第19話・・・理界踏破(オーバー・ロジック)_ボロボロ_爆発・・・
鮮血が舞う。
愛衣は背中から血を噴き出しながら、それでも足に力を入れて踏ん張った。深い一撃をくらい、息も切れ切れだ。それでも振り返り、愛衣の眼でも追えない速さで背後に回っていた弥生に視線をぶつける。
一瞬にして茅須弥生の気が膨れ上がった。その前まででも十分なくらいの気を保有していたのに、だ。
(今のはリミッター……。あの強さでまだリミッターを……)
そして次の瞬間に愛衣を襲った斬撃。
(………リミッター解除したところで気量はほぼ私と互角。速さでは勝てないけど、目で追えないとは思えない)
………やっぱり考えられるのは。
「『理界踏破』」
その言葉は弥生のものだ。
「……、」
「お察しの通りですよ」
『理界踏破』。
理、概念、条理、法則。それら世界を構築する崩せぬ要素に干渉する絶対的技術。
S級レベルの士でも、理界踏破の領域に達するものは極少数だ。
圧倒的気量や超精密な気操作力といった技術を極限以上にまで鍛えた者にのみ、有することのできる力。
空間や重力など、概念に含まれるものでも比較的干渉しやすいものもあるため、この力を全て解明できてはいない。そもそも、使える者がほとんどいない。S級ですら少ないというのにそのS級の中の一握り、その上そのほとんどが研究に協力してはくれないのだ。
この力の解明は永遠に不可能だと言われている。
愛衣の表情に明確な動揺が浮かぶ。と同時に、一つの疑問が浮かんだ。
(……なんでこんな奴が神宮寺なんかと組んでるの?)
しかしその疑問を振り払い、今は自身が置かれた状況の分析と打開に専念する。
「…今のは時間への干渉……よね」
弥生は隠す素振りも見せず頷いた。
「はい。『理界踏破』〝時延間〟。鎮静の力で時間の進みを遅らせました。もちろん、私へは適応されません。いくら先読みが得意な貴方でも動けないのでは意味ないですよ」
愛衣は辛そうに苦笑した。
(やっぱり。……周囲の時間そのものの流れを一時的に遅らせてる。その間彼女は止まっているに等しい敵をなんの苦労もなく切り捨てられるわけね)
相手がいくら速く動こうが、どれだけ強力な技を繰り出そうが、時間自体を遅らせれば脅威でもなんでもないだろう。
対する弥生も、感心していた。
(…私がリミッターを解除した瞬間、生成したシャボン玉を顔周りと胴体の急所を守るように展開してきた。その所為で殺すことができなかった)
弥生は別に背中を斬って嬲る趣味はない。切り札である時延間を切った瞬間、首を刎ねて確実に殺すつもりでいた。
しかし、首や頭の周りにはシャボン玉が邪魔な位置に広げられて止めを刺せなかったのだ
消滅法はそもそも使えない。
(理界踏破の使用中に他の高等法技は使えないことは知っているようですね)
瞬間的な気消費量が尋常ではなく、とても危険なのだ。
そして、愛衣の咄嗟に防御へと全力を尽くす判断。弥生がリミッターを解除した時点で理界踏破の可能性も考慮していたかもしれない。
しかし、弥生は相変わらずの無表情のまま、目を細めた。
「でも、残念でしたね」
「ぐ……ッッ!」
愛衣の態勢が再び崩れる。何もしていないのに、だ。
愛衣は口元を抑えて吐血した。
(なッ…これは……)
「二酸化……炭素……ッ」
「ようやく、毒が回ってきたようですね」
弥生は大気を火で燃焼させ、それによって発生させた二酸化炭素を背中への斬撃の際、多量に流し込んだのだ。
(中毒症状が出てる……まずい、頭が、回らない……)
愛衣が眩暈や頭痛、腹痛などに襲われる中、弥生が銃口を向けてくる。
「炭素を操作する司力、『炭素体』の劣化版ですが、私の鎮静の気も混ぜれば強力な武器にもなります。貴方の力の要であるその知能を鈍らせられるだけなら十分なくらいです」
(消滅の火炎)
至近距離で獄炎が放たれる。
(『一面結界』!)
今度は愛衣がスモークガラスのような結界の壁で炎を防ぐ。結界法も空間に干渉している法技なので、消滅法も通さない。
一面結界でなんとか身を守った……と思ったが、ピキッとそこに亀裂が入っていく。
(やっぱり……乱流法!)
