第78話「モルガル族」
翌朝、野営地から出発した聖女巡礼団は、モルガル族の集落を目指して進んでいた。昼過ぎには当初予定していたポイントまで到着したが、そこには集落の姿はなかった。
調べてみると炭の跡や移動用住居を立てた跡など、しばらく人が住んでいた痕跡があったので、どうやら最近移動したようだった。
「クリリちゃんが集落から出てから、どれぐらい経ってるの?」
「親類がいる別の集落に土産を届けに行った。月が二回丸くなったぞ」
共通語だったが独特な言い回しにソフィは首を傾げる。わかったことは彼女が他の集落から帰ってきたところで、ソフィたちと遭遇したということだ。
「モルドの民は、月の満ち欠けで暦を見てますから、満月が二回ならおよそ一月半~二月ぐらいですね」
イサラが補足説明するとソフィは納得して頷く。季節や家畜たちの餌場の状況が変るごとに、移動するのがモルドの民の生き方だった。集落跡地を確認していたソフィたちに、フィアナが確認するように尋ねてくる。
「どうしますか、ソフィ様?」
「そうだね。クリリちゃんの話では、東に行けばレオンホーンの生息地があるかも? ってことだったけど、正確な場所は集落の方に聞かないとわからないみたい。でも集落の場所は捜せるのかな?」
ソフィがクリリを見ると、彼女はファザーンの世話を始めていた。しかしソフィの視線に気が付くと首を傾げる。
「どうした、ソフィー?」
「クリリちゃん、モルガル族の集落の位置はわかりそう?」
「わかるぞ。簡単だ」
いとも簡単に言ってのけるクリリに、ソフィは少し驚いた顔をする。そしてイサラが差し出してきた地図を受け取ると広げて見せると、クリリはそれを興味深そうに覗きこんだ。
「どの辺りにいそうなの?」
「この山があれなら、今はこの辺だ。モルガルの道はこの辺りだな。まだ出発してから、そんなに経ってないから追いつくのは簡単だぞ」
モルドゴル大平原の北東部分、現在地からやや西側を指差しながらクリリは答えた。
「モルガルの道って?」
「モルガルの道は、モルガルの道だ」
クリリは質問の意味がわからないといった風に首を傾げる。ソフィは仕方がなくイサラに助けを求めると、イサラは頷いて解説を始めた。
「モルガルの道は、モルガルの旅路という意味ですね。モルドの民は部族ごとに概ね決まったルートを移動しますので、その順路のことかと思います」
「なるほど、じゃ追いつけるのね? それなら追いかけてみましょう。モルドの民の方々にもお会いしたいし」
モルドの民と交流を図ることをイサラはあまり賛成していなかったが、それでもソフィの決定を優先することになったのだった。
◇◇◆◇◇
集落跡地から西に進んだ聖女巡礼団から、クリリが一次的に離脱していた。先行して集落に客人が来ていることを伝えるためである。出発してから四時間ほどで戻ってきたクリリの先導で、陽が沈む前に集落に追いつくことができた。
「見えたぞ! 集落だ」
白い大型の天幕が五つ、その周りに多数の小さな天幕が囲んでいる姿は、小さな村のようにも見える。炊事をしているのか、各所から白い煙が立ち登っているのが見えた。
その様子を御者台のイサラが、目を細めながら見つめると呟く。
「あの規模だと、それなりに大きな部族ですね」
「おう、イサーラ。モルガル族は強い部族だ」
聞いていたクリリが嬉しそうに笑っている。どうやら自分の家族が褒められて嬉しいようだ。そんな話をしていると、聖女巡礼団はモルガル族の集落に到着した。入る前にクリリと同じような顔の模様を施した偉丈夫が睨んできたが、クリリが一言二言話すとそのまま通してくれた。
クリリがファザーンから降り、羊馬車から一行が降りると、クリリが大きな天幕を指差す。
「まずは爺さん、長に挨拶をしよう。ファザーンとナタークを頼んでくる」
そう言うと近くにいた男性に頼んで、他の動物たちと同じ場所に移動させてもらうことになった。聖女巡礼団は、そのままクリリに付いていき大きな天幕に入っていく。
