そんな余裕はない。今の君を回復させる士器もないし、回復したらしたでまた逃げられるからね」
説明しながら、キンリの耳にはほとんど入ってないなとアスターは思った。
「………そうか……『聖』へ……ね。……………」
特に感情を見せず呟くキンリに、アスターがそっと言葉を投げる。
「羨ましい?」
「……は?…なんで…」
「冗談だよ。………じゃ」
アスターが手の平を翳す。そこに砂のエネルギーが溜まる。
「『砂砲撃』」
そして放出され、
キンリの頭部は吹き飛んだ。
◇
死に際、キンリは心の中でこんなことを思った。
(………こうならなきゃ…壊れなきゃ、やってられなかったんだ……。でも、そうか……ジストの娘は…、どんなに辛くても最後まで壊れなかったんだな………)
◆ ◆ ◆
それは、4年前のこと。
アスターは瀕死の重体に陥りながら、目の前の光景に悲痛で顔を歪ませ、心の中で叫んでいた。
(…ダメだ………ダメだ………それは…ダメだ…………………クロッカス!)
……そして、その時、己の内に、何か光を感じ取った。
何かを喋っているわけではない。ただ発光しているだけの、強烈なエネルギーを感じる、光。
アスターにはなんとなく、その光が言わんとすることが理解できた。
そしてアスターは強く念じた。
(……ああ、僕の全てを上げる! だから! 一瞬! 一瞬でいい! クロッカスを超える頭脳を!)
その時を詳しく説明することはできない。
ただアスターは新たな力を手に入れ、その力の使い方をなんとなく理解していた。
そして、アスターは唱えた。
『文創・疑似「超過演算」』!
アスターは霊魂晶に籠められた全ての気を脳に注ぎ込み、暴れるクロッカスの先を読んで、身を挺して動きを止めた。
※ ※ ※
それから数週間後のこと。
『…アスターさん、俺、隊長に就任することになりました。下手したら仲間を殺してた、こんな俺が……』
『「こんな」なんて言うなよ。…誰も異論なんてない。もちろん、サフィニア隊長も』
『……ありがとうございます。…それで、アスターさんに恥じを承知でお願いがあるんです』
『? どうした?』
『俺の直属小隊に入ってください』
『え……いや、でも僕は…表では高校生だし、この「霊魂晶」も制御しなきゃいけないから…さすがに無理じゃ…』
『「霊魂晶」を制御するトレーニングメニューを考えました。俺の予測では2年で実戦段階に、6年もすれば完全習得できます。だから2年後、お願いします!』
『……ははっ、分かったよ。……頼りにしてるよ? 隊長』
『はい!』
◆ ◆ ◆
アスターは自分とキンリを覆っていた結界を解き、通信を繋いだ。
『アスター、オープン』
『クロッカス、アンサー。……無事だったか、アスター。現状報告を』
『相手はキンリ。殺害済み。少し無理をしました。結界の維持が数分ばかり前倒しになる可能性有り』
『了解。アスターはそのまま結界を張ることだけに集中しろ。また新たな敵が現れたら無理せず逃げろ。すぐ俺が行く』
『了解』
通信が切れる。
(余計な感情は出さず、最低限のやり取りで確認事項を済ませ、適確に命令を下す。……立派になったね。クロッカス)
アスターは心の中で小さく笑った。




