第7話・・・間違い_電話_裏切り・・・
紫音達が襲われたことに関して、一時騒然としていた学園内も、数日経つ頃にはいつも通りに戻っていた。
狙いが紫音であること、獅童学園の中は絶対安全であること、などが主な要因だろう。警察も学園の外で警備してくれているのまた心強い。
しばらくは学園外への外出禁止令が出たが、この状況で好き好んで出たがる生徒はいないだろう。
平日。
湊は今、実技で組手の授業をしている。
気の技術だけ高めても体が追い付かないと意味がないので、当然こういう授業もある。
広々とした体育館。そこに3クラス分集まって組手の授業をしている。男女で体育館を分けている。
湊は組手のメニューが一段落付き、体育館の外にある流しで水分補給をしていた。濡らしたタオルで顔を拭いていると、人が近づいてくるのを察知した。
自分と同じように水分補給と汗拭きで来た生徒だろう。そう思い、湊は無視する。しかし、首元の汗も拭いながらその人物が近くで立ち止まるのが分かった。湊ほどの察知能力が無くても気付くぐらいの近さだ。
視線を感じる。流しを使う様子もない。湊は何気ない仕草で顔を動かした。
「あ、えっと…っっっ」
そこには、やけに赤面した男子生徒が立っていた。
身長は湊より少し高いぐらい。顔立ちは勇士程ではないが整っており、佇まいや体付きから湊は瞬時に名家育ちだと見抜いた。だが、それにしては少々強張っている。緊張しているようだ。
その男子は湊が何か言うよりも早く、口を開いた。
「お、おおおれは別に君をいやらしい目で見てたとかっっ、そういうわけじゃないよ!? ただちょっと綺麗な人がいるなぁって思ってつい見惚れてたっていうか……っ、あいや今のは変な意味じゃないからね!? そんな変態と一緒にしないでね!?」
両手をぶんぶん振りながら必死に弁明する男子。
これ……明らかに俺を女と思ってる…?
ポニーテールの女顔。体操服は男女同じ。…それでも、間違われることはあまりない。
湊は新鮮な気分になりつつ、声を掛けた。
「そんなに慌てなくても大丈夫だよ?」
「そ、そうだよね。ありが……………………」
ぎこちない笑みが固まった。剥製のように。
「あ、あれ……なんか…君…声……」
湊の声は男にしては高い方だが、女子と間違えることはない。
「えっと…ごめんね」
「………………………………………あああああああああああああああああああああああああああ!」
突然顔を押さえて蹲る男子。羞恥メーターが振り切れたようだ。
「うるさいな」
「ああああああああああああああ! 嘘だろ! どうしてそんな紛らわしい顔してるんだよ! スレンダー体型だと思ったらただの男かよ! ああああああ!」
湊は蛇口を指で押さえ、小学生がよくやる水攻撃をくらわせた。
「うわっ」
「落ち着いたか?」
男子は立ち上がり、これから死に行く人のような瞳で湊を見詰める。
「……ていうか君よく見たら紅井勇士のルームメイトじゃないか」
「あれ、俺のこと知ってるんだ」
「そりゃ知ってるさ。言っとくけどこの学園で君たち5人を知らない生徒はいないと思うよ」
「勇士やわたぬきさんはともかく、俺や愛衣まで?」
「そりゃもう有名だよ。『ザ・ムカつく完璧イケメン剣士』紅井勇士! 『百発百中のハイパーツンデレテンプレ幼馴染弓使い』風宮琉花! 『初恋真っ只の純粋お嬢様騎士』四月朔日紫音! 『紅井勇士のこと「イケメンイケメン」ってよく言うけどお前も顔良いからなんかイラッとくる』漣湊! 『俺にちょっかい出して下さいバカにして下さい漣湊みたいに「ねえねえ」って感じで肩や背中ぽんぽんして下さい』速水愛衣! 今この学園はお前ら5人を中心に回ってると言っても過言ではないんだよ?」
「突っ込みどころ満載過ぎてもはや何も言う気になれねえな」
