第7話・・・アスターのグローリー・ジェル_イレギュラー_サディスト・・・
「『迷わせ、江戸川乱歩』」
アスターの体の中心にある水晶から気が溢れ出る。
気はアスターの全身を渦巻くように包み込み、体の所々に文人を思わせる装備装飾を顕現する。アスターの顔には眼鏡、薄茶色の羽織を肩に掛け、右手に本、左手に万年筆が具象されていく。元が黒装束だったとはいえ、予め変わった後の外見も考えてのデザインだったのか、違和感はなく、似合っている。
江戸川乱歩。
小説に興味がない者でも一度は聞いたことがあるであろう歴史的に有名・著名な推理小説作家。
数々の推理小説を執筆し、『怪人二十面相』や『黒蜥蜴』など、多くの名作を生み出した文豪。前代未聞のトリックだと絶賛され、他の有名小説家にも多大な影響を与えた人物。
深恋は雰囲気ががわりと変わったアスターを眺めていた。
(これが…『憑英格化』…。偉人・江戸川乱歩の力…)
深恋が憑英格化を目にするのはアスターが初めてだ。
武者小路源得も『霊魂晶』を埋め込まれていることは知っている。一度は暗殺するべき相手のことはきっちりと教えられた。
武者小路源得が『霊魂晶』に選ばれたのは二十代半ば。それから五年掛けて体に馴染ませつつ、剣を習得したという。過去の保持者には暴走した例もあるので、そういった基礎、基盤を整えられない限り、外に出してすらもらえなかったと聞く。
更にそれから数年掛けて雷天武双流を作り上げたらしい。
対するアスターはどうか?
(歳は21…表社会では大学生。…武者小路源得でさえ習得に7年以上掛かったのと比較すれば、アスターさんは少なくとも14,5歳の時には『霊魂晶』を体に埋め込んでいたことになる…。感じる気はA級上位からS級下位…これから増々飛躍的に強くなることが私にも分かる……。コスモスさんやスターチスさんもそうだけど、これが『聖』の隊長格が直属に置く隊員…)
深恋の感嘆をよそに、アスターが気を増幅させる。
これだけアスターが力を開放しても相手に気付かれないのは、コスモスの無遁法と湊の鎮静の気で深恋達が留まる空中の一角を覆い隠しているからだ。もしどちらか一人だけだったら、アジトの探知網や相手の上級士に発見されたかもしれない。
しかし、二人の一体法と化した合わせ技で完全隔離となっている。完璧な息の合い様に少しだけ二人の関係が気になるが、何はともあれ、アスターは周囲を気にすることなく、技を発動した。
「『文創・密室結界』」
アスターにより、目には見えないが、今、結界が張られた。ただの結界法ではない。
機械通信はもちろん、気を用いた通信士器、転移法による転移まで、余すところなく外界と断絶する結界だ。普通の結界でも遮断自体は可能だが、A,S級士や最高級の士器を使用すれば結界内外にも通信や移動はできた。
しかし『憑英格化』したアスターの結界は完全にシャットアウトする。
これは深恋達『聖』側も本部との連絡を絶たれたことになるのだが、あまり問題はない。相手は『憐山』なので、他のアジトにいる幹部を転移士器で連れて来られる方が厄介だ。
結界内での通信は可能だ。無線だと傍受され、士器による通信も僅かな反応をキャッチされる恐れがあるので、使用時だけオンにする形になるが、大きな支障はない。
『よし、以後は手筈通りに。問題があれば随時連絡するように。…行け《ゴー》』
その場にアスターを残し、全員が姿を消した。
◆ ◆ ◆
クロッカス直属小隊の今回の任務は『憐山』ジストのアジト撃滅。
第一段階はアスターの結界で外界から隔離。
本来は電波も通らなくなるが、『聖』の研究室が独自開発した士器によってアスターの結界内でも一定時間は特殊電波でテレビやインターネットは繋がる状況を作る。
これで『憐山』は自分達が襲撃を受けていることに気付かない。他のアジトと連絡は取れないが、普段いつもずっと通信してる可能性は低い。
第二段階はクロッカスとヒヤシンス、スターチスが主体となって情報収集に努め、他の隊員はアジト内の状況を随時報告。
