第6話「旅立ち」
翌朝ソフィが起きると、隣のベッドでマリアが唸っていた。ソフィが心配そうに揺すると、マリアは青い顔をしながら
「あ……頭が痛い。聖女さま~女神シルの息吹をしてくださいぃ」
と懇願してくる。
二日酔いはアルコールを分解する際に引き起こされるため、通常の治癒術を使って代謝を促進してしまうと、その過程で急激に体内の水分が不足してしまい症状はさらに悪化する。マリアの状態がひどい有様になっているのは、二日酔いと気付かずに自身に治癒術を施したからだった。
上位治癒術である女神シルの息吹であれば、体内に不足した水分なども補われるため二日酔いでも効果はあるが、上位法術を二日酔い程度で使うのは、よほどのお人好しぐらいである。
ソフィがマリアの頭に右手を当てて法術を発動させようとしたが、イサラから止められた。
「猊下、その程度なら放っておけば治ります。私が見ておきますので、猊下は村長に出発の挨拶をお願いします。あと、おそらく埋葬はもう終ってるかと……」
「うぅ……イサラ司祭ぃ……」
恨めしそうなマリアの声にソフィは苦笑いを浮かべる。
「わかりました。でも少しだけ……」
微かに輝く右手の暖かさに、マリアの顔が少しだけ穏やかになる。
その後マリアの看病をイサラに任せ、手早く着替えたソフィは家から出掛けるのだった。
◇◇◆◇◇
それから数時間後、埋葬された者たちへの祈りを捧げ、村長に挨拶を済ませると、ソフィは拠点にしている家に戻ってきていた。部屋に入るとマリアがようやく起き上がっており、ソフィは心配そうに尋ねる。
「マリアちゃん、大丈夫?」
「うぅ……聖女さま~イサラ司祭が酷いんです。水をガバガバ飲ませて……見てください、お腹がタプタプですよ~」
マリアは自分のお腹をポンポンと叩く、ソフィは苦笑いを浮かべながら
「その症状には、お水を飲むのがいいのよ。私はなったことがないけど」
「猊下はちゃんと自制できますからね。それで村長に挨拶は済みましたか?」
マリアに対して呆れた様子だったイサラが尋ねると、ソフィは小さく頷いた。
「はい、先生。やっぱり残って欲しいみたいだったけど、役目があると伝えてどうにか納得して貰いました」
『役目』という言葉にイサラは微妙な顔を浮かべたが、元気になったマリアは
「次はどこ行くんですか~?」
と言いながら地図をテーブルに広げた。三人はそれを囲みながら見つめる。
「私たちはこちらから来たから、道なりだと……次はアリストの街ね」
「アリストと言えば、教会の支部がある街ですね。これでようやく路銀の補充ができます」
彼女たちの活動資金は教会から出ており、教会の各支部に寄ったときに必要な分だけ引き出しているのだ。野盗などが出る時勢であり大金を持ち歩くのは、不要なトラブルの元である。その他、各地の情報なども支部を通して収集していた。
「アリストって、何か美味しいものありますかね? 干し肉とか固いパンとかは、もううんざりです」
「大きな牧場があって、それなりに大きな街です。美味しいものもきっとあるでしょう」
マリアの問いにはイサラが答えた。ソフィもマリアも帝都出身であり、このメンバーの中で旅慣れているのはイサラだけだった。
「牧場か~それは楽しみだね。美味しいチーズとかありそうだし」
「チーズ! いいですね、チーズ……じゅるり」
いい感じに溶けた熱々のチーズを想像して、ソフィもマリアも期待を膨らませていると、イサラがパンッと手を叩いた。
「それでは旅支度を整えていきましょう」
「はい」
「わかりました~」
こうして三人は、次の街に移る準備に取り掛かったのだった。
◇◇◆◇◇
翌朝、村長たちは復興作業を止めて見送りに来てくれている。
「次はどこに行かれるのですかな?」
「このまま道なりに、アリストの街に向かう予定です」
村長の問いかけに、ソフィは向かう道を指差しながら答えた。
