第21話・・・同調法_苦しい選択_愛衣も疲れる・・・
激しい爆発音と共に床が揺れる。
しかしそんな中でも、勇士は刀を振るい続ける。
カキンッ、カキンッと、幾重もの金属音が廊下に響く。
「ぐッ…!」
押されているのは勇士の方だ。
友梨のまるで『妖具』に振り回されてるような乱雑な攻撃を勇士は防いでばかりだ。時々できる隙もうまく活かせない。
その光景を観ていた琉花が唇を噛む。
『妖具』の瘴気に犯されながら、勇士の状態を分析する。
(無理もない…。不破宇圭との戦いでかなりの気を消費してもう残り半分を切ってる…。おそらく秘伝式はもうできないと見るべき…)
普段の勇士ならもっと善戦できる。勇士の気も無限ではない。
(紫音の手前、迂闊に二刀流を使えば流派がすぐに割れる……。だからと言って紫音を気絶させるわけにはいかないッ。この瘴気の中で意識を失うのは危険…!……やっぱり、最悪の場合は紫音にばれるのを覚悟しておくべきね…)
このままでは、勇士が負ける…。
そこでまた研究所が揺れた。
(それにしてもこの爆発…なんなのよっ!)
(紅華鬼燐流・四式『烈翔華』!)
刀の峰から火が噴き出し、ロケットブーストの要領で威力を上げた刀を真横に薙ぐ。
(これなら素手で止められないだろ!)
友梨はそれを直感で判断したのか、野性味のある仕草で屈んで躱し、低姿勢のまま包丁の切っ先を勇士の腹に向けて突き刺そうとする。
しかし。
(五式『俊天華』!)
友梨の頭上を通過途中の刃、それを握る右腕の筋肉を気で操り、腕を直角に下ろす。本来ではありえない軌道を描いて友梨の肩に刀が振り下ろされる。友梨が勇士の腹を刺すよりも速い。
深手を与えてしまうが、今の友梨なら致命傷にはならないだろう。
だが友梨は肩まで5センチという距離まで刃が迫った瞬間、友梨を取り巻く禍々しい気が膨れ上がった。その勢いに勇士のバランスが崩れ、刀も吹き飛ばされる。
そして包丁が腹に刺さり、浅い段階で咄嗟に斜め後ろに跳んで回避する。ゴロゴロと体を床に強く打ち付けて少々痛いが、これで済むなら安いものだ。刺されたことで悲しみがまた押し寄せてきたが、心を強く持って堪えた。
すると、友梨の気の膨張が止まっていないことに気付く。
紫音と琉花の苦痛が増す。
勇士をこれ以上長引かせられない、ともう一本の刀を取り出そうとした時、
友梨の気が更に膨れ、大量の砂が放出された。波のように砂が押し寄せ、勇士達を呑み込もうとしてくる。
『砂塵領域』。
領域系と属される技の一つ。これは土属性のものだ。
勇士は同じサークルに入っている稲葉の質を思い出す。協調系土属性。今まで満足に使えていなかったから見落としていた。
砂が流れ込むように襲い掛かる。
勇士は廊下の壁沿いで蹲る紫音と琉花の前に加速法で移動し、
(炎の壁!)
火で壁を作り、防ぐが、砂の勢いが激しく突破されそうになる。
(この砂はまずい! 『妖具』の気が浸みこんでる上に友梨の包丁と協調されて砂の一粒一粒が刃となってる! これは触れたらまずい!)
勇士は炎の壁から数歩下がり、納刀する。
そして、炎の壁を解く。再び襲い掛かる砂へ。
(紅華鬼燐流・九式『過蒸閃』!)
一瞬の居合い。と同時に間合い外の砂までもが蒸発して消えた。全ての砂が、というわけにはいかないが、その奥の砂の波がこちらに到達するまで数秒の余裕ができる。
その間に勇士は素早く納刀し、琉花と紫音を両脇に抱えて歩空法で空中へ逃げる。
廊下は隙間なく砂で埋められて砂漠のようになり、機械感のある銀色の壁とのコントラストが妙な爽快感を覚えさせる。
勇士は息が完全に上がってしまい、もう残り気も少ない。
と、そこで、友梨がどこにも見当たらないことに気付いた。
(ッ。いつのまに…土の中に隠れたのか…?)