第三段階から本格的に撃滅に移る。まずはジストやクネリ、イーバなど幹部、側近連中を撃破。雑魚だけになったところで掃討開始だ。隊員達はひたすら殺し尽くし、クロッカスは目に付いた中々の人材を収集して『聖』に連れて行く。仲間にするわけではない。拷問や人体実験など、気の毒なことに使う。
以上が、今回の任務の概要だ。7人だけで問題なく遂行できると判断した。
しっかりと策を立てたつもりだった。
しかし湊はアジト内に潜入して早速妙な事態が起きてると悟る。
湊は今現在、姿、気配を完全消してアジト内廊下の片隅にいる。誰にも見えずとも慎重に行動する。
アジト内は灰ビル三歩手前といった感じで、埃が多い。正に薄汚い悪党の溜まり場という具合の場所だ。
その廊下をガヤガヤとうるさく話しながら数名の構成員が歩く。おかしな光景ではない。
しかし湊から見れば妙な違和感があった。
前以て深恋から聞いた話より予測したアジトの造りが七割方合っていた。構成員の数も。時折見せる表情、感情が少し妙だ。
狂ったように楽しんでいる者、よく分からない期待をしている者、疲労の見える者、どうでもいいと考える者、迷惑している者。これらを推測すると、異分子が入り込んだことによるその者への感情だと断定できる。
《俺達が来る前に相当位の高い奴…十中八九幹部の誰かが来てる。…深恋の武者小路源得殺しが失敗したからって、突然来る非常識な奴……あー、嫌な奴浮かんじゃった》
仮面の裏で溜息を呑み込み、湊は音叉を取り出してカツン、と打つ。音は聞こえない。僅かな空気の振動が広がり、周辺にいる『憐山』構成員の会話を聞き取る。
その会話から、湊は自分の予測が正しいことを残念なことに、裏付けた。
(やっぱり……『狂剣のレイゴ』)
『狂剣のレイゴ』。
本名、紅蓮奏華登。
いつもサングラスを掛けたすかした野郎、と周囲の評価は最低の人間。
『紅蓮奏華家』の裏切り者。実力は一線級で、若くして紅華鬼燐流の全式をマスターしたという情報を『聖』は掴んでいる。
しかし性格に大きな難があり、一言で表すと戦闘狂。粗雑で人の言うことを聞かず、勝手に刀を抜く。何より『天超直感』の冴えが歴代トップだという。
紅蓮奏華との決別の理由の詳細は『聖』でも分かっていないが、その破天荒な性格が原因の一つであることは明白だった。
早く知らせようと湊は通信機を通して隊員達に報告する。
しかし事態は、既に動いていた。
◆ ◆ ◆
その部屋では、数名の構成員と二人の客人がトランプゲームを行っていた。
「……おい。なあああああぁぁんか、変じゃね?」
眉間に皺を寄せ、レイゴが呟く。
裏組織の人間に昼夜の概念はあまりなく、強者となれば一週間は寝ずに過ごせるので深夜でも平気で起きている。
トランプをしていた時、突然レイゴがそんなことを言い、相手をしていた数名の構成員が首を傾げる。
「変とは…?」
「別に何も……な?」
「でもレイゴ様が言うなら何か…」
それぞれ特に何もないと言い、だが直感人間とも言うべきレイゴの言葉に僅かな期待の色を見せる。ここにいるのはレイゴと一緒にいう方が楽しそう、という連中だ。
ジストはただ殺すだけを考え、戦うという過程を無視するところに狂った不満を抱く構成員は多い。だから、ここに集まったのは刺激を求める者達だ。
そのレイゴが直感で何か言いだし、狂った期待を抱く構成員達。
しかしその部屋の中で一人、つまらなそうで面倒そうな表情のキンリが分かりやすく溜息をつく。
「…本気にしなくていいよ、君達。相手にしない相手にしない」
「んだとッ? 俺の直感を疑うのかッ?」
レイゴが睨むが、キンリは動じない。
「レイゴ様ー。貴方はバカなので覚えてないかもしれませんが、貴方しょっちゅうそういうこと言ってますからね? 無意識の内に何度も言ってますからね? ええ直感が優れていることは認めますとも。さすが紅蓮奏華の血です。……でも直感が良過ぎるんですよー。「なあああああぁぁんか変じゃね?」とか言ってただネズミが入り込んでただけだったり、「なあああああぁぁんかおかしくね?」とか言って次の瞬間小さな地震が起きたり、「なあああああぁぁんか起きるぞ」とか言って次の瞬間部下の一人が屁をこいたり、ほんとどうでもいいこともなんか気付いて……面倒ったらないんですよー」