苦しそうに頭を抑えながら下唇を噛む愛衣。
一面結界は確かに強力だが、弱点が大きすぎる。期待はしていない。
元々一瞬防ぐ為に結界を張った愛衣は後方に大きく距離を取りながら大小様々なシャボン玉を作り出していく、が。
その時。
理界踏破〝時延間〟
時の進みが、ほぼ完全に止まる。
※ ※ ※
弥生は全く動かない景色の中を走り抜ける。
自分が繰り出した消滅の火炎も、壊れかけの一面結界も、大小様々なシャボン玉も、全てが止まって見える。実際は何千分の1の速さで動いているのだが、実質動いていないのと同じだ。
(理界踏破の連発は私にも負荷は大きいですけど、彼女相手に手加減は一切しません)
廊下一杯の中空に配備された大小様々なシャボン玉の中を難なく潜り抜けていく。一杯に広がっているが、その隙間は大きすぎる。
身軽な弥生に取ってはあってないようなものだ。おそらく気弾によるヘッドショットを警戒してのことだろう。そういう意味ではつくづく抜け目ないと言える。
そうこうしている内に愛衣との距離がどんどん縮まっていく。今の愛衣の周囲には身を守るシャボン玉は無い。
弥生は愛衣の態勢が整う前を狙ったのだ。
さすがの超過演算も理界踏破が関連してくると読みにくくなるらしい。
弥生は勝利を確信する。
不傷水身も今さっき破った。同じS級という領域に立てばそれほど効果はなくなる。
(時間も無い。一瞬で終わらせます)
刃を構えた、その瞬間だった。
ズルっと、足が滑ったのだ。
「っつ……ッ」
高速移動の反動で大きくバランスを崩すが、膝をつく程度に収まる。潤滑水。愛衣が仕掛けておいたのだろう。小細工だ。
弥生は即座に立ち上がり、愛衣を目指す。だが今度は、右足が突如痛くなった。
(ッ……これはッ)
愛衣によるトラップでもなんでもない。
(足を……攣った…ッッ!?)
このタイミングでどうして。珍しいことだが起きないことではない。弥生は泣きごとを洩らさず鎮静の気で無理やり収める。そしてまた走り出そうとして、今度は左足を少し捻った。
滑ったわけでもなんでもない。重心が少しばかりずれ、足首に変な方向へ力が加わってしまったのだ。
単なるミス。
(この私が……!)
そして更に。
(ッッッ! しまった!!)
時間の流れが、正常に戻ったのだ。
時延間にも時間制限はある。周囲に取っての1秒は、弥生の取っては10秒というところ。
それだけあれば弥生の選択肢の幅は大きく広がり、敵を仕留めるには十分な時間だ。
しかし、今のように小さなタイムロスを繰り返すと解けてしまう。
しかも、だ。弥生が今いるこの場は弥生が展開した多数のシャボン玉の空間。
弥生が愛衣に目線を向けると、時間が戻った愛衣と目が合う。口角を吊り上げ、二酸化炭素による毒を感じさせない程に清々しいしたり顔だ。
「さすがに数秒も経たない内に理界踏破連発はできないよね!!」
周囲のシャボン玉が気を強める。
(まず……ッ!)
「『水泡の苦獄』!!」
多乱貫水による多角的な簡易レーザー、水圧重刃よる小ダメージの蓄積、捕縛水泡による拘束せんとする強力な水泡。他にも小さな波が膝丈までの自由を奪ったり、吸い込んだら危ない霧が発生したりと、様々な水属性攻撃が弥生を襲う。
しかし。
「舐めるなアアァァアアアアァァッッッ!」
けたたましい水攻撃の爆音の中、冷静沈着な弥生のものとは思えない怒声が響いた。
理界踏破〝時延間〟!!
三度、時が止まる。
弥生は肩で大きく呼吸し、全身血まみれ状態だ。口元や額、腕や足や胴体、至るところから流血している。それでも致命傷だけはなんとか避けた。ギリギリ理界踏破を使える瞬間まで防硬法と消滅法の併用だったり、厄介な水は撃って逸らしたりと、そうしてなんとか耐えきったのだ。
さて、時間を止めたところで10秒しかない。今弥生は愛衣の攻撃により全方位を水によって囲まれている。足元の自由を奪っていた水はまるでセメントのように固まっているし、空中は様々な形の水がほぼ隙間なく埋め尽くしている。
時間を止めている以上、物体に触っても動かすこともできない、わけがない。
弥生は止まった水に埋まっている足を引っこ抜く。パリパリと軽い音を立てながら足場の水は砕けた。空中の水も銃剣の刃を振り回しながら除去する。例えるならお菓子の家を壊しているような感覚だ。
障害を除去しながら速攻で突き進む。
愛衣との距離は近い。今度こそ息の根を止めてやる、と半眼ながらも怒りに燃えている。
しかし。またしても、弥生はミスを犯す。
銃剣の刃で自身の膝を切ってしまったのだ。無造作に振り回してはいたが、それでもこんなミスをするのは初期を除けば初めてだ。
弥生は止まってしまった足を無理矢理動かす。まだこのペースで行けば十分間に合う。止まった水という不安定な足場など渡らず、弥生は歩空法で安定した足取りで水を除去しながら突き進む。
もうすぐ、もうすぐだ。
そして、ついに視界が明けた。動く様子のない愛衣だ。
歩空法で空中に立つ弥生が上から目線で見下ろす。
弥生は躊躇しなかった。時間もない。
決める!