いやそれはおかしい。『妖具』に取りつかれた者は自我を失い、攻め一辺倒の戦いになるものだ。中には例外もあるかもしれないが、友梨はどう見ても前者。
コソコソと隠れずに殺しに掛かってくるはず。
次の瞬間、勇士の真下の砂が盛り上がり、まるで蛇のような曲線を描いて襲ってくる。勇士は歩空法と加速法で躱し、火で振り払う。しかし力も限界近く、両脇に琉花と紫音を抱えたままではどうしても動きが制限され、足が捕まってしまった。
足に纏わりついた砂が蛇のように足から腰へと這い上がってくる。
(くっ…この程度の砂なんかッ!)
勇士は砂が張り付く部分から炎を噴き出し、振り払おうとする……が。
グサリ。
「カハっ……!?」
腹部への痛みが激しく、吐血してしまう。と同時に悲しみが襲い掛かり、涙を流しながら、自分の目の前で起こっていることに驚愕する。
そこには友梨がいた。上半身だけで。
勇士に纏わり付いた砂から友梨の上半身が姿を現していた。しかし水面からでてきたような感じではない。何より、上半身の途切れ目が砂化している。
(これは……まさか…同調法!?)
〝同調法〟。
協調系特有法技。
協調の気で自分の体を完全に他の物体、物質へと変換する超高等技術。協調は2つの性質を併せ持たせる、と言うが、正確には一つの性質に別の性質を加えることを指す。例えば、水と剣を協調する際、正確には水に剣の殺傷力を加えることが多い。
同調法は自分自身を他の物体、物質の性質を100%協調、付け加えることで『その物』へと化す技法。
転移法以上の代物だ。
(これが『妖具』の司力か!?)
今はとにかくこの状況を打破しなければならない。こうしている間には友梨の包丁は更に深く刺そうと力を入れている。
勇士は筋肉を強化することでなんとか踏ん張っている状態だ。体に纏わり付いた砂も気分が悪くなる。そして刺されていることで悲しみが増幅していく。
すぐ横で意識が朦朧している琉花が苦しそうに言う。
「ゆう…し…、わたしを…はなして……」
勇士は痛みを堪えながら一蹴する。
「ダメだ! ここで放り出してあの砂に埋もれたら取り返しの付かないことになる! いいから任せろ!」
(炎の吐息)
口から火と噴き、友梨を追い払おうとする。が、友梨を守るように砂が壁となって炎を防ぐ。そのまま包丁をグサッと奥まで沈め、勇士が吐血し、炎が切れる。
(こ、このままじゃ……)
勇士のダメージが限界まで近づいた……その時。
(友梨、ごめん!)
