第72話「馬商人」
評判などの情報を集めながら郊外に向かうと、そこには大きな厩舎があった。ソフィたちが中に入ると、厩舎の人間と思われる帽子を被った男性がいたので声を掛けることにした。
「あの……馬が欲しいのですが……」
しかし、その男性はソフィたちの姿をチラリと見るなり、露骨に面倒そうな顔をして
「あぁん、お嬢ちゃんたちが馬だぁ? ふん、あっちのロバでも乗ってろ」
と言いながら顎をしゃくり上げてロバを指した。そのあまりに横暴な態度に対して、フィアナが怒りながら割って入る。
「貴方、ソフィ様に無礼でしょうっ!」
「俺は忙しいんだよ! お前らみたいな銭無しの小娘を、相手にしてられねぇんだ!」
苛立った様子のその男性に対してソフィは鞄から布袋を取り出すと、硬貨を何枚か取り出して男性に差し出して見せる。
「相場はこれぐらいだと聞いたのですが?」
「なっ……なんだよ、今度の客はちゃんと金持ってるじゃねぇか」
ソフィの掌に乗っていた金額は、相場より高いものだったので男性は目を見開いた。そして帽子を取るとお辞儀をする。
「いや、すまなかったな。さっきお嬢ちゃんたちと同じぐらいのが、馬を買いに来たんだが全然金持って無くてな。結局くたびれたロバを捨て値同然で譲ってやったんだが、あんたらも同類かと思ってなぁ」
「そうなんですね」
急に愚痴り始めた男性に、ソフィは苦笑いを浮かべて答えた。
「あぁ、何だったかな? 旅芸人……いや吟遊詩人とか言ってたがね。お嬢ちゃんたちは、よく見たら神官様のようだな。……で、馬だったか?」
「はい、四人で十五日分ほどの水と食料を運べる子が良いのですが」
ソフィの注文に馬商人は頷くと、彼女たちに付いてくるように指で示して歩きだした。
「十五日って言うと平原の横断かい?」
「いえ、ちょっと回って戻ってくるつもりです」
「あぁん? なんだ、そりゃ……まぁ俺としては、金さえ払ってくれるなら何でもいいんだがね。う~ん、それなら馬よりヤクルのがいいぞ」
馬商人は立ち止まると、親指でその動物を指してニカッと笑う。
「こいつらなんてどうだ? 大人しくて扱いやすい、しかも度胸も座ってて野獣なんかにもビビらねぇぜ」
馬商人が指したのは、角が生えた巨大な羊のような生物で脚が異様に太い。この動物は羊馬といい。モルドゴル大平原を中心に物資の運搬に利用される大型動物で、馬では運べないほどの荷物を運べる。草食で水分もあまり必要としないので、この平原では重宝されていた。
フィアナはさっそく首を触ったり、足回りを見たりして確認を始めたが、馬とは勝手が違いよくわからないようだった。しかしソフィは、まっすぐと馬商人を見つめながら尋ねる。
「この子が、オススメなんですね?」
「あぁ、もちろんだ」
ソフィは頷いて馬商人に料金を手渡そうとするが、フィアナは慌てて止めようとする。しかし制止しようとしたフィアナに、ソフィはニッコリと笑って「大丈夫」と答えるのだった。
「あと荷台はありますか?」
「あぁ、もちろんだ。何でも揃ってるぜ。幌付きがいいかい?」
「そうですね、せっかくだからそれでお願いします」
「あいよ、ちょっと待ってな」
馬商人はそう言うと追加料金を受け取って、先程売れたヤクルを連れて荷台の用意に向かった。そんな彼を見送っていたソフィにフィアナが小声で尋ねる。
「ソフィ様、本当にあの子で大丈夫なんですか?」
「えっ? 大丈夫だよ、馬商人さんのオススメなんだし」
あまりに世間慣れしてない答えだったので、フィアナは心配になって忠告する。
「ソフィ様、世の商人は嘘をつくことも……あぁなるほど、嘘を付いてなかったんですね?」
「えぇ、口は悪いですが良い商人さんみたい」
ソフィはそう言いながら金色の瞳を輝かせていた。
しばらくして馬商人は、先程のヤクルに荷台を牽かせて戻ってきた。フィアナは荷台の下や車輪に歪みがないか確認していく。それに対して馬商人は呆れた様子で呟く。
「そっちの嬢ちゃんと違って、アンタは疑り深い嬢ちゃんだな」
「こういう物はちゃんと確認しなくては」
ソフィは荷台に繋がれたヤクルを見つめながら馬商人に尋ねる。
「そうだ。この子、名前は?」
「おう、ナタークだ。格好良いだろう?」
自慢げに語るところを見ると、どうやら彼が付けた名前のようだ。ソフィは微笑みながら頷くとナタークの首を撫でながら呟く。
「ナターク、よろしくね」
「ピィー」
そんなやり取りをしている間に確認が終ったようで、フィアナは御者台に乗って手綱を握った。ソフィは馬商人にお辞儀をしてから荷台に乗る。そんなソフィに馬商人は木製の札を手渡してきた。首を傾げながらその札を見ると、ナタークの名と特徴が書かれていた。
「これは?」
