第19話・・・リタイア組_行き場なし_卑怯も正義・・・
校舎内にある大きな休憩室。
そこには二次試験リタイアとなった生徒達がいた。二次試験をリタイアすると、まず医療班が待機する部屋に転移され、重傷の生徒は保健室送りとなり、軽傷の生徒は手早く手当を済まして休憩室送りとなる。
その休憩室には試験に参加した生徒しかいない。参加していない生徒がいる頑強な結界の内側に転移することは困難な為だ。
つまり、つい先程まで狩るか狩られるかの熾烈なバトルを繰り広げていた生徒達が集まっているのだが、大したトラブルは起きていない。
その理由は主に二つあり、一つは生徒達に取ってあくまでテストという認識が強く、「さっきはよくもやりやがったな」的な生徒同士の視線のぶつけ合いも少しはあるが、暴力沙汰になるほどではないからである。
そしてもう一つは、その休憩室に設置されている幾つかのモニターに映った二次試験の様子に釘付けになっているからである。
試験も終盤に差し掛かり、残っている生徒もレベルが高い者ばかり。そんな人々が繰り広げるバトルからは目が離せない。
湊と深恋が戦う姿を映したモニター画面を、風宮琉花は忌々し気に見詰めていた。
「漣……ほんと後で覚えておきなさいよ……ッ」
「風宮さん…ちょっと怖いですよ…」
その隣で四門英刻が琉花の滲み出る憎悪に怯えている。湊に不意を打たれただけの琉花は大した怪我はないが、四門は来木田岳徒と限界まで戦ったので傷と消耗が激しく、所々に包帯を巻いている。
琉花は何も漣に不意を突かれたことに憤っているわけではない。『紅蓮奏華家』に命じられていたにも関わらず、リタイアして勇士と離れてしまい、湊に八つ当たりしているだけだ。
それに、琉花には心配事があった。
(…なんだかさっきから勇士の様子がおかしい…)
すぐ隣のモニター画面にはふらふらと歩く勇士の姿。
(武者小路家が何するか分からない以上、もしもの場合はさりげなくリタイアしろって言われてるのに…勇士、そのこと忘れてる…?)
その時琉花は、横で四門が首をきょろきょろしていることに気付いた。無視してもよかったが、一応『御十家』の人間ということもあって、何事か聞いてみる。
「どうかしたの?」
四門がなんでもないように苦笑しながら。
「あ、いや、岳徒も来たかなって思ったんですけど……まだだったみたいです。もしかしたら今日はベッドの上で安静かもですね」
来木田岳徒、その存在を思い出し、琉花の体も強張る。琉花も辺りを見回し、来木田がいないことに気付く。来木田の怪我は猪本先生の念心法でやられたものが主であり、それは精神的なダメージが大きい。
本気ならともなくテスト程度で使った力の影響なら、既に消えてこの休憩室へ来ていてもおかしくない。
胸騒ぎがする。琉花はその場を立ち上がった。
「ちょっとこの部屋暑苦しいから外出てくる」
「う、うん…分かりました…」
◆ ◆ ◆
甘いマスクの全体的にしゅっとした男性教師、庭島屋久。
長い黒髪をポニーテールにした凛々しい女教師、宗形紗々《むなかた ささ》。
武者小路の従者であることを隠している二人は、教師用の休憩室で試験の行く末を見守っていた。
水没して息苦しい中爆発に曝された庭島と、総駕に問答無用で殴られた宗形の傷は深く、小一時間前に保健室から出てきたばかりだった。
水薬で気や傷を癒しても、肉体の深くにまで刻まれたダメージは回復をしていない。
二人の気持ちとしては武者小路のためにい何かできることがあれば、やらせてほしい。しかし、二人は身分を隠している上に、本来の動きの四分の一も出せない。源得のいる結界とも違う。
二人にできることは、何もしないことだけだった。
「…漣湊と速水愛衣。どう思います?」
庭島がモニターを眺めながら聞く。その声に覇気はないが、真剣味はある。
「恐ろしい才能です。多摩木要次の研究所でB級相手に勝利したと聞いた時、半信半疑でしたが、確信させられました。…彼らなら『超過演算』にも至れるでしょう」
宗形が重い口調で答える。
『超過演算』、その単語に庭島は一段と表情を深くした。
