第82話「一時撤退」
レオンホーンとの遭遇後、聖女巡礼団は一番近い森まで移動していた。彼らの縄張りが予想以上に広いことを受け、一時撤退して拠点を設けることにしたのだ。今はソフィ、イサラ、マリアの三人で野営の準備を進めている。
クリリとフィアナはファザーンに乗って偵察に出ていた。レオンホーンの動向や密猟団の有無と規模を探るためである。
ヤクルは荷運びには適しているが、あまり長距離を走ることができないため野営地に置いていくことになっていた。このまま連れていくと、レオンホーンの餌食になってしまう可能性が高かった。そんなヤクルのナタークは、荷台から解き放たれ周囲の草をモシャモシャと食べている。
「ナタークはいい子だね~」
マリアは近くに水が入った桶を置き、ナタークの首を軽く撫でてやると気持ち良さそうに首を擦り付けてくる。マリアはこの大人しいナタークを気に入っており、とても可愛がっていた。
ナタークの世話が終るとマリアが昼食の準備を開始した。その間にソフィとイサラは敷物の上に地図を広げて状況の確認を始めている。レオは尻尾をパタパタと振りながら、マリアが食事を作るのを見ていた。
「今、この辺り?」
「はい、向こうに見えている丘が、神獣の丘ですね」
地図上を指差しながら現在地を確認していく二人。遠くには先程向かっていた丘が見えている。ソフィは地図上の丘をグルっと指でなぞる。
「この辺りが縄張りかな」
「そうですね。もし密猟団がいるすれば、そこから逸れた……この湖が拠点になっているかもしれませんね」
イサラが指差した場所には、レイス湖と書かれていた。この地図はモルドイーラとモルドアンクを繋ぐ横断街道を中心に書かれているため、街道から逸れるとほとんど情報が書かれていない。それでも書かれているところから、かなり大きな湖の可能性があった。
しばらく色々と確認していると、昼食を準備が終ったマリアが声を掛けてきた。
「聖女さまっ、ご飯の準備できたよ~うわっ!」
レオはマリアに飛びつくと、彼女のスカートを咥えてグイグイと引っ張る。マリアはスカートを押さえながら叱りつけた。
「ちょっとレオくん、引っ張らないでっ!」
「がぅがぅ」
ソフィは苦笑いを浮かべると、レオを抱きかかえてマリアから引き離した。
「レオ君、マリアちゃんを放してあげてね。ご飯もすぐに用意してくれるから」
「がぅ」
尻尾をパタパタと振りながら返事をするレオに、マリアは呆れた様子で呟く。
「この子、本当に聖女さまの言うことしか聞かないな~」
「ひょっとしたら猊下を、母親か何かと思っているかもしれませんね」
イサラの言葉に、ソフィは不思議そうな顔をしながらレオを持ち上げて顔を見ると首を傾げる。
「そうなの? レオ君」
と尋ねると、レオはソフィの顔をペロペロと舐めるだけだった。
◇◇◆◇◇
それからしばらく経ち、ソフィたちがそろそろ夕食の準備を始めようかと思い始めたころ、クリリとフィアナが偵察から帰ってきた。
「お疲れ様二人とも、どうだった?」
「はっ! やはり密猟団がいるようです。実際見たのは十人程度でしたが、北にある湖の近くで拠点も発見しました。あの規模だと五十人はいるかもしれません」
予想より遥かに大きな規模に、ソフィは驚いた表情を浮かべる。
「その規模だと元傭兵団かな?」
傭兵団は大きくても二千人程度であり、五十人程度だと傭兵団の中では小規模である。山賊化したりするのは、だいたいこの小規模な傭兵団だった。大規模な傭兵団ほど団員を大事にしており、戦がなくなって食い扶持がなくなっても、違う仕事を斡旋したりするため犯罪に走る傾向が低いのだ。
「元傭兵だと厄介ですね」
「う~ん……何とか密猟なんてやめてくれると良いのだけど」
ソフィとしてはなるべく穏便に帰って欲しいと思っているのだが、密猟団が素直に言うことを聞くはずがなく、そうなると自然と荒事になることが想像されるのだった。
ソフィがそんなことを考えていると、クリリとフィアナが何かに気が付いたようで、首を振って周囲を確認し始めた。ソフィは首を傾げながら二人に尋ねる。
「どうしたの?」
「いえ……どこからか音が……」
「あっちだっ!」
クリリは西を指差しながら叫んだ。ソフィたちはそちらを見てみるが、何か靄のような物が遠くで動いているのが見えた。
「なんだろ? また野盗かな?」
イサラは髪をかき上げると彼女は右目を瞑った。
「遠視魔法!」
