第16話・・・戸毬那遊_絶望と不可解な過去_煌く銃剣・・・
「友梨! 止まって! 友梨! ………那遊!」
愛衣は友梨を追いかけていた。
敵アメリカ人を速攻で倒した後、友梨は愛衣を一瞥しただけで去ってしまった。自分が襲われると愛衣も身構え、場合によっては「本気」を出すことも覚悟したので安堵しつつ、敵アメリカ人からも端末を剥ぎ取って追い掛けている。
しかし、当然のことながら愛衣の知っている友梨のスピードではない。A級レベルは確実にある。
妖具『泣落』が突然現れたのも、間違いなく上級法技転移法によるものだ。体内を流れる『泣落』の気と『泣落』本体を纏うの気の空間を協調して、手元に引き寄せたのだろう。
愛衣は『妖具』についての知識は深い方だ。それでも、ただの一般人に『妖具』を寄生させるなんて聞いたことがない。『厄害博士』の異名は伊達ではないな、と思い知らされる。
今は二つの端末を駆使してシャッターやらミサイルやらを利用して何とかF級状態で追跡している。
(それにしても敵があまり見えないわね。位置はばればれだから何かしてくると思ったんだけど…。…考えられるパターンとしては…確実に捕る為に、最強の「個」を出撃、みたいな?)
面倒なことになる予感がする。そうなる前に、何とかするべき。
『超過演算』。IQ200超の知能を持つ愛衣の予測は当たりやすい。
(ちょうどこの辺は監視カメラはない)
決断し、手元の端末を操作して一本道のど真ん中、友梨の向かう先にシャッターを下ろす。ガシャンと音が鳴る。今の友梨の破壊力なら突破も容易だ。だから、愛衣はもう一つの策を打つ。
(『潤滑水』)
足を踏み込むと同時に、その足を中心に水を床に広げる。滑り気を増した水が友梨の足をすくい、猛スピードで突き進んでいた友梨は勢いを殺し切れず、バランスを崩す。転倒はしなかったが、床に手を付いて滑り、横に半回転して体の向きが変わり、愛衣と目が合う。
(いくら『妖具』でも人の自我をそう簡単に消せるはずがない!)
「友梨! 聞こえてるんでしょ!? お願い! 返事をして!」
呼び掛けるが返事はない。しかし、愛衣は希望を見た。
(さっきのアメリカ人は攻撃して私を攻撃してこないということは無意識的かもしれないけど、私のことを認識してるっ。今だって逃げるならシャッター壊せばいいのにそうしないのはそういうこと!)
少々荒療治だが仕方ない。強引に捕らえる。
(リミッター解除)
とある士器で抑えていた気を解き放つ。その気になればさっきの『潤滑水』のようにC級並みの力は出せるが、本来の愛衣の実力と比べれば微々たるもの。
漲る力に浸りながら、つい失笑してしまう。
(……湊だったら、こういうのは紅井に任せるんだろうなー)
でもこれだけは譲れない。
(友梨は、……いや、那遊は、私が助ける)
以前、ゴーレム使いに襲われ、下水道に避難した時、愛衣は稲葉友梨、本名戸毬那遊から事情を聞いた。
◆ ◆ ◆
戸毬家は、極々普通の家庭だった。
働き者のお父さん、いつも笑顔のお母さん、可愛がってくれる歳の離れたお姉ちゃん、そして那遊。
決して裕福ではなかったけど、貧乏でもなく、毎日ゆったりと暮らしていた。士だ気だと騒がれる世の中になったけど、そういった特殊な力を持たない普通の人々は至って普通な暮らしを送るものだ。
那遊もその一人……だった。
転機は突然訪れた。……………いや、当時はここまで酷くなるとは思っていなかった。
父の会社が倒産した。
那遊が小学2年生、7歳の時だった。
リビングで俯く家族は、子どもの那遊が今まで見たこともない顔をしていた。
後で知ったことだが、父は大きな借金を抱えてしまったらしい。何でも会社が潰れた理由は父が担当していたプロジェクトの頓挫が原因で、責任の大半を押し付けられたとか。それで倒産を免れようとした会社も間もなく倒産したらしい。
コツコツ無駄遣いをせずに貯金していたが、その何十倍という量の借金で戸毬家を取り巻く環境はがらりと変わってしまった。
