第61話「サイトゥの町」
翌朝サイトゥに向けて出発しようとする聖女巡礼団を、宿屋の店主は呆れた様子で送り出してくれた。彼からしてみれば、せっかく忠告してあげたのにという思いがあるのだろう。
サイトゥの町がある山は雪山だったが、町がある中腹まではさほど積もってはいないらしいく、現在一行が歩いている道も軽く雪化粧している程度だった。歩くには少し歩き難かったが、採掘した銀の運搬のためか最低限は舗装されており、転ぶほどではない感じだった。
二時間ほど登っていくと木製の大きなアーチが見えてきた。そこには『ようこそ 鉱山の町サイトゥ』という看板が掲げられている。その看板から視線を落として町の様子を窺うが、誰ひとり姿が見えなかった。
「誰も……いないね?」
「おかしいですね……まだ昼前なんですが。とりあえず聖堂に向かいましょう」
イサラの提案に頷いた一行は、人の姿が見当たらない町に入っていく。町に入るとイサラやフィアナは、あちらこちらから視線を感じた様子だった。姿は見えないが民家の窓から覗いているのである。
そんな視線を感じながらも、すぐに聖堂を見つけることができた。さほど大きな町ではなかったし、領主がいなければ聖堂が町で一番大きな建物であることが多いのだ。
イサラが扉をノックすると、マリアと同じぐらいのシスターが顔を出した。その顔はだいぶ疲れているようで目の下には隈があった。そして、顔を伏し目がちにか細い声で尋ねてきた。
「はい、どちらさまですか? ……もう受け入れは……あっ」
ようやく顔を上げたシスターは、ソフィたちの姿をみて大きく目を見開いた。
「ひょ……ひょっとして、シリウス大聖堂から?」
「はい、聖堂長から頼まれて支援に来ました」
ソフィが答えると、そのシスターはパァと明るい表情に変わりソフィの手を掴む。
「あぁぁぁ、やっと来てくれたんですねっ!? 来てくれたのはこれだけですか? ううん、今はこれだけでも助かります。どうぞ、入ってください!」
シスターに引っ張られて聖堂に入ると、通常置かれている長椅子は隅に撤去されており、所狭しと患者と思われる人々が寝かされている。暖を取るために巨大な暖炉が燃えさかっており、熱が届かないところにはいくつも火鉢が置かれていた。
奥の方では司祭服を着た中年男性と、彼に付き従うようにシスターが患者を診ている。その二人にソフィの手を掴んでいるシスターが声をかけていく。
「ラッカー先生、姉さんっ! シリウスからの応援が到着しましたっ!」
その声にラッカーと呼ばれた司祭と、姉さんと呼ばれたシスターが近づいてくる。二人ともこのシスターと同じく目の下に隈を作っていた。よほど厳しい状況で治癒術を施し続けていたようだ。ラッカー司祭はソフィの護符を見て、目を見開いてから即座に傅いた。
「おぉ、その護符は、アルカディア大司教猊下ですね? 本当に来ていただけるとはっ!」
「そのような挨拶は不要です、ラッカー司祭。それより状況を教えていただけませんか? 思っていたよりだいぶ酷いようですが」
ソフィは困ったような顔で、彼を立たせると寝ている人々を見回す。
「はい、実は……」
ラッカー司祭の話では、人々が奇病が始まったのは数か月前だという。その症状は手や足といった末端から、身体が石のようになってしまうというものだった。死者数はすでに十二名、死因は窒息死と徐々に迫る死の恐怖からの自殺だった。今のところ空気感染は確認されていないが、患部に直接触れるとそこから感染するらしいことが分かっている。
通常の治癒術では効果が殆どなく、高位治癒術の女神シルの息吹でも、わずかに進行を遅らせる程度とのことだった。
先程までソフィの手を握っていたシスターをサティア、その姉のシスターはジェニスといい。サティアは通常の治癒術までしか使えないらしい。それに司祭のラッカーを入れた三人で、昼夜を問わず治癒術を掛け続けている状況だった。
最初の被害者は、鉱夫で銀の採掘から戻ってきたあと急に足の痛みを訴え、徐々に石化していってしまったのだという。彼は残念ながらもうすでに亡くなっていた。彼を皮切りに徐々に患者が増えていき、現在の状況になったのだという。
もうダメだと思った時、シリウス大聖堂に奇跡の治癒を施す白き聖女が来ているという噂を聞き、北部を管轄しているカサンドラに対して応援の要請を掛けたのだった。
状況の説明が終わると、ラッカー司祭は足元が覚束ない感じでフラフラとしている。
「大丈夫ですか?」
「は、はい……」
ソフィが彼を支えながら尋ねると、ラッカー司祭は何とか頷いた。彼のことも心配であったが、それよりも患者の状況が気になった。
