第8話・・・信頼_格_転移・・・
「稲葉が倒れたって本当か!?」
獅童学園に多くある保健室の一室に勇士の声が響く。
病院の一室と似たような部屋にいる一人が運動着と刀ケースを持った勇士を鋭く睨み付けた。
「静かにして。友梨が寝てるのよっ?」
愛衣だ。ベッドの上で辛そうに横たわる友梨の真横に座って、彼女の手を握っている。
「わ、悪い…」
保健室には友梨、愛衣、そして湊と琉花の姿ある。琉花だけは運動着だ。
勇士と一緒に走ってきた紫音が後ろから身を出す。琉花と勇士同様運動着に、レイピアケースを所持している。どのような時でも武器を手放すわけにはいかないのだろう。
「そ、それで友梨さんは…?」
それには琉花が応えた。
「学園の林の中で倒れてるのをランニングしてた私がたまたま見付けたんだけど、体に異常はないって。精神的なものみたい。今はそっとしといて、自分から目を覚ますのを待った方がいいそうよ」
「それって…」
不審なことを思ったのか、勇士の声のトーンが下がるが、ヘッドホンを弄びながら湊が心配を払拭する。
「二度と目を覚まさないなんてことはないと思うよ。俺達が来た時より表情も和らいでるし、学園専属の医者も呼吸が徐々に安定してるから直に目を覚ますだろうって。さっきまで蔵坂先生もいたんだけどもう大丈夫だろうって戻っていったし」
それを聞いて安堵する勇士。
しかし紫音は責任を感じさせる重たい表情だ。
「私の…所為ですよね…。先日の襲撃に巻き込んでしまって…その時の心の傷がまだ…」
「し、紫音…」
口を開いた勇士も、それに続く言葉が続かない。
それしか原因が考えられないわけではない。勇士の正体を探る者が琉花を狙って…という可能性もあるが、それを言うわけにもいかない。そうなると思い付く言葉はどれも無責任過ぎる。
うっすら涙を浮かべる女の子を前に立ち竦むだけの自分が情けない。
「うじうじするな」
そこへ琉花の言葉が飛んできた。
「え…」
「責任の所在はともかく、目の前で友達が苦しんでるのよ? 今は警察が動いてくれてるから、そういうのは大人に任せて私達は友梨の為にできることをしましょう」
「…る、琉花さん…」
勇士もまた琉花の言葉に撃たれ、紫音の肩に手を力を込める。
「琉花の言う通りだ。稲葉に悪いと思ってるならそれに釣り合うぐらい力になろう。この一年乗り切って6人みんなで高校生になろうぜ」
紫音の表情に覇気が戻るのが分かった。そして力強く頷く。
「はいっ」
お嬢様とは少し違う、子供のような笑みを浮かべる紫音を見て、勇士と琉花が微笑む。
「ねえ、水を差すようで悪いんだけどさ」
その温まってきた室内を冷めた声が刺す。
「狙われたのって本当にわたぬきなのかな?」
声の主である湊を、勇士達三人はまじまじと見詰める。
最初何を言われたか理解できなかったが、すぐに勇士は察しが付いた。
「湊…敵が本当に狙ったのは琉花だって言いたいんだよな?『玄牙』の件で目立った俺に関わる人だってことで」
琉花と紫音の表情が強張る。
湊には勇士が真実を隠して紫音に罪をなすり付けてるように見えたのだろう。
「ああ、違う違う」
しかし湊はあっさりと否定した。
湊は視線をベッドの上に移す。
「俺が言いたいのは、本当に狙われたのは稲葉じゃないかってこと」
今度こそ場が凍った。
最初に動いたのは琉花だ。
「ちょ、ちょっと、漣…。何言ってんのよっ? 友梨に狙われる理由なんてないじゃない」
「なんでそう言い切れるの?」
「え…?」
「風宮は稲葉のことをどれくらい知ってるの? 狙われる理由がないって断言できるほど知ってるの?」
確かに友梨からそういう話を聞いたことはあまりない。けど…でも…。
「現場にいなかった漣には分からないかもしれないけどね、どう見ても狙われたのは紫音か…私のどちらか。こういうこと言いたくはないけど、素人が浅慮でものを言うのはやめておいた方がいいわよ」
それは紫音と勇士が言いたいことでもあった。
変なことを言ってかき乱してほしくない、と。
「それとも何。あんたには友梨が狙われる理由に心当たりでもあるわけ」
疑問文のつもりはない。湊の口ぶりから答えがないことは分かる。
からかい好きでもTPOは弁えてくれればそれでいいと思っていたが、
「確かに俺は稲葉とそんなに親しくないから心当たりなんてない……から、この場で一番稲葉と仲の良い人に聞いてみようよ」
湊の視線が動き、1人の少女を捕らえる。他の3人も釣られて動いてしまった。湊は首を傾げて、尋ねた。
「それで、どうなのかな? 愛衣」