父は再就職しようと多くの社の面接を受けるが完落ち。母はパートを、姉はバイトを始めたが、億単位の借金に追い付けるとは思えない。
父や母の親戚や友達も最初は手を貸してくれたがだんだんと離れていった。
そしてある日、父は家を出て行った。莫大な借金を残して。
2人の娘を抱えた母はすぐに病で倒れ、姉は学校を辞めてバイトに努めた。しかし家計は悪化する一方。絶望的だった。
そんな時に現れたのが神宮寺功だった。
※ ※ ※
何とか家賃を払っているアパートのドアをノックされ、また催促か何かの通知の郵便でも届いたのかと思ったが、そのドアを開けたところにいたのは自分とは住む世界が違う爽やかな男性だった。ブランド物で身を固めた男こそ神宮寺功。ロボットのような女性を連れて現れた。
神宮寺は爽やかな笑みを浮かべて言った。
『初めまして。神宮寺功と言います。ちょっと、時間をもらえるかな?』
これからバイトに行く姉は恐る恐る首を横に振ったが、話を聞いてくれるだけで大金を渡すと言われ、金を差し出されると姉は欲に勝てず、首肯した。
神宮寺功という若手社長のことは知っていたし、悪い人ではないと自分に言い聞かせた。
高級車に乗ってやってきたのは会社という割にはそれ程高くない建物。基地とか研究所とか、そういう言葉の方が当てはまる。
お姉ちゃんは神宮寺功に出会ってからずっと那遊の手を強く握りしめていた。突然のことでパニック寸前だった那遊の心はその温もりだけが全てだった。
『できれば妹さんもご一緒にお願いしたいんだけど』
那遊を家に置いていこうした時にそう言った神宮寺の言葉が脳裏に染み付いて離れないのだろう。
建物の中まで案内された2人。
姉は妹とここで引き剥がされるのではないかと心中穏やかではなかったが、神宮寺は苦笑して『安心して』と添えた。
神宮寺は広い部屋へ案内し、その中央のソファーに姉と神宮寺が対面して座り、ロボットのような女は神宮寺の後ろに立つ。
那遊は同じ部屋の片隅…とっても広いスペースに設けられた小さい滑り台やブロックなどがある簡易な遊戯場で何人かの女性社員と遊ばされることになった。
お姉ちゃんとはそこで手を放した。
那遊は女性社員に促されるまま適当に遊んだり、渡されたおもちゃを手に持ってみるが、チラチラとお姉ちゃんが気になってそれどころではなかった。
2人の会話は途切れ途切れでしか聞こえない。何を話してるのか全く分からない。
しかし、数分が経過したところで姉の声音が変わってきたのが分かった。
一年以上聞かなくなった姉の喜色のある声音だ。
那遊は適当に遊ぶのもやめて明るさが戻ってきたお姉ちゃんの姿を那遊はただじっと見詰めていた。お姉ちゃんの目の前には笑顔で何度も頷く神宮寺功。
話が良い方向に言ってるのだろうか。子どもながらにそんなことを考え、渡されたおもちゃをぎゅっと握りしめた。
すぐ隣で女性社員が声を掛けてくる。
『お姉ちゃん、元気になってきて良かったね』
那遊は満面の笑みで即答した。
『うん!』
自分もこんな元気な声を出したのは久しぶりだったことに気付いていない。
それからしばらくしない内に姉と神宮寺が握手を交わし、姉は立ち上がって那遊の元に駆け寄ってきた。
『那遊!』
『お姉ちゃん!』
那遊は何にも理解していなかったが、取りあえず良いことが起きたのは間違いない。そう確信した。
両手を広げて姉が駆け寄ってきて、那遊もおもちゃを放り投げ、遊戯場を飛び出してテトテトと走る。
そして熱い抱擁をかわした。
そうなる前に、姉が血を吐いて倒れ込んだ。
『…………………………え』
那遊の思考が凍り付く。
ずっと暗い顔だった姉がやっと笑顔を取り戻し、一瞬にして消えた。
姉は那遊の元へ倒れ込み、姉の頭が那遊の肩に乗っかる。那遊は支えきれずに座り込む。
『お姉え……ちゃん?』
肩から腕の上へ移った姉の耳元に向かって呟く。
『……逃げ……………』
姉が何か言っている。震えながら顔を上げ、真っ赤な口を動かして、姉は言った。
『…那遊…………ごめ……ん…』
お姉ちゃんは動かなくなった。
茫然自失とする那遊は姉を見下ろす。
え?え?え?
