第1話・・・良い夢_朝_稲葉友梨・・・
獅童学園入学試験当日の朝。
中学の制服に身を包んだ亜麻色ツーサイドアップ女子、速水愛衣はこれから受ける学校へ向かっていた。
朝の街中は多数の大人と少数の子供で入り乱れ、一人一人が歩調を速めて歩き進んでいた。
獅童学園の最寄り駅を出た愛衣は、大きい駅を出て周辺のバス停広場に出る。何人も人がいて探しにくいかと思ったが、そうでもなくすぐに見付けた。
バス停を再度確認するためにスマホを取り出し、歩き見しないよう気を付けながら歩く。
その時、一人の子供の泣き声が聞こえた。
顔を上げて探すと、すぐに見付かった。
人波に巻き込まれない建物の壁沿いに幼稚園児くらいの女の子が号泣していたのだ。誰の目から見ても迷子だと分かる。
だが、周囲の大人はチラっと心配している様子は見せるものの何もせずに素通りする。
心理学用語でいうところの責任分散というやつだ。
人でなしでなければ心配はするだろう。だが他にも無視している人がいるからと無視を決め込み、何もせずに通り過ぎる。
中には本当に忙しい人もいるのだろうし、確かに責任も義務もない。
愛衣は呆れたように溜息をつき、時計を確認する。
(まだ余裕はあるわね…)
わざわざ見付ける必要はない。駅の反対側にある交番に届ければそれで済む話だ。
そう考え、愛衣はその女の子へと歩き出す。
…だが、愛衣の足はつい止まってしまった。
「お嬢ちゃん、大丈夫? ママとはぐれちゃったのかな?」
傍から見ても柔らかな手つきで女の子の頭を撫でながら、笑顔で優しく声を掛ける人物がいた。
長い夜色の髪を結い上げたその人物は、一見女のように見えるが着ている制服や仕草、喋り方から男だということはすぐに分かった。
周囲の素通りする大人達も感心と尊敬、そしてほんの少しの罪悪感が混ざった視線を送っている。
夜色の髪の少年は女の子と手を繋いで歩き出した。
おそらく駅の反対側の交番に向かいながら親を探すつもりなのだろう。
愛衣はしばらくその少年の背中を見詰めていた。
一目惚れした、なんて言うつもりはない。自分はそこまで簡単な女ではないし、本当にそういった感情から見詰めていたわけではないという自信もあった。
ただ、世の中彼のような人が1人で多くいればいいなぁ、と思っただけだ。
愛衣は苦笑すると踵を返し、バス停へと向かった。
数十分後。
何事もなく獅童学園に到着した愛衣は、自分に割り当てられた席へと着いた。
士の名門校の入試だけあって、本番前にふざけてお喋りしている生徒はほとんどいない。喋っていても試験に関わる内容だったりとみんな真面目だ。
希望者は実技の特訓もできるようで、クラスの半分近くがそっちへ行っている。
愛衣は『自分なら簡単に受かる』ので特に緊張はしておらず、体面を気にして一応持ってきた参考書を開いていた。
それからしばらくして、愛衣の隣の生徒が来た。
愛衣は特に気にした様子もなく、隣の人来たんだ、程度の認識すらなかった。
だが、ちらりと、視界の端に見えた「それ」に、愛衣の思考は一瞬で奪われた。
束ねた夜色の綺麗な髪の先端。
愛衣は冷静さを装いつつゆっくりと頭を動かして隣を確認した。
そこには先ほど迷子を助けた少年が席に座って筆記用具や受験票などを机の上に出しているところだった。
運命、なんて言う気はない。
でも、
「ね、ねえっ。ちょっといい?」
気付いたら、話し掛けていた。
■ ■ ■
「………ああ、結構最近の夢見たわね」
学生寮の自分の部屋。
二段ベッドの上の段で眠っている愛衣はゆっくりと目覚めた。
愛衣は時間を見て余裕があることを確かめ寝癖が少しある亜麻色の髪を揺らしながら下に降りた。
「あ、愛衣さん。おはようございます」
そんな愛衣に、明るく丁寧な口調で声を掛けてくる少女がいた。