弥生は両銃剣を即座に、力強く構え………、またしても弥生の動きが止まる。弥生の両腕に痺れが走ったからだ。愛衣のトラップに引っ掛かったとか、そういうわけではない。
(これは……、力強く構え過ぎた………反動!?)
愛衣の姿を確認した瞬間、弥生は腕を勢いよく伸ばして突き出すように銃剣を構えた。その力の動きは今の弥生の腕には無理があったのだろう。
しかしそれでも、弥生は驚愕を隠せない。普段ならどれだけ疲労していようとこんな初歩的なミスはしない。今の自分は確かに頭に血が上っていたが冷静さを欠いていたわけではない。
最小限の力で敵を殺す、それが弥生の戦闘スタイル。
それなのにこん初歩的なミス……0パーセントとは言わないが、5パーセントあるかないかだ。
そんなことを一瞬の内に思考し、次の瞬間にはまたしても弥生は苦渋を舐めさせられる。
〝時延間〟が解け始めた。
あと1秒もしない内に時が戻る。
弥生は痺れた腕を鎮静の気で和らげ、引き金を引く。
弾が愛衣の額へと向かう。そして直撃まで数ミリという瞬間、時間が完全に戻り、愛衣は横に顔を反らして躱した。
弥生は疲労と焦燥と不快感を露わにするが、愛衣はそんなの無視して右手に水を覆う。
(まずい……もう……気が……)
「戻りなさいッ!!」
愛衣の正拳突きを食らい、弥生の背後で今も尚活発に荒れ狂う『水泡の苦獄』の渦中に戻される。
愛衣も体力はほぼ限界に近いはずだが、それでも強力な拳をもらって弥生は抵抗することもできずになすがままだ。
(私に……一体……何が………)
直後、無防備な弥生を多種多様の攻撃が襲った。
「アアアアアアァァァァァァァアアアあああああああぁぁぁァァァァァァァッッ!!」
※ ※ ※
終わった。結界が解ける。もうそんな力も残っていない。
愛衣はその場に座り込んだ。
『水泡の苦獄』も止み、愛衣の数メートル前方で弥生が倒れ込んでいる。愛衣自身の気も残り少なかった為か、弥生は死んではいない。
まあ立ち上がるのは不可能だろうが。
(もう気ほとんどないわぁ。危なかった……。てかなんでこんな奴が神宮寺なんかと組んでるのよ……)
最初から思っていた。神宮寺の傍らにいる理由はなんのかと。だがA級以上S級未満というのは特別少ないわけではない。『御劔』の『二十改剣』のように死ぬ気で鍛えれば何とか到達することはできる。
しかしS級ともなれば話は別。限られた天才のみ。
それに加え、理界踏破を使える強者だとはさすがに予想できない。
おかげで愛衣も思わぬところで全力を出すことになった。
(はあ……私の理界踏破は使い勝手が悪いんだから、勘弁してよね)
愛衣は背中に意識を集中し、気を引っ張り出すように放出する。弥生の二酸化炭素だ。
「一か所に凝縮してたとは言え取り出す暇が無くて苦しかったわぁ。…取りあえずこの人はかなりの逸材だから生かしたまま持ち帰って……!!」
そこで愛衣は息を呑んで驚愕する。
弥生が、もう立てないと断言した愛衣の見立てを覆して、立ち上がっていたからだ。
「ハアっ……ハァッ」
呼吸は整ってない。足も震えている。病院へ行かないと危険なぐらいの出血量。
(そんな……ッ。気も…体力も…、もう底を付いたはず…なのに…)
愛衣は固唾をのむ。超過演算でも最も読み取りにくいものがある。それは……、心。
(精神力だけで体を動かしてる……。それ程までに揺るがない芯があるってこと?)