友梨の背中に試験官が3本ほど当たり、パリンと音を立てて割れる。そして中に入っていた医薬品が友梨の背中を焼いた。
「アアアアアアァァァァアアッッッ!」
友梨が痛みに絶叫し、勇士を拘束する力が弱まる。
「紅井! こっち!」
「…速水!」
声の方向にいたのは愛衣だ。砂塵領域の範囲外の遠くから叫んでいた。壁沿いに立ち、腕を大きく振って手招きしている。
勇士は迷わず愛衣の元へ加速法で跳んだ。
愛衣の横を通過して着地すると、愛衣は無造作に4本ナイフを壁へ不規則に間隔をあけて刺し、勇士が何をしているのか訊く前に目の前でシャッターが下りた。内側に少し友梨の砂が残っているが、完全に下まで閉まり切っている。
口をだらしなく開けて驚く勇士に、愛衣は言った。
「こっちに砂入れちゃったけど、心配はないと思うよ。同調法は転移法と違って別の場所にあるものへ移動はできない。それに『妖具』に取りつかれた状態じゃこの砂を正確に操ることもできないから」
「え、あ、ああ…」
勇士はなんと言っていいか分からず、取り敢えず頷いた。
愛衣はそんな勇士の様子に肩を落とし、勇士が着地すると同時に仰向けに寝かせていた琉花と紫音に近付く。
「あ…い……」
「………」
「2人ともまだ意識はあるみたいね。…これ、飲みなさい」
懐から取り出した試験官の中の溶液を琉花と紫音に飲ませる。勇士が黙って見ていると、琉花と紫音の顔色がよくなってきて、体を起こす。
「一体、これは……?」
紫音が愛衣を見上げる。
「薬品庫にあった対妖具用の士器。それを飲んでおけば、免疫力が上がって『妖具』の瘴気にやられる心配はないと思うわ。さっき友梨に投げ付けたのも似たようなものよ」
全員が目を丸くして愛衣を見詰める。
愛衣は溜息をつく。
「なにそんなに驚いてるのよ」
琉花が思わず声を上げる、
「だって…なんか雰囲気変わってるっていうか…」
「私、頭は結構良いからね。冷静さにも自信があるのよ」
「冷静さって……あ、そうだ! ねえ愛衣っ、さっきのゴーレム男って…まさか…」
愛衣は若干苦笑して。
「まあね。今みたいにシャッター利用してなんとか」
琉花が「利用って…」と呆然とする横で、勇士が戸惑いを隠せないまま呟く。
「そんな簡単にシャッターが落とせるわけが……」
「まあ難しいっちゃ、難しいわよ。壁内の配線を正確に切るのってまあまあ頭使うからね」
「いや、だからそんなこと…」
未だ信じられない様子の勇士に琉花がボソッと告げる。
「漣もやってたし、不可能じゃないと思うわ…」
「湊も!?」
「漣の場合はシャッターを開けてたけどね…」
「開けるって…」
唖然とする勇士に、愛衣は強めに声を張る。
「紅井っ、目の前のことで起きたことぐらいちゃんと理解しなよ。…それに今はそんなこと言ってる場合じゃないんだから」
その言葉で、3人ともハッとなり、シャッターに目を向ける。
「そ、そう言えば友梨さんは…」
「まさかもう……」
紫音と琉花がそう声を洩らすが。
「いや、いる。シャッター越しでもひしひしと感じる」
「紅井が既にロックオンされたみたいだからね。わざわざ逃げなくても紅井が殺されるまで付きまとってくるよ」
勇士達が苦い顔をする。
「実はシャッターを3つ下ろしたの。これで多少の時間稼ぎにはなるわ」
シャッター3つという言葉に全員半眼になったが、すぐに切り替える。
「でも…策なんてあるの…?」
「ある。少なくとも友梨の暴走は止められるわ」
愛衣の今までにない力強い言葉に、3人は希望の光を見た。
勇士は一瞬自分が情けなく思ったが、すぐに笑みを浮かべ、仲間である愛衣に任せることにした。
◆ ◆ ◆
統制室。
そこは混乱の渦中にあった。
