第88話「不運な少女」
モルドアンクでエリザと出会ったソフィたちは、そのままエリザを連れて宿に向かうことになった。そしてイサラが部屋の手配をしている間に、食事をするために席に着いていた。
「それでエリザさん、あんなところで何をしていたの? 確か一月ぐらい前にモルドイーラから出発してたよね?」
詳しく旅の予定を聞いたわけではなかったが、順調に進んでいればもっと先に進んでいるはずである。ソフィが心配そうに尋ねると、エリザは項垂れたまま答え始めた。
「それがですね……」
エリザの話では、モルドイーラでソフィたちと別れたあと、彼女はロバに乗ってモルドゴル大平原を横断した。そしてモルドアンクに着いた日にスリに遭い、ソフィから貰ったお金も奪われてしまったのだ。仕方がないので次の町へ行く資金を稼ごうと酒場などで演奏したが実りは少なく、最終的には迷惑だからと酒場からも追い出されてしまった。そして今度は路上公演をしようとしたら、衛兵に捕まりそうになったとのことだった。
「大変だったんだね……」
ソフィが同情の視線を送ると、エリザは恥ずかしそうに俯いている。戻ってきたイサラが呆れた様子で尋ねる。
「今までよく旅が出来てましたね」
「うっ……今までは、同志が……いえ、何でもありません」
何かを言い淀んだエリザに首を傾げながらも、ソフィはパンッと手を叩いて微笑むと
「とりあえず、食事にしましょうか」
と言うのだった。
例によってイサラが適当に注文した食事が運ばれて来ると、クリリとエリザが凄い勢いで食べ始めた。
「美味い、美味いぞっ!」
「うぅ……久しぶりのちゃんとした食事です」
まだナタークのことを気にしているのか、マリアは食事があまり進まないようだった。そんなマリアの隙を狙ってレオがテーブルに飛び乗ったが、ジッと見つめてくるソフィの瞳に押されてピョンと飛び降りていった。
「しかし、食事にも困る有様とは……宿はどうしてるのですか?」
「うぐっ……」
急に話しかけられて喉を詰まらせたのか、エリザの手が水を求めて宙を彷徨っている。隣に座っていたフィアナが、慌てて水が入ったジョッキをエリザに手渡すと、彼女は一気に飲み干して事無きを得た。
「はぁはぁ、ありがとうございます。えっと……宿というか寝るところは、ロバを預けている厩舎さんがいい人で、許してくれたのでロバと一緒に寝てます」
そう話すエリザは特に気にした様子はなかったが、ソフィたちは眉間を押さえてため息を付いていた。
「先生、すみませんが……」
「わかりました」
ソフィがそこまで言うと、イサラは「皆まで言うな」と言わんばかりに席を立つと、再びカウンターに向かって歩いていった。エリザがポカンとしながらそれを見つめていると、ソフィは彼女を見つめながら答える。
「エリザさん、とりあえず今日はこの宿に泊まっていって」
「えっ、そんなお金は無いです」
「お金のことなら大丈夫だから、女の子がそんなところで寝ているなんて危ないわ」
ソフィの活動資金は聖堂を通して教会から出ている。現在シルフィート教を牛耳る聖堂派であっても、さすがに最高位である大司教の要求は断れず、ソフィたちの活動資金を捻出しているのだ。
もっともソフィたちが使う額より、多くの金額がアルカディア家から寄付されており、実際の資金はアルカディア家から出ていると言えた。アルカディア家はルスラン帝国内ではかなりの権力と財力を有しており、領地は持たないがいくつかとの大商会との繋がりで財を得ていた。
しかし、エリザは立ち上がると首を振って答える。
「い……いえ、そんな施しならいりません。大丈夫です! ロバと一緒でも、きっとシル様がお守りしてくれますからっ!」
彼女は汚れた外套から、妙に豪華な護符を取り出すと天を仰いで祈り始めた。
「随分綺麗な護符だね?」
ソフィが首を傾げながら尋ねると、エリザは慌てた様子で護符を隠してしまった。
「え……っと、これは母さんの形見で……」
「そうなんだ。う~ん、でも少しは身奇麗にしないと、演奏しようにも酒場にも入れて貰えないよ?」
