第84話「獣の神子」
「ソフィー、クリリたちも、戦うぞっ!」
そう叫んだクリリは弓に矢を番え、リムロは馬上用の槍にも似た長剣を握りしめている。ソフィは驚いて二人の顔を見た。
「二人とも、危ないから下がっててっ!」
ソフィの忠告だったが、それを聞かずにリムロがいきなり横に飛ぶ。その瞬間、何もない空間からレオンホーンが現れて、先程までリムロがいた空間に牙を剥いた。
ソフィが慌てて右腕を振ると、ガントレットの鎖がレオンホーンに捕らえようと襲い掛かった。しかし鎖が届く前に電撃を残して、その場から消え去っている。
「……速いっ!」
超過強化を発動中のソフィが、何とか捉えられる身のこなしである。常人ではとても追いきれるものではないはずだが、リムロもクリリもその動きに合わせて攻撃を避けている。
「クリリちゃん、何で避けれるの!?」
「小さな、ビリビリくる!」
「小さなビリビリ?」
言っている意味がわからずソフィが首を傾げると、目の前に小さな火花のような光が弾ける。ソフィは反射的にバックステップすると、彼女がいた場所に雷が落ちたようにレオンホーンが現れた。
「なるほど……小さなビリビリね」
どうやら雷獣化したレオンホーンの攻撃には、事前に極小の放電現象が起きるようだ。それでも普通の獲物であれば避けれるはずもないのだが、モルガル族の兄妹は何とか反応して避けることが出来るようだった。
リムロはバックステップして攻撃を躱すと、手にした長剣を振り回してレオンホーンの顔面に叩きつける。しかし、その長剣はレオンホーンに鋭い牙に因って防がれ、そのまま噛み砕かれてしまった。
「グゥゥゥゥ!?」
リムロが砕かれた長剣を投げつけると、レオンホーンは再び後に飛び退いた。そこにクリリが矢を連続で浴びせ掛けるが、木製の矢では常に放たれている放電に耐えられず、届く前に焼き尽きてしまっていた。
ソフィは駆け出すと、ガントレットを叩いて大きな音を立てる。
「こっちよ、こっちを見なさいっ!」
「ガァァァァァ!」
その音が不愉快なのか、レオンホーンはソフィの方を向き吠えた。彼女は短く息を吸うと、息を止めながら地面を蹴った。一瞬のうちにレオンホーンとの間合いを潰し、顔面に向かって右ストレートを放った。
「ヤァァァァァ!」
「ガゥ!」
捉えたかに見えた右拳だったが、レオンホーンはバックステップで避けていた。そして後ろ足で地面を蹴ると、ソフィに飛びかかろうとしていた。
「ガァァァァァ!」
ソフィの瞳が小さな放電を確認すると、地面を蹴って上空に飛び上がった。舞うように反転した彼女は、レオンホーンが現れる場所に向かって右手を振り抜いた。予想通り現れたレオンホーンにガントレットの鎖が絡み付く、それを確認したソフィはガントレットに命じた。
「お願い、レリ君」
聖光で編み込まれた鎖はその意思に応じて急速に伸び、レオンホーンをさらに絡め取っていく。そして縛るように地面に突き刺さり、レオンホーンの動きを完全に止めた。レオンホーンは体を構成していた雷獣化が急速に霧散すると、元々の白く美しい姿が目の前に現れる。
着地したソフィは、ゆっくりと囚われたレオンホーンに近付くと手を伸ばした。レオンホーンは唸り声を上げて牙を剥いて鎖を噛み切ろうとしたが、いくら細かろうとレリックの鎖を噛み砕くことなどできなかった。
「大人しくして、貴方に危害を加えたりしないから」
「グガァァァァァ!」
何とか再び雷獣化しようとしているようだったが、地面に突き刺さったガントレットの鎖が雷の力を逃しているため、雷獣化や電撃などの雷系の技は完全に封じられている。
それでも差し伸べられたソフィの手に噛みつこうと、大きく口を開けようとするが鎖が動いて動きを完全に封じ込めてしまう。ソフィは軽く右手を振って鎖の拘束を緩めた。そして、ゆっくりとレオンホーンの頭を撫でると、徐々に唸るのをやめて大人しくなっていく。
そんなソフィの足元にレオも近付いてきた。ソフィはガントレットの鎖をさらに緩め、レオンホーンの拘束を解いた。レオンホーンとレオはお互いの存在を確認するように、鼻をくっつけ合って匂いを嗅いでいる。
その様子に、リムロやクリリは驚きながら
「おぉ……獣の神子か!?」
と呟くのだった。
◇◇◆◇◇
大人しくなったレオンホーンだったが、それを驚きの表情で見ていたのはリムロとクリリの兄妹だけではなかった。殆ど壊滅状態の密猟団の団長オウトは、ボロボロの体を何とか起こすとそれを睨み付けていた。