弥生は虚ろだが意識はあるような瞳で愛衣を見据える。
「………あなた、異常……ですね…。私に何か、したでしょう……?」
愛衣は苦笑した。
「……さあね。教える義理はないわ」
弥生も苦笑した。
「…私は…退きますね。……どうやら、この組織も、……ここまでのようです、し」
「あら、随分と諦めがいいのね。……やっぱり貴方、ただ神宮寺に雇われてるだけじゃないみたいね」
弥生はポケットから小さな瓶を取り出し、
「ご想像に、お任せします」
床に叩き付けて割った。すると煙が蔓延し、お互いに視認できなくなる。
弥生は愛衣とは逆方向に向かって遅くだが走り、すぐ見えてくる十字路……を曲がる前に、弥生の気配が消えた。
(隠し通路か)
愛衣は追い掛ける気にはなれなかった。弥生の表情や動作から『私は退きますね。どうやらこの組織もここまでのようですし』という言葉が嘘には見えなかったからだ。
彼女がどういう立ち位置かは分からないが、『煉庭』を見限ったということだろうか。
(ほんと何なのよ、あの女)
◆ ◆ ◆
統制室。
「Fブロックに張られていた結界が消えました。如何いたしますか?」
研究員の言葉に、神宮寺が応える。
「中では弥生が戦っている可能性がある。待機させていた僕の部下に慎重に中を確認するよう伝えてくれ。弥生が負けるとは思えないが、逃げられたという可能性はある。その場合、弥生に匹敵する相手と交戦するかもしれない、と」
「了解」
神宮寺の隣で多摩木が肩を落とす。
「どうせなら茅須くんの戦い、見たかったのお」
神宮寺は笑みを浮かべる。
「弥生のことは苦手ではなかったのですか?」
「それとこれとは別じゃ。力ある者には興味が湧く。研究家からした当然の心理じゃ」
「分かっていますよ。……でも確かに、僕も今回の戦いは見たかったですね。結界が張られていたのは約15分間。弥生がそれほどまでに手こずるとは、僕もびっくりです」
「うむ……後で彼女に聞いたら応えてくれるかの?」
神宮寺がちょっと困った笑みを浮かべる。
「どうでしょう。弥生は司力をあまり話したがりませんので」
「ふむ、士からすれば当然じゃの」
「はい。ですので、あまり期待しない方がよろしいかと」
多摩木は元々期待しているつもりはなかったが、研究家としての好奇心が思った以上に大きかったらしく、かなり落胆している自分自身に驚く。
「……のお、神宮司くんや。…彼女が実は理界踏破を使えたりはせんかの?」
それを聞いた神宮寺は目をぱちくりさせ、腹を抱えて笑い出した。
「アハハハっ! 笑わせないで下さいよ、博士。いくら何でもそれはあり得ません」
「そうか…それぐらいやってのけそうな雰囲気はあるがのう」
「理界踏破をそれぐらい、なんて言葉で表現しないでください。……弥生の実力や気測定値はこの目で見ましたが、S級には及ばないレベルでした。確かに、僕が騙されていたらそうなりますが、そもそもそんな限られた極少数の人間が僕の傍で仕えてるなんて考えられません」
神宮寺の言葉に、多摩木も納得した。
「確かにの。もしそうじゃったら儂らは知らない内に蛇に睨まれていたことになる」
その時、先程の研究員が報告してくる。
「Fブロックの戦闘域まで到着できませんでした! 制御を失ったシャッターで通路を両側から遮られ、奥まで進めません!」
神宮寺は怪訝に思う。
「……どうやら、弥生と戦ったのは例の漣湊くんか速水愛衣くんのどちらか、と見るべきのようですね」
「茅須くんが複数を相手にしたという可能性もあるがの。………もしかしたら、隠し通路にも気付いているかもしれんの」
「そんなものがあったんですか。…ではそちらの出口に人員を回しますか?」
多摩木の表情は晴れなかった。
「うむ。……まあ送ってはみるが、無駄骨じゃろうな。複雑に入り組んでて出口もたくさんじゃ。超過演算相手だと難なく逃げられる可能性もある」
「では、どうします?」
「そうじゃな。ここは変に捻ったりせず…」
多摩木が策を提案しようとした時。
突然の揺れが多摩木達を襲った。
震度の高い地震が来たような感覚だ。建物が揺れ、足腰を鍛えた神宮寺でさえも近くの台に手を付かないと立てない程だ。
目の前の数々のモニターのいくつかが消える。
PCの前に座る研究員の誰かが声を張り上げた。
「爆発です! 研究所の各階で原因不明の爆発が次々と起こっています!」
〝時延間〟。超乗りで付けました。というか「ジ」と「エンマ」を分けました。
評判が悪かったら「・」を消そうと思います。
深夜のテンションでこのあとがきを書きました。後々恥ずかしくて消すかもしれません。
ではまた次話で。




