第59話「凶刃と決意」
神官に連れられて聖堂から一番近く広場まで駆けつけたソフィたちの前には、頭から血を流して倒れている男性がいた。近くにいた司祭が治癒術を発動しているが、見るからに深刻なダメージを負っていた。
「代わりますっ!」
ソフィはすぐにその男性に駆け寄ると、司祭に代わって女神シルの息吹を発動させる。しかし男性に意識はなく生命力が極端に弱まっているのか、ソフィの力でも瞬時に治癒しないほどの深手だった。
治癒を施しながら傷を確認していくと、後頭部はかなりの深手を負っているが身体には痣などもない。階段を転がり落ちたにしては、体に痣がないのは不自然だし、転んだにしては頭部のダメージが深刻すぎる。
そんな違和感を感じたソフィが顔を上げて後を向くと、そこには先程まで彼の治癒をしていた司祭が短剣を振り上げていた。
「聖堂に輝きをぉぉぉ!」
ソフィはその凶刃を躱すでもなく防ぐでもなく、負傷者を庇うように覆い被さった。今、治癒を止めたら生き残っても障害が残る可能性が高い……そう思っての行動だった。
司祭が振り下ろしたナイフは、彼女の左肩から背中に掛けてを切り裂いた。
「ぁぐぅ……」
ソフィの顔が苦痛に歪み、白い神官服の背中がジワリと赤く染まっていく。司祭はさらに雄叫びを上げながら、もう一度ナイフを振り上げたが、その瞬間彼に三本の剣が突き刺さっていた。ソフィの護衛をしていた聖騎士たちが、一斉に剣を突き出したのだ。
「うがぁぁぁ……おのれぇ……」
司祭は恨みの言葉を吐きながら、血を吹き出して息絶えた。オリズンは慌てた様子でソフィに駆け寄ると、ソフィの背中に女神シルの息吹を掛けていく。
「げ……猊下、大丈夫ですか!? すぐに治癒をっ!」
ソフィは額に汗を流しながらニッコリと微笑む。
「だ、大丈夫です。私には永続回復がありますから、この程度の傷すぐに治ります」
彼女の言う通り背中の傷は徐々に塞がっていくが、激しい痛みを感じているソフィの額には汗が流れていた。
「うっ……う~ん?」
ソフィが必死に治癒術を掛けていた男性が、ゆっくりと目を覚ました。
「大丈夫ですか? どこか痛むところはありませんか?」
男性は無言のまま辺りを見回して、先ほどの司祭が倒れているのを見つけると、外套の中に手を伸ばしながらニヤリと笑う。
「……聖堂に輝きを」
男性がそう口にした瞬間、ソフィの意識は腹部に痛みを感じながら闇の中に落ちいくのだった。
◇◇◆◇◇
ソフィが襲撃された情報は、すぐに聖堂長のカサンドラの元にも届けられた。その話を聞いた彼女は激高すると、すぐにソフィが運び込まれた部屋に向かった。
「ソフィ!?」
カサンドラがソフィが眠る部屋に飛び込むと、イサラがソフィの横に座っていた。ソフィは半身だけ起こして笑顔で首を傾げている。
「どうかしましたか、叔母様?」
「襲われた聞いたのだけど……大丈夫なの、ソフィ?」
ソフィは優しく微笑むと、服を少しはだけさせ左肩と背中を見せた。
「はい、この通りです。ちゃんと永続回復が効いてます。傷一つないでしょう?」
カサンドラが近付いて、彼女の背中に優しく触れると、斬られたとはとても思えない滑らかな肌だった。ソフィは少しむず痒いのかフルフルと震えていた。
「聞いてはいたけど、永続回復……凄い祝福ね」
永続回復とは、神に選ばれた聖者に与えられた祝福である。両眼とも真実の瞳を持つ者のみに発現しており、女神シルが祝福を得ているというのが通説だった。
後で調べてわかったことだが、彼女を襲った刃には致死量の毒が塗られていた。しかし、その毒すら無効化されており、永続回復の祝福を受けし者を殺すには、首を落とすなど即死させるしかないようだ。
「とにかく無事……ではないけど、元気そうでよかったわ。貴女に何かあったらお姉様に顔向けできないもの」
「えぇ、でも私が気を失っている間に、彼らは亡くなったそうですね」
襲撃者はその場で聖騎士に討ち取られていた。その事実にソフィは少し悲しそうな顔を浮かべている。自分を襲ってきた者たちの命ですら、彼女は自分と同じ価値があるものと考えているのだ。
ソフィがベッドから出ようと動き始めたので、カサンドラが慌てて止める。
「ソフィ、大人しく寝ていなさい」
「そんなに心配しなくても身体はもう大丈夫ですよ。それに傷付いた信者の方が待ってますから」
「ダメよ、今日は大人しくしていなさい」
カサンドラに無理やりベッドに戻されたソフィは、少し恥ずかしそうに笑う。その様子にカサンドラは首を傾げる。
「どうしたの、そんなに笑って?」
