第9話「討伐依頼」
隊商に同乗した聖女巡礼団は、予定より早くアリストの街に到着していた。城門を通り過ぎたあとトンプたちと別れた三人は、そのままシルフィート教の聖堂に向かって歩き出した。
帝都に比べれば遥かに小さかったが、アリストの街もそれなりに大きい都市である。大通りには多くの人々が行き交い、屋台などからはいい香りがしてきている。その屋台の誘惑にも負けず、聖堂の前まで来ると三人とも首を傾げる。
「なんの騒ぎかな?」
「さぁ、なんでしょうか? 聖堂前に馬がたくさんいますが……」
聖堂の前に騎士が乗るような立派な馬が、五頭ほど乗り捨てられたように放置されていたのだ。怪訝そうな顔をしながら、聖堂に足を踏み入れようとした三人の前に、一人のシスターが飛び出してきた。
「きゃっ!」
「うわぁぁ」
そのシスターは見事にマリアにぶつかって、二人揃って転んでしまう。飛び出して来たのは、マリアよりだいぶ小柄なシスターだった。ソフィは彼女たちを助け起こすと、砂埃を払いながら尋ねる。
「大丈夫、怪我はない?」
「う、うん……ごめんなさい、急いでいたの!」
小さなシスターは、ハッと目を見開くとソフィの手を掴んだ。
「その格好……貴女たち教会関係者ねっ!? 治癒術は使える? あぁ、よかった。神はやはり見放されておられなかったのねっ!」
一人で盛り上がり、神に祈りを捧げ始めてしまった小さなシスターに、ソフィは困ったような表情を浮かべていると
「いいから、来てっ!」
と聖堂の中に引っ張り込まれたのだった。
◇◇◆◇◇
それから二時間ほど後のこと、ソフィたちは教会から借りた宿舎の部屋で、寛い……ではいなかった。目の前で大きなたんこぶを作った小さな女の子が、涙目で土下座しているからである。ソフィは弱った様子で、その女の子に改めて声を掛ける。
「あの……私は気にしてないから、顔を上げてもらえないかな~?」
「いいえ、大司教さまとは知らず、とんだご無礼を働きました。どのような罰でもお受けいたしますっ!」
先程からずっとこんな調子である。少女が土下座しているのには訳がある。
事の始まりは牧場に現われたという化け物に対して、騎士団が斥候を出したことだった。彼らの任務は敵の位置捕捉と戦力分析である。しかし遭遇した魔物は予想外に強く斥候隊は潰走、重傷を負った兵たちが次々と聖堂に運び込まれたのだ。
その時折り悪く責任者である区長が不在で、聖堂に残っていた神官たちは懸命に治癒術を続けたが、神官の数に比べて怪我人の数が多く、ついに法術を使いすぎで一人残らず倒れてしまう。
まだ治癒術がまともに使えないシスターだけが元気であり、外出中だった区長を呼びに飛び出したところをマリアと正面衝突したのだ。
運よく目の前に現われた聖職者に歓喜すると、神に感謝しつつ聖堂に引きずりこんだシスターは、無我夢中に指示を出し彼女たちを働かせることで、この窮地を何とか乗り切ったのだった。
そして汗を拭いながら、ドヤ顔を向ける。
「貴女たちのおかげで助かったわ! 見たことない顔だけど、この教会には研修に来たの? レナから区長に口を利いてあげようか?」
生意気な物言いだったが小さな子が言ったことであり、三人が真実を告げるか迷っていると、丁度帰ってきていた区長と目があった。ソフィを一目見た彼は青ざめた顔をしており、ぶつぶつと呟きながら娘に近付いていく。
「げ、げ……い……」
それに気が付いたシスターは、笑顔で両手を広げながら父親に駆け寄る。
「あっ、パパ! おかえり~、もぅどこ行ってたの? 大変だったんだから! あの見習いたちが……」
「この馬鹿もんがぁー!」
その瞬間、区長は怒声と共に娘の頭に拳骨を落としたのだった。
そして土下座に戻る。
少女は大好きな父が叱責が受けることを恐れているのだ。もちろん区長はすでに娘の無礼に対して謝っており、ソフィは特に問題にするつもりがないのだが、いくら諭しても聞かないので仕方がなく一計を案じることにした。
「えっと、レナちゃんだったかな? 仕方ないから罰を与えます。立ってくれるかな?」
ソフィが真剣な顔で言うと、シスターレナはビクッと震えて立ち上がる。泣くのを我慢して、小動物のようにプルプルと震えているのが愛らしい。
「レナちゃんは頑張って皆さんを救ってくれたから、ナデナデの刑を与えちゃいます」
ソフィはそう言うと、微笑みながらレナの頭を撫でる。
「よく頑張ったね、レナちゃん」
ソフィの手は心地よく、先程父親に落とされた拳骨の痛みも薄れていく。一頻り撫でてから手を離すと、レナはソフィに抱き付いたのだった。
