第21話・・・分断_遭遇からの苦心_「早く出てこいよっ」・・・
猪本がリタイアとなった。
その衝撃は観戦中の生徒はもちろん、教師にも奔った。その中でも一番の衝撃、心の動きを強いられたのは学園長である武者小路源得であった。
源得がいるのは薄暗い小部屋。そこには椅子、机、冷蔵庫など、数時間居座るための設備が簡易に用意されている。
その部屋には源得以外に誰もいない。
誰もいない部屋で、源得は机に両肘をついて手を絡め、唸るように呟いた。
「やむを得ない、か」
◆ ◆ ◆
湊と愛衣が猪本を倒してから、時間が経ち、ついに試験終了15分前になった。
その間、湊と愛衣の身には驚くほど何もなかった。二人はどこかに身を潜めていたわけではないが、それでも誰とも遭遇することはなく、時間だけが過ぎていった。
二人は今、林の中を歩いている。
「んー、こうなると、大体の生徒がリタイアしたっぽいねー、湊」
愛衣がゆらゆらふらふらと変なステップで歩きながら言い洩らし、湊も肯定する。
「そりゃそうでしょー」
「先生もみんなリタイアしちゃったのかな?」
「さあ。あ、でも俺と総駕で宗形先生は倒したよ?」
「ほんと? 凄いじゃんっ。でも私と深恋だって庭島先生倒したよー」
「…瞬殺?」
悪戯っぽい顔で聞いてくる湊に、愛衣も負けじと意地の悪い笑みを返す。
「うん。ほぼ瞬殺」
「やっぱ先生は瞬殺だよなー」
「うんうんっ。リミッター付けてる上に私達のこと舐めてるもんねー」
「実力出される前に手っ取り早く片付けるのが一番だよなー」
ゆったりとした笑顔で向かい合い、「イエーイ」とハイタッチをする二人。
恐れ知らずなことを話す二人。観戦中の生徒は笑えない顔で乾いた笑いを発し、宗形と庭島は顔を引き攣らせていたことを、湊と愛衣は知らない。知らないが、容易に予想できた。
呑気な話を交わす二人は、同時に、上空から迫る気を探知した。今の時点では、二人の実力にしては気付くのが早過ぎたので、しばらく表情に出さないよう気を付けてから、F級でも気付く頃合いになると、バッと上を見上げてすぐ転がるようにその場を離れる。
湊と愛衣が二手に分かれるように離れた直後、元いた位置で雷による炸裂が起こる。ビリビリという電撃音が劈き、草木を焼き焦がす。
愛衣は転がって態勢を整えながら、上空の敵について考えた。
(肉眼では全く見えない…一体どれだけ上にいるのよ…。でもこの司力、十中八九蔵坂先生ね)
そう。雷炸裂弾を落としたのは蔵坂鳩菜だ。その鳩菜の手によって、また弾丸が二発撃ち落され、炸裂を起こす。愛衣と湊は再度その場から遠ざかった。
(十分に距離を取っての高火力攻撃…。猪本先生達とは違って随分と警戒してくれてるみたいね……)
「ッてうわぁ!」
また撃ち落された。また離れる。
(狙いは私と湊を分断すること?)
また撃ち落され、また離れる。
読みは正しいようだ。愛衣は心中で不満気に溜息をつく。
(湊と離れ離れになるのは名残惜しいけど、もう残り時間少ないしね。無理に倒さず別々に逃げるのが最適かっ)
考えをまとめた愛衣はすぐさま逃げ一辺倒となり、見事に危機を脱した。
同時に炸裂音が聞こえなくなったことから、湊も無事逃げたのだと理解した。
※ ※ ※
(これで良いんですよね。クロー隊長)
※ ※ ※
愛衣は一本の木に寄り掛かり、肩で息をしながら座り込んでいた。
湊とすっかりはぐれた上に、気も残り少ない。総駕、猪本と連戦し、鳩菜による爆撃を逃げるとなればF級では限界だ。
それでもリタイアはしたくない。
(この後、絶対何か起きる。…私に入ってくる情報が少な過ぎる所為で正確なところまでは予測し難いけど、この試験で紅井に猪本先生たちが何かするのまでは分かる)
愛衣もまた、湊同様に武者小路の動きには当然気付いていた。
(武者小路派の先生三人をリタイアさせたから武者小路源得が動き出すとは思うんだけど……なんか違和感あるのよね、この試験)
愛衣が髪をかき上げながら、疲れを顔に出す。
(何が起きてるのかなぁ)
「あれ? 速水?」
そんな声を聞きながら。
(ほんと、なんでこうも予想外のことが起きるかなぁ)
愛衣は声の法へ向き、くりっと目を丸くする。
「あら、紅井じゃない」
座る愛衣を覗き込むように勇士が首を傾げていた。
もちろん、愛衣は大分前から気付いていたが。
(……紅井、表情が……私に対する恋愛感情は見飽きたけど……なんか怒ってる? それと憎しみ…?)