「いえ、小さい頃を思い出して……お母さまも、そんな感じだったなって」
ソフィの両親は彼女が十歳になる前に急死している。カサンドラはその死も暗殺ではと疑っているが、少なくとも公的記憶では病死になっている。彼女も姉の顔を思い出して少し胸が苦しくなったが、ソフィの額に手を当てるとそのまま髪を撫でる。
「いいから休みなさい。怪我がなくとも貴女は働きすぎよ。大丈夫、治療が必要な人々は手分けして対応するわ。貴女には劣るでしょうけど、重傷者は私が対応するから安心して」
カサンドラもアルカディア家であり、ソフィには及ばないまでもかなり高度な治癒術まで扱える。彼女は立ち上がると隣にいたイサラに向かって言う。
「イサラ、貴女も手伝いなさい」
「……わかりました」
イサラはソフィを一瞥してから頷いた。そして二人とも部屋から出ていく。しばらく黙って歩いていた二人だったが、カサンドラが真剣な表情で尋ねる。
「今回の件、貴女はどう考えているの?」
「はい、必ず償わせます」
イサラは額に青筋を立てて真顔で答える。その答えにカサンドラは呆れた様子で首を横に振った。
「そんな当たり前のことを、聞いているんじゃないのよ。犯人の見当はついているんでしょ?」
「それでしたら、聞かれるまでもなくダーナ聖堂長でしょう。現状で猊下が一番邪魔だと思っているのは彼ですから」
現時点でソフィが倒れれば、アルカディア大聖堂のノイス・べス・ダーナか、シリウス大聖堂のカサンドラ・エス・アルカディアのどちらかが、大司教になる可能性が高い。カサンドラにそのつもりがないのは有名な話で、自然とノイスが第一候補になるのだ。
「そうよね……」
カサンドラは歯軋りしながらそう呟くと、真剣な表情で考え始めた。そんなカサンドラを捜していたのか、神官が声を掛けようと近寄ってきた。
「あっ、聖ど……」
しかし彼女たちの顔を見た瞬間、声を喉に詰まらせて固まってしまった。それほど鬼気迫る顔をしていたのである。
◇◇◆◇◇
ソフィが襲われた話は、奇跡を起こす慈悲深き聖女の話と同様に瞬く間に広がっていった。しかも極秘情報である帝都のアルカディア大聖堂が下した、ソフィを放逐の件も一緒に流れており、その二つを関連付けた信者たちによって「打倒ダーナ聖堂長」という声が囁かれ始めていた。
当然ソフィの耳にも入っており、そのことが彼女にあることを決意させていた。カサンドラの部屋を訪れたソフィは、彼女にその決意を告げた。
「叔母様、私たちはまた巡礼の旅に出ることにしました」
「何を言うのソフィ、貴女はもう旅なんて続けなくてもいいのよ?」
「噂はご存じでしょう? 私がここに居れば争いの種になるかもしれません。それはとても悲しいことです」
当然ながらカサンドラも件の噂は知っていた。むしろそうなるように誘導して、噂を流したのは彼女である。ソフィが傷つけられたことに怒りを覚えた彼女は、この機会にシルフィート教の膿を全て出してしまおうと考えたのだ。
ソフィも帝都の教会の腐敗に関してはどうにかしたいと考えていたが、その為の流血は望んでいなかった。しばらくカサンドラとソフィの話し合いが持たれたが、ソフィの意志は固く最終的にはカサンドラが折れる形になった。
「まったく……一度決めたら、決して曲げないところはお姉様譲りね。わかったわ、貴女たちが旅を続けるのを許可することにします。その代わりに、二つの条件があるわ」
そう切り出しながら二本指を立てたカサンドラに、ソフィは首を傾げながら訪ねる。
「はい、何でしょう?」
「一つ護衛に聖騎士を同行させなさい。何もたくさん連れていけとは言わないわ。一人で構いません」
ソフィは聖騎士との旅を思い出し首を横に振ろうと思ったが、叔母は自分を心配してくれているとわかっていたのでグッと堪えた。そして、もう一つの条件を話すように彼女の眼を見る。
「もう一つは、北東にあるサイトゥの町に向かって欲しいの。その町の聖堂から治癒術士の数が足りないと救援要請が来ているのよ」
「わかりました」
困っている人を助けるためにそこに向かうのは、彼女としては当たり前のことなので二つ返事で答えた。カサンドラは小さくため息をつくと
「聖騎士に関しては、私が選定してから後で知らせるわ」
「はい、出発は三日後を予定しています。それまでにお願いしますね、叔母様」
ソフィはそう言い残すと部屋を後にした。カサンドラはそんな彼女を見送ったあと
「いくら貴女が嫌がっても……もうこの流れは止めれないわ。悪い叔母でごめんね」
と呟くのだった。




