第76話「様々な齟齬」
同行することを決めたクリリだったが、その日は「また朝来る」とだけ言い残して、どこかに行ってしまった。その態度にソフィは首を傾げたが、イサラからモルドの民は約束を守る民族だと聞かされて、取り合えず野営地を離れるクリリを見送ったのだった。
クリリが同行することになったことを伝えられたマリアは納得いかないと怒っていたが、ソフィに優しく窘められると態度を急に軟化させていった。
「聖女さまが、そんなに言うなら仕方ないな~」
「ありがとう、マリアちゃん。天幕の方はどう?」
「あの子が直してくれたから、何とかなりそうだよっ」
修復したパーツを組み合わせて、何とか組みあがった天幕は不恰好ながら実用には耐えれそうだった。マリアは褒めて貰いたそうに胸を張り、フィアナは同意したように頷いた。
「それじゃ、私と先生は野営用の結界の準備をしてくるから、そのまま準備をお願いね」
「はーい!」
マリアが元気良く返事をしたのを確認したあと、ソフィとイサラは野営地に結界を張るための準備に向かったのだった。
◇◇◆◇◇
翌朝、イサラが朝食の準備のために天幕から出ると、朝日を背に大きな影が映し出されていた。
「何っ!?」
驚いたイサラが手をかざして朝日を遮りながら睨み付けると、そこには馬に乗ったクリリがいた。昨夜と違い背中には弓を装備しており、馬の横には何かの肉や毛皮が吊るしてある。
「やっと起きたか? 壁が、あるぞ」
「あぁ貴女でしたか、ちょっと待ってください」
イサラは野営地の外まで歩くと、結界の楔になっている結界針を抜き取った。その瞬間、結界の効果が薄れていき光の粒子を残して消えていった。クリリは馬から降りると、横に括り付けてあった肉を取り外してイサラに突きつけてニヤッと笑う。
「食えっ! うまいぞ」
「あら……ありがとうございます。そう言えば自己紹介がまだでしたか? 私はイサラです」
「わかった、イサーラだな。クリリはモルガル族のクリリだ」
自己紹介をするイサラの足元にふわりと何かが触れた。イサラが驚いて足元を見るといつの間にか天幕から抜け出してきたレオが、尻尾を振りながらハァハァと舌を出している。
「……相変わらず鼻がいいわね」
「がぅ」
「まぁ、いいでしょう。朝食の準備を始めましょう。貴女も手伝ってください」
クリリはキョトンとした顔で首を傾げる。
「馬を繋いでヤクルと一緒に世話をしてあげてください。水は荷台に積んでるので使ってください。私は朝食を作りますので」
「わかったぞ」
クリリは頷くと自分の馬を曳きながら、ナタークのところへ引っ張っていく。モルドの民は狩猟もするが、基本的には遊牧民なので牧畜も得意だ。彼女に任せておけばナタークも安心だろう。
「さて、私は朝食を作りますか」
イサラはそう呟くと荷台から薪を取り出して、昨夜作った簡易的な釜戸に火を起こしていく。火力がある程度安定すると、荷台で鍋に水を入れて火に掛けた。
そして、クリリから受け取った肉を解体していく。その作業を見ていたレオは、丸い瞳を輝かせながら荒い息を上げている。そんなレオに対してイサラは軽くため息をつくと、肉の切れ端をレオに向かって投げた。
「がぅ!」
ガツガツと食べはじめるレオを他所に、イサラは切り分けた肉に串を通し釜戸の火で焼いていく。香ばしい匂いがし始めると、ようやくソフィが天幕から出てきた。
「おはようございます、先生」
「おはようございます、猊下。もうクリリが来てますよ」
イサラがナタークの方を指差すと、クリリは丁度ナタークと自分の馬に水を与えていた。ソフィは少し驚いた顔をすると、すぐに笑顔になってクリリの方に向かって歩いていく。
「おはよう、クリリちゃん。約束通り来てくれたんだね!」
「約束守る……当たり前のこと」
ソフィはナタークを撫でた後に、クリリの馬を撫でようと手を伸ばした。
「この子はなんて名前なの?」
「おい、危ない! ファザーン、気難しい!」
「えっ?」
モルド語混じりで意味がわからなかったソフィは、そのままクリリの馬の首を優しく撫でる。彼女の馬はファザーンという雌馬で非常に気性が荒く、クリリも触らせて貰えるようになるまで数ヶ月、乗れるようになるまで半年ほど掛かっていた。
そんな難しい馬が、ソフィに撫でられて気持ち良さそうに首を摺り寄せている。その光景にクリリは信じられないといった様子で目を見開いていた。