「友梨、おはよう」
稲葉友梨。
愛衣のルームメイトだ。
腰まで伸びた髪はふわふわと綿菓子のように柔らかそうで、表情や声も相手に癒しを与えるであろう見事な代物。豊満な体型に、紫音とはまた違った方向のお嬢様系少女。言葉使いなどから愛衣も最初はお嬢様かと思ったが、全然そんなことはないらしい。愛衣と友梨とはすぐに仲良くなった。
友梨は一足早く起きていたようだ。
愛衣は手洗いを済ませ、櫛で髪をとかしながら聞いた。
「もう朝ごはん食べちゃった?」
「はい…」
「起こしてよ。いつも一緒に食べてるのに…」
愛衣は少々拗ねた気持ちになっていた。
いつもの習慣が友梨によって崩されたのだ。
友梨が理由もなくそんなことをするとは思えないから、その応えを待つ。
すると、愛衣の前の鏡に写る友梨は申し訳なさそうに、それでいて女神のような嬉しさのこもった微笑みを向けて、応えた。
「あまりに幸せそうな表情をしていたので…、何かいい夢でも見てるのかなって思って…」
髪をとかす手が止まる。
夢の内容をはっきりと覚えている愛衣は、複雑は気持ちでいっぱいだった。
「時間もありましたし、もう少し寝かせてあげようとしたんです……すみません」
「…ま、まあいいわ。今日のところは許してあげるっ」
頬を赤く染めて口を尖らせながら鏡の中の友梨にそっぽを向く愛衣は、照れ隠ししているのがよく分かった。
友梨はそれ以上何も言わずに「はい、ありがとうございます」と微笑む。
(いい夢はたくさん見た方がいいですよ……悪夢しか見れない人もいるんですから)
自分に背を向けた友梨がほんの一瞬、寂し気な目をしたことに愛衣は気付けなかった。
■ ■ ■
漣湊はヘッドホンを付けて音楽を聞きながら登校していた。黒と緑を基調とした制服を着ており、周囲にも同じ服を着た生徒が登校している。
獅童学園に正式に入学してから2週間が経った。
士教育の名門だけあって授業内容は全体的にレベルが高いが、入試を突破しただけあって湊の知る限りみんな頑張っている。
2週間も経てば多少なりとも慣れるもので、生徒達の情緒も安定してきていた。
湊は音楽を聞きながら歩いていると、横から声を掛けられた。
「おはよう、湊」
ヘッドホンを外しながらそちらを向くと、制服がよく似合う女子が2人いた。愛衣と友梨だ。
「おはよう、愛衣。稲葉も」
「おはようございます、漣さん」
愛衣とルームメイトである友梨とは当然面識もある。
友梨は3月の上旬に来たので、よく勇士や琉花たちも含めた6人で遊びにも行ったりして仲は深い。そもそも友梨の性格で嫌われるなんてことはまずないだろう。
「紅井さんは一緒じゃないんですか?」
「あいつは日直で先に行ったよ」
「あ、そう言えばそうでしたね」
すると愛衣が面白うに呟いた。
「なんか紅井くん目当てで女子がたくさん早く来てそう」
湊も悪戯っぽい笑みを浮かべ。
「それはあるかもね。…勇士の人気は留まることを知らないから」
「でも告白する人は少ないのよねー」
「勇士の隣には常に「あの2人」がいるからね」
「ほんと見てて飽きないよね」
人の悪い笑みを浮かべる2人の隣で歩く友梨は、毎度のことに力ない苦笑を浮かべていた。
■ ■ ■
湊達のクラスである一年C組に入ると、もう生徒は半分くらい来ていた。
おはよう、とクラスメイトと挨拶をかわしながら自分の席に向かう。
教室中央辺りの席に近付くと、隣の席にいる女子2人が湊に気付いて挨拶をした。
「おはようございます、漣さん」
「おはよう」
四月朔日紫音と風宮琉花だ。
湊と琉花は隣の席。「か」と「さ」で席が隣になりやすかったようだ。「あ」と「か」で勇士と隣になれず自分なんかと隣になってしまったことについて謝罪したら睨まれたのを覚えている。
