第98話「逃走」
レオと合流を果たしたマリアたちは、即座に元々入ってきた通路に向かって逃げ出し始めた。両船含めて百人はいそうな船乗りたちを相手取るのは、さすがにマリアたちだけでは無謀である。
「逃げるよ。クリリ、レオくん!」
「わかったぞっ」
「がぅ!」
マリアが階段の一番上まで登って振り返ると、激昂した男たちがサーベルを抜いて追いかけて来ており、船上では何かが輝いたのが見えた。その光に驚いたマリアは通路に入ると松明を投げ捨てて、通路の入り口に向かって両手を突き出す。
「女神シルさま、悪しき者から我々をお守りください……守護者の光盾」
光で出来た盾が形成され入り口を完全に塞ぐと、洞窟の入り口で爆炎が巻き起こった。それは船上から放たれた炎系の魔法のようで、マリアが守護者の光盾で塞がなければ、通路の奥まで丸焦げになっているような威力があった。
「ぐぅぅぅ!」
いつもは盾で防いでいた衝撃が直接手に掛かり、マリアは骨が軋む激痛で顔を歪めた。
「だ……大丈夫か、マリーア?」
「うん……これぐらい大丈夫。でも松明をお願い」
マリアは自分の腕に治癒術を掛けながらそう頼むと、松明を拾いあげたクリリたちと共に島の西側に向かって駆け出し始めたのだった。
その頃、船上では言い争いが起きていた。強面の船乗りが攻撃魔法を放ったフードの男に掴みかかったのだ。
「おい、いきなり何しやがるっ! 仲間に当たったらどうするつもりだっ!」
「う……うるさいっ! あいつらに見つかるわけにはいかんのだ。お前たちは黙って釜を船に移せ! その分の金は払ってあるだろっ!」
フードの男は掴まれた手を振り払うと叫んだ。船乗りの男は歯軋りのあと舌打ちをすると、フードの男に背を向けて部下たちに作業を続けるように指示を出していく。
「フンッ! 始めからそうしていればいいのだ。お前たちは積み込みが終わり次第、その釜を司教様の元に届けるのだ」
そう吐き捨てるとフードの男は船を降りて、階段の下で煙を見ながら立ち止まっている船乗りたちを叱咤していく。
「貴様ら、早く追わんかっ! 必ず捕まえて殺すんだっ!」
「お……おぅ!」
こうしてフードの男と船乗りたちは、逃げ出したマリアたちを追いかけ始めた。
◇◇◆◇◇
洞窟内を息を切らせながら駆け抜けてきたクリリたちは、島の西側に抜けると後を振り向いた。
「追って来てるかな?」
「間違いなく来てるぞ」
マリアもクリリもかなり身体能力が高く足も速い、武装をしてない身軽な状態であれば尚更である。武装した船乗りたちとは機敏さが違うため追い付かれなかったが、クリリの耳には彼らが追いかけて来ている音が聞こえていた。
「とにかく聖女さまに報告しないとっ!」
「灯台はあっちだぞ」
「がぅ!」
マリアたちが灯台に向かって駆け出したしばらくあと、フードの男たちと船乗りたちが洞窟からゾロゾロと姿を現した。
「おい、あのガキどもどこに行った?」
「船着場は灯台のほうだ」
船乗りの一人が西側を指しながら答える。この灯台島はハーレン近海と言っても、陸地からかなり距離がある。この島にマリアたちがいたことが、彼女たちが船に乗ってきたことを示しているのだ。
「よし灯台に向かうぞ。あのガキども殺すんだ。他の者がいればそいつらも容赦するなっ!」
「いくぞっ!」
強面の船乗りたちは、武器を片手に船着場に向かい始めるのだった。
◇◇◆◇◇
その頃昼食を取り終えたソフィが、訓練を続けているフィアナに触発されて彼女たちの近くでイサラと手合わせをしていた。ソフィの格闘術は元々イサラから教えてもらったものであり、旅の途中でも時々このような手合わせをしている。
「先生、お願いします」
「はい、いつでもどうぞ」
挨拶のあと双方とも構えるが、左手を前に突き出して右拳を腰に添えて握るソフィに対して、イサラは左腕を立てて軽く手は開いており、右拳は顎のところに置いている。イサラは構えたまま呆れた様子で首を横に振る。