どうしてお姉ちゃんは動かないの? どうして血の匂いがするの? ごめんって、何?
『戸毬那遊ちゃん』
名前を呼ばれ、反射的に振り向く。
神宮寺功が歩み寄ってきていた。手には拳銃を持っている。
『お姉さんが死んだ気分はどうだい?』
『死ん……だ……?』
『そう。君のお姉さんは死んだんだ。もう君とは喋れない。手を握ってもくれない。頭も撫でてもらえない。もう…笑わない』
『 』
言っていることが理解できない。小学生には重すぎる。深すぎる。
『理解できていない顔だね』
神宮寺はそっと歩み寄る。そして、
『ちゃんと理解しなさいッ!』
蹴った。蹴り上げたのだ。
那遊を。
足のつま先が腹に深くめりこみ、齢一桁の女の子の体は簡単に飛んだ。床に叩き付けられ、ゴロゴロと転がる。
痛い。今まで誰にも暴力を振るわれたことはなかったのだ。痛くて死にそうになる。
それでも那遊は状況を呑み込めない。一人で抱えきれない。
『まだ理解できないかいッ!? ならこうしたらどうかな!』
神宮寺はロボット女が用意していた剣を掴み、姉の体に突き立てた。
何度も何度も何度も何度も。
那遊は脊髄反射で飛び起き、痛みも忘れて駆ける。
『やめてぇぇ!』
『うるさいッ!』
また那遊の体が蹴り上げられる。
那遊はうつ伏せの態勢で顔を上げる。そこでようやく回りが見えてきた。
さっきまで那遊の遊び相手をしていた女性社員や他にも何人かいた男性社員は半ば感情が薄れた目をしている。まるで、運が無かったな、とでも言いたげな視線だった。
那遊は理解をし始めた。
詳しいことは分からないが、姉が死んだこと、もう終わりだということ。
涙が溢れてくる。止まらない。視界がぐにゃぐにゃになる。そんな中でも那遊は顔を上げ、神宮寺功を見上げた。
全てはこいつが悪い。こいつが全てを壊した。
『……僕が憎いかい?』
憎い。
那遊にもその言葉は理解できた。
そして立ち上がる。痛みを忘れてしまっていても体には刻み込まれてしまっているのでうまく動かせない。でも、那遊は睨み付ける。
涙で赤く腫れた瞳で睨み付けられ、神宮寺は笑った。
『そうだろう。僕が憎いだろう。愛する姉を殺されたんだから。……そんな君にチャンスを上げよう』
ぽい、と何かを投げ出される。
包帯でぐるぐる巻きにされた何かが空中を飛んできた。その包帯が解かれ、一本の包丁が目の前に落ちてくる。カキンという音が鳴る。
その包丁からは小学生で士でもなんでもない那遊でも感じ取れるほどに禍々しい気をひしひしと感じた。
しかし那遊に躊躇はなかった。
武器がある。目の前に憎たらしい敵がいる。
那遊は包丁を手に取って駆け出………………………………そうとして、頭の中が真っ白になった。
自分の体が自分のものではなくなっていくような感覚。
支配されていく感覚。
『ハハハッ! 成功だ! 長期に渡って仕込んだ甲斐があったよ! 君でやっと一人目だ! さあ! これから新たな歴史を刻もうじゃないか!』
※ ※ ※
次目覚めた時からは、多摩木要次というマッドサイエンティストによる薬漬けと人体改造の毎日が延々と続いた。