湊はカバンを机の横にかけて座りながら聞いた。
「おはよ、勇士は?」
「日直の仕事で蔵坂先生を手伝ってる」
琉花が頬杖をつきながら応えた。少し不機嫌そうに見える。
「…美人教師と一緒にいさせたくない、みたいな?」
「そういうんじゃないし!」
明らかに図星のようだ。
一年C組担任、蔵坂鳩菜教諭は男女問わず人気が高い。男から人気がある女教師というのは嫌われやすいという印象があるが、琉花に聞いてみると憎むに憎みきれないらしい。
「琉花さん、気持ちは分かりますけどそう尖らないでください。蔵坂先生、琉花さんに嫌われてるんじゃないかって心配してるんですよ? 昨日の二者面談で言われました」
「え、うそ? 別に嫌ってはないんだけど…」
「勇士が懐いてるからって嫉妬の視線を送り過ぎなんだよ」
「送ってなんかいないわよ」
断言する琉花に、横から否定の言葉が飛んだ。
「いや、誰がどう見ても送ってるでしょ」
愛衣だ。
自分の席にカバンを置いた愛衣が湊の机に腰掛けながら言う。
ちなみに、湊、愛衣、勇士、琉花、紫音、そして友梨の6人は同じクラスになった。偶然のようにも思えるが、ルームメイトは同じクラスになるのは決まっていたことなので、3人が同じクラスになる確率と同じだ。
それでも別々のクラスになる可能性もあったので、勇士と同じクラスになれた琉花と紫音の照れ隠しは面白いものだった。
「私も今日二者面談なんだよねぇ。琉花のこと何か聞かれるかな」
「…なに言うつもりよ」
「そんな怖い顔しないでよ。変なこと言わなければいいんでしょ。……ところで紫音、面談でどんなこと聞かれた?」
「大したことは聞かれてませんよ。ただ今の段階での進路希望と学校生活についてだけです。時間が余ったので、ちょっとお喋りもしました」
「ふーん、案外普通なのね」
「結局は学校なんだからそういうところはあまり変わんないだろ」
そんな他愛もない話をしていると、ガラガラと教室前ドアが開く音がした。
「はい、席に着いてください。もうホームルーム始まりますよ」
ウェーブのかかったロングへアの美人教師、蔵坂鳩菜が後ろにプリントの束を持った勇士を連れて入ってきた。
みんな自分の席に帰り、すぐにチャイムが鳴ってホームルームが始まった。
■ ■ ■
放課後になり、湊は二者面談があるので教室へと向かっていた。
放課後とはいえ校内外の所々から話声が聞こえる。
一年制で先輩後輩のないこの学園に部活動というものはないが、大学のサークル活動のようなものは認められており、生徒たちは毎日の訓練の息抜きとして色々と遊んでいる。
ほとんどが文化系で湊と愛衣もそこの1つに入っているが、中には運動系のものもある。希望すれば教師の誰かが指導してくれる場合もあり、勇士や琉花、紫音はそちらに所属している。
獅童学園は厳しいが、悪いところではない。
全寮制だが校則は緩く、申し出をすれば外出もOK。
教育自体がスパルタなので、せめてそこ以外は自由にさせてやろうという配慮なのだろう。
湊はサークルを一旦抜けて教室へと向かい、到着したのでノックをした。
「はーい、どうぞ」
中から聞き慣れた声を確認し、入出する。
「失礼します」
「いらっしゃい、漣湊くん」
プライベート空間になりつつある教室の机を二つ向かい合わせにくっつけ、その片方に座る人物がいた。
当然だが我がクラスの担任、蔵坂鳩菜だ。
笑顔が輝いて見えるのは気のせいだろうか。
「ほら、座って」
ドアを閉め、蔵坂の前に座る湊。
蔵坂は両肘を机に置き、両手を絡み合わせ、瞳の色をがらりと、普段は絶対しないであろう感じに変えて聞いた。
「さて、では何を話します?『隊長』」
「…大丈夫なのか?」
「はい、隊長と気兼ねなく話せるように盗聴などの対策は完璧です」
『聖』第四策動隊所属「カキツバタ」。
