第56話「シリウス大聖堂」
ソフィたちがフォレストの街を出発していたころ、帝都のアルカディア大聖堂の一室では高位の神官たちが集まっていた。彼らは聖堂派と呼ばれている一派である。
豪華な装飾品で飾られた一室は聖堂内にあるとは思えない部屋で、貴族の屋敷の一室と言われても違和感がない豪華さだった。ソフィが大司教として、この聖堂にいた頃には存在しなかった部屋である。
高位の神官の中でも、一際豪華に着飾っている禿げた中年男性が部屋に入ってきた。彼の名はノイス・べス・ダーナ、この聖堂を管理している聖堂長だ。
ノイスは椅子に腰掛けながら、近くに座っていた高齢の神官に声を掛ける。
「不遜にも猊下はいつ帰ってくるのかと、騒いでいる信者が多いようだな?」
「はい、ダーナ聖堂長……困ったものですな」
ノイスは手にした盃を傾け、ワインで喉を潤すと一際重い声で尋ねる。
「それで……その猊下は、どんな様子なのだ?」
「はい、相変わらずどちらに向かっているのか動きが読めませんでしたが、どうやら北の大聖堂に向かっているようです。今はおそらくフォレストの辺りかと」
比較的若い神官の言葉に、ノイスは顔を歪ませて唸り声を上げる。
「むぅ、北の聖堂……あの女のところか。そう言えば、小耳に挟んだのだが猊下が襲撃されたとか、ご無事なのか?」
「……はい」
ノイスはカーンと大きな音を立てて、テーブルにワインが入っていた盃を置く。高位の神官たちは口を噤み、室内は静寂に包まれた。
「そうか……それは大変喜ばしいな。何と言っても、女神の化身と呼ばれる方だ。その程度の凶事など問題としない素晴らしい加護がついているようだ」
ソフィの安否を気遣っている言葉だが、ノイスの顔はまったく笑っていなかった。その顔を見た若い神官は、彼の怒りを買ったと思い小刻みに震えている。ノイスは立ち上がりその神官のところまで歩くと、彼の肩に手を置いて軽く力を込める。
「何を緊張しているのだ……喜ばしいことだろう?」
「は、はいっ!」
若い神官の返事に満足したのか、ノイスはニコッと笑うと何度か彼の肩を叩いてから自分の席に戻って行く。
「しかし、猊下の安否が心配だ。今後とも……わかっているな?」
ノイスが睨みつけながら尋ねると、若い神官はガクガクと震えている。彼の瞳がどこまでも冷たく、自分の心臓を凍りつかせるような感覚に襲われたからだった。
「わ……わかっております。せ……聖堂に輝きを」
「聖堂に輝きを」
若い神官が祈るように言うと、ノイスはニヤッと笑って同じように答えるのだった。
◇◇◆◇◇
ソフィたち聖女巡礼団は、薄っすらと雪で飾られた石畳の道を北に進んでいた。フォレストの街からシリウス大聖堂までの街道は、この様な石畳で綺麗に整備されているのだ。これはシリウス大聖堂に向かう巡礼者も多いためで、道の敷設と整備はシルフィート教とフォレスト公爵家が、共同で資金を出し合って行っていた。
一行が大聖堂に近付くにつれ、同じような白い服を着た神官やシスターが目立つようになってきていた。
「そろそろシリウス大聖堂が見えてくるかな?」
「もう見えてますね。ほら、あそこです」
ソフィとマリアが、イサラが指差す方角を見つめると、山の中腹辺りに白く大きな建造物が薄っすらと見えた。マリアは驚いて両手を広げる。
「大きい! 帝都の聖堂より大きくない!?」
「この位置からなら、半日も歩けば着く距離ですね」
「そう言えば、先生は叔母様に会ったことはあるんですよね?」
ソフィが首を傾げながら尋ねると、イサラは額に皺寄せながら頷いた。
「えぇ、何度か……優しくも厳しく、容姿は端麗で猊下に少し似てますね。まぁ最後に会ったのは十年ほど前ですが、何かと豪快な方ですよ。少しは丸くなっていればいいのですが」
「豪快……どんな方なのか、少し不安だけど楽しみです」
イサラの話を興味深く聞いていたソフィは、シリウス大聖堂のほうを見つめながら、まだ見ぬ叔母の姿を思い描いていた。
◇◇◆◇◇
半日後、シリウス山 ──
ソフィたちはシリウス大聖堂に続く、長い石階段を歩いていた。美しく飾られた石柱の間を一歩一歩進んでいく、ソフィは珍しい風景に興味津々な様子で眺めていたが、マリアはずっと続く階段に飽きてきたようで文句を言い始めていた。