「アリストですか、確かあの街から来た商人が……いえ、まぁ聖女様たちであれば問題ないでしょうな」
村長の言葉は少し含みのあるものだったので、ソフィは首を傾げたが他の村人が声を掛けてきたため、聞き返すことは出来なかった。話しかけてきた村人の中には、ソフィが助けた女性や子供たちもいた。
「聖女様、本当にありがとうございました。どうかお気をつけて」
「お姉ちゃん、元気でねっ」
ソフィたちは微笑みながら子供の頭を撫でる。
「ありがと、君も元気でねっ!」
「う……うんっ!」
子供は少し顔を赤くすると母親の後ろに隠れてしまった。その様子にソフィはクスッと笑う。村人に囲まれて、出発するタイミングを失っていたソフィにイサラが割って入る。
「猊下、そろそろ……」
「そうね。それでは皆さん、お世話になりました」
ソフィはそう言って頭を下げると、置いてあった肩掛けカバンを持ち上げる。そして手を振りながら、アリストの街に向かって歩き始める。その背中には暖かな感謝の言葉が贈られるのだった。
「ありがと~また来てくれよなっ!」
「お姉ちゃん~またね~」
◇◇◆◇◇
翌日、聖女巡礼団の三人はアリストに向かう街道を進んでいた。基本的に徒歩で移動している彼女たちの旅は、非常にゆったりとしたものである。
「今日は、どこかに泊まれますかね~」
マリアは広げた地図を見ながらそう呟く。昨夜は歩いているうちに暗くなったので、街道を逸れたところで野営をしたのだ。
「シスターマリア、この近くには町や村はありませんよ。もう一泊野営です」
「えぇ~お風呂入りたいのに~」
「諦めなさい、そんなものはありません」
大きな背嚢を揺らしながらマリアが文句を言うと、背嚢に取り付けてある盾がガチャガチャと音を立てる。ソフィは困ったような顔でマリアを窘める。
「もう少し頑張りましょう。マリアちゃんも、汚れとかは法術で綺麗にしているでしょ?」
「それはそうですけど、潤いが欲しいんですっ! ……それにわたしは大丈夫だけど、イサラ司祭は、お肌が曲がり角なんですからお風呂が必要ですよっ!」
最後のほうは小声でソフィに耳打ちする。
「聞こえてますよ、シスターマリア!」
「うぇ! ごめんなさい~」
マリアは謝りながら、イサラから逃げるように歩調を早めた。その様子にソフィはクスクスと笑う。
「でも、私も水浴びぐらいはしたいかも」
「猊下がそう仰るなら……そうですね、この先に川があります。上流に少しいけば、人目を避けて水浴びぐらいは出来るでしょう」
そう答えたイサラにマリアが頬を膨らませる。
「ぶーぶー、わたしと扱いが違いすぎる~」
「当たり前です。猊下は私がお仕えしている方なのですから」
マリアは地図を見ながら首を傾げている。
「でもイサラ司祭、この近くに川なんて描いてないみたいですよ?」
「それは貴女が見ている地図が、また間違えているからですよ」
「えぇ~?」
手にした地図をクルクルと回しながら唸っているマリアに、イサラはため息をついて彼女の背嚢から地図を取り出して、マリアの持っていた地図と交換してくれる。そして、それを指差しながら
「いいですか? 昨日までいた村はここです。そしてアリストの街に向かって歩いてますから、今は大体この辺りですね。そして、これが話していた川です」
「わぁ、なるほど! わかりやすいですっ」
そんな二人のやり取りを見ながら、ソフィは嬉しそうに微笑む。
「先生とマリアちゃん、実は仲良しですよね~」
ソフィにそのつもりはなかったが、からかわれたと思ったイサラは少し恥ずかしそうにすると、わざとらしい咳払いをする。
「ごほんっ、シスターマリア!」
「は……はいっ」
「先導役、しっかりと頼みますよ」
イラサはそう言って交換した地図をマリアの背嚢にしまうと、澄ました顔でそっぽを向いてしまうのだった。




