第71話「モルドイーラの町」
野盗の襲撃から三日後、ソフィたちはモルドゴル大平原への玄関口の町モルドイーラまで来ていた。モルドイーラの町は遊牧民であるモルドの民と、ルスラン帝国の民が入り混じっている町で、それぞれが平和的に交流していた。
町の様子を眺めていたマリアは物珍しそうに呟く。
「わぁ、なんか浅黒い人たちがいるね」
「東部は海もあるので元々肌が浅黒い方が多いのですが、あの顔に模様を書いている人たちはモルドの民ですね。牧畜と狩猟を主に生きている人々です。狩神イクタリスの信徒ですので、なるべく関わりたくありませんね」
イサラが答えてくれたが、マリアとソフィは初めてみる異文化を興味深そうに観察していた。そこにフィアナが声をかけてきた。
「この町には聖堂がありませんので、宿を探さないといけませんね」
「へぇ、この規模の町なら聖堂ぐらいあると思ったけど」
「この町はモルドの民との争いを避けるための緩衝地帯なんです」
聖堂がないのはシルフィート教の配慮で、モルドの民が信仰するイクタリス教との対立を避けるためであり、対するイクタリス教も同様に神殿を建てていなかった。双方が配慮したことで、この町の平和は維持されているのだ。
「とりあえず、あそこに見える宿に聞いてみましょう」
イサラが大通りで一番目立つ宿の看板を指差すと、彼女たちは頷いてその宿に向かった。
◇◇◆◇◇
その宿は一階が酒場になっており、二階が客室になっているよくある構造のようだ。まだ昼前ということもあり酒場の客は疎らだった。イサラが宿屋の店主と交渉している間に、ソフィたちが待っていると商人風の老人が声を掛けてきた。
「お前さんら、シルフィート教の神官様かね?」
「はい、そうですよ」
「ほぅほぅ、この町じゃ珍しい。ワシは織物商人のバロックという者じゃ」
バロックはソフィたちが座っていたテーブルの席に、ちゃっかり座るとニコニコしながら話し始めた。
「それで、この町には何の用で来たんじゃ?」
「ちょっとモルドゴル大平原に用がありまして……お爺さんは、レオンホーンは知ってますか?」
ソフィが尋ねると、バロックはカカカと笑いながら答える。
「レオンホーンって、あの白い巨獣じゃろ? 勇壮な姿をしておるから密猟者が後を断たないらしいが、殆どは返り討ちになるらしいぞ。お嬢ちゃんたちは密猟者には見えんなぁ」
「こんな可愛い密猟者がいるわけないじゃん。この子がそうだよ」
フフンと鼻を鳴らしたマリアは、レオを抱えると老人に見せる。バロックは驚いたように目を見開く。
「おぉ幼獣は初めて見たが、随分と可愛らしいのじゃな。カカカカ」
「ぐるるぅぅぅぅぅ」
バロックの態度が気に入らないのか、マリアに抱き上げられたのが嫌だったのかレオは唸り声を上げている。
「この子たちの生息地を知りませんか?」
「生息地? そうさのぉ……ワシは織物の仕入れにモルドゴル大平原にはよく行くが、あんまり見ないのぉ。モルドの連中なら詳しいと思うがな」
「そうですか……」
ソフィが残念そうな顔をすると、丁度イサラが戻ってきた。
「お待たせしました、猊下。こちらのご老人は?」
「織物商人のバロックさん、レオ君たちの生息地をご存知ないか聞いていたの」
「猊下ぁ? お嬢ちゃん、見かけによらず随分偉いようだな?」
バロックは訝しげに眉を上げていたが、ソフィが微笑むとすぐに穏やかな顔になり、膝をポンッと叩くと忠告してきた。
「お嬢ちゃんたち、本気でモルドゴル大平原に行くつもりなら、どこかの隊商に付いていくか、モルドの民の護衛を雇った方がいいぞ。最近は猛獣の他に野盗の類も出るからな」
「わかりました。ご忠告ありがとうございます」
ソフィは席を立ちお辞儀をすると、イサラたちと共に部屋に向かうのだった。
◇◇◆◇◇
その後、聖女巡礼団は宿屋の一階の酒場で、夕食を取ったあと再び部屋に戻ってきていた。ベッドの上で円を描いて座っており、その中心にはモルドゴル大平原が描かれた地図が置かれている。レオは食事の後だからか、マリアの寝る予定の枕の上で欠伸をしている。
