第67話「温泉と粛清」
ソフィたちが木造の脱衣所に入ると、中では木とお湯の匂いが漂っていた。外の冷気に対して水気の帯びた空気が温まっているのか、蒸して若干暑く感じるほどだった。
棚がいくつか並べてあり棚には木製の籠が置いてある。ソフィたちはシスター姉妹に借りた服を棚に置くと長い髪を後に束ねた。そして汚れた服を脱ぎ籠に入れると、籠ごと持って湯殿に向かった。ついでに洗ってしまおうと考えているのだ。
湯殿は石造りになっており、外周は木製の柵が囲っているため覗かれることはない。洞窟内にあるからか風も殆どなく肌寒いこともなかった。
ソフィは早速置いてあった桶にお湯を汲むと、汚れていた衣装を洗おうとしていた。そんなソフィに対してフィアナが話し掛けてくる。
「ソフィ様、お召し物は私が洗っておきますので、ソフィ様は湯船で温まっていてください」
「えっ、自分の服ぐらい自分で洗うから大丈夫……う~ん、わかった。それじゃフィアナちゃん、お願いね」
ソフィはやんわりと断ったが、ソフィに何か奉仕したいフィアナの熱心な瞳に負けて、小さくため息をつくと籠をフィアナに手渡した。しかしガントレットだけは抜き出して自分で洗い始める。
「そちらも私が洗いますが?」
「レリ君はダメ、私以外が洗うと嫌がるから」
「ガントレットがですか?」
「えぇ」
ソフィはふふっと笑うと、フィアナは首を傾げながらソフィの衣装と自分の服を洗い始めた。しかし、ドシーンと何かが倒れたような大きな音が聞こえると、二人とも一斉にそちらを振り向いた。
「なにっ!?」
そこには素っ裸で倒れている赤毛の少女がいた。ソフィはすぐに駆け寄ると彼女を助け起こす。
「大丈夫、マリアちゃん?」
「う~……痛い~」
マリアは軽くタンコブを作ったぐらいだったが、ソフィは治癒術を掛けながら尋ねる。
「お風呂場は滑るから危ないよ、何をしてたの?」
「レオくんを洗おうとしたら逃げるんだよ~」
マリアが指差したほうを見ると、レオが警戒した様子で唸り声を上げている。ソフィは呆れた様子でレオに言う。
「レオ君、私が洗ってあげるから、こっちにいらっしゃい!」
「ぐるるるる」
唸り声を上げているレオにソフィがニッコリと笑うと、レオは総毛立てて大人しくなりトボトボとソフィに近付いてきた。
「にゃふ~」
「よしよし、いい子ね~」
ソフィはレオを抱き上げると先程の場所まで戻り、レオを洗い始める。
「は~い、綺麗にしましょうね」
「ニャァァァァ!?」
モコモコに泡立てられたレオはソフィに抱きついて、そのまま逃げようとするがガッチリと掴まれて動けなかった。
「すぐ終わるから大人しくしててね」
しっかりと洗われてしまったレオは、抵抗する気力すら失ったのか大人しくなってしまっていた。ソフィは泡を洗い流すと、レオはぶるぶると体を振って水を切る。
ソフィは、そんなレオを抱きかかえると湯船に浸かる。
「ふぅ、いい湯だね~」
ソフィが力を弱めると、レオはすぐに抜け出した。どうやら水に浸かっているのにも慣れたようで、器用に足を掻いて泳ぎ始めている。
レオはマリアのところまで泳ぎつくと、彼女に抱きついてよじ登ろうとしてきた。
「レオくんどうしたの~? あははは、レオくん細い~」
「……がぅ」
水を吸ったレオの体毛はベッタリと潰れており、マリアは鬣を引っ張りながら笑っている。しかし何かが気に入らなかったのかマリアを後ろ足で蹴ると、今度はフィアナに向かって泳いでいく。
「わっ、なんですか!?」
同じように抱きついてきたレオに、フィアナは驚いた声を上げる。レオは彼女の胸に鼻先を置くと、しばらく大人しくなったが、すぐに飽きた様子でソフィの元に戻っていった。
それに合わせてソフィの近くに、マリアやフィアナが近付いてくる。ソフィの胸の上で大人しくなっているレオを見て、二人は微妙な表情を浮かべていた。
「そう言えば、この子レオンホーンですよね? ソフィ様のペットですか?」
フィアナが尋ねると、ソフィは困った様子で首を横に振った。
「ううん、ペットじゃないけど、何故か懐かれてしまって……」
ソフィはフィアナにレオが旅の仲間に加わった話を説明した。フィアナは頷きながら聞いていたが、何かを思い出したように呟く。
「へぇ、そんなことが……この子、どこにいた子なんだろう?」
「う~ん、そう言えばキースさんが捕まえたって言ってたから、もし会うことがあれば聞いてみようかな」
その後もフィアナに加入前の話をしながら、一行は温泉を楽しんだのだった。