爆発の揺れが響く。元々その部屋の周りには多く仕掛けられていたのか、勇士達のいる場所とは違い、短い間隔で爆発の揺れが神宮寺達を襲う。機械の非常警報などと相成って喧噪と焦燥を掻き立てる。
「原因はまだ分からんのかッ!? 絶対あのガキの内の誰かじゃッ! はよ見付けんかッ!」
「サーバールームがやられて監視カメラやセンサーなどのシステムはもうほとんど機能しませんッ!」
「調査に向かっている神宮寺様の部下の方々もあちこちシャッターが行く手を阻んでろくに探し回れないようです!」
「茅須弥生様とも連絡が取れません! おそらく…もう…」
多摩木が唇を噛みしめ壁を蹴る横で、神宮寺は眉間に皺を寄せて考え込んだ。
(弥生が負けた…? そんな馬鹿な…)
しかし考える余裕は与えられなかった。
神宮寺のスマホが着信音を鳴らす。会社からだ。
「どうした!? 今忙しいんだ! 用件は後で…」
『た、大変です! 警察が……『御劔』が乗り込んできました!』
神宮寺の頭が一瞬真っ白になる。
「な、…ど、どういうことだ!」
『詳しいことは何も! ですが令状を持って有無を言わせず会社中を…』
その時、また爆発が起こり、スマホが手からすっぽ抜けてしまう。床に勢いよく落ちて画面が割れる。
「くッ…一体何がどうなってるんだッッ!」
スマホを拾い上げ、強く握り占めながら叫ぶ。そんな神宮寺の肩に多摩木が手を乗せる。
「神宮寺くんや、儂はこの研究所を捨てることにする」
「なっ…それでは『妖具』の研究はどいうなるのですか!? 弱き者に力を与える夢はどうなるのですか!」
「もう無理じゃ。今の状態で『妖具』の娘を捕らえることはできん。そもそも『妖具』用の実験室が全て爆破されておる。…手元のUSBに保存はしてあるが、これだけじゃどうしようも…」
多摩木がポケットからUSBメモリーを取り出す。神宮寺はそれを必死に掴み取る。抵抗する気のない多摩木からすぐに奪えた。
「だ、だったら僕が…僕が続けます……あと一歩なんだ…」
「勝手にせい。…儂は他の研究所へ向かう」
「他の? だったらそこで…」
「無理じゃ。そこはサブに過ぎん。『妖具』を押さえつけられる程の設備は揃っとらん」
くっ…と神宮寺は苦虫を噛み潰したような顔をする。
「それで、お主はどうする? ここまで付き合ってもらったんじゃ。逃げる手助けぐらいならするが?」
「逃げるってどうやって…」
「転移法じゃ。他の研究所とは一瞬で行き来できるようにプログラムしてある。すぐ隣の部屋でだけ繋いである。……儂の部下も、この研究所の各場所に設置された転移門から隣の部屋に移動しておるじゃろう」
神宮寺は迷う。このまま『妖具』を取り逃がしていいのか。それ以前に会社に警察が踏み込んできている。このままでいいのか?
苦しい葛藤の中、神宮寺は頷いた。
「分かりました……。お願いします」
◆ ◆ ◆
稲葉友梨、本名戸毬那遊は1つのシャッターの前にいた。
後方には大きい穴の空いたシャッターが2つ。これが最後のシャッターだ。自身が纏う歪んだ気が増幅し、包丁が振るわれる。
「ッ。もうすぐだ…」
勇士はシャッターの前で刀を構える。愛衣がくすねた水薬である程度は回復できた。
女子3人は離れたところで琉花の風に包まれている。
手助けできなくて悔しそうにする琉花に、愛衣が一言添える。
「そんな顔しないの。いくら免疫力上げても瘴気を目の当たりにしたら耐えられないんだから」
「分かってるわよ…」
そんな琉花をよそに、愛衣は固唾をのむ。
(頼むよ、紅井。……あんたが負けたら私がやらなきゃいけなくなるんだから…)
すると、シャッターを切り裂く音が一段と大きくなったのが分かった。