開いている左目が赤く輝く。遠視魔法は精霊魔法の一種で、遠くの物を見通せる魔法である。イサラの目には二十人ほどの褐色の男性が、馬でこちらに向かってきているのが映った。彼らは全員弓などで武装しており、クリリと同じような民族衣装を着ている。
「あれは……モルドの民ですね。狩りの途中かしら?」
「いや、あれはリムロ兄だな」
そう呟いたキリリに、イサラは驚いた表情を浮かべた。
「よくあの距離が見えますね、貴女」
「へへへ」
モルドの民は広い平原に住んでいるせいか、帝国民に比べると目が良く。精霊魔法を使ったイサラより、よく見えているようだった。
知っている人物ということもあり、聖女巡礼団は警戒せずその場で待つことにした。しばらくすると、リムロが率いているモルガル族の男衆がソフィたちの元に現れた。
リムロはソフィの顔を見ると静かに呟く。
「アンタか……」
「また会いましたね、リムロさん」
ソフィが微笑むと、リムロは興味なさそうにそっぽを向いてしまった。そしてクリリに密猟団を見ていないか尋ねる。彼女が先程の偵察で見たことやレオンホーンとの出来事を伝えると、モルド語で仲間に伝えていく。
捜していた密猟団発見の報せに、モルガル族の男たちは手を上げて叫んだ。どうやら、彼らの仲間を殺した密猟団と同じ団のようだった。
リムロの号令で集まると、彼らは馬上のまま何かを話し合っていた。聞こえてくる言葉をイサラが通訳すると、襲撃するタイミングを話し合っているようだった。
「どうやら夜襲か明日にするかで、揉めているみたいですね」
「倍以上の数がいるかもしれないけど……」
平原で倍以上の敵と戦うのは無謀な行為であるため、ソフィが心配そうに呟いた。やがてモルガル族の男たちは大きな声を上げると、北に向けて馬を走らせ始めた。
「お前たちは帰れ」
リムロは短くそう言い残すと、仲間たちを追いかけて北に向けて走り出してしまった。
「どうしましょうか、猊下?」
「とりあえず追いかけましょう。私たちにも何か出来るかも……マリアちゃんとフィアナちゃんは、ここで待っていて」
「はーい」
「ソフィ様、私は護衛として……」
マリアは素直に了承したが、フィアナは不服そうに首を横に振る。しかしソフィは彼女の肩に手を置くと優しげに微笑む。
「お願い、フィアナちゃん。いざとなったらナタークをお願いね」
「うっ……わかりました」
有無を言わさぬソフィの微笑みにフィアナも渋々了解した。いざと言うときナタークを操れるのはフィアナだけなのだ。ソフィはイサラとクリリを見ながら
「先生はクリリちゃんのファザーンに、乗せて貰ってください」
「わかりました」
「わかったぞ」
クリリはファザーンに乗るとイサラに手を差し伸べ、彼女はその手を掴んで馬の後ろに乗った。
ソフィはカバンからガントレットを取り出すと右手に装着して、大きく頷くと北を指差した。
「それじゃ、行きましょう」
「がぅ!」
どうやらレオも付いてくるつもりのようで、ソフィの足元にぴったりと寄り添っている。
「やぁ!」
クリリがファザーンの手綱を軽く撓らせると、ファザーンは彼女の意思に応じて北に向かって走り始めた。ソフィは身体強化を使うと、レオと共にその後に続いて駆け出したのだった。
◇◇◆◇◇
ソフィたちがモルガル族の男たちを追いかけていたころ、密猟団の拠点では夕食の準備を進めていた。髭面の男が何かを鍋で煮込んでいると、頬に傷がある男が声を掛けてきた。
「おい、今はどいつが行っているんだ?」
「オウト団長、今はラーグルの班ですぜ」
この頬に傷がある男が密猟団の団長オウトである。彼らは北のスヘド王国との戦いで活躍した傭兵団だったが、戦が終ると食い扶持を失い密猟に手を染めるようになった典型的な例だった。これもある種ルスラン帝国が産み続けている歪だった。
「ラーグルの野郎か、ちゃんとやってるんだろうな?」
「さぁ、だけどそろそろレオンホーンも疲れてくる頃じゃないですかね?」
この密猟団は何班かに別れており、常時レオンホーンの縄張りにチョッカイを掛けていた。そして縄張りに入ってきた外敵に、レオンホーンが警戒して出てくるとさっと退いていくのだ。こうして寝る間も与えずレオンホーンを挑発し続けることで疲労させ、やがて動かなくなったレオンホーンを捕獲するのが最終目的になっていた。
「まったく、あの化け物め……いい加減にしてほしいぜ」
「でもアレほど見事なレオンホーンを捕まえられれば、一気に大金持ちですぜ?」
「くくく、まぁな。……んっ、あれはなんだぁ?」
南を見ていたオウト団長がそう呟くと、髭面の男をそちらを見て首を傾げるのだった。




