第73話「モルドゴル大平原」
エリザの微妙な演奏から一夜過ぎて、さっそくモルドイーラを出発した聖女巡礼団。出発前にエリザに挨拶しようと部屋に訪れたが、エリザはすでに出発していたようだった。
羊馬車の御者台にはフィアナとイサラ、幌付きの荷台の中にはソフィとマリア、そしてレオが乗っていた。マリアはレオを抱きかかえて外を見せている。吹いている風でマリアの赤い髪と、レオの白い鬣がバサバサと揺れていた。
「ほらレオくん、ここがレオくんの故郷らしいよ?」
「ぐるるるる」
レオは特に興味がないのか、掴んでいるマリアの腕を後ろ足でガシガシと蹴って外そうとしている。
「痛い痛い! 何するの、もぉ~」
「ぎゃぅぎゃぅ!」
マリアが反射的に力を込めると、腹部を締められたレオが微かに電撃を放って脱出した。そして、そのままソフィの後ろに隠れて唸り声をあげている。
「マリアちゃん、あんまりレオ君に構っちゃダメよ」
「えぇ~レオくん、聖女さまを味方に付けるとかズルいぞっ!」
マリアの抗議にレオはフンッと鼻を鳴らすと、座っているソフィの腰の辺りに顔を擦り付けている。ソフィはクスッと笑うと、ジャレてくるレオの鬣を優しく撫でていた。
御者台ではフィアナが手綱を握り、イサラが地図を開いている。前方はひたすら続く平原であり、遠くに薄っすら見えている山の位置などで、自分たちの位置を確かめるしかない。また夜になれば星々を観測して位置を把握できるはずである。
イサラは地図を畳んで、荷台の方を睨み付ける。
「まったくシスターマリアは、いつも騒がしいですね」
「あはは、マリアはいつも通り元気ですね」
フィアナはクスクスと笑っている。しかし。すぐに真剣な顔になるとイサラに尋ねる。
「司祭、何か……例えば聖堂派が襲って来たりするでしょうか?」
「まぁ何かが襲って来るにしても夜襲でしょうね」
今進んでいる平原は身を隠す場所もないような見通しの良い場所で、襲撃しようとしてもすぐに発見されてしまう。とても奇襲などは出来そうもなかった。
「こんな見通しのいい場所で襲ってくるなんて……」
「なんて?」
イサラが言い淀んだので、フィアナが首を傾げる。
「馬鹿はいないと思ったのですが、どうやら間違いだったようです」
イサラが前方を睨みながら呟くと、フィアナも慌てて前方を確認する。前方には砂埃が立ち上がっており、何者かが接近してくるのがわかる。
「騎馬みたいですが、モルドの民でしょうか?」
真っ先に浮かんだのは騎馬民族のモルドの民だったが、イサラは首を横に振った。
「彼らなら、あんな距離で発見できたりしません。おそらく野盗の類でしょう」
「わかりました。ルートを少し変更して様子を見ます」
「そうですね。まだ見つかってないかもしれませんし……」
希望的観測だったが、フィアナは手綱を操って羊馬車を北に向けたのだった。急に軌道を変えた羊馬車に、ソフィが荷台から顔を出して尋ねてきた。
「どうかしましたか?」
「いえ、何者かが接近中です。ルートを変更してますが、襲撃かもしれません。ご準備をお願いします」
イサラが煙が上がっている方向を指差すと、ソフィはそちらを見つめて頷いた。
「わかりました。回避できるようならお願いします」
「はっ!」
フィアナが短く返事をすると手綱を握る力を強めた。ソフィは荷台に戻って置いてあった肩掛け鞄から、ガントレットを取り出して装着し始める。その様子にマリアも積んであった背嚢に括り付けてある自分の盾を取り外すのだった。
◇◇◆◇◇
進行ルートを変更した聖女巡礼団に合わせて、土煙も合わせて軌道を変えてきていた。どうやら完全に捕捉されてしまっているようだ。再び御者台に顔を出しているソフィに、イサラが済まなさそうに頭を下げた。
「猊下、すみません。おそらく追いつかれそうです」
ヤクルは荷物を運ぶのには適しているが、馬に比べればだいぶ遅いのだ。その事はソフィもわかっており、諦めたように目を閉じた。
「わかりました。では、停めましょう」