キンリの疲れがひしひしと伝わる言葉に構成員達は顔を引き攣らせ、レイゴは気に食わなそうに舌打ちうする。
「でも、なあああ」
「はいはいはい」
パンパンとキンリが手を叩く。
「分かりましたから。わたくしめがジスト様かイーバ…システムコントロール室に行って確認してきますので、レイゴ様は動かないで下さい」
トランプを置いてキンリが立ち上がり出口へと向かう。
キンリの背に、レイゴが尖った言葉を放つ。
「……何かあればすぐ知らせろ。黙ったら殺すからな」
「了解です」
淡泊な返事をしてキンリが部屋を出る。
※ ※ ※
キンリは部屋を出て、少し離れたところに来て、ふっと、バカにしたような笑みを顔に浮かべる。
(ほんとバカだよなー、あの人も)
キンリが全収納器取り出す。
(状況が違うんだよ…。わざわざここまで来て、この深夜に、このタイミングであの人が何かを感じた。……何かある)
でも、とキンリは思う。
(絶対じゃない。確認は必要。取り敢えず……)
キンリは全収納器から三つの輪を取り出す。フラフープのような大きさの鉄製のリングだ。その内の一つを手でぎゅっと掴み、気を込める。
見た目はその状態で数秒維持していただけだが、キンリがゆっくりと開いた目には鋭さが増していた。
(外のアジトに置いてきたリングと繋がらない…。かなり強力…というより、この反発…特殊な結界が張られてる? へー。相当凄い連中が攻めてきてる。このアジトの連中に教えてやるのも面白そうだけど、もしもの時に俺の逃げ道が絶たれてるこの状態はなんとかしたい)
ふむ、と考えてから、結論を出す。
(結界を壊そう。…乱流法で簡単に壊れれば良いんだけど……それができないような特殊過ぎる結界だったら、使用者を殺そう。特殊で大事な結界なら、セオリー通り使用者は近くで番人してるだろう)
◆ ◆ ◆
『文創』。
それが江戸川乱歩の霊魂晶で『憑英格化』したアスターの司力だ。
アスターの質は具象系土属性。
江戸川乱歩は小説家。想像力はたくましく、頭でのイメージが肝となる具象系との相性も抜群だ。
アスターは『憑英格化』と同時に顕現した本に、同じく顕現した万年筆を奔らせる。
「『文創・改字人形「黒蜥蜴」』」
記入されたページが一人でに本から取れ、宙に舞い、そのページから気が膨れ上がり、人型を形成する。
出現したのは黒く薄い生地の布を纏った妖艶な女性だ。感情のあまりない顔をしている。
分身法の応用技。万年筆に籠められた強い「イメージ」の気で本のページに具象するものの情報・特徴などを書き記し、かつて江戸川乱歩が書いた小説の登場人物を万年筆に籠められた「イメージ」とページに書いた情報を元にアスター自身がイメージして具象する。
この『改字人形』はアスターの意思を反映させているため、B級の具象系士のように一挙手一投足を操作する必要はない。ちなみに、込めた意思は「結界を守ること」である。『密室結界』には強い「イメージ」が込められているので、普通の乱流法ではまず壊れない。しかし何事にも警戒は必要だ。
この結界を維持することだけがアスターの任務である。気を抜くわけにはいかない。
「『文創・改字人形「蜘蛛男」「一寸法師」「妖怪博士」「青銅の魔人」「少年探偵団」』
次々と具象し、多くの『改字人形』が現れる。
どれもがB級上位から場合によってはA級下位並みの力を持つ。
『改字人形』達は一斉に散開した。
アスターが中空に立ったままふー、と息を吐く。
あれだけの『改字人形』を具象するのはさすがに疲れる。しかしただせさえ大きい『憐山』のアジトを包み込むように展開した結界を警護するにはあれぐらい必要だ。
アスターは自分の範囲を警護しながら、自分の司力について考えた。
(……クロー隊長の撮った武者小路源得の『憑英格化』…、僕と四十年くらい違うから劣ってて当然だけど、凄かった。長い年月掛ければあそこまでいくのか…。紅井勇士が早々に負けたから少ししか見れなくて本当に残念。まあ、そもそも紅井勇士が勇敢に挑戦してくれなきゃ観れなかったんだけど)
その時。
「っ?」
アスターが訝し気に目を細める。
(今『蜘蛛男』のところに気配が…? でもすぐ消えた………っ!? 今度は真逆の『妖怪博士』のところにッ?)