「あいつら……絶対に許さねぇぞ!」
オクトは左の中指にはめられた指輪に触れると、ブツブツと詠唱を開始する。指輪が輝くと彼の上には槍が一本現れた。その槍は禍々しい雰囲気のオーラに包まれていた。
「く……くたばれっ! クソ野郎っ!」
最後の力を振り絞って槍を射出した彼はその場に崩れ落ちて、それ以上動くことはなかった。
迫り来る槍に一番最初に反応したのは、ソフィのガントレットの鎖だった。ソフィを守るための急速に盾を形成したのだ。結果として盾の影になったため、ソフィは槍の飛来に気が付くのが遅れた。次に気が付いたのはレオンホーンだった。幼獣であるレオを咥えると横に跳躍した。そして最後に気が付いたのはクリリだった。
「リムロ兄……危ないっ!」
リムロの背後から迫りくる槍に気が付いたクリリは、咄嗟に兄を突き飛ばしたのだ。飛来した槍は彼女の腹を貫くと、彼女は馬車に撥ねられたように吹き飛んで何度も地面に激突した。
「クリリッ!?」
「クリリちゃん!」
リムロとソフィは目を見開くと彼女に駆け寄った。リムロが抱き上げたクリリはひどい状態だった。槍が突き刺さった腹部は半分ほど抉れており、大量の血が流れている。意識はすでになく出血性ショックでガクガクと痙攣している。
明らかに致命傷であり、あと数秒の内に息を引き取るのは確実だった。しかし、彼女はまだ生きていた。
それは咄嗟の行動だった。ソフィはクリリの傷に両手を向けると、イサラから使用を堅く禁止されていた秘術『女神に祝福されし扉』を発動させていた。
「女神に祝福されし扉っ!」
これは彼女も彼女の家族すらも望まないことであり、彼女たちの生き方を否定する行為だった。それでもソフィは、今まさに死のうとしている少女を助ける道を選んだのである。
ソフィの金色の髪が雪のような真っ白に変わっていき、彼女を中心に巨大な光の柱が打ち上がった。この巨大の柱は遠く離れたモルドイータからも観測できたという。その柱を見たある者は女神の降臨したと祈りを捧げ、ある者は世界の終わりだと震え上がって物陰に隠れていた。
そして光の柱が治まると、そこには傷が完全に消えているクリリが小さく寝息を立てており、ソフィは気を失ってその場に倒れていた。
「猊下っ!?」
イサラが駆け寄ってソフィを助け起こすと、彼女の体は未だに薄っすらと聖光を帯びていた。クリリを抱き上げていたリムロは、絶望と安堵が入り交じった表情を浮かべていた。
◇◇◆◇◇
その出来事から数時間後、無人の密猟団から馬を拝借したイサラが、ソフィを連れて拠点に戻るとフィアナとマリアが心配そうな表情で駆け寄ってきた。
「あっ、戻ってきた~」
「ソ、ソフィ様!? ソフィ様、どうしたのです?」
イサラの背中で力なく眠っているソフィに気がついたフィアナが叫ぶと、イサラは首を小さく振った。
「大丈夫です。少しお疲れなだけですから」
しかし髪の色なども変わってしまっており、フィアナは戸惑った様子だった。イサラは彼女を何とか宥め、馬から下ろすのを手伝って貰うと、彼女たちはソフィは天幕の中で眠らせた。
そして一息付くと焚き火を囲んで座った。
「それで何があったの? クリリは? レオくんもいないし」
「落ち着きなさい。最初から話していきますから……」
イサラは彼女たちと別れてから起きたことを、ゆっくりと話し始めた。
密猟団とモルガル族の戦いがあったこと、そこにレオンホーンの襲撃があったこと、クリリが負傷しソフィがそれを治療したこと、そしてレオはレオンホーンと共に去っていったことが簡単に伝えられた。
「そんなことが……」
「レオくん行っちゃったんだ」
マリアは寂しそうに呟いた。フィアナは心配そうな顔で尋ね返す。
「それでソフィ様は大丈夫なんですか? それにクリリやモルガル族との問題も……」
「えぇ、猊下の状態は女神に祝福されし扉を使用した影響ですから」
女神に祝福されし扉は上位神官の中でもほとんど使える者がいない秘術で、女神シルの神性を身に降ろす治癒術のことである。どのような瀕死状態でも、まるで時間が巻き戻ったように治療してしまう治癒術の最高峰である。
「ただ……モルガル族とは、一度話さないといけないかもしれませんね」
ソフィの行動は彼らの価値観では、一族の長の孫娘を穢したことになるのだ。このままではシルフィート教とモルドの民との紛争が起きてもおかしくない状況になってしまっていたのだった。