「はっ!」
フィアナは手綱を操って羊馬車のスピードを落としていく。走っているところを襲われると、ヤクルが転倒などの危険性があると考慮した結果だった。
羊馬車が止まるとフィアナとイサラは御者台から降り、ソフィたちも荷台の後から降りる。マリアをナタークの元に残すと、ソフィたちは少し羊馬車から離れた。向かってくる一団を迎え撃つ構えだ。
「見えて来ましたね」
「明らかな野盗といった風貌ですね。先手を打っても?」
「……一応お話をしてみましょう」
イサラは冒険者時代の経験から、あの手の輩は話しても無駄で近付かれる前に、問答無用で攻撃魔法を撃ち込むべきだと思っていた。しかしソフィは話せばわかって貰えるかも? と儚い期待を未だに抱いていた。
ソフィたちに近付いてくるのは六名ほどの男で、イサラの言う通り粗末な装備の傭兵崩れといった風貌だ。
「やっぱり北の戦乱のせいでしょうか?」
「いえ、連中が戦乱のせいにしてるだけです。あの手の輩は、どのような世界でもろくでなしですよ」
イサラは呆れた様子で呟くと、ソフィは苦笑いを浮かべていた。そんな中、フィアナだけは緊張した面持ちで腰の剣に手を掛けている。
しばらくして、男たちがソフィたちの前に現れた。ソフィたちの姿を確認するとニタニタと下品な笑みを浮かべている。その中でボスと思われる男が、ソフィたちに剣を突きつけて叫ぶ。
「てめぇら、荷物を全部寄こしなぁ!」
その言葉に、イサラは呆れた様子で吐き捨てる。
「まったく月並なセリフですね。もう少し気の利いたことは言えないのですか?」
「月な……あぁん、何だぁ?」
何を言われたのか理解できなかったのようで、男は首を傾げるが馬鹿にされたことはわかったのか、剣を振り上げながら怒鳴りつける。
「うるせぇ、ぶっ殺すぞ! おらぁ、てめぇらさっさとひっ捕まえろ」
「へぇ!」
男たちは馬から降りると武器を抜いて、ソフィたちを取り囲んだ。
「ねぇちゃんたち、大人しく俺らと楽しもうぜぇ」
「なんだ、この小娘が護衛かぁ?」
男たちは剣を構えていたフィアナを見て、馬鹿にした様子で笑っている。
「話し合いをするつもりはないみたいですね。困った人たち……」
その言葉を発した瞬間、ソフィは光輝くと正面の男を殴り飛ばした。吹き飛んだ男だったがその首には鎖が巻き付いており、ソフィはそれを振り回して、馬上のボスの顔面に直撃させた。
「ぐはぁ!?」
ボスが落馬している間に、イサラの炎の矢が一人の男に火を付け、その様子に腰が引けた男に駆け寄ると、腕を取って肘の関節をへし折りながら地面に叩き伏せた。
「ひぎゃぁ!」
フィアナも素早い動きて男たちの腕を斬りつけると、二人を無力化させていく。
「ギャァァ」
ようやく血が流れる鼻を押さえながらボスが立ち上がった頃には、その他の男たちは無力化されていた。ボスは後退りしながら首を横に振る。
「なっ……何なんだよ、てめぇらぁ!?」
それが彼の野盗としての最後の言葉となったのだった。
◇◇◆◇◇
野盗たちを撃退した聖女巡礼団は、野営しながら進んでいた。その間、野生動物が近付いてきたことはあったが、レオの気配に気が付くと逃げていき、特に問題なく旅を続けている。
真っ赤な夕日が目に染みる時間になると、フィアナは羊馬車を停めてソフィに提案する。
「今日はこの辺りで野営しましょうか?」
「そうだね。準備しよう! 今日こそは私が食事を用意するから」
ソフィの言葉に、イサラは首を横に振って答える。
「猊下、今日はフィアナが用意してくれるそうですよ」
「えっ!?」
いきなり言われたフィアナは驚いた顔をする。どうやら初耳のようだ。しかしイサラの鋭い視線に、胸を叩きながら答えた。
「も……もちろんです。私に任せてくださいっ!」
「そう? じゃお願いしようかな?」
ソフィは少し残念そうな顔をしたが、フィアナの料理というものに興味を示したのか、大人しく任せることにしたのだった。
「がっ……頑張ります!」