「さて、問題のレオンホーンの生息地ですが……概ね、このエリアではないかと」
イサラは地図上の北東部分を、指で大きく円を描くようになぞる。ソフィは少し困ったような顔をした。
「随分範囲が広いですね。見つけられるかな?」
「う~ん、難しいかもしれませんね」
「やっぱりさっきのお爺さんが言ってたように、モルドの人に頼んだ方がいいんじゃないかな?」
マリアが気楽な感じで提案すると、フィアナが首を横に振った。
「モルドの民とシルフィート教は対立してたから、あまり仲が良くないのよ? きっと教えてくれないと思う」
「えぇ~そんなにケチなの?」
マリアが頬を膨らませていると、イサラは呆れた様子で嗜める。
「ケチとかいう問題じゃありません。まったく貴女は勉強不足ですね。もっと勉強の時間を設けるべきでしょうか?」
「うへぇ」
マリアは舌を出して嫌々と首を横に振る。ソフィは少し考えたあと、先程イサラが指を這わせた円を指でなぞる。
「とりあえず、この外周を回って見ましょう。だいたい……どれぐらいだろ?」
「この外周となると徒歩で、十五日ぐらいでしょうか? 土地勘がないと水源が見つからない可能性が高いので、水の確保に馬車か馬が数頭必要ですね」
「この前の馬を逃さないほうが良かったかな?」
先日襲ってきた野盗が置いていった馬たちは、そのまま連れていくわけにもいかなかったので、その場で野に放ってしまったのだ。
「いえ、あの馬たちは痩せてましたので、荷運びに適したものをこの町で仕入れた方がいいでしょう」
「じゃ明日は色々と準備をして、出発は明後日にしましょう」
ソフィが方針を決定すると、その他の者たちは一斉に頷く。そして、いよいよ寝ようかとそれぞれのベッドに戻っていくと、マリアが叫び声を上げた。
「あぁ、レオくんが、わたしの枕に涎垂らしてるっ!?」
「グギギギギ」
枕の上で寝ているレオはマリアの叫び声に起きる様子はなく、歯軋りをしながら涎を垂らしていた。
◇◇◆◇◇
翌朝、ソフィとフィアナ、イサラとマリアとレオの組み合わせで、必要な物を手に入れるために町に繰り出していた。ソフィたちが水を運ぶ馬車の手配、イサラたちは食料や水などの手配である。
「フィアナちゃんは、馬について詳しいの?」
馬商人のところに向かいながら、ソフィはフィアナに尋ねた。彼女はフフッと笑うと自慢げに頷く。
「はい、聖騎士でも隊長クラスは騎乗しますし、子供の頃から馬には乗ってました」
「へぇ子供の頃から?」
「はい、我がティー家は騎士の出でして、父や兄は騎士としてフォレスト公爵閣下に仕えています」
「フィアナちゃんは、なぜ聖騎士に?」
ソフィが首を傾げると、フィアナは苦笑いを浮かべると照れながら答える。
「信仰心故に……とお答えしたいのですが、ソフィ様に嘘は付けませんからね。正直に申しますと女だからです。帝国騎士はよほどの家系でなければ、女性騎士を受け入れてくれませんから」
「あら、そうなんだ?」
アリストの町で出会った女騎士レイナのことを思い出しながら、彼女は特別だったんだなと考えていた。フィアナの言う通り帝国騎士団に比べて、聖騎士には女性隊員の数が多い。これは四代前の聖女であり、聖騎士でもあったミリエル・エス・アルカディアを筆頭に優秀な人物の功績だと言える。
「エルフィード、元気にしてるかなぁ」
「エルフィード?」
「はい、私の愛馬です。今回の任務には同行させれませんでしたので、実家に預けてきました。勇猛でしたが甘えん坊のところがあって可愛いんですよ」
フィアナは少し寂しそうな顔をして答える。ソフィは馬について詳しくなかったが、以前イサラから馬と人は深い信頼関係を築くと教わっていたので、彼女の気持ちを察してフィアナの肩を優しく撫でた。
「あはは、そんなに心配していただかなくても大丈夫ですよ。エルフィードにも丁度いい休養になっているはずです。さぁ、馬車を捜しにいきましょう」
愛想笑いを浮かべたフィアナは、ソフィの手を取るとさっさと歩き出してしまった。