獅童学園に潜入している湊の部下だ。
「ならいけど、特に話すこともないでしょ」
湊は両手で頬杖をつき、怠そうに言う。
蔵坂は「えー」といい年してふくれっ面をして。
「何かあるんじゃないんですかっ? 紅井勇士や速水愛衣についてとか!」
「2人についての本部からの報告は俺も知ってるし…、なに? 教師として気付いたことでもあるの?」
「いや、ないですけど…」
「ほらな。そんな簡単に分かるなら苦労はしねえよ」
「さっき速水さんと二者面談したんですけど進路希望も至って普通。経歴についても怪しいところは無し。言われた通り彼女相手に鎌をかけるような真似はしなかったですからそれも当然なんですけど…」
「それでいいんだよ。愛衣は頭が切れるからな。お前じゃ全てのスペックで負けてるよ」
「全ては…言い過ぎじゃないですか? ほら、私人気ありますし…容姿なら…」
「へー。まあ俺は愛衣みたいなの方が好みだけど」
「え!? た、隊長…?」
「まあそんなことは置いといて」
「たいちょ」
「何か報告しときたいこととかあるか? 学園のこととか。ま、その辺は既に本部に連絡済みだろうけど」
蔵坂は目をぱちくりさせながらえっとえっとと滞った思考を頑張って回し、何か思い出したように顔をはっとさせた。
「そう言えば1人、気になる子がいるんですよ」
「? 誰?」
「稲葉友梨さんです」
思わぬ名前に、湊も反応せざるを得なくなる。
ここ最近は毎日のように話す仲だ。
(教室とかの人前では「私なんかが恐れ多い」とかであまり話さないけど)
「…彼女が?」
「はい。正直、最初は勘でした。『聖』としてというより、教師としての勘に近いです。これでも教師になって4年ですから、色々な生徒を見てきたんです。二者面談の時、稲葉さんに何か引っかかるような違和感を覚えたので、彼女の戸籍や経歴を調べてもらったんです。根拠は私の勘だけだったので、軽くでよかったし急ぎでもなかったんですが…、今朝早くに届きました」
「…結果は?」
「稲葉友梨という少女のデータは偽物らしいです」
「……へー。詳しくは?」
「はい。私の言う通り一応最初に軽く調べたところ、あっさりデータ改ざんの痕跡が見付かり、本部も驚いているようでした。調べなければ騙し通せただろうが、調べれば一目瞭然のレベルだったらしいです。バックにいるのは少なくとも電子機器の扱いに優れた者ではないようですね」
「このことを学園は?」
「知りませんし、稲葉友梨に疑いが掛かるような発言も慎んでいますが…どうします? 私がそれとなく疑いが掛かるよう仕向けますか? 私から見て悪い子には見えないので、酷い扱いは受けないと思いますし…」
「その前に、お前から見て稲葉はどんな印象だったのか聞かせてくれ」
「はい。…さっきも言ったように、気になったのは教師としての勘です。二者面談の時、前の学校の話やご家族の話を持ち出すと、どこか怯えてるような…もしかしたら恨みもあるような…分からないのですけど、とにかく普通とは違う反応をした気がしたんです…。虐待やいじめなどを経験したようことは書いてなくて、至って普通の暮らしを今までしていたとありましたが…そんなわけはありません」
「そうか…」
(稲葉が人前で俺達と話さなかった本当の理由…自分に教師から疑いや興味の目を向けられるのを避けていたという可能性もあるか…)
「取り敢えず今は下手に手出しするな。俺が現状で可能な限り分析する。お前はいつも通り良い教師やってろ」
「了解」
「じゃ、俺は戻るわ」
「名残おしいですけど…仕方ありませんね」
湊は立ち上がったところで、「あ」とこれだけは言おうとしていたことを思い出す。
「そうそう、お前あまり生徒を篭絡すんなよ?」
「だからしてませんって!」