勇士を注意して以来、ずっと黙っている愛衣。
何を言い出す、と思っていた琉花や紫音、勇士が、神妙な雰囲気の愛衣を見て何も言えなくなる。誰も何も言わない時間がしばらく続く。
「……………………………………はあぁ」
やがて愛衣は溜息をついた。その微笑には諦めが見える。
「…よく分かったね、湊。驚いたよ」
「あれ? てっきり愛衣は俺が勘付いてることに気付いてたと思ったけど」
「……湊って予想以上ね。かなりドキッとしちゃった」
「そう? ありがと」
完全に2人の世界に行ってしまっている。
はっきり言って付いていけない。
世の中、力が全てではないということを体に刻まれているようだ。
「お、おい!」
そこへ勇士が割り込む。
「いい加減に説明してくれ。……速水、狙われてるのが稲葉っていうのは…本当に……」
「ええ、本当よ」
あっさりと肯定され、口が噤む。
代わりに紫音と琉花が戸惑いつつ前に出た。
「な、なんで相談してくれなかったんですか…。そんな大事なこと…」
「そうよっ。そうすれば私達だって力になってあげたのに…!」
「紫音、琉花。強いからってそれが信頼に繋がると思ったら大間違いよ。今湊が言った通り、友梨とは友達だけど『自分の全て』を任せられる程の仲は築けていないってこと」
愛衣の発言の一部が気になった思ったのか、紫音が反芻した。
「自分の全て…」
「そうよ。大げさな言い方だと思った? そう思ってたら紫音の評価下げるわよ。……こんな状態の子が抱える問題が小さいわけないじゃない」
大げさと思っていたわけではないが、普通の女の子に当てはめるのに違和感があったのは確かだ。
すぐにそんな考えを捨てた。友梨は普通の女の子ではないのだ。
「速水、教えてくれ」
勇士が真っすぐに愛衣を見詰める。
「速水は知ってるんだよな。稲葉が抱えてる問題。力になりたいんだ。…稲葉は、大切な友達だから」
琉花と紫音も同意とばかりに頷き、同じように愛衣を見詰める。
対する愛衣は、3つの真摯な視線からさらっと目を逸らし、勇士達の心に不安が過ぎる中で湊に問い掛けた。
「ねえ、湊。もしかして友梨が抱える問題についても見当ついてたりする?」
その問い掛けに、勇士達が明らかに動揺した。
この感情をうまく説明できないが、敢えて言うなら同じステージに立てない無力感、といったところか。
「…推測の域を出ないけど、思い当たる節ならある」
勇士達の動揺が深まる。
「聞かせて。湊の答え」
勇士達の感情を知ってたか知らずか、そのステージに立つ者同士が言葉を交わす。立往生しながらも、湊の次の発言に気を配った。
「…………『妖具』。」
「正解。凄いね、見直したわ」
心臓が縮まる思いを乗り切り、勇士は尋ねた。
「よ、『妖具』って…速水……本当なのか…!?」
「ええ。間違いないわ」
「『妖具』……あんなものに体を蝕まれてるのか…」
ベッドの上で眠る少女。先程からやむことのない汗を愛衣がこまめに拭いている。
今までの朗らかな彼女は戻ってくるのか。自分達と知り合う前はどこで何をしていたのか。
……気になる。もう知った気になっていた少女が抱える問題を知り、力になってあげたい。
心の底からそう思う。
「愛衣…どういうことなの? もったいぶらないで教えて…」
琉花の懇願するような声。
そこまで意地悪したつもりはないんだけどな、と思いつつ反省し、愛衣は説明することにした。
友梨には悪いけど、もう隠し通すことは不可能だろう。愛衣の方で内々に片付けようと思ったが、こうなっては仕方ない。
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「準備は整った。では、連れ戻すとしよう」
老人は軽い口調で言った。
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その時。
「アアあぁぁぁあああぁああああああぁァァ!」
友梨の絶叫が空気を塗り替えた。
そして5人は感じた。
友梨の体から溢れる気を。
「なんだこれ…!?」
「この量……普通じゃない!」
目の前で台風に吹かれているようだ。…いや、ようだ、ではなく実際に台風そのものだ。異常な量を放出する気だけで起きた台風。
友梨の隣にいた愛衣は吹き飛ばされ、琉花にキャッチされている。
湊は両手で顔を覆いながら思考した。
(これは…アリソンが言ってた例の科学者の発明か…? すぐに思い付かねぇっ。……この状況で最悪のパターンは…………ッ、まさか…!?)