「ファザーン!」
クリリはそう叫ぶと、ファザーンに駆け寄り彼女の顔を掴むと問い詰めはじめる。
「|何故、簡単に触らせている《ワーム アンラーク》!」
どうやら自分が長い年月を掛けて出来たことを簡単にやってしまったソフィより、あっという間に触るのを許した愛馬の態度が気にいらないようだ。
「この子、ファザーンっていうの?」
「あぁ、この子はファザーン」
ソフィが改めて問いかけると、納得できないといった顔だったがクリリが答えてくれた。そんな二人を他所に、調理が終ったイサラがレオに向かって命じる。
「あの二人を起こしてきなさい、レオ」
「ガゥ!」
レオは了承の意味で吠えると一目散に天幕に入っていく。その直後に天幕の中が騒がしくなり、マリアとフィアナが跳び出てきた。
「うわぁ……ベトベトぉ」
「いったい何ですか!?」
どうやら顔を舐められたり髪を噛まれたようで、顔を拭きながらレオに向かって文句を言っている。
「貴女たち、たるんでますよ! 猊下はもう起きてます」
「えぇ!? 今日も勝てなかった」
フィアナは悔しそうに呟くと、ソフィの元に駆け寄って挨拶をする。
「猊下、おはようございます! えっと、そちらの子は昨日の……」
「おはよう、フィアナちゃん。この子はクリリちゃん、今日から同行する仲間だからよろしくね」
ソフィが微笑んで答えると、フィアナは頷いて手を差し伸べた。
「私はフィアナ・フェル・ティーよ。フィアナって呼んでね」
「私は、モルガル族のクリリだ。あぁ……モルドの外の挨拶だな、見たことあるぞ」
最初は差し出された手に首を傾げていたが、ようやく理解したのかフィアナの手を握る。続いてフィアナの後を追ってきたマリアが不機嫌そうな顔で尋ねてくる。
「お前、いくつなの?」
「いくつ……歳か? 二十六だ」
あまりのギャップに一行は目を見開いて驚く。目の前の少女はどう見ても十代前半にしか見えないからである。そんな一行の後からレオを抱えたイサラが声を掛けてきた。
「貴女たち何をしているのです。もう出来てますよ、早く手を洗って……どうかしましたか?」
様子がおかしいことに気が付いたイサラは首を傾げて尋ねると、マリアがクリリに指差して震えながら口を開いた。
「こ……この子、二十六歳だって」
「あぁ、それは暦の違いでしょう。モルドの民が使う暦は、帝国が使う物の約半分ぐらいですから、こちらの計算では十三歳ぐらいですね」
周りの雰囲気に事情がよくわからないクリリはキョトンとした顔を浮かべていたが、マリアたちは安堵のため息をついた。
「やっぱり歳下だった。わたしはマリアだよ。おねえちゃんと呼んでもいいんだよ?」
「わかった、マリーアだな」
「マリアおねえちゃん!」
強弁するマリアに、ソフィは首を傾げるとイサラに小声で尋ねる。
「マリアちゃん、どうしたのかな?」
「たぶん姉という存在に憧れがあるのでしょう。巡礼団では一番幼いですし……特に気にすることはないかと」
「なるほど……」
イサラの腕の中のレオが暴れて飛び降りると、イサラはパンパンっと手を叩いて注意を向けさせた。
「はいはい、食事の時間ですよ。早くしないとレオに取られてしまいます」
「それは困るっ! クリリ、行こう~」
「おい引っ張るな、マリーア」
マリアはクリリの手を引くと、荷台の方に走って行ってしまった。
その日の朝食はパンを切った物に、クリリが獲ってきた肉を炙ったものと、歯ごたえだけはある乾燥野菜を挟んだものに香辛料を振りかけたもの、そして温かいお茶だった。
クリリは物珍しそうに、そのサンドウィッチを食べると目を輝かせて賞賛を送る。
「すごく美味いぞ、イサーラ」
「ありがとうございます」
褒められて嬉しかったのか、イサラは少し照れた様子で微笑む。食事を楽しんだあと、マリアとフィアナは食事の片付け、ソフィたちは地図を広げて旅程を確認していた。
「このまま北東に向かうのですね?」
「そうだ、この辺りにレオホルが多いはず」
「ふむふむ……距離的には、四日ぐらいでしょうか?」
「近くにクリリの家、モルガルの集落がある。そこで聞けば、もっと詳しい場所がわかる」
クリリが地図上を指差しながら答える。イサラは少し難色を示したが、ソフィは興味津々といった感じで頷く。
「それじゃ、その集落? に寄りましょうか」
こうして聖女巡礼団の次の目的地が、モルガル族の集落に決まったのだった。