数年後、14歳のある日、那遊は『妖具』をもう一段階使えるようになった時、女神が微笑んでくれたらしく脱走の隙が見えた。
那遊は一心不乱に逃走。
まだ逃げ出せる力はないと高を括っていたのか発信機の類は付けられておらず、死ぬ思いで走って追跡を逃れた那遊。
しかし、那遊は極度の人間不信になっており、警察に駆け込むことはできなかった。
そんな状態でも那遊は神宮寺への恨み、憎しみを無くしてはおらず、復讐の心は逆に燃え上がった。
自分一人の力では唯一の復讐材料である『妖具』を使いこなせるようにはならないと悟り、名門獅童学園に入学することを決意。心の中で謝罪を繰り返しながら人から盗んだお金で裏の仕事人を雇い、簡単に戸籍を偽造。受験資格を獲得した。
勉強は死ぬもの狂いで頑張った。寄付と偽って適当な家から参考書を集め、受験日までの半年間、一日一食のペースで森の中や裏路地で参考書とにらめっこ。
『妖具』を維持する薬を投与しなくなったからか、何度か高熱や吐血を繰り返したが、次第になくなっていった。安心はしなかった。相当まずい状態に陥っている感覚はあったが、那遊はそれを振り払った。
お父さんやお母さんのことは気になったが、それを調べる手段もお金もなかった。
仕事人から買った田舎の学校の制服で身を包み、盗んだお金を使って食事をして清潔に見えるように細工し、受験して見事に合格した。友梨は盗んだ宝石を売って多額の入学金を払い、寮生活と三食付きの生活、神宮寺達から自分の身を守る盾のような環境を手に入れた。運動サークルに入ったのも少しでも強くなればと思ってこそだった。
しかし神宮寺達の魔の手からは逃れられず、今に至る
◆ ◆ ◆
愛衣は友梨…那遊の話を聞いて激しい怒りが湧くと同時に違和感をいくつか感じた。
まず那遊の父親の会社を倒産に追い詰めたのは神宮寺で間違いない。そうでないと納得できない。だとすると、那遊が『妖具』に適正があることにその段階で気付いていたことになる。
しかしなぜ最初から簡単に拉致しなかったのだろうか? わざわざ倒産させるよりも遥かにリスクは低い。その方が自分との繋がりもばれずに済むだろう。
目の前で姉を殺してその憎悪を『妖具』と共鳴。
神宮寺の狙いはそこだろう。それには拉致するだけではダメだったか? そんなことはない。だったら姉も一緒にさらえばいい。
どちらにしろ倒産させてまで遠回りすることではない。
神宮寺の狙いは?……いや、もっと根本的なところを見誤っているのか?
情報量が少なくて『超過演算』でも見通せない。
(ああ! もういい。とにかく今は那遊を捕まえるのが先決!)
那遊を目の前に、己の武器を取り出した。
ストロー。形状が少々奇形の士器だ。
刹那。
シュン、と空気を切り裂く音がした。
愛衣は咄嗟に身を捻って、『その刃』を躱す。
「今のを躱しますか。予想以上です」
そこにいたのは、神宮寺功の秘書。まるでロボットのようなショートカットヘアの女性。両手にはナイフのような刃が付いた銃。銃剣が怪しく煌いている
茅須弥生。
今の段階で感じる気がゴーレム使いや片言アメリカ人とは別格の、敵が目の前に現れた。
(これ……かなり面倒なことになったわね)