「…百年に一人という割合で生まれると言われる天才が同世代に二人。笑えませんね」
「庭島は『超過演算』が苦手でしたっけ」
「僕は一度それを持つ人に会ったことがあるんですけど、完全に思考を読まれるあの感覚はどうしても嫌悪感を抱いてしまいますよ」
庭島の自嘲気味の様子に宗形が薄く微笑む。
「第十席・情報統制組織『禁架』の長ですね。ほぼ正体不明で『AM』とだけ呼ばれている老婆」
「はい。性格はむしろ良い方だと思いますけど、その〝脳〟を持ってるだけで『理界踏破』を持つS級士並みの威圧を感じました」
「……その気持ちも今なら分かる気がします」宗形が言いながらモニターの湊達を観る。「『超過演算』を持つという前提で観れば、彼らの仕草一つ一つが、相手の攻撃を予期したように、完璧に動いている」
そこで庭島が何か思い至ったように、表情をハッとさせる。
「…宗形、ふと思ったのですが……、猪本は漣湊と速水愛衣を倒せるでしょうか…?」
「…ッ!」
すぐに何かを言おうとした宗形が、口を開けたまま固まる。
猪本は普段は覇気の欠片もない、むしろ生徒からも小馬鹿にされる人間だが、その実力はこの学園では武者小路学園長に次いで二番目。庭島や宗形とも一線を画すA級士。
来木田岳徒相手でも余裕で勝ちを獲った。
このような学園の試験で、負ける要素などないに等しい。
それでも、即否定できなかった。
「で、でも…! いくらなんでも……あの猪本が……学園長のバックアップも受けてるんですから…」
ついに出た否定意見も、説得力を有していないことは宗形自身が痛感した。
「…もしかしたら……」
庭島が消え入りそうな声で呟く。
「もしかしたら、最終プランへ移行するかもしれませんね」
庭島はどこか覚悟を決めた顔付きで言い、宗形は目と口を強く閉じて不安を必死に掻き消した。
◆ ◆ ◆
勇士が炎の刀を振るう。
「ああああああッッ!」
「くうううッッ!」
そして、二人の男子生徒がリタイアとなった。
勇士がふらふらと林の中を歩く。監視カメラは勇士の表情まで映していないので、観戦中の生徒もただ疲れただけなのかと思い込んでいるが、その切羽詰まったような表情を見れば何かしらの異変を感じるだろう。
勇士の頭の中は数時間前からほぼ変わらず、『聖』のことで埋め尽くされている。
蔵坂鳩菜。担任教師。
勇士は彼女のことを尊敬しているが、親しいかどうかと言われれば、怪しいところだ。
鳩菜は良い先生だ。気さくな態度で生徒からも慕われ、士としても多大な才覚を持つ。
しかし、あくまで生徒と教師、大人と子供。積極的な生徒なら鳩菜との距離も近かろうが、勇士はそういった生徒ではない。
そういう意味では、思入れも少ない。
しかし、『聖』だった場合、斬れるかどうかと聞かれると怪しい。技量面もそうだが、何より精神面でだ。鳩菜とカキツバタと思うことで違和感が消えたが、憎悪が湧いたわけではない。
鳩菜が生徒の親身になる姿はここ二ヵ月で何度も見て来た。本当に素晴らしい先生だ。
入学直後の二者面談の時のことを思い出す。勇士の戸籍情報は捏造されているが、この学園にまで通用するとは考えられていない。『玄牙』の件もあり、少なくとも勇士の正体が別の何か、だとは確実に予想されている。
担任となる鳩菜にも、何かしらの通達はあっただろう。それでも二者面談の時、鳩菜はそのことに全く触れず、あらかじめ用意していた仮初の勇士の父の話に、嫌さも面倒さも感じさせない姿勢で聴いてくれた。そして二者面談が終わった後、優しく、包み込むような声で、「何かあれば遠慮なく先生を頼ってね」と意味深に囁いてくれた。まるで言っても意味ないだろうけど、言わずにはいられない、そんな雰囲気があった。
その瞬間、勇士は鳩菜のことを完全に信じた。実際、本家のことは言えない。ただの一教師に言えることは何もない。それでも嬉しかった。薄汚い大人を何人も見て来た勇士は、鳩菜のような大人がいることが嬉しかったのだ。
……それがもし『聖』だとしたら? カキツバタだとしたら? 演技だとしたら?