次の瞬間、気によって周囲が光に包まれ、光景が一変した。
■ ■ ■
視覚が閉ざされた状態で理解できたのは、場所が変わったということ。
バランスを崩し、しりもちをついてしまった。
台風も眩い光も収まったらしく、ゆっくりと目を開けた。
「何が…」
勇士が周囲を見回す。
それよりも早く、湊は状況把握を開始していた。
友梨はベッドの上。今は疲れているのか、眠りながら呼吸を整えている。よく見ると湊達がいた保健室だ。しかし壁や天井の至るところに亀裂が走っている。保健室ごと場所が変わったと見るべきか。
(転移法…か)
推測に確信を持った瞬間、いよいよ限界が来たらしく保健室全体が音を立てて揺れ始めた。
「みんなここから出るぞ! 琉花! 稲葉を頼む!」
「分かった!」
勇士がいつまでも呆けず、全員に指示を出す。
保健室の入り口の横に立ち、全員が出ていくまで見送るつもりのようだ。既に刀をケースから出している。
湊が最初に飛び出て、次に愛衣、その次に紫音、友梨を抱えた琉花も飛び出て、見届けた勇士が最後に出る。
外に出ると、案の定そこは学園などではなかった。限界に達した保健室が崩れる音を聞きながら、再度周囲の状況を確認する。
それほど広くは無かった保健室の外は一転して広々としていた。薄い水色の金属でできた壁、天井、床。鉄の匂いが鼻をつく。部屋の形は直方体のような横長で、元いた保健室の3倍近い広さだ。
「ここは…?」
紫音がレイピアを構えながら呟く。
「これは…転移法でやったのか…」
紫音の疑問の答えではなかったが、納得のいく台詞だった。
友梨を床に寝かせた琉花は愛衣と湊に、
「転移法って……あんたらなら知ってるわよね」
「もっちろん。私達を誰だと思ってるわけ?」
湊と腕を絡め、誇らし気に言う愛衣。
転移法。
協調系特有の法技。
気を介して、別地点にある空間同士を『協調』することで往来を可能とする技。同一人物の気でなければ協調はできない為、難易度は高いが、幾人もの研究者などの人材、最先端技術があれば、簡単ではないが実現は可能だ。
湊はいつもの悪戯っぽい表情になり、薄目で。
「まあ素人が浅慮でものを言うのはやめておいた方がいいみたいだから、説明は遠慮させてもらうよ」
ぐさりと琉花の心臓に言葉の矢が突き刺さった。
こればかりは全て自分に非があるだけに何も言い返せない。
「……悪かったわよ。威張ったこと言ってごめんなさいね!」
ふくれっ面で少し頭を下げただけの謝罪でも、反省の程は十分伝わってきた。
「もういいよ。…それに、今ってそんな場合じゃないよね」
ガゴン、と金属がずれるような音がした。
見ると、その密室の空間を作り出す空間の一面、横長の壁が一つ上がっているのだ。スライドするように、店のシャッターを開くように。
だが、
(やっぱり強化ガラス…まあそんな簡単に出してくれるわけないよな)
壁が上がっていくが、その先には更にもう一枚、透明なガラスがある。簡単には壊せないだろう。
そのガラスの更に奥。
ガラスを挟んだすぐそこには2人の大人と1人の老人がいた。
「だから言ったじゃないですか、多摩木博士。転移は夜にしましょうって。そうすれば余計な人を巻き込まずに済んだのに」
「すまんのう。我慢が効かない性分での。じゃが、これは豊作ではないか?『妖具』の小娘の他に四月朔日家の純血、2月にあった『玄牙』の一件で活躍した少年、我らの正体を小娘から聞いたであろう小娘。他の2人もあの獅童学園の生徒であれば才能は見込める。……いい素材が手に入ったではないか」
「それもそうですね。…さて、ここに『妖具』はないようですし、まずはそれの回収をしましょうか」
男性と老人が世間話でもするように話し、ショートカットの女性は無表情で佇んでいる。
その男性には見覚えがあった。
勇士がその名を口にする。
「神宮寺……功?」




