第74話「モルドの少女」
さっそく野営の準備を開始した一行は、それぞれ役割に分かれて作業を始めていた。ソフィとマリアは天幕を用意、イサラはナタークの世話をしている。そしてフィアナは、火に掛けた鍋の前で唸っていた。
騎士家の令嬢として生まれた彼女は、これまで料理などやったことがなかったのだ。
「確かあいつらは具を切って鍋で煮込めば、とりあえず何とかなるって言ってたな……よしっ!」
フィアナはフォレストの聖騎士団時代を思い出しながら、覚悟を決めると具材を切って鍋に放り込んでいく。刃物の扱いは慣れているため手際は良かったが、現状では鍋の中では野菜や肉がお湯に浮かんでいるだけである。それを眺めながらフィアナは首を傾げる。
「う~ん、これがスープになるのだろうか?」
コロコロと鍋の中で踊る具材たちにそんなことを問い掛けながら、しばらく具材が煮込むのを待っていた。
「調子はどうですか、フィアナ?」
鍋の前で首を捻っているフィアナに、心配になったイサラが声を掛けてきた。フィアナは苦笑いを浮かべながらイサラを見つめ返している。
「え……っと、おそらく?」
「なんですか、その返事は? どれ……これでは煮込んでるだけじゃないですか、味付けをしなくては」
イサラは深くため息をつくと、手慣れた手付きでアレンジして何とかスープに変えていく。
「苦手なら苦手と、言ってくれればいいのですよ?」
「いえ、頼まれた以上、最後までやりとげようと」
「まぁ、それでも貴女は少し教えれば何とかなるでしょうが……」
イサラは苦笑いを浮かべながらチラリとソフィを見つめた。言葉の意味がわからなかったフィアナは、その言葉に首を傾げるしか出来なかった。
◇◇◆◇◇
その日の夜は何とか食べれるようになったスープに、パンと干し肉といったメニューになった。マリアは微妙な顔をして煽るように言う。
「フィー、料理下手だねっ!」
「し……仕方ないでしょ、作ったことなかったんだからっ!」
フィアナは少し顔を赤くしながら反論したが、ソフィは特に気にした様子はなく食べていた。
「そうかな? 美味しいと思うよ? フィアナちゃん、これからもお願いね」
「が……頑張ります!」
お世辞を言われたと思ったフィアナが、恐縮しながら答えるとイサラは微かに微笑んだ。
「しばらくは一緒に作りましょう」
「はい、お願いします」
そんな彼女たちのやりとりは特に気にせず、レオは焼いた干し肉だけ食べていた。
食事が終るとフィアナは食器を軽く洗って片付けていく。今回の旅程に合わせて水はかなり多めに用意してあるが、それでも平原では水は貴重であり慎重に使っていく。
雲の多い日だったが僅かに見える夜空を頼りに、イサラとソフィは位置を確認するための星読みと、野営用の結界を張りに少し野営地を離れていた。マリアはレオと共に寝床の用意をしている。
「こらっ、レオくん! 毛布に噛みつかないのっ!」
「ぐるるるるる」
洗い物が終りフィアナが顔を上げると、野営地の中心にある火に何かが横切った。
「えっ!?」
焚き火の炎が揺れて火の粉を撒き散らした。反射的にフィアナの目がその影を追うと、その先ではマリアが天幕に顔を突っ込んでお尻だけ出していた。フィアナが咄嗟に叫ぶ。
「マリアっ!?」
「ん~? な~に?」
呼ばれたマリアが天幕から顔を出すと、焚き火を光源とした影が彼女に覆いかぶさるように襲いかかってきていた。マリアは咄嗟に腕をクロスして頭部を守るように振り上げた。
「あぐぅ!?」
その瞬間、腕に激痛が走り喘ぎ声をあげる。マリアは後ろに倒れ込みながら、襲撃者の腹を蹴り上げて後方に投げ飛ばした。
「こっ、この野郎~!」
後に投げ飛ばされた襲撃者は、そのまま天幕に突っ込んで破壊していく。天幕の中からは慌ててレオが飛び出てきた。フィアナもマリアの元に駆け付ける。
「マリア、大丈夫!?」
「こ……このぐらいへっちゃらだよ」
苦痛に顔を歪めながらそう答えるマリアの腕には深い傷があり、ブラリと下げてかなり出血していた。その様子にフィアナの顔は青くなっていった。
「凄い怪我じゃない! 早く治癒しないと……」