そんなこと考えたくもなかった。
◆ ◆ ◆
(ちょこまかしやがって!)
総駕が水の拳を飛ばすが、愛衣はそれを難なく躱す。躱せない時は水と小型爆弾で容易に防ぐ。
つい心中の言葉が荒くなるが、冷静さを失ったわけではない。愛衣は防戦一方だが、こちらの隙を常に狙っている。おそらく、総駕が冷静さを失い、力任せな攻撃へと転じていたら、既に敗北していた。そんな場面が幾つかあった。
(湊が言ってたっけ。速水と一対一になった時、こちらの動きを完全に読まれて全て防がれる。しかし身体能力で俺が大幅に上回っているから、中々不意打ちも決められない。平行線になるって。…だから)
その後に続く湊の言葉を思い出す。
『だから、愛衣の予測の上を行く必要がある。究極的に言えば、それだけで勝てるってことだ』
予測の上を行く。総駕一人では不可能。しかし総駕は一人ではない。
ここにはいないが、湊がいる。湊から予測の上を行く手を授かっている。
(速水…お前なら俺が『何か』を狙っていることには勘付いてるだろう? だが、『何か』の詳細までは分からない。湊が絡んでるとなると、お前の予測も一つに絞り切れない)
総駕が水の拳を放つ。放つ。放つ。連続して水塊を浴びせる。
愛衣はそれを防ぐ。防ぎ続ける。愛衣の表情には余裕があるが、それも色褪せていく。
(俺とお前じゃ身体能力と気量に大きな差がある。悪いが容赦なくその唯一の差を利用させてもらうぞ? いくら最小限の力で防ごうと、体力的な限界に近付くのはそっちの方が早い。……疲労で隙を見せた瞬間、奥の手を喰らわせてやる!)
十分に距離を取って水の拳を飛ばし、態勢が崩れるのをひたすらに待つ。
すると、愛衣がこちらに向かって駆け出してきた。
水の拳を飛ばすが、端の薄いところを強引に通ってくる。いくら距離を取ってると言っても狭い教室だ。すぐ両者の距離は僅か5メートルというところになった。
総駕の瞳に決意の光が輝く。
愛衣の隙。疲労はしていないが、勝負を早めようという焦りからきた隙。愛衣のことだ。勝算があってのことだろう。しかし、
(今だ!)
総駕は迷わず加速法で駆けた。
お互い急接近して腕を伸ばせば届く距離になる。
(同じ構え、同じ速度、同じ見た目から放つ湊に鍛えてもらっ…)
その時、総駕の目の前に一枚の写真が目に写った。
愛衣が接近してきた総駕の視線の先で舞うようひらっと投げておいた写真だ。
その写真を見た瞬間、総駕は反射的に腕を振るい、その写真を消し飛ばした。
後先考えず、に。
その隙を、目の前の愛衣が見逃すはずもない。
「『急所集中爆破』」
総駕のこめかみ、頚椎、喉元、鳩尾、脛、膝など、人体の急所に小型爆弾を集中させて爆破する精密さと知識を必要とする技だ。
直撃した総駕が倒れ込む。大ダメージもそうだが、何より総駕を襲っているのは気持ち悪さだ。脳を揺さぶられる攻撃をされ、全身が地味に痛い。
意識を保つのがやっとという状態だ。
当然リタイア判定となり、光に包まれる。
愛衣はもうすぐ転移させられる総駕の横に屈み、眉をハノ字にして声を掛ける。
「ごめんね。卑怯な手使って」
横倒れとなっている総駕がとても息苦しそうにしながらも口を動かす。
「……これ、は勝負だ。どんな手を、使ってであれ、勝者はお前だっ……」
その声はどこか楽しそうだった。
先程投げた写真に写っていたのは、紫音だ。意を決してイチかバチかの攻撃を仕掛ける、集中力が最高潮に達した瞬間に飛び込んで来た想い人の写真。
総駕が考えたことは人の目だ。監視カメラの向こうにいる生徒に気付かれたくなく、すぐさま抹消した。さすがに写真の紫音を消せない、という程甘くはなかった。
消した後は痛いような気持ち悪いような苦痛に襲われ、今こうして地に伏している。
「…なーんか、湊に負けた気分だわ」
そして、総駕はリタイアとなった。