勇士から只ならぬ負の感情を見取り、訝しむ。さりげなく訊こうとした瞬間、向こうから答えのようなものを言ってくれた。
「もしかして蔵坂先生と戦ってたのか!?」
瞬時に、愛衣の思考回路が高速回転する。
(蔵坂先生に対する憎悪? いや、半信半疑な憎悪と言うべきね。なんで? 紅井は確か『聖』に対して恨みを持ってる。理由は分からないけど『玄牙』を潰した後の光景はそうとしか言えない。つまり蔵坂先生が『聖』? そこは不明としても、なぜ紅井が分かった? 第四策動隊が尻尾を出すとは思えない。でも紅井は確信よりの疑いを持ってる。…直感? 根拠はない? 第四策動隊じゃ『超過演算』でも見破れない。……蔵坂先生が、ね)
一瞬の間にそんな思考を重ね、愛衣は視線を動かさず、監視カメラの存在を確認する。
(何はともあれ、公衆の面前では控えるべきね)
愛衣がそっと右手を差し出した。
瞬きして疑問符顔の勇士に、可愛らしく、儚げに愛衣が告げる。
「引っ張ってもらっていい? 疲れちゃって」
「え…ああっ、う、うん…」
愛衣の細くて白い手を、若干震えている勇士の手が掴む。引っ張るように持ち上げ、愛衣も釣られて立ち上がる。掴んだままの勇士の手からすり抜けるように、愛衣は手を放した。
そして笑顔を向ける。
「ありがとう。…やっぱり手大きいね」
ふふ、と笑う愛衣に、勇士が伏し目がちに。
「…これでも鍛えてるからね」
「ふふっ、これでもって…、どう見ても力あるじゃん」
「あ、そうか…ははっ。…速水は手小さいね。というより細いのかな」
「そう? あ、手のサイズと言えば、湊って私とほとんど一緒なんだよねっ。湊男子なのに小さくない?」
勇士の表情が少し暗くなったことに、気付けたのは愛衣だけだろう。
「湊…?」
「うんっ。以前に手を合わせたことあるんだけど、ほとんど変わらなくてさっ。身長も体格も私とほぼ一緒なんだよっ? …もう湊ってば顔だけじゃなくてパーツまで可愛いって反則過ぎない?」
「ま、まあ確かに湊は男とは思えない体してるよな…。細いし、白いし…」
尻すぼみになってる勇士を気にせず。
「もう抱き着いちゃいたいぐらい可愛いよねっ」
「だきつ!?」
「ていうか普通によく抱き着くけど」
「え!?」
勇士が過剰に反応する。監視カメラの前には琉花もいるだよなぁ、と思い、勇士を反応を抑えさせる。
「紅井うるさいー。耳元で叫ばないでー」
「ご、ごめん………あの、速水は…その…湊のことが好きなのか…?」
言葉こそ詰まり詰まりだが直球な疑問だった。
それを速水は。
「ねー、監視カメラの前でそういうこと聞くのはデリカシーなさすぎるんじゃない?」
一蹴した。
紅井がそこでようやく監視カメラの存在を思い出したように、ハッとなる。
「ご、ごめん! そ、その…つい………」
「いいっていいって。ま、好きな女の子の前では今みたいなこと、言わないようにね」
紅井は一瞬、口を閉じてぎゅっと左右に引くだけで特に表情の変化はなかった。その一瞬見せた表情の間で、どれだけの感情を押し殺したのか、愛衣だけが気付いていた。
それから数分して。
『8時になりました。以上を持ちまして、二次試験を終了します。まだリタイアとなっていない生徒、教師は各種設備、システムの点検が終わるまで今しばらくお待ちください。観戦中の生徒及びリタイアとなって休憩室、保健室にいる生徒及び先生もまたお待ちください。結界はまだ張られたままですので、外に出ることはできません。尚、モニター映像も切られます』
こうして、中間テストは終了した。
監視カメラは、機能そのものが停止し、今試験会場である獅童学園の敷地は誰の目にも映っていない。また、強固な結界に守られ、邪魔者の介入も許さない状況となっている。