『改字人形』の察知した気配はアスターにも伝わる。
アスターは怪しい気配に冷静に対処すべく、本を開いた……その瞬間、
真上から感じる気配に、咄嗟にその場から跳び退く。
直後にアスターの元いた位置を何かが通り過ぎた。速くて何も見えなかったが、危機一髪だったことに間違いはない。
「躱されたか」
下へ向かったはずの相手は、アスターの立つ位置より少し上に佇んでいた。
見た目怠そうな二十代中頃程の男だ。片手にフラフープ並みに大きい輪を持ち、彼の背後に同じ大きさのリングが浮いている。
その男はアスターを見下ろし、ふっと薄く笑った。
「これは驚いた。その歳でここまで『憑英格化』を使いこなすなんて。この密室を思わせる結界と、さっきちらっと見た具象人形から察するに、彼の文豪、江戸川乱歩様で合ってる?」
(なんでコイツがここにいんの…?)
『憐山』の幹部であるレイゴの側近、キンリ。
司力は『取入穴の輪』。
質は協調系風属性。
転移法のスペシャリスト。『憐山』の運び屋とされている。実力はあまり披露されていないが、アスターと同等だと『聖』ではそう分析されている。
レイゴと共に行動し、殺したいだけ殺したレイゴを運ぶ役割を担っている。
そしてレイゴの頭脳としても機能しており、知能指数は相当高い。
(キンリがいるということはレイゴもいる…いや、隊長ならすぐに気付くからそこはいい。……問題は今、コイツをどうするか…。キンリの司力でも僕の『密室結界』は通れないだろう。けど今転移でアジトに戻られたら? 隊長なら瞬殺できるだろうけど、それまでに僕達のことを知らされたら策に支障が出る。何よりレイゴが早い段階から動くのは避けたい!)
アスターの脳内で結論が出る。
キンリが呑気に言葉を続けた。
「ところでさ、君の所属ってどこ? 妥当に『御劔』かな? それとも『御十家』? いやでも、多分少人数で『憐山』の幹部のアジト一つ潰すなんて大胆無謀な組織はそうそうない。同じ裏組織と考えられもするけど、もしかしたら…『ひじ…」
「『文創・密室結界』」
元からある『密室結界』の中に、更にアスターとキンリだけ覆うような結界を作る。
眼球だけを動かして周囲の確認をするキンリに、アスターは鋭い視線を向ける。
「ご名答。『聖』第四策動隊・コードネーム「アスター」。…仮面付けてないから分かりづらかった? ごめん。知ってるだろ? 『憑英格化』状態では無駄な装備は付けられないんだ」
「……いいの? 所属とか言っちゃって? 怒られない?」
「全然。…それに、君はここで倒すし。問題ない」
キンリがサディスト染みた笑みを浮かべる。彼の印象が変わるその笑みを見て、かつて湊が行ったキンリのプロファイリングが正しかったと証明される。
「別に閉じ込めなくても元からアジトに戻るつもりなかったのに」
「…聞いてた印象と変わったな。そっちが本性?」
「偽ってたつもりは…いや、あるか? まあそんな感じ。……とにかくこの結界は解いてもらうよ。どんな戦場でも、しっかり逃げ道は確保しなきゃ楽しめないからね」
「…ふっ、所詮は君も殺人集団『憐山』の一員、か」
「別に人殺しなんて興味ないよ? バカみたいに人を殺すバカを観ていたいだけ」
『憐山』の幹部側近・キンリ。
人の争う様を傍観することが大好きな異常者が、ニヤリと卑しい笑みを浮かべた。




