第95話「遭遇」
大海原の処女号号の航路上に、小さな島と聳え立つ白い灯台が薄っすらと見えてきた。晴れていれば日の出が灯台を照らし出して美しい絵になっただろうが、あいにく霧が出ておりあまり見通しが良くなかった。
「天候があまり良くないね」
「でも幽霊船が目撃されているのも、こんな天候だって話だからねぇ」
空を眺めていたソフィの呟きにクレスが答える。幽霊船は霧と共に現れて霧と共に去るという情報があり、現在の状況はその条件にピッタリだった。
「クレスの姉ちゃん、それでどうするんだ? このまま灯台に寄港するのか?」
アジョット船長が尋ねると、クレスは首を横に振って答える。
「灯台には用はないから寄航する予定はないよ。それより幽霊船が現れたら、すぐに動けるようにしてほしいんだが」
「了解だ。じゃ島を過ぎた辺りで縮帆して錨泊だな」
方針が決まるとアジョット船長は部下の船乗りたちに向かって命じていく。それに応じて船乗りたちは帆を調整していく。ソフィはイサラと共に船首に移動し、進行上の海を見つめながら確認する。
「先生、何か見えますか?」
「そうですね……」
イサラは遠視魔法を発動させて周辺を探るが、近くに船影らしいものは発見できなかった。しかし、ある一点を見つめながら呟く。
「船は見えませんが、あの辺りに魔素が伸びてますね」
魔素とは魔法を使用した際に残る残滓のことで、精霊魔法を使用すると少なからず痕跡を残す。それが海上に真っ直ぐに伸びているのが見えたのだ。
「ほぅ、ちょっと気になるね」
精霊魔法が使えないソフィには見えなかったが、いつの間にか後ろにいたクレスには見えているようだった。
「司祭さん、あれは何だと思う?」
「この距離じゃ何とも……海上に沿って伸びてますから、船上で持続的に発動する魔法を使ったのかも知れませんね」
イサラが首を傾げながらも所見を答えるとクレスは満足そうに頷いた。どうやら彼女の考えも同じだったようだ。
「とりあえず行ってみるしかないかっ。アジョットさん、ちょっといいかい?」
クレスがアジョット船長に航路の変更を頼むと、大海原の処女号号はその海域に向かって進み始めるのだった。
◇◇◆◇◇
波を切り裂きながら順調に進んだ大海原の処女号号は、先程指定した海域に近付いていく。その海域では霧が不自然に濃くなってきており、船乗りたちはざわめき始めていた。
「前がほとんど見えないぞ?」
「おーい、何か見えるかぁ?」
甲板で話し合っていた船乗りたちが、マスト上の見張り台に登った船乗りに向かって問いかける。見張りの姿は霧のせいで見えなかったが
「いや、全然見えねぇぞ!」
という報告だけ聞こえてきていた。もう早朝であり霧で視界を塞がれたとしても、ここまで視界不良になるのは珍しかった。イサラは眉間にシワを寄せながら霧を睨みつけており、ソフィのガントレットの鎖もジャラジャラと何かに反応しているようだった。
「この霧、魔法によるものですね」
「レリ君も反応してる。ひょっとして幽霊船が近いのかな? ……きゃっ! な、何っ!?」
いきなりスカートを引っ張られたソフィが足元を見ると、レオが唸りながらスカートを咥えていた。ソフィがスカートを引っ張り返すと、レオはパッと咥えるのをやめて一吠えする。
「がぅ!」
「どうしたの、レオ君?」
その訪ねた瞬間、周辺にいた船乗りたちが一斉に慌しくなっていった。
「お、おいっ! ぶつかるぞ!?」
「やばいぞ、取舵一杯! 帆を裏打たせるなよ」
ソフィたちが船首を見ると大海原の処女号号の航路上に、突如大きな船影が姿を現したのだった。船乗りたちは慌てた様子で一斉に動き出すと左舷に向けて舵を切る。
ガクンッと船体が揺れると、急速に左舷に向けて船体が動き出すが船首の一部が接触して大きく揺れる。
「うわっ、落ちるっ」
「マリアちゃん!? お願い、レリ君っ!」