もう間もなくだ。それから1分もしない内に、
シャッターに大穴があき、友梨が激しい瘴気と共に一歩一歩踏み出てきた。
離れている琉花達も顔を歪ませる。改めて感じてみると本当に苦しい。
『妖具』を相手にするにはB級上位並みの実力がいるとは聞くが、それでも堪えられるかどうか…。
そして、勇士と友梨の剣戟が繰り広げられる。
勇士は愛衣の言葉を思い返す。
『「妖具」に取り憑かれると感情の機微に凄い敏感になる…らしいよ。本で読んだことがある。紅井はとにかく接近戦で殺気を放ち続けて。そうすれば私達に危害が及ぶ可能性も激減するし、今言った決め技の布石にもなる』
今の勇士と友梨は五分五分。正直、愛衣の策無しにこのまま戦えば勇士は勝てると踏んでいる。先程と違ってコンディションもある程度回復したし、琉花達も遠くへ避難している。『妖具』は危険だが、勇士は数々の経験から僅差で勝ちを得られると確信している。
しかし、それは僅差であり、更に言えば長期戦を見越してのことだ。
愛衣の策は最短で余分な力を使わずに済むものだった。素直に脱帽した。
(頭が良いと悪いとでこんなに違うのかよ)
勇士は刀に炎を纏い、殺気全開で刀を振り下ろす。しかし、あくまで殺気を限界まで振り絞っているだけだ。殺す気もなければ全開というわけでもないし、何か工夫した攻撃をしているというわけでもない。
これも愛衣の策だ。
『いい? 基本、単調な攻撃で確実に殺そうとはせずに相手するのよ。変に工夫したり隙を狙ったりしたら友梨もそれに対応する大技を繰り出してくるからね。隙とか狙わなければ今の友梨なら確実にガードしてくれる。とにかく、命の危険を感じさせなければ大丈夫ってことよ』
先程戦った時は『烈翔華』からの『俊天華』で友梨を完全に捕らえたと思ったが、逆に砂塵領域が発動してあと一歩のところまで追いつめられてしまった。
(速水…どこでそんな観察眼を…。速水なら超過演算と呼ばれる領域まで至れるかもな)
その間も金属音が鳴り響く。何度も何度も何度も。
そして、5分程経った。
勇士は目線だけを愛衣に向ける。愛衣が頷く。
(よしっ!)
勇士は覚悟を決めて、友梨へ炎の刀を振り下ろす。友梨はそれを難なく包丁で防ぎ、横へ強引に反らす。そして包丁で刺突してくるが、勇士は左へ体をずらして躱す。友梨は空振った態勢から包丁を右へ動かし、勇士を追従する。その間に戻した炎の刀で包丁を受け止め、両者弾かれるように体少し仰け反り、片足を後ろに置いて踏ん張る。
そして、再び両者が剣戟せんと接近し、
勇士は炎を纏った刀を空中へ優しく放り投げた。
友梨の眼前で、注意を引くようにして。
愛衣はこう言った。
『簡単な条件付けだよ。凄まじい殺気と刀を同時に発することで友梨は刀と殺気を同じものと見るはず。刀には火を纏わせといてね。そうすれば火の匂いや熱さも刺激になって条件付けしやすくなる。自我がほぼない状態なら尚やりやすい。…そして、その刀を友梨の真ん前で空中へ投げればいくら感情の機微に敏感になってる友梨でも大きな隙が生まれる』
そして愛衣は言った。
『そこが最初で最後の最大の好機よ。絶対逃さないで』
(もちろん!)
勇士は刀に注視を引かれている友梨の懐へ潜り込む。
ボクシングスタイルだ。『家』では徒手空拳もある程度は教え込まれた。
勇士は拳に炎を纏い、思いっきり放つ。
炎の拳は友梨の腹へと深々と突き刺さり、
次の瞬間、拳が体を通過した。
「!?」
血が噴き出たわけではない。砂だ。砂が飛び散り、柔らかな感触がした瞬間に拳は体を通過した。友梨の脇腹に大穴があくが、特段苦しそうではない。
(ッ!! 同調法ッッ!! 砂塵領域なくても使えるのかッッ!!)