「猊下、それではこれから右拳を放ちますと言ってるようなものですよ?」
「この構えが一番構えやすいから」
そんな二人のやりとりを見ていたクレスは呆れた様子で呟く。
「あの聖女さん、まるでなっちゃいない……格闘術は素人そのものだな。あの一撃はまぐれだったか?」
「いえ、ソフィ様は本当にお強いですよ」
「ほぅ?」
そう答えたフィアナにクレスは目を細めて首を傾げた。手合わせではソフィはガントレットを装備しておらず、双方とも身体強化を使用していない。そのためかソフィの動きはひどく素人っぽく見えるのだ。
呼吸を整えたソフィが一歩前に出ながら右拳を繰り出す。一番スムーズに右パンチが出せる構えだったが、いくら速くても来るのがわかっているパンチである。イサラは左手でその軌道を逸らすと、一歩前に出ながらガラ空きの右脇腹に右掌底を放った。
しかし何か背筋に寒いものを感じたイサラは、攻撃を止めて即座に後に飛んだ。イサラが攻撃しようとした場所には、鋭い右の肘が落ちていた。あのまま攻撃をしていれば、その手は破壊されていたかもしれない。
そんな攻防が繰り返されていくと、クレスが再びボソリと呟いた。
「随分と歪な戦い方だ。殆ど右腕しか使ってないじゃないか」
これはクレスの率直な感想だった。ソフィはガントレットを装備している右腕だけで戦う癖がついているため、極端に右腕に頼る戦い方になっているのだ。
拳を構えたソフィが再び右拳を放つと、イサラは半歩踏み込みながらソフィの右肩を引き寄せると、体勢の崩れたソフィの顎に左掌底を合わせてピタッと止めた。ソフィは苦笑いを浮かべて左手を挙げて降参を示した。
「さすが先生です」
「何を……猊下が本気でしたら、私など相手になりませんよ」
イサラはフフフと笑いながら、掴んでいたソフィの肩を放した。そんな時、遠くから聞き慣れた声が聞こえてきたのである。
「聖女さま~!」
「神子ェ」
駆け込んできた二人とレオに、イサラは呆れた表情で彼女たちを叱り付ける。
「貴女たちどこにいたの! 昼食はもうありませんよ?」
そんな言葉にソフィはクスッと笑う。本当はイサラがちゃんと残しておいてあるからである。しかしマリアとクリリは慌てた様子で、首を横に振りながら訴えてきた。
「そんなこと言ってる場合じゃないんだよ、イサラ司祭」
「大変だぞ、イサーラ!」
「いったい何なのですか?」
イサラが首を傾げながら尋ねると、大海原の処女号号の方が騒がしくなってきた。
「なんだ、てめぇら!?」
「海賊かぁ!?」
アジョット船長たちの声にソフィたちがそちらを見ると、サーベルで武装した集団が大海原の処女号号のクルーたちに詰め寄っていた。
「なんなの、あの人たち?」
「洞窟の奥の入り江で怪しいことしてた連中だよ、聖女さまっ!」
「如何にも海賊風ですね。武装もしてますし、このままでは大海原の処女号号の人たちが危ないですよ」
ソフィが首を傾げるとマリアとフィアナが答える。ソフィは頷くと右手を突き出してガントレットを呼ぶ。
「来て、レリ君っ!」
近くに置いてあった肩掛け鞄から鎖が伸びてソフィの右腕に絡みつくと、鞄から飛び出してソフィの右手に装着する。そしてソフィたちは海賊風の男たちと大海原の処女号号のクルーたちの間に割って入った。
「待ちなさい、貴方たち何者ですか!?」
「あっ、さっきのガキども!」
男たちに凄まれたマリアはイサラの後ろに隠れ、クリリは舌を出して挑発している。イサラは心底呆れた顔でため息をつく。
「貴女たち、本当に何していたの?」
「な……何にもしてないよ」
目を泳がせながら答えるマリアに、イサラは疑いの眼差しを向けている。怪しい連中とは言え、いきなり襲いかかったのはマリアたちの方である。
「とにかく話し合いましょう」
ソフィが男たちを窘めようとすると、彼らの後ろにいたフードの男が叫ぶ。
「殺せぇ!」
その号令と共に男たちは、問答無用で一斉に襲いかかって来たのだった。