「まーだー?」
「もう少しですよ。ほら正門が見えて来てるじゃないですか」
イサラが前方を指差すと、確かに正門らしき立派な門の一部が見えている。見えてはいるが、たどり着くまでには小一時間はかかりそうな距離である。
「なんで、こんな山奥に聖堂建てるの!? 不便だよっ!」
「ここはシルフィート教の始まりの地ですからね。当時はこの辺りも戦場になっていて、疎開した人々が建てたのでしょう。もっともこんなに立派な聖堂ではなかったでしょうが」
イサラの言う通りこの辺りには、かつて戦を避けてシリウス山に疎開した人々の村があり小さな聖堂が立っていた。その聖堂に女神シルが降臨したと言われており、今ではこの山自体が聖域と呼ばれている。
ソフィは階段から続く広場を指差しながら提案する。
「ちょっとあそこで休憩していきましょうか?」
「さんせーい!」
「わかりました、少し休みましょうか」
マリアが賛成したことで、イサラも呆れながら同意した。一行は階段から逸れた広場に移動して、腰を下ろして休憩することにした。マリアが巨大な背嚢を地面に置くと、上に乗っていたレオがピョンっと飛び降りた。
「重かった~」
「はい、マリアちゃん。お疲れ様」
ソフィは自分の肩掛けカバンから、水筒を取り出すとマリアに手渡す。マリアは笑顔で受け取ってゴクゴクと飲むと、ようやく一息ついた様子だった。
「こんな休憩所があるなんて、気が利いてますね、聖女さまっ」
「休憩所……今はそうとも言えるかもしれないね」
ソフィは少し悲しそうな瞳で周りを見回していた。広場にはベンチがいくつかあり、崩れた階段方向に崩れた壁がいくつかある。そして女神像が一つ立っていた。
「ここは戦場の跡地みたい」
「多少崩れてますが、おそらく防衛拠点ですね」
シルフィート教の黎明期には、元々の土着宗教との対立や国同士の戦に巻き込まれるなどの争いが絶えなかったという。この広場はその名残で、上ってきた敵に反撃する拠点の一つである。このような場所が上ってくる最中にいくつもあった。
このような悲しい歴史を経て、現在は他の宗教とも融和路線を貫いているようだ。それでも国境に近いこともあり、国教の聖地として他国から狙われることもあるので、聖騎士団の本営が置かれているのである。
それからしばらく休んだあと、聖女巡礼団は再び上を目指して歩き始めた。
◇◇◆◇◇
一時間後、シリウス大聖堂 正門 ──
ようやく辿り着いた一行は、美しい彫刻が彫られている正門を見上げている。その門には白銀の鎧に身を包んだ屈強な聖騎士が立っていた。ソフィは笑顔で会釈をして声を掛けていく。
「聖騎士の皆さん、ご苦労様です」
不愛想な聖騎士はチラッとソフィのほうに視線を移すと、目を見開いてすぐに跪いた。どうやら彼女の持つ大司教の証が目に入ったようだ。
「だ、大司教猊下!? 申し訳ありません」
「いいえ、気になさらず、そのまま職務を続けてください」
「はっ!」
聖騎士たちは、心なし先ほどより背筋を伸ばして立ち上がった。ソフィは、そんな聖騎士に改めて尋ねる。
「叔母様……アルカディア聖堂長は、いらっしゃいますか?」
「はっ、いらっしゃるはずです」
「案内の者を呼んできますので、しばらくお待ちくださいっ!」
聖騎士の一人が聖堂内に入っていき、しばらくすると司教や司祭が慌てた様子で駆けてきた。そして、ソフィの前までくると一斉に跪いた。
「大司教猊下、ようこそいらっしゃいました」
「皆さん、ありがとうございます。私はソフィーティア・エス・アルカディア。彼女がイサラ司祭、そして彼女がシスターマリアです」
ソフィに紹介されて、イサラとマリアが会釈をする。レオは初めてみる人々を警戒しているのか、マリアの背嚢の上で軽く唸っている。
出てきた神官たちの中で、一番歳を重ねていそうな男性が一歩前に出ると、ソフィたちを招き入れるように道を開けながら
「聖堂長がお待ちです。どうぞ、こちらへ」
と頭を下げた。ソフィは微笑むと彼に会釈をして、そのままシリウス大聖堂に入っていく。