その男子は羨ましそうな視線で。
「くそ…俺だって腕や顔はそこそこあると思うのになんで女友達ができないんだ…」
「女子の前だと極度にあがるからじゃないの? さっきみたいに」
「分かってるよ! 俺は小学校から中2までずっと男子校だったから全然女子に免疫がないんだよ! この学園に来たら強さで目立って女の子たちを惹きつけようと思ったら君たちが現れたんだよ! 俺の完璧な計画が水の泡だよ!」
「それは悪かったな。…ところで、腕に自信あるみたいだけど、やっぱりどっかの名家の人?」
男子の目がきらりと光る。
「その通り! よく覚えておけ。俺の名は四門英刻。『御十家』の一角、久多良木家に代々仕える鉄壁の防御を誇る一族だ!」
久多良木家。
『御十家』の一角。当然知っている。
久多良木家傘下の四門の人間が同じ学園にいるということも頭の片隅程度に置いてはいたが、こんな男だったとは、予想外であった。その辺の管理はカキツバタに任せているので、クロッカスが多少手を抜いても問題ないが。
「へー。一応有名どころなんだね。わたぬきさんとは面識あるの?」
「いやっ、俺は三男だし…ま、まあずっと家で修行を付けてもらってたからね! そんな他の家の人と会う暇なんて無かったんだよ」
「ねえ知ってる? 俺中学一、二年の頃アメリカに留学してたんだけどさ、挨拶の時にキスする人って結構多いんだよね。しかも向こうの女の子って体の発育早いんだよ? 同い年とは思えないぐら…」
最後まで言わせてはくれなかった。
血涙を流しそうな表情の英刻が、震える手で湊の胸倉を掴んだからだ。乱暴に見えるが、その表情は追い詰められ、もう後がない人間のそれだった。
「ごめんごめん。弄り過ぎたね」
掴む手をやんわりと解きつつ、謝辞を述べる。
「本当に悪いんだったら教えてくれ……どうすればモテる?」
恥ずかしい台詞を今にも死にそうな声で聞いてくる。見ていて悲しくなってきた。
「四門くん、君はそのあがり症を克服しようか」
「それができたら苦労はしないんだよ!」
「それでモテる可能性が上がるんだから簡単なもんだろ」
「くそぉ…」
そんなこんなで、仲良くなった二人であった。
■ ■ ■
友梨の心はいつになく晴れていた。
放課後、友梨は自分の部屋でくつろいでいた。先日、戦闘に巻き込まれて精神的にショックを受けたと診断された友梨はサークルへの活動をしばらく禁止されたのだ。運動なんてもっての他だという。今日の組手の授業も自分だけ見学だった。
愛衣は今はいない。サークル活動を休んで友梨と一緒にいてくれると言っていたのだが、友梨はそれを断った。これ以上、自分のために愛衣のプライベートを犠牲にするわけにはいかない。学園内なら安全なので、実際そこまで心配するほどじゃない。
愛衣には本当に感謝している。
全てを話して気が楽になれた。
自分が獅童学園にいることはばれてしまったが、相手の権力と学園の権力では比べものにならない。
問題の先延ばしに過ぎないし、他の生徒を巻き込んでしまうかもしれない。なのでいつかは勇士や紫音に相談しようと思っている。愛衣がうまく間を取り持ってくれると言っていた。人任せだけど、今の友梨では手にあまり過ぎる。
友梨は読書をしながら愛衣の帰りを待っている。愛衣から貸してもらった本。これでも読んで気を紛らわせてと渡された。
性格は全然似てないけど、姉にどこか似ているところがある。
小説に出てくる仲の良い姉妹の描写につい微笑んでいると、友梨のスマホが音を鳴らした。着信音。
友梨は文字列から顔を上げ、机の上に置いてあるスマホを手に取る。
非通知という表示を訝しつつ、電話に出た。
「はい。もしもし」
すると、ノイズ混じりだが嫌な声が聞こえた。