「とりあえず治癒をしてみましょう。一番危険な方はどちらですか?」
「こ……こちらです」
一行はラッカー司祭に案内されて、一番重篤だという中年女性が寝ている横まで来た。女性は左右の腕が肩の辺りまで石化しており、これ以上進行すれば肺が石化して呼吸ができなくなるか、心臓が停止してしまう状態である。ソフィは彼女の横に座り肩に手を伸ばした。その行為に対して、ラッカー司祭が枯れた声で忠告する。
「猊下、患部には触れないでください! 感染してしまいますよ」
ソフィは黙って頷くと、石化している部分の近くに触れて女神シルの息吹を発動させた。ソフィの掌が緑に輝き始め、石化していた部分が徐々に血の気が通った普通の皮膚の色に戻っていく。
ラッカー司祭たちは「おぉ、奇跡だ」と呟いて、ソフィと女神シルに祈りを捧げ始めた。しかし肘の下辺りまで回復させるとソフィの顔が曇る。いくら治癒の力を発動させても、それ以上は回復しなかったからだ。
「猊下の力でも全快しないなんて……」
イサラは心底驚いた顔をして呟く。今までこんなことはなかったからである。ソフィは女神シルの息吹を解除して首を傾げている。
「これ以上は難しそう……感覚的には継続して侵食が進んでいる感じですね」
「それでも、ここまで回復すれば数週間は持ちますよ」
シスターサティアは興奮したように声を荒らげていた。下手すれば数時間後には死んでいた女性のタイムリミットが、数週間に増えただけでも十分奇跡だと言えた。
ソフィは立ち上がると、ラッカー司祭たちには休むように告げた。傍目から見ても彼らは限界に近かったからである。最初はまだ頑張れると拒否されたが、イサラが半ば無理やりに三人を彼らの寝室に連れていった。
そして、ソフィたちは他の患者にも治癒を施していく。
◇◇◆◇◇
それから数時間後 ──
休んでいたラッカー司祭たちが戻ってきた。少し眠ったおかげか、先ほどよりはだいぶ血の気が戻っていた。患者たちもソフィの治癒のおかげでだいぶ持ち直していたが、症状が重くない者でも完治までは至らないことがわかった。
それでも意識を取り戻した患者は、涙してソフィに感謝を口にしていく。その中には驚くべき事にガルツという元野盗がいた。彼はアリストの街に自首したあと、労働で罪を償うためにこの街に連れて来られ、今回の騒動に巻き込まれたのだった。
彼の罪を償おうとする姿勢に、ソフィは何故か嬉しくなり必ず助けることを密かに誓ったのだった。
ソフィたちは少し休んでいる間に、イサラはラッカー司祭や患者たちに話を聞いていた。そして何か何度か試したあと神妙な顔をして戻ってくると、ソフィに声をかけてきた。
「猊下、少しよろしいですか?」
「何かわかりましたか、先生?」
「はい、状況から察するに、今回の症状は毒と呪詛の混合によるものかと思われます」
その言葉に神妙な顔をすると問い返した。
「毒はともかく……呪詛ですか?」
「はい、予測の域は越えませんが……聖銀が侵食されるそうです」
聖銀とは女神シルの祝福を受けた銀のことで、護符や聖属性の武具などに使われる金属である。ラッカー司祭の話では、患者が護符に触れた瞬間、真っ黒に染まったとのことだった。
「では、解呪術をすれば……」
「いえ、それが毒が邪魔しており、そちらを治療しなければ解呪できないようです」
イサラが先ほど試したところ、解呪術の効果が発動してもすぐに再発するのだという。調べて見ると毒自体に呪詛が織り込まれていた。
「それじゃ、解毒術を先にすれば……」
「解毒術は、呪詛の影響で効果が発動しません」
イサラは申し訳なさそうに頭を下げた。こちらもすでに試しており、結果は効果なしだったのだ。思い浮かぶ対策はすでに試されており、ソフィは困ったように眉を寄せていた。
「……困りました」
「一つだけ、提案があります」
イサラがそう告げると、ソフィはパァと明るい顔になり期待に目を輝かせた。
「証言をまとめると坑道に魔物が棲みついているようです。毒に関しては、それが原因じゃないかと考えられます」
「呪詛もですか?」
イサラは首を横に振って話を続ける。
「残念ながら呪詛については原因不明です。しかし毒性を持つ魔物の体内には、本体を守る臓器があることが多いのです」
「それを手に入れられれば解毒出来て、解呪術が効くというわけか」
その答えにイサラは頷く。ソフィは目を瞑って少し考えこむと、やがて決心したようで目を開いて告げる。
「解毒剤の材料を手に入れに行きましょうっ!」