◇◇◆◇◇
翌朝、この街に駐在している騎士団に所属している騎士が、聖堂にいたソフィを尋ねてきた。その騎士は珍しく女性で白銀の鎧に身を包んでいる。彼女はソフィに対して丁寧にお辞儀をすると話を切り出してきた。
「アルカディア大司教猊下でございますね? 私は騎士団所属レイナ・エル・シャクリルと申します」
ソフィも合わせて丁寧にお辞儀をする。
「はい、その通りですが……私にどのようなご用件ですか、シャクリルさん?」
「はい、猊下のお噂はこの街にも轟いております。実は牧場周辺に現われた怪物……トロルの討伐に、そのお力をお貸しいただきたいのです」
「トロル討伐ですか?」
トロルとは大型の人型で怪力を誇り、傷の再生能力が高いことで有名な魔物だ。知能はあまり高くなく凶暴である。騎士の話によると、そのトロルは鎧を着ていることから、人為的に放たれた可能性が高いと言う。
先日の斥候の報告では、攻撃してもダメージが通らなかったとのことだった。本来であれば騎士団だけで対応したかったが、騎士団には簡易的な治癒術しか使える者がおらず、先の斥候隊の状況をみても作戦が上手く行かないのは目に見えていた。
そこで白羽の矢が立ったのが、聖女であるソフィの存在だ。
彼女の治癒術の実力は帝国全土に響きわたっており、一人で数十人のヒーラーと同等の能力がある。つまり彼女が協力してくれれば、少人数でも万全な状態で実行できると考えたのだ。
「本来であれば、猊下にこのようなことをお願いするのは、烏滸がましいのですが……我々だけでは討伐は難しいと思われます。ご協力願えないでしょうか?」
「わかりました。すでに家畜や人に被害が出ていると聞いておりますし、困っている方々を救うのが聖女巡礼団の役目ですから」
すんなりと受けてくれるとは思っていなかったレイナは、少し驚いた顔をすると深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。猊下には後方支援の部隊に参加していただくことになりますが、私が直衛として付くことになっております。必ずお守りしますからご安心くださいっ!」
「えっ?」
その言葉にソフィが驚いた顔をすると、レイナは首を傾げて尋ね返す。
「如何しましたか、猊下?」
「い……いえ、そうですよね。治癒と支援……はい、後方支援はお任せください」
◇◇◆◇◇
三日後、騎士団所属の騎士五名と兵士二十五名と、聖女巡礼団の三人はトロル討伐のために牧場の一角に陣地を構えていた。
討伐隊の隊長は如何にも気難しそうな中年男性で、今回の作戦立案は彼のようだった。作戦会議のため彼を含め騎士五名、そして聖女巡礼団の三人が集まっている。本来であれば区長が頼んだ冒険者のパーティも加わるはずだったのだが、予定日になっても現われなかったため、騎士団と聖女巡礼団だけで決行することになったのだ。
「大まかな作戦だが……まず取り囲んで兵たちで動きを止める。そして騎士たちの一斉攻撃、怪我を負ったら神官たちが回復だ」
動きを止めてから攻撃するのは、よくある大型魔物に対する基本戦術だが、それに対してイサラは
「トロル相手に魔法使いもいないとは……」
と呆れた様子で呟く。トロルの高い再生能力に対して、騎士の剣や槍などでは攻撃力が足りないのだ。相手の動きを止めて高火力で焼き払う、それが対トロル戦のセオリーである。
その作戦に対して、先日ソフィに依頼に来た騎士レイナが食って掛かる。
「隊長、それでは決定力に欠けます。やはり冒険者の到着を待つべきではありませんか?」
「問題ない! これ以上時間を掛ければ、街に被害が出るかもしれんしな。貴様は彼女たちの護衛をしていればよい! ……アルカディア猊下、治癒の件はお任せしますぞ」
「はい、わかりました。しかし……」
ソフィは返事しつつ提言しようとしたが、その隊長は右手で制して
「戦いについては、我々にお任せください! 我々には我々の戦い方がありますからなっ!」
と告げた。もちろんソフィには集団戦など経験があるわけではないため、そう言われてしまうとそれ以上は口にすることが出来なかった。しばらくの沈黙が訪れたが、それを打ち壊すように天幕の入り口が開くと一人の兵士が駆け込んできた。
「南方にてトロルを発見っ! ゆっくりと街に向かっているようです!」
「な……なんだと!?」
こうして騎士団と聖女巡礼団による、対トロル共同作戦が始まろうとしていた。