『やあ、久し…りだね。僕…こと、分かるかい?』
さっきまでのぽかぽかした心が一瞬にして冷めた。
『聞き取りにく…てごめんね。傍受されな…ようにするとこうなってし……だ』
すぐに切ろうとするが。
『切ったら僕は本気で君を攫いに行くよ』
脅迫染みた台詞、その語気がかつての辛い体験を思い出させる。全身ががちがちと震え、頭の中が今にも真っ白になりそうだ。
『そんなに怖がらな……くれ。久し…りに話がしたいだけさ。取り敢えず、外…出ないか…?』
電話の主、神宮寺功がそう提案した。
ちょっと寮から出るくらいなら大丈夫。そう自分に言い聞かせて友梨は外に出た。人目につかない場所。学園の出入り口からもできるだけ遠く。
友梨が移動するまで神宮寺はずっとつまらない話をしていた。最近の業績や不祥事など、近所のおばさん並みにどうでもいいことをぺらぺらぺらぺら。
友梨は恐怖を越えて怒りが湧いてきた。木が生えた林のようなところまで友梨は移動した。
『うん。よく聞こえるね』
「それで……何の用なんですか…?…言っておきますけど、脅しても無駄ですよ…ッ」
『脅す? そんな酷いことするつもりはないよ。ただちょっと話がしたかっただけ』
「……信じられません」
『…僕相手に随分と強く出れるようになったね。お友達のおかげかい?』
図星を言い当たられ、動揺するがどうということはない。
「何を言っても無駄ですよ。…分かったらもう私のことは放って置いてください!」
『それはできないね』
きっぱりと断言されてしまう。
『いやはや、僕達から逃げた君の手際は見事その物だよ。僕の部下だったら褒美を上げたいくらいに。しかもその時に僕達から奪った金で些末ではあるがその手の仕事屋に情報制御してもらい、あの獅童学園に入学するとは。勉強は自力で頑張ったんだろう? 凄いじゃないか』
「…何が言いたいんですか…」
『さぞや心強いお友達に恵まれたことだろうね』
「っっ……さっきも言いましたが、何をしようと無駄ですからね。獅童学園の警備は万全です。先日紫音さんを襲ったことで警察も警護に付いています。いくら貴方たちでもこの包囲網の中私を連れ出すことは不可能です。それに、私の友達はみんな強いですよ。中学生とは思えないぐらい。……お願いですから私のことはもう諦めてください」
切実に、心からの言葉。
神宮寺はそれに大した反応はしなかった。
『随分と学園や友達のことを信頼してるみたいだけど、『妖具』のことは知っているのかい?』
「……ッ。知っています……一人だけ……」
『やっぱり速水愛衣さんには言ったんだね』
「ッッ」
やはり友梨の周囲も調査済みのようだ。
『そしてその様子だと受け入れてくれたようだね。……でもさ、それって無知故、だと思わない?』
「……どういう…」
『君たちぐらいの歳の子は誰しも勇敢で怖い物知らずなところがある。士という限られた人間に選ばれたんだ。やっぱりヒーローに憧れてしまうよ。…だが現実を知ったらどうなるかな?』
「現実…」
『そう。『妖具』とは真にどのようなものか。『妖具』の恐ろしさ。醜さ。黒さ。……思い出してごらん。「『妖具』と何年もの付き合いになる君の苦しみ」が他人に分かるわけないだろう?』
心臓にぐさりとくる。息が荒れる。視界がぼやける。
『それに他の友達や学園側はどんな反応をするかな? 君が『妖具』に呪われた身だと知ったらどんな反応を示すと思う? 決まってるさ。気味悪がられるだけだよ』
「…そ、そんなこと……!」
『ある。そして挙句の果てに君は裏切られるんだよ』
続けて、神宮寺は言った。
『君のお姉さんのように』
「 あ…」
封印した…いや消したはずの記憶がフラッシュバックする。
神宮寺の無慈悲な言葉が続いた。
『君に味方なんてどこにもいないんだよ』