「馬商人の間で使う一種の証明書だ。この町に戻って来るか、モルドアンクまで辿りついた時にナタークを手放す気になったら、その札を見せてくれ。適正価格で引き取らせてもらうぜ」
モルドアンクとは、モルドゴル大平原を越えた先にある町のことである。旅人の中には平原を越える時だけ馬やヤクルを使う者も多い。それぞれの町で回してある種のレンタルのような商売が成り立っているのだ。
「ありがとうございます」
「おぅ、また来てくれよ」
こうしてソフィたちは、羊馬車を手に入れたのだった。
◇◇◆◇◇
その後、予定通りにイサラたちと合流して荷物を積み込むと、羊馬車ごと宿屋に併設されている厩舎に預け、明日に控えて宿屋で食事を取ることになった。
「ごはんだ~!」
「がぅがぅ」
マリアとレオが嬉しそうに席に付く。昨晩の食事が美味しかったので、今回の食事も期待しているようだ。他のメンバーも一緒の席に座るとイサラがまとめて注文する。
「明日から、いよいよモルドゴル大平原だね。どんな所なんだろ?」
「せっかくですから、食事前に軽くおさらいをしておきましょうか」
イサラはそう言うと、モルドゴル大平原についての説明を始めた。帝国北東部に広がるモルドゴル大平原は、開発が進んでいない土地で遊牧の民モルドが住んでいる。かつて、ここには彼らの国であるモルドゴル騎馬王国があったが、およそ二百年程前に帝国と戦い滅んでいた。
平定後開発を進めようとしたルスラン帝国に、それまで反目していた部族間が団結して激しい抵抗を開始したため、帝国はこの土地の開発を断念した。そして帝国は認めていないが、一応の自治権を得たモルドの民は再び遊牧の生活に戻っていったのだという。
この土地は大平原と呼ばれているが、小さな森がいくつもあり動植物も数多くいる。凶暴な魔獣も多く、このモルドイーラとモルドアンクを結ぶ横断街道を除くと、かなり危険な地域とされていた。レオンホーンは比較的涼しい北部寄りの平原に生息しているとされているが、正確な位置はイサラも知らなかった。
モルドの民はむやみに人を襲うような人々ではないが、貴重な動物を狙う密猟者との戦いが激化していると噂になっている。また北の大戦が終結後、職を失った傭兵が野盗の類となり帝国の法が届き難いこの土地に流れて来ていた。
そこまで話すとウェイトレスが食事を運んできたので、イサラの話に飽きかけていたマリアが両手を上げて喜んだ。
「ごはんだ~」
「ごほんっ……とりあえず、面倒に巻き込まれないように気をつけましょう」
イサラは咳払いをしてから話を締めると、一行は簡単な祈りを捧げたあと食事を開始した。しばらくして彼女たちが食事をしていると、ポロンポロンっと弦を弾いたような音が聞こえてきた。
「なんの音だろう?」
「アレじゃないですかね?」
ソフィが首を傾げていると、イサラがソフィの後ろを指差した。ソフィが振り向くとマント姿の女の子が小さな弦楽器を指で弾いていた。
「あの子は……エリザさん?」
その少女はグランの街で出逢った、見習い吟遊詩人の女の子だった。
「どなたです?」
「ほら、グランの街で襲われてた」
「あぁ、マリアが猊下のお側を離れた時の話ですか……」
以前聞いた話を思い出しマリアを睨むと、彼女は首を竦めてコソコソとシチューを食べている。調整が終わったのか、エリザは弦楽器を弾きながら歌い始めた。
「あぁ放浪の聖女~♪ 西に困った人があれば助けに向かい~♪ 東に悪を見つければ神罰を下す~♪」
お世辞にも上手いとは言えない歌だったが、内容はどうやらソフィのことを歌っているようだ。ソフィは恥ずかしさと気まずさで微妙な表情を浮かべている。
「北の地で少女が襲われていれば助けに入り~♪ その輝く女神の御手は悪を許さない~♪」
しばらくして歌い終わったエリザは聴衆にお辞儀をする。聴衆からは疎らな拍手と微かな額の硬貨が贈られていた。ソフィも席を立つと、置かれていた硬貨入れに銀貨を入れて声を掛けた。
「エリザさん、こんなところで奇遇ですね」
「わぁ、こんなに!? ありがとうございます。あっ、この前助けてくれた……ええっと?」
明らかに多い金額に驚いたエリザは笑いながら首を傾げた。前回名前を呼ばれていた気がしたが、ソフィは改めて名乗ることにした。
「ソフィーティアです。ソフィと呼んでいただければ」
「ソフィさんですね。ありがとうございます! 何かリクエストがあれば歌いますよ?」
そう提案してきたエリザに、ソフィは少し考えたあと微笑んで答えた。
「それでは、エリザさんの得意な曲でお願いします」
「任せてくださいっ!」
エリザは自慢げに胸を張ると「女神の降臨」という古くからある詩を歌い始めたが、結果は先程の歌と大差なく、ソフィ以外の聴衆からは微かな拍手が贈られただけだった。




