第86話「楽観少女と獣の群れ」
マリアがイサラに小言を言われていると、フィアナがキョロキョロと辺りを見回し始めた。そんなフィアナにソフィは首を傾げて尋ねる。
「どうしたの、フィアナちゃん?」
「いえ、どこからか声が聞こえるような気がして」
フィアナがそう答えるとイサラはニッコリと笑って立ち上がった。
「どうやら追いついて来たみたいですね?」
ソフィが首を傾げていると、どこからか声が聞こえてきた。
「……おーい!」
聞き覚えのある声に、ソフィも立ち上がって辺りを見回すと、その視界に丘の下から一人の少女が登ってきているのが見えたのだ。手を大きく振り、乗っている馬には大量の荷物が括り付けてある。その姿を見たソフィは、驚いて目を見開いた。
「ク……クリリちゃん!?」
ファザーンを駆るその姿は、紛れもなくモルガル族の少女クリリだった。彼女はソフィたちの近くまでくると、ピョンっとファザーンから飛び降りた。
「待たせたな」
「クリリちゃん、どうして!?」
驚いたソフィが尋ねると、クリリは胸を張りながら答えた。
「クリリも、神子たちと一緒についていくことにした」
「えっ!?」
そこでイサラがクルルから預かった革袋を、クリリに渡しながら付け加える。
「あの後、クルルさんに頼まれたのです。彼女を連れていくようにと」
「えぇ!? そんなこと一言も……それにクリリちゃんもいいの? 私のせいで追放に」
「そんなことは気にするなっ! なってしまったものは仕方ないのだ。風のように流れていくのが、モルドの流儀だぞ」
クリリはカラカラと笑いながら話を続けた。
「元々クレス姉みたいな冒険者になるのが夢だったのだ。どうせ長には、その時に追い出されてたのだ」
クリリの姉クレスが冒険者になると切り出した際は、勘当寸前で旅立ったとのことだった。クリリはそんな姉に憧れて、いつか自分も冒険者になることを夢見るようになっていたのだ。
それでもソフィは心配そうに尋ねる。
「でも追放だって……まだ小さいのに家族と別れるなんて」
「離れても一族は家族だ。長からは弓を貰った。モイヤーからは短剣、リムロからは外套、クルルからは支度金、モルガル族からは食い物とか貰ったぞ!」
使い込まれた木製の弓、綺麗な装飾が施された短剣、丈夫そうな外套、硬貨や宝石が入った革袋、ファザーンに括り付けてある大荷物を指しながら答えるクリリは、ニッコリと笑いながらさらに続けた。
「これさえあれば、どこにいてもクリリはモルガル族だ」
どうやら蔑まれて追放されたのではなく、普通に家族に心配されて旅立ちを見送られたようだった。
「だから、クリリは神子たちについていくぞ。クルルが心配だから神子に、ついていけと言ってたからなっ」
自分の運命をありのままに受け入れる少女を、ソフィは抱きしめると頭を撫でた。
「うん、一緒に行こう。クリリちゃん」
「よろしくなのだ」
「ところで、クリリちゃん? さっきから呼んでる神子って何かな?」
ソフィが首を傾げながら尋ねると、クリリは満面の笑みを浮かべて答えた。
「リムロが、ソフィーは獣の神子と言っていたぞ」
「神子とは神の子、つまり神官のことですね。モルドの民の神官は祭司のはずですから、少しニュアンスが違うようですが」
クリリの言葉にイサラが解説してくれたが、やはり細かいことはわからなかったためソフィは首を傾げるのだった。
こうしてモルガル族の少女クリリが、正式に聖女巡礼団に加わることになった。
◇◇◆◇◇
翌朝マリアが寝苦しくなって目を開くと、その視界は一面白く覆われていた。
「うわぁぁぁぁぁぁ!?」
マリアが驚いて跳ね除けると、上に乗っていた何かはひょんと飛び降りて、欠伸をしながら後ろ足で首を掻いている。その姿にマリアは目を見開いて驚きの声を上げた。
「レ……レオくんっ!?」
その音に驚いて、ソフィたちも目を覚ました。
「マリアちゃん、大丈夫? 怖い夢でも見たの?」
レオはその声に反応すると、真っ直ぐにソフィに向かって飛びかかってきた。彼女が受け止めるとその胸に顔を擦り付けている。
「えっ、レオ君!? どうしてここに? 先生が大きなレオ君が連れていったって」
「がぅがぅ」
レオが何かを言いたげに吠えるので、ソフィは首を傾げて天幕を出てイサラを呼んだ。しかし返事はなく、緊張した面持ちで野営地の外を睨んでいた。
「先生、どうしましたか?」