「今はそれどころじゃないよ!」
マリアの声に反応したのか、天幕の残骸から何者かが飛び出てきた。
「いったい、何者っ!?」
フィアナは腰の剣を抜き放つと剣先を襲撃者に向けた。その襲撃者は四足の獣のように伏せておりかなり小さく見える。最初は薄暗いため獣のようにも見えたが、襲撃者が近付いてくると焚き火の灯りでその姿が照らし出された。
襲撃者は褐色の肌をしており、特徴的な民族衣装を着ている少女だった。顔の模様と臀部から伸びている動物の尻尾の飾りが動物的な雰囲気を漂わせている。見た感じ歳はマリアと変らない年齢に見える。
少女は無言のまま片刃の短剣をフィアナたちに向け、睨み付けながらネコ科の動物が襲い掛かる前にする動作のように体を左右に振っていた。
そして地を這うように駆け出すと、一目散にフィアナに向かって襲いかかった。連続で繰り出される短剣を、フィアナは手にした剣で丁寧に捌いていく。
「ヤァァァ!」
短剣を受け流したフィアナは、上半身が泳いだ少女に向かって踏み出しながら剣を横に薙いだ。
「ッアァ!」
少女はしゃがみ込んで剣の下を潜ると、跳び上がるように短剣を振り上げる。咄嗟にバックステップしたフィアナのレザーアーマーを削り取って一筋の傷を残した。
「くぅ!? 早い……けどっ!」
フィアナは体勢を立て直すと、すぐに伸び上がった少女の脇腹に回し蹴りを叩きこんで引き離した。蹴り飛ばされた少女はクルッと回転して着地する。少女は脇腹を押さえながらフィアナたちを睨み叫んだ。
「レオホル ストロパァ!」
「な、何を言っているの!?」
初めて口を開いたと少女だったが、フィアナには理解できない言葉であり眉を顰めた。その時、後から声が聞こえてきた。
「レオンホーンの密猟者め……と言ってますね。モルド語ですよ」
「大変! マリアちゃん、大丈夫?」
振り向くと戻ってきたイサラとソフィがそこにいた。ソフィは怪我をしているマリアに駆け寄ると、慌てて治癒術を掛けていく。瞬時に直っていく傷を見て、少女が戸惑った様子で後ずさる。
「悪魔の術!」
イサラが一歩前に出ると、交戦の意思はないと示すために両手を広げながら尋ねる。
「私が話してみましょう。私もモルド語はあまり得意ではないので、共用語が通じるといいのですが……モルドの民よ、共用語は話せませんか?」
「……す、少しなら……話せる」
「それは良かった。それで何故襲ってきたのですか? モルドの民は誇り高い民族なはず、野盗の真似事などしないと思ってましたが……」
「モルド人は誇り高い! |お前たち、レオンホーンの密猟者《ジュリー レオホル ストロパァ》!」
馬鹿にされたと思ったのかモルド語で捲し立てる少女に、イサラは極めて落ち着いた態度で窘めていく。
「落ち着いてください。何か誤解があるようですが、私たちはレオンホーンの密猟者ではありませんよ」
「う……嘘をつくな。レオホル、いる!」
少女はそう言うとレオを指差した。レオは治療を受けているマリアの足元で唸っている。マリアの治療が終ったソフィが、イサラの横までくると少女は怯えた顔をして一歩下がった。
「私はソフィーティア・エス・アルカディア。貴女のお名前は?」
「クリリの名前は……モルガル族のクリリだ。ソフィ……テア?」
モルドの民は複数の部族が集まったものであり、クリリはその中でもモルガル族という部族の出身のようだ。ソフィの長い名前が言い難いのか首を傾げている。そんなクリリにソフィは微笑みながら答える。
「ソフィで構わないわ。クリリちゃん、私たちに敵意はないの。武器はしまってくれない? フィアナちゃんもお願い」
「し……しかし!? いえ、わかりました」
フィアナは剣を納めることに抵抗感があったが、ソフィの瞳を見て諦めた様子で剣を鞘に納めた。クリリは短剣を手にしたままだったが、これ以上襲いかかってくる様子はなかった。
「少しお話をしましょう、クリリちゃん。先生、お茶でも淹れてあげて」
「わかりました、猊下」
ソフィは焚き火の近くに座ると、微笑みながら手招きをしてクリリを夜のお茶会に誘うのだった。