◇◇◆◇◇
ソフィたちは、イサラと町の薬師が解毒薬を製作するまで、患者に治療を施しながらサイトゥの町に滞在していた。
そんなソフィたちが知らないところで、ある作戦が実行に移されていたのだった。
とある町の酒場近くの路地裏 ──
「うぃ~酔っ払っちまったぜぇ」
酔っ払った顔が赤黒い男がフラフラと路地裏に入っていく。その酔払いの男は、路地の奥まで入ると急に眼光が鋭くなり、入ってきた路地を確認するように睨みつけ、そこにあった扉をノックする。
カン……カカン……カン
特徴あるリズムのノックのあとに扉の中から声が聞こえてきた。
「……何者だ?」
「聖堂に輝きを」
赤黒い男は、微かに開いた扉に滑り込むように建物に入っていった。
部屋の中にはテーブルが一つ置いてあり、その上には地図が広げられている。テーブルの隅にはローソクが一本揺らめいていた。
「……何かわかったか?」
元々部屋にいたローブを着た中年男性は、しゃがれた声で酔っ払いの男に尋ねる。赤黒い男はテーブルまで歩くと、その太い指である場所に突きつける。
「あぁ、聖女はサイトゥの町にいるらしい。あとは巡礼団に一人聖騎士が加わったそうだ」
「……サイトゥか、あそこは同志が実験をしていたはずだが、嗅ぎつけられたのか?」
「さぁな、聞いた話じゃ。救援要請に応えたって話だが」
赤黒い男は首を横に振りながら答えた。しゃがれた声の男は少し考えるように唸ったあと呟く。
「まぁどちらでもよいか……聖女には事故にあって貰わねばならんからな」
「あぁ、どこかの馬鹿が、人目がつくところで襲いかかったせいで、やり難くなっちまったが任務は任務だ」
この男たちはお互いの顔を見合わせると、祈るように指を組むと同時に口を開く。
「聖堂に輝きを」
その瞬間、大きな音と共に扉が蹴破られた。ぞろぞろと入ってくるローブの男たちに、赤黒い男としゃがれた声の男は目を見開いて怒鳴る。
「な、なんだ!? お前らはっ!」
ローブの男たちは一斉に剣を立てると
「神聖執行!」
と唱えて一斉に男たちに襲いかかった。赤黒い男は腰から短剣を抜くと叫ぶ。
「やばいっ! 聖騎士団だっ!」
「ギャァ……」
しかし、しゃがれた声の男の返答は小さな悲鳴だった。聖騎士の剣を受け止めながら赤黒い男が振り返ると、しゃがれた声の男はすでに息絶えており、彼を斬り倒した聖騎士がすでに攻撃態勢に入っていた。
「ちっ、ちくしょぉぉぉぉ」
それが赤黒い男の断末魔の叫びだった。聖騎士たちは隠れている者がいないことを確認すると、剣に付いた血を拭き取った。
「よし、情報を回収して撤退するぞ」
「はっ!」
聖騎士たちはテーブルの上や、棚などにあった物を回収すると、その部屋から出て行ったのだった。
このような出来事が、帝国北部であるバケット地方で頻発していた。しかし、そのことを知っている民衆はまだあまりいない。
◇◇◆◇◇
シリウス大聖堂の聖堂長執務室では、カサンドラが紅茶を飲んで休憩していた。
その午後の穏やかな一時を打ち破るようにノックの音が聞こえてくる。カサンドラが入室の許可を伝えると、純白の鎧を着た青年が一人入ってきた。
男性にしては長い金髪に、青い瞳と金色の瞳を持った青年は、どこかソフィと雰囲気が似た人物である。
その青年はカサンドラが座る執務机の前までくると、ビシッと姿勢を正して敬礼をする。
「母上、報告に参りました」
「アレク、公務の際は聖堂長、もしくは団長と呼ぶように言ってあるでしょ」
アレクと呼ばれた青年はカサンドラの息子であり、名前をアレクシオス・エス・アルカディアという。聖騎士団の中隊長の一人で、今回の作戦の指揮を任されていた。ここで言う団長とは聖騎士団の団長のことで、シリウス大聖堂の聖堂長が歴任している。
「まぁいいわ。それで首尾のほうは?」
「はっ、聖堂派の粛清は順調に推移しております。まもなく北の地から全て駆逐できるでしょう。やはり信者たちが協力的なのが功を奏しております」
ソフィを襲ったのは、聖堂派と呼ばれる連中であるという噂は、カサンドラによって意図的に流された。そのことに怒りを覚えた信者たちは、聖堂派と思われる者たちを発見すると、進んで聖騎士たちに密告してくるのだ。
その報告に満足したカサンドラは、アレクに向かって更に重い声で告げる。
「引き続き粛々と進めなさい。ソフィを傷つけたノイスは絶対に許さない。聖戦はすでに始まっているのよ」
「はっ、心得ております!」
カサンドラの命令に対して、アレクは敬礼で答えるのだった。