「長、客人だ」
天幕の奥には顔が刺青だらけの老齢の男性が座っており、その横に同じような老齢の女性、そして筋肉が逞しい偉丈夫と、どことなくクリリに似た女性が座っていた。クリリは偉丈夫の隣に座り、一行は対面に座った。
「こんにちは、私たちは、聖女巡礼団です。私はソフィーティア・エス・アルカディア。彼女たちは、イサラ、マリア、フィアナ。そして、レオです」
事前に覚えておいたぎこちないモルド語で挨拶するソフィに、クリリはカラカラと笑っている。老齢の男性はニヤッと口角を上げると、ポンッと膝を叩いたあと口を開いた。
「ワシはモルガル族が長モルガルじゃ。遠方より来たりし者よ、如何なる客人も持て成すのがモルドの民の慣わしだ。ゆっくりしていくがよい」
モルガル長老が口にしたのは少々古い言い回しだったが、流暢な共用語でソフィたちは驚いて目を見開いた。
「ありがとうございます。共用語がお上手なんですね?」
「ふん、今はお前たちとの生活も浸透しておるからな。本当は口にするつもりはなかったが、お前が我々の言葉で挨拶したのだ。我らとて敬意を示し方は知っておる。しかし……」
モルガル長老は鋭い眼光で、クリリを睨み付けると話を続けた。
「この馬鹿孫は客人が来るとしか言わなかったが……お前たち、悪魔の術
を操る異教徒だな?」
彼の鋭い眼光に押され、クリリはプルプルと震えている。イサラは小声でソフィに通訳をする。
「猊下、異教徒とは、シルフィート教徒のことです」
頷いたソフィは、堂々とした面持ちでモルガル長老を見つめると質問に答えた。
「はい、私たちはシルフィート教の神官になります」
「かつて我らとの間に諍いがあったことは知っておろうな?」
「はい、もちろん」
ソフィが笑顔を絶やさずに答えるので、モルガル長老だけでなく少し緊張した様子の周りにいた人々も、力が抜けたようで苦笑いを浮かべている。
「はははは、肝が据わっておるな。一応事情は孫から聞いておるが、お主の口から聞いてもよいかな?」
「はい、わかりました」
ソフィは自分たちが旅をしていること、その過程でレオンホーンと出会い旅を共にすることになったこと、そしてレオンホーンを生息地に戻すためにモルドゴル大平原に来たことが説明された。その過程でクリリが彼女たちを襲撃したことがバレ、彼女は隣に座っていた偉丈夫に拳骨を落とされていた。雰囲気から察するに彼がクリリの父親のようだ。
話を聞き終えたモルガル長老は大きく頷く。
「話はわかった。そのレオホルが懐いているところから嘘ではあるまい。幼獣とはいえ、それほど人に懐いたレオホルを見たことがないぞ」
彼の言う通り、レオンホーンは誇り高く人慣れするような動物ではない。そもそも肉食の大型獣であるし、人間など餌の一つぐらいにしか思っていない種族である。現にレオンホーンに襲われて、命を落とす人間はかなり数がいる。その殆どは密猟者でモルドの民は特別な理由がなければ、彼らの生活圏にはあまり入り込まない。
少し楽しそうに頷くモルガル長老には、微かにあった敵意がまったく感じられなくなっていた。その時、彼の隣でニコニコしながら座っていた老齢の女性が声をかけてきた。
「お前様、あまり長く話すのも客人に失礼じゃろう。それに料理も冷めてしまうわ」
「おぉ、そうじゃったな。すまんなぁ、客人」
モルガル長老は頭を軽く下げると、入り口に立っていた男性に手を上げて合図を送る。男性は頷いて何かを取りに向かったようだった。
「客人、簡単ではあるが歓迎の宴を用意した。楽しんでいってくれ」
「あ……ありがとうございます」
突然の申し出にソフィは慌ててお辞儀をする。そしてモルガル長老は、周りに座っていた者たちの紹介を始めていた。
「その間に紹介しておこう。こいつが我が妻のララじゃ。そして、そいつが我が子でクリリの父モイヤー、隣がその妻でクルルじゃ」
紹介された者たちが軽くお辞儀をすると、ソフィたちも合わせてお辞儀をしていくのだった。