「気をつけてください! そこにレオンホーンがっ!」
イサラが指差した方を見ると五匹ほどのレオンホーンの雌と、一際大きなレオンホーンの雄がこちらを窺っている。レオンホーンの群れに囲まれた一行は緊張が走っていた。
「いったい何が?」
「がぅ!」
ソフィの腕の中にいたレオは飛び降りると群れに近付いていく。レオンホーンの群れは一匹一匹がレオを舐めていく。それが終わるとレオと雄のレオンホーンを残して、ゆっくりと野営地から離れていった。
「ひょっとして送り届けてくれたの?」
「ぐるる」
雄のレオンホーンは返事とばかりに一唸りすると、鼻を鳴らして背を向けた。レオは再びソフィに飛びつくと、彼女の腕の中に収まった。
「レオ君を仲間とは認めてくれなかったのかな?」
「いえ、たぶんこれは帰属本能ですね。おそらくレオは私たちを家族や仲間……つまり群れとして見ているのかも知れません」
ソフィは脇を掴んで持ち上げるとレオの顔を見る。
「レオ君、私たちと一緒に行きたいの?」
「がぅ!」
レオの返事はもちろん真意はわからなかったが、ソフィの真実の瞳には何も反応がなかった。自分の顔が映り込むレオの純粋な瞳に、ソフィは少し後悔していた。
「そう言えば……私たちがレオ君は故郷に帰りたいはずだって、勝手に思っていただけだったんだね」
「がぅがぅ」
レオはソフィの肩を前足でポンポンと叩いている。どうやら慰めているようだ。そんな様子にソフィは笑ってしまい、レオを地面に下ろした。
「聖女さま! それじゃ、またレオくんを連れて行くんだよね?」
「そうね、レオ君がそれを望んでいるみたいだし……」
マリアは両手を上げて喜ぶと、そのままレオに向かって飛びかかった。
「わ~い! レオく~ん」
マリアがレオを抱き上げて頬摺りをすると、レオは唸りながら後ろ足でマリアの顔を蹴って引き離そうとする。
「グルゥゥゥ」
そんないつもの様子を、ソフィたちはにこやかに微笑みながら見守るのだった。
◇◇◆◇◇
こうして五人と一匹になった聖女巡礼団は、予定通りモルドイーラに戻り旅支度を整えることにした。人数が多くなったため部屋は二部屋取ることになり、部屋割はソフィ、フィアナ、クリリの三人と、イサラとマリア、レオで別れることになった。
今は次の目的地を決めるために、ソフィの部屋に集まっていた。クリリは柔らかいベッドが珍しいのか、レオと一緒に飛び跳ねており、マリアはそれを叱りながら追いかけていた。
ソフィとイサラ、そしてフィアナは地図を囲みながら意見を出し合っていた。
「猊下、次はどこに向かいましょうか?」
「そうね。東部にはまだ行ったことがないから、行ってみたいんだけど……」
イサラの質問にソフィは控えめに答える。イサラはその思いを代弁するように答える。
「帝都に近付いてしまう……ですか?」
「うん、また襲撃者が増えたりすると困るなって」
その言葉を耳にしたフィアナは姿勢を正して敬礼する。
「如何なる敵が現れようとも、ソフィ様は必ずお守りいたしますっ!」
「……ありがとう、フィアナちゃん」
ソフィが優しげに微笑むと、フィアナは照れたようにはにかんだ。
「まぁ大丈夫ではないでしょうか?」
イサラは聖騎士団の一連の動きを思い出しながら答えた。事実あの死体を発見して以来、イサラの感知できる範囲では、密偵の類は確認されていなかったのだ。
「それならモルドゴル大平原を抜けて、モルドアンクを経由してハーランの街に向かいましょうか」
ハーランの街はハーラン侯爵領にある東部最大の街で、他国や別の大陸との海洋交易で栄えていた。あれほど大きな街であれば、クリリの望む冒険者ギルドもあることから、ソフィはこの目的地を設定したのだ。
「ハーランですか、わかりました。では次の目的地は……」
イサラはそこまで言うと、歯軋りしながら額に青筋を浮かべていた。そして、はしゃぎまわっているクリリたちに向かって怒鳴り声を上げる。
「こらっ、貴女たちいい加減にしなさいっ!」
「わーい怒られろっ! イサラ司祭は怒ると怖いんだぞっ」
マリアが調子に乗ってクリリをからかうと、その矛先はすぐにマリアに向いた。
「貴女もですよ、シスターマリア!」
「えぇ~わたしは止めようとしてたのにぃ~」
結局そのままマリアとクリリはイサラに説教をされ、レオはこっそりと逃げ出してソフィの後ろに隠れるのだった。




