第7話「水浴び」
しばらく街道を進み、小さな川に辿り着いた聖女巡礼団は、そのまま川原に沿って上流に向かって歩いていた。小川のせせらぎを感じながら、空を見上げると木漏れ日が頬に当たり、ソフィは気持ち良さそうに目を細める。
そして、川の流れが穏やかな淵まで来ると、ソフィが周辺を見回して尋ねた。
「この辺りまでくれば、人は来なそうかな~?」
イサラも周辺を探るように確認してから頷いた。
「そうですね、ここまでくれば大丈夫でしょう。私とマリアは念のために見張っておりますので、猊下は安心して水浴びをお楽しみください」
「えぇぇぇ!?」
イサラと共に見張りを命じられて、マリアが大声で抗議を開始する。
「イサラ司祭、ひどいですっ! わたしだって水浴びしたい~! したい~!」
「マリアちゃん、落ち着いて。先生、こんなところに人なんて来ませんよ。みんなで一緒に浴びましょう?」
駄々を捏ねるマリアとソフィの言葉に、イサラは少し考えてから首を縦に振った。
「わかりました。それでは見張りは私だけで……って、きゃっ!」
「あははは、キャッだって可愛い~!」
いつの間にか川に飛び込んでいたマリアに、思いっきり水を掛けられたイサラは、年甲斐もなく可愛らしい悲鳴を上げてしまった。
「いきなり何をするのですか、シスターマリア!」
「聖女さまが一緒にって言ってじゃないですか、イサラ司祭も一緒に入りましょうよ~」
イサラは怒りに震えていたが、ソフィは苦笑いを浮かべながら服を脱ぎはじめ
「まぁいいじゃないですか、先生も一緒に!」
「……わかりました。猊下がそう仰るのでしたら、仕方がないですね」
ソフィの説得にようやく納得したイサラは、渋々といった様子で服を脱ぎ始めた。ソフィとイサラは下着にスリップ姿、マリアは靴と荷物を放り出して修道服のまま川に入っていた。
「シスターマリア、せめて服ぐらい脱ぎなさいっ!」
「はーい!」
マリアは元気良く返事をすると岸に上がって服を脱ごうとするが、水に濡れた服は脱ぎ難くなっており、手こずりながらジタバタと暴れている。その間にソフィとイサラが川にゆっくりと入ると、気持ち良さそうにため息をついた。そして何とか脱ぐことができたマリアは、思いっきり川に飛び込んだ。
「いゃっほ~い!」
ドボーン!
盛大な水しぶきが上がり、イサラの顔に直撃する。
「シスターマリア!」
「ごめんなさ~い!」
水の中でパシャパシャと追い掛けっこが始まり、それを見ていたソフィは楽しそうに笑っている。
◇◇◆◇◇
しばらく水浴びを楽しんだ三人は岸に上がると、下着を新しい物に変え焚き火を用意して温まる。天気がよいこともあり、水に濡れた下着や服はロープを張って干すことにした。ソフィとイサラは事前に脱いでいたため、そのまま司祭服を着なおしたが、修道服で水に入ったマリアは布に包まって焚き火の前に座っている。
「今日は、このままここで野営しましょうか?」
「そうですね。この距離ではアリストの街はまだ遠いですから」
野営場所を提案するソフィに、イサラは頷いて了承する。
「それじゃ、天幕を用意しますね!」
マリアは下着姿のまま、自分の背嚢から天幕セットを外す。しかし、後ろからイサラにガシッと頭を掴まれ
「貴女はそんな格好で、どうするつもりですか? おとなしく火の番でもしていなさい」
と怒られてしまった。仕方が無いので焚き火のところに戻ると、事前に集めた小枝を焚き火にくべる。
「あっ手伝います、先生」
ソフィとイサラは協力して天幕を用意する。旅を始めた頃は手間取っていた設営も、すでに手馴れたものになっていた。天幕の設営が終ると、ソフィはキョロキョロと周りを見回して、ポンッと手を叩く。
「それじゃ、夕食の準備をしましょうか? 今日こそ私が頑張りますっ」
ニッコリと微笑んで提案するソフィだったが、焚き火の前に座っていたマリアは、この世の終わりでも見たように絶望した顔で震えている。イサラも慌ててソフィの肩を掴むと、激しく首を横に振った。
「い……いえ、猊下はお休みください。料理は私がやりますのでっ!」
「えぇ!? でもいつも悪いし、今日は私が……」
「大丈夫です。あぁ、そうだ! では、猊下には魔物除けの結界をお願いします。そうだ、それがいい」
イサラに頼まれたソフィはいまいち納得できなかったが、しぶしぶ野営地の周辺に結界を張りに向かった。人里が近い場所ならともかく、このような奥地ではいつ魔物に襲われてもおかしくないため、魔物除けの用意は必須である。
渋々ながら順調に結界の準備を進めていたソフィが、ふと洗濯物の方を見て尋ねる。