友梨は拳の軌道からずれ、砂が集まるようにして体を一瞬で元に戻す。勇士はまだ拳を振り抜いた状態で態勢も全然整っていない。
(ヤバいッ! このままじゃ…)
間に合わない。
友梨が包丁を振り下ろす。
しかし。
グサッ。
「ウっ…」
それは友梨の声だった。苦しそうな。
勇士は何が起きたか分からないまま、拳を突き出した反動で倒れ込む。すぐに立ち上がって態勢を立て直した時、気付いた。
友梨の包丁を持つ腕に矢が刺さっていることを。
「これは…」
(琉花の…)
視線を向けた。案の定、琉花が弓を構えている。矢を放ったようだ。瘴気に中てられて苦しそうだがさっきほど酷くはないみたいだ。
琉花の隣にいる愛衣が叫ぶ。
「紅井! 何してんの! 速く包丁を!」
「えっ…あっ!」
勇士は包丁を握る力が弱まっていることに気付き、包丁を蹴り飛ばす。
途端、友梨が倒れ転がりながら苦しみ出した。
「ああうあううアアアアウううぁァァぁァァァアアあああああああぁぁァァッッ!!」
声にならない声を上げて呻き、まるで包丁を追い求めるように這う。
そんな友梨にまた矢が突き刺さる。急所を大きく外し、5本ほど刺さる頃には友梨の呻きは大分収まっていた。
すると愛衣が走って近付いてくる。周囲に漂っていた瘴気は琉花の弓矢の風圧でほとんど掻き消されていた。
愛衣は友梨の頭の横に膝をつき、ポケットから注射器を取り出す。勇士が声を上げる前に躊躇なく友梨の首へ打ち込む。
友梨の体から歪んだ気が静まっていく。
勇士は思わず尋ねた。
「それも対妖具用の士器か…?」
「ええ。簡単に言えば筋弛緩剤と麻酔薬と鎮静の気が混ざった感じの薬品。でも安心しないでね。『妖具』を手放したとはいえ友梨の体はまだ『妖具』と繋がってる。今だけはなんとか安全ってだけ」
勇士は自分の刀を拾いながら、蹴り飛ばした包丁を横目で見て、
「終わった……のか?」
「全てが終わったわけじゃないけどね」
「そうだな。そうだよな。……………………ちょっと待て、おい速水! 俺を完全に囮として使っただろ!」
勇士の拳が同調法で無効化されることぐらい、愛衣なら理解できていた気がしてならない。
愛衣がわざとらしく目を逸らす。
「別に~。紅井が決められるならそれで良かったし、私はそれがダメだった時のためにプランBを用意していただけだし」
そこに琉花と紫音が遅れて駆け付け、琉花がジト目で愛衣を見ながら言った。
「愛衣言ってたわよ。『絶対紅井の攻撃は失敗する。そして友梨は無防備な紅井に止めを刺しにくる。その瞬間を狙って友梨の腕を狙って』って」
勇士の顔が引き攣る。
生物が一番の隙を見せる瞬間は生物を狙う瞬間、とはよく言うが、その囮にまんまと使わされてなんだか釈然としない気持ちが湧く。それが見事に成功しているから尚更だ。
「速水……」
色々な感情が混ざった瞳で見詰めてくる勇士。
「…ふふっ」
愛衣はちろっと舌を出し、悪戯っぽくそれでいて可愛らしい笑みを浮かべて言い放った。
「敵を騙すにはまず味方からって言うじゃんっ」
ドクン。
「それよりも友梨を速く静かに寝かせて上げられるところまで運びましょう。そろそろ矢は抜いていいと思うわ。鏃の薬も十分浸透したでしょうから」
愛衣は琉花と紫音の手を借りて、矢を抜く。全部抜き終わり、紫音と愛衣が友梨の両脇を抱え上げ、ゆっくりと歩き始める。
愛衣はかなり疲れていた。雑魚相手にグダグダした戦いを制し、S級レベルの強敵をなんとか撃破、その後ほとんど回復できないまま『妖具』を相手にする。
改めて確認するが、愛衣は疲れていた。
そして勇士からすぐに目を離し、そこから先友梨に掛かりっきりでしばらく勇士に目を向けなかった。
そして更に付け加えるならば、愛衣は自分が可愛いという自覚が少し抜けている節がある。
そして更に更に付け加えると、……超過演算でも人の心の奥底まで覗けるわけではない。
だから、愛衣は気付けなかった。
勇士の顔を。
うるさい心臓によって若干赤くなった勇士の顔を。