船から投げ出されそうになったマリアに、ソフィは右舷の船舷を掴むと右腕を振って鎖を伸ばす。そしてマリアの胴体にぐるぐる巻きにして引き上げる。
その不明船と接触した大海原の処女号号は、何とか航路を変えてすれ違っていく。クレスは船舷を掴みながら衝突していった船を睨み付ける。
「あれが幽霊船かっ!? アジョットさん、追ってくれっ!」
「無理言いなさんなっ、補修しないと沈んじまうわ!」
「ぐぬぬぬ……」
クレスはギリギリと歯軋りをしている。しかしアジョット船長の言うとおり、大海原の処女号号はかなりの被害が出ていた。船首右舷が激突の影響で拉げており、大きく揺れた船体のせいで船乗りたちにも怪我人が出ており、ソフィたちは慌てた様子で彼らの治療に当たっていた。幸い死者は出ていなかったので治癒術で持ち直すことができたのだった。
回復した船乗りたちは、船底の資材置き場から木材などを持ってくると損傷部分を補修していく。あくまで応急処置だったため、アジョット船長は船乗りたちに航路の指示していく。
「いったん灯台島まで戻るぞ」
「おー」
船乗りたちは真剣な表情で返事をすると、灯台島に向かって航路を変更するのだった。
◇◇◆◇◇
灯台島まで戻った大海原の処女号号は、島の港に停泊して本格的な補修作業を開始していた。島はさほど大きくはないが高台に灯台が立っており、街側に当る西側が平地と港、中央部分は森、東側は山のようになっており、海上から見ると絶壁になっているという。
修復は少なくとも一日は掛かるということで、マリアとフィアナは食事の用意を始め、レオは相変わらずマリアの側で何かを狙っていた。その間にソフィ、イサラ、クリリの三人とクレスは、灯台に登って周辺の確認をしている。
「何も見えないな」
「霧がかなり濃いですね。さっきの幽霊船はどこに行ったんだろ?」
「でっかかったなっ!」
クレス、ソフィ、クリリがそれぞれの感想を言っていると、イサラは眉間に皺を寄せて先程の幽霊船について考えていた。
「あの船……完全な実体ではありませんでしたね」
「確かにちょっと変な感じだったな」
「なぜ、そう思うんです?」
イサラの話では突然現れたことや、あの規模の船と衝突したわりに大海原の処女号号の損傷が軽微だったことが挙げられた。あの規模の船とまともに衝突していれば、大海原の処女号号は今頃海の藻屑になっているはずとのことだった。
「じゃニセモノなのか?」
あまり考えてない顔でクリリが尋ねるとイサラは首を横に振った。
「いえ、私たちが捜している幽霊船はアレで間違いないでしょう。ただ相手は幽霊ではないかもしれませんね」
「……と言うと?」
ソフィが首を傾げながら尋ねるとイサラは話を続けた。
「先程の船は、おそらく魔法で作った擬似的な何かです。他に何か隠したいものがあるのかも?」
「なるほどな、普通は幽霊船を見れば逃げ出すからな」
イサラの意見にクレスも同意したようだった。クリリはよくわかってないのか頭を抱えて首を振っている。
「うぅ、どういうことだ?」
「幽霊船が注目されると他の監視が疎かになるだろ? それに他の船は怖がって近付かないから、裏で仕事もしやすくなるってわけだ」
「じゃ隠れて、なにかしてたのか?」
「まぁ、おそらく何らかの犯罪行為じゃないか? 海上だと海賊行為や密輸なんかがあるが……船が襲われたって話はあんまり聞かないから密輸かもな」
モルガル姉妹の会話から、イサラも思うところがあるようで頷いている。一際強い風が吹きソフィは長い髪を押さえた。
「風が出てきましたね。これで霧が晴れるかも?」
「とりあえずまた幽霊船と遭遇しなきゃ話にならないか。アジョットさんの話じゃ、修理には一日掛かるそうだから出港は明日の朝になるだろうね」
「わかりました。それじゃ、今夜はこの島で野営ですね」
こうして聖女巡礼団とクレスたちは、この島で一泊することになったのだった。