学園の敷地内で何が行われているか、誰も触れることができない。
◆ ◆ ◆
林の中。
湊は木の太い枝に座り、ぶらぶらと足を揺らしていた。
その隣に立つ女教師、蔵坂鳩菜がふぅと一息ついて。
「『風撫で駒運び』。A級士でも全く気付けない微風を一定範囲に流し、その範囲内にいる人間を風で撫でるようにして歩く方角、速さ、感情の機微を無意識レベルで操る『超過演算』の応用技。…さすがですねっ。おかげでおかげでもうこの敷地には必要な人間以外いなくなってる」
「愛衣がいたから所々行き届かなかったけどね」
鳩菜の言うように、湊は試験中ずっと気付かないレベルの微風を操り、参加生徒たちの動きを操っていた。琉花・四門に来木田をぶつけたり、参加生徒の同士討ちを誘ったり、最後の最後で勇士が愛衣と合流するよう調節したりなど。おかげで今敷地には湊、鳩菜、勇士、愛衣、紫音以外誰もいない。
必要な役者は揃った。
すると鳩菜はうーんと首を傾げる。
「でもちゃんと出てきてくれますかね。ここで他の教師が出る可能性も一応あるんでしょう?」
湊が苦笑する。
「出てくるよ、武者小路源得は。あの人はそういう男だ。…そもそも、なんでカキツや猪本先生たちを、直前に試験内容変更なんて遠回りしてまで、参加させたんだと思う?」
「武者小路源得は変なところで誠実で、生徒の日常を汚す真似をしたくない、ていうのが理由の半分で…」
「もう半分は、獅童学園に潜入しているカキツみたいなスパイの目を掻い潜るため」
獅童学園は言わば源得の現在の居城でもある。『聖』のように、スパイを送り込んでいる組織は他にもいる。実際、源得が学園長に就任してから数十年間でひっ捕らえたスパイの数は山のようにいる。
それでも、カキツバタのように見付かっていないスパイもいる。
それを湊は『超過演算』で把握している。
「いくら武者小路恭太が殺された後でも、スパイは表面上は学園長の言うことに従わなければならない。そしてスパイたちは結界の中に閉じ込められ、外には出られない。…スパイも多少の対抗策は打ってるかもしれないけど、俺の読み通りなら全て無駄に終わってる」
「…『転移乱輪』の予備があれば外に出ることはできると思いますけど…」
「この試験で使われる予定のリングはシステムと連動してて、それは記録に残るからできない。そもそも、予備のリングは武者小路一派が厳重に保管してるからそう簡単に盗めない」
「ですよね。…あとは結界そのもを直接解けば簡単ですけど、5枚以上の結界を解く必要があり、それを制御室が全部解かれるまで見逃すはずもない。当然その制御室も厳重な警備下、監視下に置かれて手出しできない」
「……それにスパイたちも猪本先生たちを使って何かすると思い込み、武者小路源得のマークは甘くなってしまっている。もちろん注意は払ってるだろうけど、武者小路一派の具象系が精巧な影武者ぐらい用意できる」
「だから、この後武者小路源得自ら動くなんて誰も思ってないっていうことですよね」
「今言ったように、最初は猪本先生たちでなんとかする手筈だったからねー」
ふと湊がある方角へ目を向ける。そこは地面。何もない、ただ生い茂る草花だけの地面しかないが、湊はその奥、その先を見据えていた。
下水道よりも更に下。そこに作った小部屋に、源得はいる。
最終プラン、それは猪本達の策が移せない場合、試験終了後に源得自ら出陣すること。
源得は5時間以上、ずっと一人でそこにいた。スパイたちの目を欺くため、一人も部下を連れていない。
「これだけお膳立てしたんだ。早く出てこいよっ」
そして、熾烈な二次試験を終えた直後だというのに、事態は新たな局面を迎えることになる。