ロバと寝泊まりしているエリザはボロボロであり、先程から酒場のマスターらしき中年男性が睨みつけてきている。それでも文句を言ってこないのは、神官であるソフィたちと一緒にいるからだった。
「ぐぬ……確かに、このままじゃ」
「わかった。じゃ夕食の時に一曲披露してくれる?」
ソフィの提案にフィアナと、戻ってきたイサラが微かに眉を顰めたが、エリザはパァと笑顔になって答える。
「わかりました。それなら最高の一曲をお贈りしますよっ!」
◇◇◆◇◇
宿の部屋割はソフィ、イサラ、フィアナの三人と、マリア、クリリ、エリザ、レオに別れることになった。ソフィはエリザと同じ部屋にしようとしたが、イサラとフィアナが素性のわからぬ者と同室など許可できないと強弁したので諦めることになった。
隣の部屋からはポロンポロンと、弦楽器を練習している音が聞こえてきていた。
「二人とも、何でそんなにエリザさんを警戒しているの?」
ソフィの当然の疑問に、イサラは眉を顰めると少し考えたあとに答えた。
「猊下、彼女は聖堂派の可能性があります。平民がアレほど立派な護符を所有するなどありえません」
「先生は、あんな子が密偵とか暗殺者だとでも言うの?」
ソフィは信じられないといった感じで首を横に振る。エリザは密偵や暗殺者にしては随分情けなく見える。あれが演技だとすればよほどの演技派だ。
「フィアナちゃんもそう思っているの?」
「私は念のために部屋を別けたほうがいいのでは? と提案しただけです」
この疑惑を晴らすのは簡単だった。ソフィが彼女に向かって「聖堂派なのか?」と尋ねるだけである。それだけで彼女の真実の瞳は答えの真偽を示してくれる。しかし彼女がその選択を選ばないということは、イサラが一番よくわかっていた。
ソフィは隣の部屋を指差した。イサラたちがそちらを向くと、エリザが練習している弦楽器の音が聞こえてきている。
「悪い子なら、あんな風に練習なんかしないよ」
「猊下のお考えはわかりました。ですが、我々は猊下をお守りするのが約目ですので……」
その言葉に納得することは出来なかったが、彼女を心配しているイサラたちのことも理解しているため、それ以上何も言うことはなかった。
◇◇◆◇◇
しばらくして夕食の時間になると、一階の酒場は宿泊客以外も入ってきて賑やかになっていた。ソフィたちが大きなテーブルに腰を掛けると、いつものようにイサラが適当に注文していく。
エリザも部屋にお湯を運んで貰い身奇麗にしているからか、今度はマスターからの非難の視線はなかった。
「エリザさん、部屋で練習していたようだけど今日は何を歌うの?」
「いえ、今日は……」
「神子、こいつ歌下手だ!」
ソフィ以外が皆思っていたことを、クリリがバッサリと言ってしまう。エリザは肩を落としてしまったため、ソフィは首を横に振りながらクリリを窘めた。
「クリリちゃん、そう言うことを言ってはダメよ!」
「いえ、ソフィさん……いいんです。この子にはさっきモルドの曲を教えて貰ったんです。この辺りはモルドの方も多いから、その方が受けるだろうって」
「今日はクリリが一緒に歌ってやるんだぞ」
クリリがニシシと笑った。ソフィが驚いてエリザを見ると彼女は小さく頷いた。どうやら今日はエリザが演奏をしてクリリが歌うようだ。
「それは楽しみね」
ソフィは優しげに微笑む。クリリはよく先導しながら歌っていることから、おそらく歌うのが好きなのだろう。
一行は運ばれてきた食事を一緒に取ると、エリザとクリリが少し離れた壁際のステージで準備を始めた。酒場のマスターにはイサラが事前に了承を取ってあり、ちょっとした段差だがステージもマスターが用意してくれたものだ。
エリザが弦楽器の調整にポロンポロンと鳴らすと、酒場で食事や酒を飲んでいた客から歓声が上がる。
「おー! ねぇちゃん、何か弾くいのか~?」
「いいぞ~がんばれよ~」
歓声に対してエリザはやや緊張した感じで微笑み、クリリは両手で手を振って観衆の視線に応えるのだった。