「マリアちゃん、修道服が無くなってるけど、もう回収したの~?」
「えぇ!? まだです!」
マリアが布を巻いたまま洗濯物を干していた場所に駆け寄ると、確かに修道服がなくなっており
「あれ、パ……パンツもない!?」
「えぇ、あれ? 私のもないかも。どこかに飛んでいった?」
とキョロキョロと辺りを見回すと、キキキッという鳴き声が聞こえてきた。そちらを見ると二匹の猿が岩の上で、修道服や下着を高々と掲げていた。
「あっ、コラー!」
それを見たマリアが大声で叫ぶと、猿はそのまま慌てて逃げ出した。
「ちょ! 待てっ! この猿っ!」
慌てたマリアは、そのまま追いかけていく。
「ちょっと、マリアちゃん危ないよっ! ……こんな事に神器使うのもどうかと思うけど……レリ君!」
ソフィがそう叫びながら右手を天高く突き上げた。その声に反応してカバンの中から鎖が伸びて、ソフィの右手に絡み付く。そして、カバンの中からガントレット:レリックが飛び出すと、空中に舞い上がりそのままソフィの右手に装着された。
「お願い、レリ君っ!」
ソフィが右手を投げるように振ると、反応した鎖が伸びていき逃げた猿に巻き付いて捕らえた。ソフィとマリアが鎖を辿って猿に駆け寄ると、猿は興奮して威嚇してくる。
「キィキー!」
マリアは近くに落ちていた洗濯物を拾うと、微妙な顔をして怒鳴る。
「うぇ~泥だらけになっちゃってる……洗い直しだ~。この猿め、猿鍋にするぞっ!」
「キィー!」
マリアが怒ると、猿も負けじと歯を向き出しにして怒りを露にする。
「マリアちゃん、落ち着いて! お猿さんも白い物が珍しかっただけでしょう」
ソフィは微笑むと、ガントレットから伸びていた鎖を緩めて猿たちを解放する。突然解放された猿たちは警戒していたが、彼女の穏やかな雰囲気に落ち着きを取り戻したのか、そのまま森の方へ逃げていった。
「マリアちゃん、洗濯はお願いできる? 私はそのまま結界を完成させちゃうから」
「はーい、わかりました~」
マリアは元気良く頷くと、泥だらけになった服を持って川辺に向かって走っていく。ソフィはガントレットの金具をちゃんと止めると鎖を収納して、そのまま結界の準備に向かった。
◇◇◆◇◇
夜になると周囲は暗闇に覆われ、野営地の焚き火だけが唯一の灯りだった。昼間は穏やかな気分にしてくれた川のせせらぎも、闇の中で聞くとどこか不気味で落ち着かないものである。
その日の夕食は穀物を茹でて粥状にしたものに、刻んだチーズと香辛料を少し混ぜた物と固いパンだった。シルフィート教には食事に関する特別な戒律はなく、毎日の糧に感謝する程度である。
食事が終ったソフィは焚き火の灯りで、ガントレットを磨いていた。それを見ていたマリアが目を輝かせる。
「レリ君ってやっぱり凄いですよね。昼間も猿をあっという間に捕まえてくれたし、あの鎖ってどこまで伸びるんだろ?」
「どうなんだろ? とにかく凄く遠くまで伸びるよ」
ソフィもどこまで伸びるか、よく把握しておらず首を傾げる。それに対してイサラが語り始めた。
「伝承によると、最大で千セルジュ(メートル)ほど伸びたと記述がありますね」
「そんなにっ!? すごーい!」
「旅に出る前にちゃんと教えたはずですが……せっかくですから、少しおさらいしておきましょう」
イサラの授業が始まってしまったので、マリアが失敗したという顔をする。
「ガントレット:レリックは『女神の篭手』と呼ばれている神器ですが、装着者の法力次第で鎖の距離が長くなると言われています。わかっている性能は装着者の能力増加と形状変化ですが、形状変化にはいくつか種類があります」
「モード:鞭やモード:拳ですね、先生?」
ソフィがが補足するように答えると、イサラは満足そうに頷く。
「そうですね。鎖を鞭のようにしならせる「モード:鞭、そして最大の破壊力を誇ると言われているモード:拳が代表的ですが、伝承によると剣、槍などもあり、変わったところでは弓などもあるそうですよ」
「そんなに種類があるんですね、使ったことがないなぁ」
ソフィが感心したようにガントレットを眺めていると、肩にマリアが寄りかかってきた。
「あらら……マリアちゃんは、もう眠いみたい」
「はぁ……まったく、この子は昔から授業中に寝てましたから」
イサラはため息を付きながら、マリアを抱き上げると天幕の中に寝かせる。そして、ソフィの方を向くと
「猊下もそろそろお休みください。火の始末は私がやっておきますので」
「わかりました。それではおやすみなさい、先生」
ソフィは頭を下げると、そのまま天幕の中に入っていく。




